martedì, dicembre 06, 2005

国民的標的

大正から昭和初期にかけてのいわゆる戦前
巷では退廃的な文化が氾濫した。
エログロナンセンスとか呼ばれる。
という事を
昔、学校で習った。
なんか、思い当たるところがある。2005年。
人にもよるけれど
空虚な高笑いと
下ネタを大量生産するサマというのは
リストカットに似ている。
感覚の相違かもしれないが。
本当に楽しんで言っているのかもしれないが。

ニートたちよ、農業をしないか
という事で一見よさげな企画だが
「ニートには、生徒指導の経験がある高校教員OBが生活面の指導も行う。」
のだそうだ。
エライさんという人達の考えることというものは・・・・

無就業者や、厭世観にとらわれた人間達を
こうやってニートだとかあだ名づけて、
国規模で、いじめ対象に認定して
バラエティも動員して
攻撃の標的とする事を提唱するなら
自殺者は、また、増えるでしょーね。
ただでさえ減っている若年層を、
これ以上減らして、
高齢化社会、どうする気だろう。
こんなまわりくどい苦しめ方するなら
いっそ青酸カリでも配給すれば良いのに。

他殺に使われると困るか。
民間委託の、安楽死センターでも、作るか?


働く能力のある人間の大量リストラと
過労死するほどに
一人の人材に過負担を強いる人件費削減を鼓舞推奨したり
国立大学の研究費を削って
そこでしか真価を発揮できない人間から居場所を奪ったり
民間委託、民営化推進で
図書館の司書さんや、博物館の学芸員の
その場所に根付いて培われる安定した職業能力のある人から
働く場所を奪ったり、そういう事をしながら半面で
ひっそりと潜在していた、
生来から基本的就業能力に恵まれない人間たちの
ただれた生傷を暴き出して
窮鼠にしてどうするんだろう。
時流に乗っている偽者もいるかもしれないが
調査したから出てきただけで
昔から、どこにも置き場の無い人は居たと思う。
いつかはなんとかなる人もいれば
どうにもしようのないまま
歳を経て居なくなる人も居たと思う。

なんのかんの理屈をつけながら
こういう系統の人々を
たるんでるとかいう事で
軍事鍛錬受けさせる制度を作るまでもっていっても
妙にほがらかになったあたりで
正常ではない状態になるのが関の山だと思うが。
命令に従うどころか
誰が指揮官であるかも自分が誰であるかも
認識できなくなるような。

いいのか。どうでも。
武器の売買ができる仕組みさえ成り立てば。