lunedì, settembre 11, 2006

ざんぎり頭で文明開化

コメントを求められた街のおばちゃんの言葉

「うちもこれから孫が生まれるのっ
だからさっうちも男の子だったらいいなっなんてねっ思ってねっ」
(うろ覚えにつき正確にこのままかどうかはわからない)

・・・ある意味、大爆笑。

この点について、ブルカかぶせる国と、価値観まったく同じじゃないか。
ニュースとかも、気をつけつつ、うっかりにじんでいますが。
なんだっけ、中東の女性を解放するために云々。

だから、価値観というのは、それぞれ個人が持つものだから
一般的な風習や常識が変わっていくには
その場所の、その人たちが、自ら変化していくという形でしか
ありえないし
一般が、建前的に、新しい価値観を持っても
それが、根底を流れる意識を変えたことには
なんないし、
価値観は、まったく異なる正反対のものも
同じ場所に、いつでも、同居共存していくのだと思う。

価値観は、同居していく以上
同居すること、共存することは
最低限、認められて、定められていなければ
まったく正反対の価値観である以上
ぶつかれば、その衝突を解決することは
永遠に、多分、無理だ。

個々の個人の頭の中に、どういう考えがあってもいいが
それが、お互いを侵害してはいけない。
暴力や武器による、物理的な力を使った脅かしや
片側によるもう片側の排除は、
衝突を、終わりの無いものにしてしまう。

憲法、変えないほうがいいと思う。
武器による自衛、というのは
つまり、武器で、場合によっては、こちら側から攻撃しますよ
ってことであって、
実質上は
攻撃なので
これだけ、建前で塗り固めることに慣れているこの国では
どんな経緯による攻撃でも
それを、自衛と建前立てることが
すんなり通ってしまうと、思う。

憲法が、集団的武装による自衛を認めたら
逆行の速度は、早かろうなぁ

戦争が無いままで続いた国は、前例が無い。
平和憲法をこれだけ、持ち続けた前例も無い。

したら、この前例の無い憲法を保てば
前例の無いかった、戦争をしないままであり続ける国に、
最初の例として、なれるかもしれないではないか。

と、思ったりするのに
改憲の話が、だだ流れしてるなぁ