lunedì, ottobre 17, 2005

不適切な判断

だと、思いますよ。

来年で任期が終わって
好き放題参拝できるんだから
本当に、そんなに私的参拝がしたくて、しかも
何故かは知らないが、今じゃなくてはいけないなら
せめて、みつからないように行け、と思う。
もしかして、
兵隊さんが枕元に来るのでしょうか?
そうだとしたら、
その方の意図するところは
別にある、と私は思いますよ。
「我らの悲劇を繰り返すな」と伝えようとして、いらっしゃるんだと思いますよ。
妄想はさておき。
総理大臣の職についている間は
戦没者に哀悼の誠を示すなら
総理大臣として責任を持つ国が、過去殺害するに至った
全ての戦没者を、全て追悼する施設に
哀悼の誠を示すべきと思う。
沖縄に飛んだらいいんじゃないか?


「やればいいんでしょ」
「公的じゃなきゃいいんでしょ」
という、
どっちにしろ
やってみせる、という参拝にしか思えない。
である以上
それをしなければならないのが
公的総理大臣を続けるための建前なら
これは、公的参拝の様相を呈してしまうのではないですか?
その立場になければ、やらないことなら
その立場にあることに意味があるでしょ。
問題になるのも
その立場にあるからなわけだし。

でも、やっぱり判決というのは
それなりの効果を出せるものなんだなと、実感。
これだけ個人というところを強調しなければいけなくなった、というのは。
とするなら、
自衛隊がイラクで危険な中、アメリカに追従を示す為の象徴としてだけ
それだけの理由で、駐留し続けなくてはならないのも
きちんと勇気ある判断を示さない、
法廷にも大きな責任と罪がある、って事かな。