焚書っぽい (3)
村の女子青年団長をしていた方の手記に書かれてあるという証言、
以下引用
当時、彼は助役として行政全般を取り仕切ると同時に、
兵事主任、防衛隊長も兼ねていましたから、
米軍の上陸が間近に迫っている段階では、
住民のとるべき手段をいち早く決定する立場にあった。
それで上陸の始まった二十五日の夜、
宮里助役は村民に非常米の配給を行い、
その後、収入役、若い吏員(役場の職員の事)、
小学校校長、女子青年団長だった宮城初枝さんを集め、
五人そろって梅沢隊長のところへ行ったんです。
そして梅沢隊長の前に出た宮里助役はこう願い出た。
「もはや最期の時がきました。若者たちは軍に協力させ、
老人と子供達は軍の足手纏いにならないよう、
忠魂碑前で玉砕させようと思います。爆弾をください」と。
(教科書は間違っている
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/kyokasho.htm)引用終わり
玉砕させようと思います
玉砕させよう
ってどういう事?
他人を、玉砕させる権限、が、誰かにあっていいものなの?
そういう”自信”を人に持たせてしまうのが、戦争だと思う。
それを、個人の1人の人の罪にして責任にしてしまうと
その人さえ居なければ、それは起きなかったか?
という問題になると思う。
戦争があると、この人の役割は
戦争が起きた場所の、その場所のその立場に居る人間が
高い確率で担ってしまうだろうと思う。
だから、戦争を起こさない事が、重要なのだし
起きない為に、その準備をしないことが重要なのだし
常に、何故戦争をしてはいけないかを
後の世代は知っていなければいけないと思う。
だから罪は罪として、何が罪としてあったかは
明らかにされなければいけないと思う。
それは、戦争になると何が起きるのか、という
歴史を学ぶ為に。
甘く和らげられてはいけないと思う。
その、厳しい証言が、残される事はとても必要な事であり
その証言を、本人が苦しくてなかなか出せないほどひどいものであるからこそ
周りの知らない世代の人間は、厳粛に、証言者が証言を出す助けをしなければ
いけないと思う。
外からも火をあてて、突破口を焼き固め塞いでしまうのではなく
中からの火だけで、外に押し出されてくるような、罪を後継する態度が必要だと思う。
証言する苦しみを察し、敬意を表したいと思う。
後の世代の人間の為を思っての、苦しみであるだろうから。
でも、その罪それ自体を、必要な事だったから仕方無かったと和らげたり、
崇高な国に対する忠誠心による名誉の行い、であるというようにしてしまうのって、どうなのか。
そうすれば、証言が出てくるからといって
そうしてしまったら、本来の、その証言を空気に触れさせる
日の下に出す意味が無いじゃないか。
人間が、戦争の中で、集団心理の影に隠れられると思った時に
何をするかという事を
戦争の最中に、その状況に、その場に居ない人間は
それだけを、固有の事、その個人の資質、罪悪として高みに立って評価するのではなく
ひとつの共有される記憶として、どうしても受け取らないといけないと思う。
だからね、
「玉砕させようと思います」、ってどういう事か?
「沖縄ノート」は、
あまりにも、自分で直視したくない自分の一面までが
直視させられるので辛い本だ。
その箇所は人それぞれだろうが
「《およそ一年半ばかり前(すなわち一九五九年の春)、ちょうどドイツを旅行して
帰って来た1人の知人から私はある罪責感がドイツの青年層の一部を捉えているという
ことを聞きました。
(中略)
私を公衆の前で絞首するように提案した理由です。私はドイツ青年の心から罪責の重荷
を取除くのに応分の義務を果たしたかった。なぜならこの若い人々は何といっても
この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がないのですから。》
(沖縄ノート 212頁213頁)」
「それでもわれわれは、架空の沖縄法廷に、一日本人として立たしめ、
右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、
かれの口から発せられる光景を思い描く、想像力の自由をもつ。かれが日本青年の心から
罪責の重荷を取り除くのに応分の義務を果たしたい、と「ある昂揚感」とともに語る
法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。
この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりグロテスクだ。
なぜなら「日本青年」一般は、じつはその心に罪責の重荷を背負っていないからである。
アーレントのいうとおり、
(amo注 ハンナ・アーレント アイヒマン裁判に関わる書物を著作した人だそうだ)
実際にはなにも悪いことをしていないときに、
あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。
(沖縄ノート 213頁)」
・・・読んだら、無傷じゃない。
この本は35年前に書かれた本だから、
その時代に定着していた考え方や差別を当然のようにあるものとして、
その中で、周囲との協調を考えれば
無言の、協調を促す圧力があるのだけれども
それを、自分の協調性がないという欠点なのかもしれないとさえ思いつつ
それでも、受け入れられないと、「なぜなら!」と、抗っている感情が
書き示されてあるように思う。
このような、この頃の人達の抗いによって
それでも、今も大いに残ってはいるという事を
痛感はするけれども
少なくとも表面上はその時よりは、
この、加害する側の”共通感覚”が”常識”として存在する事が
わずかばかりでも減少したのだろうと、思う。
表面上ちょっと減少した位じゃだめなんだよ、と本から責められる気がするが
何も変わらないよりはほんの少しましだと思うし
差別やある種の考え方の、卑屈さや卑怯さ、醜さを、
とても率直にリアルに描いているこのような本によって
それぞれの内面のその醜さを、自覚した人も今までに多く居たと思う、
それが、今の”多少はましになりました”、
という所に繋がっているかもしれないと思う。
人間は、きっといつまでもそういう醜い部分があってしまう以上
それを、直視させる、辛い本は
出版停止にはなってはいけないのではないかと
私は思う。
「おりがきたら、とひたすら考えて、沖縄を軸とする
このような逆転の機会をねらいつづけてきたのは、
あの渡嘉敷島の旧守備隊長のみにとどまらない。
日本人の、実際に厖大な数の人間がまさにそうなのであり、
何といってもこの前の戦争中の
いろいろな出来事や父親の行動に責任がない、
新世代の大群がそれにつきしたがおうとしているのである。」
中略
「この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動と、
まったくおなじことを、新世代の日本人が、真の罪悪感はなしに、
そのままくりかえしてしまいかねない様子に見える時、
かれらからにせの罪悪感を取除く手続きのみをおこない、
逆にかれら倫理的想像力における真の罪悪感の種子の自生をうながす努力をしないこと、
それは大規模な国家犯罪へむかうあやまちの構造を、
あらためてひとつずつ積みかさねていることではないのか。(沖縄ノート 214頁)」
(太字は、原文では傍点。改行は引用者による)
引用終わり
(個人的には、”父”親だけじゃなかろ、と思う部分もある。
アイヒマンさんの言葉にかけているのでしかたないが。)
Baghdad Burningは更新されない。
まだ続く
以下引用
当時、彼は助役として行政全般を取り仕切ると同時に、
兵事主任、防衛隊長も兼ねていましたから、
米軍の上陸が間近に迫っている段階では、
住民のとるべき手段をいち早く決定する立場にあった。
それで上陸の始まった二十五日の夜、
宮里助役は村民に非常米の配給を行い、
その後、収入役、若い吏員(役場の職員の事)、
小学校校長、女子青年団長だった宮城初枝さんを集め、
五人そろって梅沢隊長のところへ行ったんです。
そして梅沢隊長の前に出た宮里助役はこう願い出た。
「もはや最期の時がきました。若者たちは軍に協力させ、
老人と子供達は軍の足手纏いにならないよう、
忠魂碑前で玉砕させようと思います。爆弾をください」と。
(教科書は間違っている
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/kyokasho.htm)引用終わり
玉砕させようと思います
玉砕させよう
ってどういう事?
他人を、玉砕させる権限、が、誰かにあっていいものなの?
そういう”自信”を人に持たせてしまうのが、戦争だと思う。
それを、個人の1人の人の罪にして責任にしてしまうと
その人さえ居なければ、それは起きなかったか?
という問題になると思う。
戦争があると、この人の役割は
戦争が起きた場所の、その場所のその立場に居る人間が
高い確率で担ってしまうだろうと思う。
だから、戦争を起こさない事が、重要なのだし
起きない為に、その準備をしないことが重要なのだし
常に、何故戦争をしてはいけないかを
後の世代は知っていなければいけないと思う。
だから罪は罪として、何が罪としてあったかは
明らかにされなければいけないと思う。
それは、戦争になると何が起きるのか、という
歴史を学ぶ為に。
甘く和らげられてはいけないと思う。
その、厳しい証言が、残される事はとても必要な事であり
その証言を、本人が苦しくてなかなか出せないほどひどいものであるからこそ
周りの知らない世代の人間は、厳粛に、証言者が証言を出す助けをしなければ
いけないと思う。
外からも火をあてて、突破口を焼き固め塞いでしまうのではなく
中からの火だけで、外に押し出されてくるような、罪を後継する態度が必要だと思う。
証言する苦しみを察し、敬意を表したいと思う。
後の世代の人間の為を思っての、苦しみであるだろうから。
でも、その罪それ自体を、必要な事だったから仕方無かったと和らげたり、
崇高な国に対する忠誠心による名誉の行い、であるというようにしてしまうのって、どうなのか。
そうすれば、証言が出てくるからといって
そうしてしまったら、本来の、その証言を空気に触れさせる
日の下に出す意味が無いじゃないか。
人間が、戦争の中で、集団心理の影に隠れられると思った時に
何をするかという事を
戦争の最中に、その状況に、その場に居ない人間は
それだけを、固有の事、その個人の資質、罪悪として高みに立って評価するのではなく
ひとつの共有される記憶として、どうしても受け取らないといけないと思う。
だからね、
「玉砕させようと思います」、ってどういう事か?
「沖縄ノート」は、
あまりにも、自分で直視したくない自分の一面までが
直視させられるので辛い本だ。
その箇所は人それぞれだろうが
「《およそ一年半ばかり前(すなわち一九五九年の春)、ちょうどドイツを旅行して
帰って来た1人の知人から私はある罪責感がドイツの青年層の一部を捉えているという
ことを聞きました。
(中略)
私を公衆の前で絞首するように提案した理由です。私はドイツ青年の心から罪責の重荷
を取除くのに応分の義務を果たしたかった。なぜならこの若い人々は何といっても
この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がないのですから。》
(沖縄ノート 212頁213頁)」
「それでもわれわれは、架空の沖縄法廷に、一日本人として立たしめ、
右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、
かれの口から発せられる光景を思い描く、想像力の自由をもつ。かれが日本青年の心から
罪責の重荷を取り除くのに応分の義務を果たしたい、と「ある昂揚感」とともに語る
法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。
この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりグロテスクだ。
なぜなら「日本青年」一般は、じつはその心に罪責の重荷を背負っていないからである。
アーレントのいうとおり、
(amo注 ハンナ・アーレント アイヒマン裁判に関わる書物を著作した人だそうだ)
実際にはなにも悪いことをしていないときに、
あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。
(沖縄ノート 213頁)」
・・・読んだら、無傷じゃない。
この本は35年前に書かれた本だから、
その時代に定着していた考え方や差別を当然のようにあるものとして、
その中で、周囲との協調を考えれば
無言の、協調を促す圧力があるのだけれども
それを、自分の協調性がないという欠点なのかもしれないとさえ思いつつ
それでも、受け入れられないと、「なぜなら!」と、抗っている感情が
書き示されてあるように思う。
このような、この頃の人達の抗いによって
それでも、今も大いに残ってはいるという事を
痛感はするけれども
少なくとも表面上はその時よりは、
この、加害する側の”共通感覚”が”常識”として存在する事が
わずかばかりでも減少したのだろうと、思う。
表面上ちょっと減少した位じゃだめなんだよ、と本から責められる気がするが
何も変わらないよりはほんの少しましだと思うし
差別やある種の考え方の、卑屈さや卑怯さ、醜さを、
とても率直にリアルに描いているこのような本によって
それぞれの内面のその醜さを、自覚した人も今までに多く居たと思う、
それが、今の”多少はましになりました”、
という所に繋がっているかもしれないと思う。
人間は、きっといつまでもそういう醜い部分があってしまう以上
それを、直視させる、辛い本は
出版停止にはなってはいけないのではないかと
私は思う。
「おりがきたら、とひたすら考えて、沖縄を軸とする
このような逆転の機会をねらいつづけてきたのは、
あの渡嘉敷島の旧守備隊長のみにとどまらない。
日本人の、実際に厖大な数の人間がまさにそうなのであり、
何といってもこの前の戦争中の
いろいろな出来事や父親の行動に責任がない、
新世代の大群がそれにつきしたがおうとしているのである。」
中略
「この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動と、
まったくおなじことを、新世代の日本人が、真の罪悪感はなしに、
そのままくりかえしてしまいかねない様子に見える時、
かれらからにせの罪悪感を取除く手続きのみをおこない、
逆にかれら倫理的想像力における真の罪悪感の種子の自生をうながす努力をしないこと、
それは大規模な国家犯罪へむかうあやまちの構造を、
あらためてひとつずつ積みかさねていることではないのか。(沖縄ノート 214頁)」
(太字は、原文では傍点。改行は引用者による)
引用終わり
(個人的には、”父”親だけじゃなかろ、と思う部分もある。
アイヒマンさんの言葉にかけているのでしかたないが。)
Baghdad Burningは更新されない。
まだ続く