domenica, agosto 21, 2005

争点は、「存在」

しくみとか、よくわからないのだが
goo特設2005衆議院選挙緊急ブログアンケート
いうのがあって、
http://blog.goo.ne.jp/election2005/

投票に行く人が、19日現在89%だった。
blogなんつうものをする人の傾向として
選挙に行く人が多いっていう事だろうか。
そうじゃなくて、投票行く気の人、全体に今回多いのかな。

広島や長崎に原爆が落された事すら
よく知らない世代が出てきていて
沖縄に行って、タクシーで”パールハーバーってこの辺ですか?”
って尋ねる人が出てきていて
(どこで聞いた話か、忘れた、多分テレビ。眉唾しといてください)
広島原爆投下を、正しい選択だったと
あくまで言い張るアメリカの博士に同意する日本人の感想が
テレビの特集番組に多く寄せられるような今日この頃
本当にそんなんなっているのか
あまり信じたくないし
本当のところ、ちょっと信じられないけれど
本当だとするなら、検索かなんかで
そういう人の1人くらいは、間違えて読んでくれるかもしれないから、一応書いといてみる。

1945年12月衆議院議員選挙法が改正されるまで、
日本の大人の約半分、つまり女性は、選挙権も被選挙権も認められていなかった。
社民党は、結成されると即解散させられる状態だった。
共産党は非合法だった。
日本国籍を持つ人は
政府と同じ考えの人以外は
自分を主として考えた事が政府の考えと違った時は
その自分の考え方、それに似たような考え方、でさえも、
投票なんていう、
数文字書いて箱に入れるだけの簡単な方法で意思表示することはできなかった。

今度、”繰り返し”たら
もう、正当化するための逃げ場、無いから。
しかたなかった、とは、言えないから。

「誰だって戦争は嫌だ」と言いながら
「でも、やむをえない場合がある」
と主張する人ってのは
言っている本人は、誰だって、に、どうも含まれてないみたいなんだな、と
最近、ようやく、実感的に気が付いた。

嫌ならなんとしても防ごうとする筈じゃないか。
我慢して良い事なんか何も無いのに
それを名誉だのなんだのと、その時代においてはその価値観だったのだと
言って正当化する糸口を作れば、糸口から始まった事は
戦争に向かっている。
戦争が、嫌なら、悲劇だったと思うなら
望まないと言いながら、戦争の悲愴感に陶酔したりするのは
自分の若い時代と重ねて、懐かしむような世代でもないなら
矛盾する。
「誰だって戦争は嫌だ」、と言っておかないと、
”ぐだぐだ言われるから”とりあえず言っているに過ぎない、
んじゃないの?
時代じゃない。
この”時代”の戦争だから、ひどい事が行われたのではない。
戦争があれば、いつでもそのような”時代”になる。

人間じゃなくたって
多少の思考力のある動物は
猿でも犬でも、自分の好きな存在、自分の大切な存在が
居なくなれば悲しむ。
叩かれたら、痛がる。
怒鳴られたら、嫌がる。
自然な本能だと思う。
どんな時代に生れた人間でも、
戦争に従わされる身になるのは嫌だろうと思う。
その嫌悪感に耐える価値の無い事の為に、
耐える事を相互に強制しつつ猛進するのが、戦争だと思う。
嫌なのに、”立派だから”もしくは、”立派だといわれるから”
それを、甘んじて受け入れるのが、戦争における人間の
上からの命令に積極的に従う心理だと思う。
本当は嫌だけど、がまんする。
なんの、価値も無い事を。
「時代」が理由じゃなくて、強制する力の強さの問題だと思う。
過去のその時代だけじゃなく、未来にも充分あり得る。
現在も、地球上の各地で起きている。

どこで、何を間違えたのか知らないが
多分、何かどっか、間違えているんだ。
誰か、別の人には、価値が生れる事を
それが、自らに帰ってくる価値だと、
どっかで、勘違いしていないだろか?
帰ってこないよ。
なんの得も無く、ひたすらやせ我慢だよ。
しかも、後になったら良心の呵責に苦しまされる。
(もしくは、何の損も無く
自分の得る価値だけある事を確信できる立場にある人は
「やむをえない場合もある」と主張して理は通っている。
ただ、それは、とても少数な筈だから
(少数じゃないと、一人当たりの利が、減るから)
主流になる状態はおかしい)

その強制が、一度、ともかくは、ゆるいものになったのだから
ゆるいうちに、「その時代」にしない為に
できる事は、した方が良いと思う。
現在の選挙は、できるだけ、いろいろな事情があっても
なんとか事情に合わせた形で投票が可能になるように
そういう仕組みは、それなりに工夫されている。
投票日当日じゃなくても
投票所に行く事が困難な人でも
投票する方法はある。

89%は、最近の選挙の時の投票率と比べたら
信じられないくらい高い数値だけど
残り11%の人、その一部でいいから予定変更してくれないかなと思う。

投票したい政党が無いのは、わかるような気もするが
少なくとも、二つの傾向の選択肢は、あるような気がするし
これだけは、許せない、という事を進めそうな政党以外を選ぶ事も
ひとつの、堂々とした選択だと思う。
どうせ行かないで票捨てるなら
行って票捨てるのは、どだ?
(戦争の準備に反対する政党に投票すると
かなり高い確率で票が死ぬ傾向にあります。)

だって、嫌なんだもの。
戦争は嫌だもの。
殺されたり、拷問されたり、だけじゃなくて
その辺に住んでいる人たちが
お互い疑心暗鬼になって
相手から、何の根拠も理由も無い事で密告される事を
常に怯えて暮らすようになるのも
戦争の、嫌な所だと思う。
それは、戦争中だけじゃなくて
戦争の準備段階で、もう、始まる事だと思う。

そういう時代にならないようにする方法が
まだ、日本の国では、法律上は、権利として保証されているはずで
その一番簡単な方法が
選挙に行く事だと思う。

優等生として、みたいんじゃなくて
義務感としてじゃなくて
抗議とか、反発とか、自分も居るよ、という存在を示す為に
投票、行ってくれないかなぁ。
本来は、そゆもんだと思う。