venerdì, giugno 24, 2005

撤退祈願

あーあ。
自衛隊、標的にされてしまいました。
どうすんだ。
本人達に覚悟ができているなら
本人達の覚悟は結構だが
本当に、家族もみんな覚悟はできているのか。
涙をこらえて旗振っていた、あの小さい子も我慢する覚悟ができているのか。
だいたい、あんな映像を、まさか現在の事として観なくてはならなくなるとは、
と思った事を今思い出した。

そして、
人道支援が為に伺った建前になっている派遣ですが
少なくともあの爆発物が破裂したのは
自衛隊が、あの場所に駐屯しているからと思いますが。
サマワが安定していたのだとしたら
安定が、続かなくなりそうな要素を、もたらさない方が
人道支援になっていたかもしれないと思うのですが。

もし、今後、このような攻撃が、自爆に進んだ場合
報道にもよるだろうが、まぁ、報道がそれのみそればかり気になって仕方ない
自衛隊への被害が、運良く免れられたとしても
自爆した人間は亡くなってしまう。

どう考えたらいいのかわからないんだよ。
どっちかのうちのどっちかについて、亡くならないで欲しいと願ったら
別の片方が亡くなってしまうなら、
別の片方も亡くならないでほしいと思ったとき
どう考えたら良いかわからなくなるじゃないか。
捕虜として投降すると見せかけて急に発砲してきたので
って、絶対ありえない話、とも思えなかったし
そうしたら、どちらかの無事はどちらかの死じゃないか。
どっちの無事を祈ればいいのかわからなくなるじゃないか。
武装した組織、ってどっちも、武装した組織だし。

イマサライマサライマサラ

自衛官の人が、日本の演習場なり自宅なりに居ていれば、
少なくとも、今イラクに居る誰かの攻撃にあうことはない。
今イラクにいる誰かも、自衛隊に対する攻撃は、しなくてすむ。

いいから、帰って来てくださいよ。
日本国民の為、って言ってくれるなら
国民の1人として、それは、しなくていいですと、お伝えしたい。
日本国民の内である、それぞれのご家族の所へお戻りください。
何か、決定的なことになる前に。


ついでに思う。
「エラソウに」とか「貴様の指図は受けん」「ぐだぐだうるせえ」と
思うに、1日数回はつぶやいていそうなタイプの方は
その同じ頭で、軍隊に守ってもらわないでどうするのだ
と考えるとき、その軍隊に自分は参加している設定なのだろうか。
軍隊って、そんな本人の希望するような尊敬できる兄ちゃんばっかしが
上官なものなのだろうか?自分の好みを選べるものなのだろうか。
「ぐだぐだうるせえ」おやじが、「エラソウに」一挙手一投足「指図」しまくるのにも、
従わなくてはならなくなるものなんじゃないか?
そういう仕事なんじゃないか?
で、撃てといわれたら撃て、死ねって言われたら死ねとなるわけだけれど、大丈夫なんだろか。
テレビの中の戦争の報道でさえ、見るに耐えないのに。

「自分は、別、守ってもらうの」っていうのなら
すごいと思うんだけれども
守る側が亡くなってしまって当然で、
守ってもらえる自分が、
場合によっては誰かを殺してまで守ってもらえる価値のある
他人よりも、他人の死をもってしても、生き残る価値のある人間だと思える
その根拠って何だろう?すごいな。上野のお山でたたされぼうず。

どっちにしても、戦時の際には、軍隊は一般市民の事は守らないものだと思うけれども。