domenica, agosto 28, 2005

補足 がまた伸びる  (9)

大江健三郎 著 「沖縄ノート」より

「学者の傍らに言葉もなく座っていて、僕は自分が見ている深淵、しかも、沖縄について
いくらか知識を確かにするにしたがって、ますます奥底の償いがたく遠ざかる恐ろしい
深淵について思わないではいられなかった。その深淵が、なぜ恐ろしいかといえば、
それは、日本人とはこのような人間なのだと、自分自身の疾患からふきあげてくる毒気を
もろにかぶってしまうような具合に、眼のくらむ嫌悪感ともども認めざるをえない、
凶まがしいものの実質を、内蔵しているところの深淵にほかならないからである。
 まえもっていえば、それはすでに払拭してしまうことのできぬ汚点である。
したがって、それについて無知であることが、精神の健康あるいは単なる無邪気さの維持のためには
望ましい。しかし無知の酷たらしさということもある。再び、きみたちはこれをくりかえすぞ、
現にいまそれをくりかえしているのだぞ、という声も、いったんその深淵を
覗いた者が注意深くあるならば、かれの耳に響いてくるであろう。しかもそれは、
悔いあらためればそれですむという種類のきれいごとでなく、政治的な態度決定によっては、
一転して、その悪を糾弾する側に立つことができるという種類の機械的なものでもない。
(沖縄ノート 90頁91頁)」

「アイヒマンの処刑とドイツの青年たちの罪障感の相関についてハンナ・アーレントが
いっているように、実際はなにも悪いことをしていないときにあえて罪責を感じるということは、
その人間に満足をあたえる、きれいごとだ。しかし本当に罪責を認めて、そのうえで悔いることは、
苦しく気のめいる行為である。沖縄とそこに住む人々への罪障感にも、その二種がある。
いったん自分の日本人としての本質にかかわった実際の罪責を見出すまで、沖縄とそこに住む人々
にむかってつき進んだあと、われわれが自分のなかに認める、暗い底なしの渦巻きは、
気のめいる苦しいものだ。(沖縄ノート 91頁)」

「さて、それらの声はいう、まともな人間としてだと?いったい「日本自身のこと」、
日本人自身のこと、ほかならぬきみ自身のことを考えて、熱い恥かしさなしにきみは、
われわれにむかってまともな人間として、などといえるのかね?それでは沖縄で
まともな人間としてでなくてもなんとか生き延びるために、われわれよりほかの選択
をした人間を、きみがまともに咎めだてできるとでもいうようじゃないか?
(163頁 沖縄ノート)」

「《 およそ一年半ばかり前〔すなわち一九五九年の春〕、ちょうどドイツを
旅行して帰って来た一人の知人から私は或る罪責感がドイツの青年層の一部を
捉えているということを聞きました・・・
(中略)
・・・私を公衆の前で絞首するように提案した理由です。私はドイツ青年の心から
罪責の重荷を取除くのに応分の義務を果たしたかった。なぜならこの若い人々は何といっても
この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がないのですから》(212頁)」

「それでもわれわれは、架空の沖縄法廷に、一日本人として立たしめ、
右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、
かれの口から発せられる光景を思い描く、想像力の自由をもつ。かれが日本青年の心から
罪責の重荷を取り除くのに応分の義務を果たしたい、と「ある昂揚感」とともに語る
法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。
 この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりグロテスクだ。
なぜなら「日本青年」一般は、じつはその心に罪責の重荷を背負っていないからである。
アーレントのいうとおり、実際にはなにも悪いことをしていないときに、
あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。この旧守備隊長が、応分の義務を
果たす時、実際にはなにも悪いことをしていない(と信じている)人間のにせの罪責の感覚が、
取除かれる。「日本青年」は、あたかも沖縄にむけて慈悲でもおこなったかのような、
さっぱりした気分になり、かつて真実に罪障を感じる苦渋をあじわったことのないまま、
いまは償いまですませた無垢の自由のエネルギーを充満させて、沖縄の上に
無邪気な顔をむける。その時かれらは、現にいま、自分が沖縄とそこに住む人々にたいして
犯している犯罪について夢想だにしない心の安定をえるであろう。それはそのまま、
将来にかけて、かれら新世代の内部における沖縄への差別の復興の勢いに、
いかなる歯どめをも見出せない、ということではないか?
(沖縄ノート 213頁214頁)」

引用終わり

太字は原文では傍点。改行は引用者

文脈があるから、と思うと
引用のキリがなくなってくるのが困った。
どこ省いたらいいのかわからない。

で、結局この本の場合は、
私個人は、該当者個人を責めているのではないのではないか、
と読んだわけだけれども、
この本でない場合
今後、後から覆される証言を
証言として書いたら訴えられるという事になれば、
聞いた証言を書くことなどできなくなってしまうではないかと
振り出しに戻ってしまった。

本田勝一さんの「百人斬り競争」記載の裁判は
東京地裁において

(3) そこで, 本件摘示事実が, その重要な部分について一見して明白に
虚偽であるといえるか否かについて検討するに,
(中略)
以上の諸点に照らすと, 本件摘示事実が, 一見して明白であるとまでは認めるに足りない.
(4) したがって, 被告本多, 被告柏及び被告朝日に対する各請求は認められない.

http://d.hatena.ne.jp/dempax/searchdiary?word=%2a%5bmemo%5d

と決着したようなのだが、
こういう事になると、
職業として、取材して報道することを主としている報道関係者は
それぞれのつてや技術をもって、事実確認を徹底すれば
事件が起きて100年位後になれば、
物理的に真偽が定かにできない件についても
書くことができるかもしれないが、
(自分のその時の感覚と照らし合わせたい場合は、
よっぽど長生きしないとなんないね)
現場に赴く事さえ、自分がしてよいことなのかどうか逡巡する文学者のような人は
もう、0から全て創作したもの以外、なにも書くな
という事になってしまうと思うのは、極端か。かも。
実名を伏せて、「このような人物に聞いた話」「このような文献を参考にした話」
「住民から、このように記憶されている男」という書き方をしてもなお
訴えられてしまうというのでは、不自由だと思う。

うー・・・でも、本当に心無い出版物やその他のメディア媒体によって
個人の名誉が棄損される場合もある。
(事件の時の近所の人のコメントとかって、えげつない時あるし)
だからこそ、法律じゃなくて
訴える、というその事が、内容を見て裁判制度の乱用に思えた時は
そう思った人が、それぞれの方法で抗議をするという、法的なものとは違った形の
”たが”を作っておくのが大事なんじゃないだろか。
そだ、まず、そこにつまづいたんだった。
こういう事になった途端、それまでとは手のひら返したような
新聞やなんかの「うち関係ないです」みたいな、奥歯に物挟まっている感じに。
でも、なんとなく、『太平洋戦争』の参考文献の中の、
いくつかの記事のタイトルhttp://amo-ya.blogspot.com/2005/08/blog-post_26.html
を見ていたら、こういうことか、と思った。
「政治的な態度決定によっては、一転して、その悪を糾弾する側に立」っているように思えて。
私個人は、戦争の時代と同じように
その時代も生きていたわけではなく知らないので
えらそうなことは書けませんけど、書いちゃってますけど。
自分だってどうなるかわかんないくせに。

さて。(部分を書き直したら文章が接続できなくなった)

私はそう思わないけど
人によって解釈は違うから
もし、それでも、これらの「沖縄ノート」における表現が
どうしても個人に対する糾弾だと読むのだとしても
その責められている「罪」は、”集団自決の命令を出したかどうか”の部分だけに
限られているものなのでは、ないと思う。
だとしたら、事実だった場合は許されるという事なのらしい
「社会的評価」を「低下」させた事になるのだろうか。
糾弾されている理由には、「命令」以外の事も含まれていて
それらは、事実なのだとしたら、
「いかに戦争中に行われた行為であるとはいえ, 戦闘行為を超えた残虐な行為
を行った人物であるとの印象を与えるものであり, 社会的評価を低下させる」のが
名誉棄損にあたるのだとしたら
その、戦闘行為を超えた残虐な行為と、戦闘行為の境界は、どこだろう、と思う。
「集団自決の命令」を出す事だけが残虐?
言葉だけの問題なら、言葉に対してだけなのだったら
住民は意に沿わなければ逆らえたのではないか?
逆らえなかったのは、なぜか?
それまでの経過と素地があるでしょうと思う。
と思って、も一度、確認してみたら
「集団自決の命令を下した」から、「ひどい」、とは書いていない、ように思う。
「集団自決においやった」から、「罪」だとすれば、
集団自決を決断させるに至るまでの、
訴状において否定されていない
心理的窮迫を与えたのが、罪、なんじゃなかろうか。
島民が、島の言葉を使ったら(スパイとみなして)殺す、など。

”座間味島における集団自決命令が座間味島の守備隊長によって
出されたことがうかがえるところ”(注1)

うかがっちゃだめだと思う。

「生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の
《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。
したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、
また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》
という命令に発するとされている。 (沖縄ノート)」

「守備隊長が」「出した命令により」とは書いてない。
軍隊からの命令、は、島民にとっては
守備隊長から出されようと
軍隊の雑用を任されていた人が
「玉砕命令が下った」と言ったものだろうと
言って回っているのを聞いた人にとっては
「軍隊からの命令」と思われたとして、
それをきっかけにしたのだとしたら、
軍隊の命令に事を発する、としても、
その、島民にとっては間違えではないと思う。
公的機関のようなものから、なにか報じられる時
これは、責任者の誰それから、とは言わない気がする。
避難勧告等でも、「市長がこう言いました」とか言わない気がする。
気がするじゃ「思うに」と一緒だからダメか。

”思うに、「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」
「『命令された』集団自殺を引き起こす結果を
まねいたことのはっきりしている守備隊長」
「戦友(!)ともども、渡嘉敷島での
慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたと報じた」との記述が、
渡嘉敷島の守備隊長であった赤松大尉に関するものことであることは、
日本の現代史を研究するもの及び赤松大尉を知るものにとっては明らかであり、
したがって上記記述が、赤松大尉が渡嘉敷島村民に対して
集団自決命令を下したという事実の摘示、或いは、
これに基づく意見論評であることは論を待たない。(注1)”

”慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、
どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で
住民を陣地内に収容することを拒否し、
投降勧告にきた住民初め数人をスパイとして処刑したことが確実であり、
そのような状況下に、『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたこと
のはっきりしている守備隊長

は、
”赤松大尉が渡嘉敷島村民に対して集団自決命令を下したという事実の摘示”
ではないと思う。
「命令された集団自殺」と、「『命令された』集団自殺」
は、違うと思う。

”「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと
同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべきであったろう」
といった最大限の侮蔑を含む人格非難”(注1)

まず、「人格非難」ではないと、私は思うが
その非難は、「集団自決を命令した」事のみに向けられているのではなくて
「集団自決に追いやった」つまり、
集団自決命令が出た、と、聞かされたときに
そこに疑問も持たず、拒否もせず、
複数の人間が自決をするに至るという心理状態にもっていった事、
それまでに、島民を殺害したり暴行を加えたりした事
をも含めての、非難と思われる。
思われるじゃダメか。

島民がその時点で出したと証言していた集団自決命令を
「出さなかった」から、それを、
このような扱いを受けるような
「悪い事は、なにもしなかった」
ということにすりかえたのではないか、と書き手には思えたという点
「それにもかかわらず、
島民の気持ちを思いやり慰霊(※)までした」と、考えているのではないか
と想像した上で、
そうなのであった場合の、そういう思考展開を、
それを沖縄以外に住む、書き手を含めた日本人の心理を象徴していると考え
その思考展開のやり方を、非難している、のだろうと、私には思える。
あくまで、思える、だけだけど。
(※http://amo-ya.blogspot.com/2005/09/blog-post_112563743777682921.html9月2日訂正)

どうしても余計な事を書いてしまうが
個人的には、沖縄の人が沖縄の人だから特別、ではない以上
沖縄の人の中にも、他の全ての地域と同じく、そのような思考展開をする人も
いるだろう、いただろうとは、思う。
この”日本”として国籍づけられた全ての場所で、
それぞれの組織の中で、自治体の中で、家族の中で
力関係により、大なり小なり加害と被害は発生し得たとは思う。
が、それによってそれぞれの個々が免れる事のできるものは、一切無いと思う。



注1 http://blog.zaq.ne.jp/osjes/ より訴状から抜粋引用

更に続くhttp://amo-ya.blogspot.com/2005/09/blog-post_112563743777682921.html
・・・・・凹。
この訴訟で一番へこまされてるのは、わたしかもしんない。