giovedì, marzo 31, 2005

楽天子供

スマトラ島西岸沖大地震

まだ、瓦礫の下に生き埋めとなっている人が居て
助けを求める声や、メールが届くのに
重機などが足りなくて、救出ができないでいるそうだ。

2005年というこの時代に
助けを求める声が聞こえるのに
助けられない事ばっかりだ。
天災でも人災戦争でも。

埋まっている人の居る事がわかっていて
どこに居るのかもわかっていて
助け出せないなら
人類の文明の発展・・って、何なんだろう。

フランスの消防士らでつくる救援チームが
生き埋めだった人を救出したというニュースを
立て続けに見た。
日本人も医者の人とか、ボランティアの人が
救援活動に向かったというのも見た。
文明の発展、0じゃない。

でもさぁー21世紀
もっと違うんじゃないかと
思っていたよなぁ・・・
なんか、まず災害時に生き埋めにならない未来だと
思っちゃってたよなぁ。

てにをはが

文民統制ってさぁ、
文民が、統制するって意味か。
ああそうか。

で、文民以外の現行憲法下の日本人って、誰?

文民の定義

1説 職業軍人の経歴を持たない者とする説
2説 職業軍人の経歴を有し、しかも強い軍国主義思想の持ち主である者以外の者とする説
3説 現役軍人以外の者とする説。

現在の公式見解

自衛官の職になく
職業軍人の経歴を有し、しかも強い軍国主義思想の持ち主である者以外の者

自衛官の皆さんも
自衛隊の業務内容実態が、災害援助隊となって、
他の国民と同等の権利を取り戻せる日が来る事を、わたくしは、願う。
はぶかれてますよー。


私は、
内閣総理大臣、及び、その他の国務大臣は、
文民でなければいけない、

というのは、
内閣総理大臣や、その他の国務大臣が
文民外になっては、いけないという事かなと思ってます。
文民である事を常に意識して
文民から外れないようにしなくてはいけない、
で、有権者はそうであることを、常に見ていなければいけないと。


間違いを訂正していたはずが
またエラソウな事になってしまった。

mercoledì, marzo 30, 2005

らぢお

以前、作家の人が
出版社が、出版している雑誌に、
未成年容疑者の写真を掲載し、
その事を正当化したことに抗議して、版権を引き上げた事があった。

間違っているとは、思わない。
怒りも理解できない事は無い。
だけど、何か”違う”と思った。
表現者としては、何か違う、と思った。

事務や経理や、機械の操作や運転、営業や調理など
そういう仕事をしている労働者が、経営者や出資者に対する抗議として
ストライキをするのは、認められた権利で、正しい。
作家も、頭脳労働者の一部と考えるなら
仕事を提供しない、というのはひとつの抗議の方法かもしれない。
でも、
表現者としては、どうなんだろう。
作家なら、版権を引き上げるという抗議の方法ではなくて
ペンで、抗議するべきだったんじゃなかろうか?
ありとあらゆる媒体で
自分の、その出版社に対する抗議を主張するというのが
作家のやり方だったような気がするのだけどどうなんだろう。

タモリさんとか倉本聡さんとか市川森一さん等が、
「ニッポン放送がLivedoor傘下になるなら
降板を検討する」と表明したようですが
それは、間違っていないのかもしれないけれど
何か、違う気がしてならないのです。
その前に、まず、意見を言葉で主張するのが表現者なんじゃなかろうか?
ジャンルはいろいろでも、表現する事のプロである事は
同じだし、どんなジャンルであれ、自分の意見を
自分の方法で表現できるはずだと思う。
放送局の自分の番組を放棄するほどに、そこまで憤りを感じるなら
ありとあらゆる出演できる番組で
その事ばっかり言ったらいいと思う。
言いたい事を言って、それで辞めさせられたら、仕事を奪われたら
それなりの生活基盤があるのであれば
”てやんでぇ、こっちから願い下げでぇってんでけつまくって”も、
それは喝采に値する。
そういう状況になって、
自分の親身な表現者に対して、そういう扱いをする経営者に、
働きかけをしないリスナーや視聴者や読者は、ごみだから捨てていいと思う。
でも、
抗議の力のかけ方として、そういう資本に対して資本
って、表現者としてそれでいいのか?
このニッポン放送に関して言うなら
裏方の人たちとの繋がりを想うなら
裏方の人たちが、大きく伝えられない声や気持ちを
言う事を仕事にしている人場所を持っている人が
代わりに声を持って公にするのが、表現者の連帯の表し方のような気がする。
何が起きているのか、みんなに伝えたら良いと思う。
日本語を公用語にする唯一の国、日本の中で
その日本語を使う事の、頂点に居る人達が
何よりも、表現の力こそが強いと信じられなくてどうするのか?
言葉の玄人な人達が、
自分達の言葉の力、自分達が言葉によって築いてきた力よりも
実際的な行動による抗議の方が効果的なのだと
示してしまったら
言葉が、日本語が、かわいそうじゃないか。
表現する事で、生きている人たちは
特にその秀でた能力によって得た大きな表現のできる場所を
粗末にそう簡単に放棄しちゃいけないと思う。

イラクの戦地で
今、次の瞬間、爆撃されたら全て燃えてしまうかもしれない絵を
命の危険に晒された生活の中で、描き続ける人が居るそうです。
もし、お金持ちや評論家による
または、一般社会による、絵の芸術性の評価や経済的価値は低かったとしても
その絵を描く人にとって
その絵は、とても大事なものだと思う。
価値は最上であると思う。
そして、その絵が描かれた状況というものが訴えてくるものも
確かにあるのだと思う。
絵としてどうであれ、感動させるもので、
また、絵としてどうであるかは
実際の所誰かが決める事じゃない。
本人が決める事でさえない。
世界中の一人一人が、違う感じ方をするし
違う評価をするし
世界中の一人一人によって、それぞれの価値を持つものだと思う。

表現する仕事は、特殊なんです。
その力を発揮させる事は、その人にしかできないんです。
受け取る方も、受け取るひとりひとりが
その人にしかできない受け取り方をしているんです。
だから表現を伝える場所は、表現者にとって
できることならひとつでも多い方がいいと思うし
ひとりでも多くの人に届いた方がいいと思う。
場所を広げる為に表現すること自体の中心、大事な精神を曲げたり、
妥協したらそれは原点からの間違いで、本末転倒で
もう表現者ではなくてただのサラウンドスピーカーだし
そういう場所の保持の仕方は意味が無いけれども
自分を曲げる事を決定的に強制されるまでは、
自分から抗議の為に自分の場所を放棄したらいけないような気がする。
そのような事を番組で主張するなら辞めていただく
と引導を渡されるまでは、その件を理由に辞めちゃだめなんじゃなかろか。

ニッポン放送っていえば、
大昔、ぽっぷん王国からオールナイトニッポンの二部まで
週5日、毎晩聴いていた頃があったなー。
しかも、週末もなんだかんだ
なんのこれしきとか放送終了まで聞いてた。
毎晩かかりっぱなしだった。
音悪いんだけど
聞いてるうちに電波が来やすくなるんだよね。気のせいか。
生活が変わったときまで数年間聞き続けましたぁ。
ぽっぷん王国が最終回のときなんか、泣きましたから。
だから、ただの一聴取者だった者としてですね
勝手な思い入れがあるかないかでいえば、ある。
番組のパーソナリティーを、聴取者のランキングで決めるなんて
そんなつまらない事をよく思いつくと思う。
伊集院さんという人の放送初めて聞いたとき、なんだこの人って思ったもん。
”光ケンヂの”ってなんだよこれって思ったもん。
なんだよこれって思いながら
そのまま二部を毎週聞き続ける事になって
気がついたらどっぷりになっちゃっているわけですよ。
面白くて。
気がつくまでの時間は必要なわけです。
オペラ歌手って信じ込みましたから。
大検受験は、あれは本当だったんか?
こういう嘘なら、いくらでも騙されたい。
そういえば川村かおりさんて、今も音楽活動続けているんだよねぇ。
知ったときうれしかった。
まぁそれはさておき。

でも、そんなランキングなんて乱暴でめちゃめちゃな方法を
現場の作り手が許さなければいいだけでしょう。
経営者より、社員の方、実際働く方が強くなくちゃダメだと思う。
そこんとこの話だ。

で、正直な所
Livedoorに対して牙むいている牙むける力があるような人達は
本当のところ、この事よりも
表現者としての、命である
表現の自由が法律によって規制されそうになっている事などについて
表現されたものを享受する方、知る権利を持つ側と一体になって
反発する為に、そこに注意を向けるために
発言する勇気を持って欲しいなと思う。
自分の表現する事を法律で規制されてしまうようになったら
ひとつの放送局で、自分の思う番組が作れなくなる、
チームワークが築けなくなる、だけじゃすまない。
法律で規制されたら、日本国内全部で思ったことを喋れなくなる。
思ったような番組が作れなくなる。

その方が大事で大変な事なんじゃないのか?

lunedì, marzo 28, 2005

ミサイル防衛構想なるもの。
迎撃なんて、GPSつけて、どこを飛んでいるか信号受信して
なおかつ、面積も大きくして当たりやすくした場合以外、
実験も成功した事無いし
命中できる確率ものすごく低いから、
現実的な効果を期待したら、数学的に考えても
よほどたくさん撃たなきゃいけないってさ。
よほどたくさんって一発でも、一億円位するみたいなのに。
しかも、それでも、巧く飛んできた砲弾に命中させられるとは
限らない。
それに、
素朴に思うのですが
核ミサイルを上空で迎撃して爆破してね、
爆発したらね
核ミサイルなんでしょ?
核ミサイルが、上空で爆発して
無事ですむか?すむものか?
すまないと思うぞぉ。
だからね、
ちゃんと外交を地道にやるしか
本当に国を防衛する方法なんて
ないのですよ。
飛んでこないように、しなくちゃいけないんですよ。

敵に殺されちゃいけないって
味方と敵の違いは、よくわかりませんよ、実際のところ。
誰にだって、殺されちゃいけないんですよ。

sabato, marzo 26, 2005

底力

伊良部町議会、自衛隊誘致決議撤回。
http://mytown.asahi.com/okinawa/news02.asp?kiji=1893
えらいえらいえらい。
すごいすごいすごい。
さすが、沖縄の人たちだ。

おかしいと思っていたのですよ。
沖縄の人達は
軍隊は、一般の人々を護らないことを
とてもよく知っているはずだから。
それを自ら招致しようなんて、
ありえないと思っていたのですよ。

それにしても、
やっぱり、ダテじゃないです。
かっこいいです。

使いどころ

アフガニスタンの用水路脇に、
なんとか根付いたという柳の木の写真を見ると
http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/82nakamura.html
えもいわれぬ、という、気持ちになります。
単に、嬉しがっていい状況ではないだろうと思うので。
でもねぇ、ふわぁって広がる柔らかい想い。
ボーイズの人達が、自分達の家と家族を
造り上げていっている、という話を読むと
えもいわれぬ、という気持ちになります。

同じ日本人である事が、誇りに思える人達の存在に、
感謝しないではいられない。

「困っている人達を、見捨てない国に」
とかいう公共広告機構CMをやっていますが、
そんなCM作っているお金があるならば
CMを制作する代わりに
真摯に活動している非政府組織の人たちに
もう少し自由に使える資金が提供されれば
どれだけ困っている人達の、役に立つかわからないです。
テロ撲滅の為に
なんていう、下手すれば差別感情や偏見を煽りかねない
人々の不安をいたずらに煽る政府広報を出しているお金があるなら
テロリストの標的にならない国にする努力をするべきだと思います。
どんな立場の人からも、評価される
傷つけたくないと思われる国。

税金を広告を出す事に使うなら
その前に
せめて、本当に、困っている人達を
本当に見捨てられなかった人達の、安全を最低限確保する為に
使って欲しいです。
人質とされた場合には、考えられる限りのつてをたぐって
救出の為に努力する事や
救出された人達を、無事に、体力が回復できる場所に
送り届けるとか、
健康を恢複するための費用にするとか。
状況をよく理解していないように思われる日本人が
回数の少ないバスに乗って、
安全が保証されていない所に向かったよと
宿泊施設の人が大使館に報告したときに
国の機関のものとわかる車で、すぐ、そのバスを追いかけて
乗っている日本人を連れ戻すような
パスポートに保証された、
日本人国籍を持つ人間の海外における
最低限度の安全の保証の為に
使って欲しいです。
追いかけ手当てとか、車のガソリン代とか
なんだか知らないけど。
それをしなかった理由を、駆逐するべきでした。

政府の要人が、戦地に視察に行っても
大概、無事に帰国なさる。
それで、現地は安全とか、戦闘地域ではないと、のたまう。
その、安全に移動できる手段を
政府広報作っている資金があるならば
本当に現地に溶け込める
現地の人の事を好きな、
その場所を本気で平和にしたいと思って活動している
そういう人達の為に、提供したらいいと思う。
また、以前のように、どこに行っても”日本人なら安全”だった
そういう国としての、信頼感
印象を取り戻す為に使って欲しい。
アメリカ政府に、軍の撤退を説得したり
アメリカ以外の国との間でも、根気よい話し合いや交渉を
したり、仲裁役になったりするのに、使って欲しいと
一納税者は、思います。
交通費とかかかるんでしょ。
生茶500ml代とか、バカラのコップ代とか、かかるんでしょ。
紙コップでもいいような気もするけれど。

「北方領土は日本の固有の領土です」
という、片方の側からの意見を、子供の声に言わせる
そんな政府広報CMを作っている資金があるならば
何度でも毎日でも、何人でも
ロシアに通って
ロシア政府と、何回でも何回でも話し合いをするのに
使って欲しいと、思う、
毎日話していれば
いつかは、お互いに一番いい方法考え付くかもしれないじゃないか、
お互いの意見の、根拠をお互いに理解できるかもしれないじゃないか。
ただ、国内に繰り返されるCMを作るより
余程、何かの進展を期待できる気がするけれど。
一般人の間の国境はもうそんなに深くない。
どっちのものか、という事を重要視するのには
戦争が起きた時の事を想定している部分があるからなんじゃないだろか。
戦争ができる可能性を残しておくから
問題が解決しないのだとしたら?
絶対戦争をしない事を前提に考えたら
いくつかの島がどちら側に属するかは、
きっと、解決できない問題じゃない。
山田さんと田中さんが同じ漁場で漁ができるなら
なんとかコフさんと、山本さんも一緒の場所で漁はできると思う。
一緒に自治会を営む事も可能だと思う。
二ヶ国語で書かれた回覧板をもって。
税金は、国籍のある国に払うとか。
そういう事務レベルの折り合いは
国内の自治体同士の間でも行われている事な気がするけれど。
いくつかの国の国籍の人が
同じ問題に絡まる事件は、国境付近に限らず
どこでも起きているんだし。

本当に、地球環境を愛するなら
戦争に加担してはいけないでしょ。
劣化ウラン弾を使用したり、石油タンクを炎上させたり
爆撃をしたり、しないですむように
その方法を、何よりも考えるべきでしょ。
ちゃんちゃんばらばらの時代の戦争と違う。
人が殺されて、その遺体の下の地面も殺されている。
戦闘機や戦車の
人を殺す為の手段が、動く際に出る、環境汚染物質は
何より早く削減した方がいい。
戦車でも排気ガスは出すんじゃないか?
その排気ガスが出る必要性は、どこにも無いじゃないか。
出さない必要性はやまほどあるのに。
エコというなら、兵器を作らないでください。
あんなにECOじゃないもの、ないですよ。
核弾頭は、めちゃめちゃecoじゃないですよ。

一人一人の個人が、なんとかやりくりして出し合った広告に対する
あてつけみたいな全面広告を新聞に出しているお金があるなら
テロリストの良心が
行動に移せないほどに痛むくらいの
美しい国にする為に、使ったらいいと思う。
誰でも、自分に優しくしてくれた人を殺すのは
きっと、差別やいじめをした人を殺すよりも
抵抗を感じるはず。

ナチスはパリを燃やせなかったそうです。



(お詫び。AC、公共広告機構は、公的機関ではないんですねぇ。
間違えてました。)

ぎゃあぎゃあ

Baghdad Burning更新

2年前
イラク戦争は、”すぐ終わる”とアメリカの大統領は言いました。
その頃は、民家や一般の人の居住区が爆撃されると
”誤爆”だ、遺憾だ、と言ってました。
軍施設や、兵器工場だけを”ピンポイント爆撃”しているのだと
言っていました。
あと、なんだっけ?
テロリストが潜伏している場所だけ攻撃したとか
テロリストだけ殺害した、とか言ってたっけ?
何故、そう言っていたのか。
世界からの抗議や反発や、
それによって戦争を続けられなくなる事を恐れたのじゃなかったか?
”世界”の良心には、それができるだけの
力があるように思えたのじゃなかったか?

実際には、そうじゃなかった。
普通の人を、普通に爆撃してたんだった。
普通の人を、みだりに拘束して拷問してたんだった。
結局、戦争ってこれだ。
戦争を”人道的に”行う事なんて絶対できない。
戦争を始めることは、人間がやってしまう事のうちで
一番悪い事だ。
拷問も大量殺戮も、充分明らかになりました。
兵士達の心身の荒廃も、充分明らかになりました。
この戦争の、本来の、ビジネスライクで冷酷で汚い動機も
いいかげん明らかです。
人間がなしうる最悪の罪を犯した人たちが
元気で豊かに、そしてまだ、最大の権力を持ち続けている。
なぜだぁっ。

社民党にはあきれましたー。
幻滅しましたー。
言葉もありませんでしたー。
憲法改変の国民投票法案に条件付きで賛成と。
は。
政治を仕事にして、それで生活を成り立たせている人が
しなきゃいけない一番の仕事は
国が戦争をしないようにする事だよ。
戦争に向かう可能性を、少しでも減らす事だよ。
環境権もプライバシー権も、
現憲法の範囲内で、充分に必要な法律を作ることは
可能です。

環境権、
第25条一項に
全ての国民は”健康で”文化的な最低限度の
生活を営む権利を有する。

だから、それを実現する為に
水銀とか垂れ流させるなよ、とかダイオキシン撒くなよとか
企業はそういう事、ちゃんとしないとだめだよとか
民法でも商法でも、決めればいいじゃないか。

プライバシー権
第21条2項に
検閲はこれをしてはならない。
通信の秘密は、これを侵してはならない。
とあるところから見ても
個人がみだりにやりとりされたくない個人の情報を
保護してはいけないという意図は感じられないのだから
民法でも商法でも、それなりに考えて何か決めたらよかとじゃないか。

”今の若い人たち”は、焼夷弾とか集団疎開とかいう言葉を
知らないんだそうな。
わからないなら、教えられなかったからだろう。
見たり聞いたり読んだりもしなかったんだろう。
大人がなにより子供に伝えなくてはいけない事は
実際に繰り返して、もう一度悲劇を実体験しないでもすむように
戦争がどのような悲惨なものか、
してはいけない事なのかを語り継ぐ事なんじゃないか?
それができていない状況で
それを伝えられずに育った人々によって
憲法改変に対する投票への法律だけが
できてしまっても大丈夫だと本気で思っているの?

子供達がそういう育ち方をしている環境のある現在に
今、憲法改変に関する国民投票法なんか決めて大丈夫なの?
今まで、無くてここまできたのに
今、決める必要があるの?
今、それ制定して大丈夫なの?

状況判断とかしようよ。
護憲の党とか言ってきたなら。
裏切らないのは
裏切るんじゃないか?という予想だけですか?
消費税作ったのも、結局手を下したのはこの党のまゆげおじさん(ちょい暴論)。
だから、政治の人って嫌いだぁっ。
信用できないっ。
ぎゃあ。

mercoledì, marzo 23, 2005

なぞ

視聴者を馬鹿にしているのか
それとも、報道番組を作っている人たちが
本当に、こういうあたりさわりのないニュースばかり
取り上げる番組作りで良いと思って
まじめにこういう番組を作っているのか
なぞ

大事な事を避けて、
どうでもよいことばかり取り扱うのであれば
近所の噂話と変わらない。

慰安婦問題の判決や
憲法が国会で、もう変えることを前提に
話を進められていること
日本が支持して派兵までしている
イラクでの戦争で
何が行われているか
学校で、国家や国旗の掲揚が強制されたり
教育基本法を変えようという議論も起きている事
過去の戦争について真摯に取り扱った番組を
政治家が、圧力をかけて内容を変更させたことについても
見事になぁなぁで終わらせたし。

・・・だいたい、
報道にたずさわって、それを仕事にしている本人達が
報道の自由が侵害されようという
そういう法律が制定されようとしている事を
見てみぬふりをして
国民が知らないうちに決めてしまおうという意図に沿った
報道姿勢でいいのかなー?

大丈夫かなと思う。
緩慢な自殺?

日本、かなり変な国になってきました。
過去の罪について
それを肯定化したり
開き直って逆切れしたりって
まともな文化的な国じゃないよ。
自分の国がそんななっていくの、ものすごく嫌だよ。
自分の国が、こういう恥知らずでだめな国になるのを悲しむのが
自分の国を好きで居るって事だと思う。

domenica, marzo 20, 2005

消せるものじゃない

日華平和条約の締結により
賠償請求権は消滅と判断

・・・
苦しめられた過去は消滅しないのに?
苦しんでいる現在も消滅しないのに?
悪夢は消滅しないのに?
フラッシュバックは消滅しないのに?
傷は消滅しないのに?
思い出すことで苛まれてきた
一生のその時間は取り戻せないのに?

本人でもない”国”が
個人の大事な権利を勝手に放棄してしまうなんて
何故、そんな事が認められてしまうの?

被害事実とPTSD被害
当時の中国および日本の民法のいずれによっても
国の「慰謝料支払い義務の発生は認められると判断。
国際法の違反も明確にした。

のなら、
棄却しちゃダメじゃないか。
被害者は、今 も被害を受け続けているんだよ?
PTSDを認めるという事は
その今の苦痛を認めるという事でしょう。
日華平和条約は、1972年に失効している。
失効した条約で
何故、今起きている事が、消滅させられるの?
わからないよ。

sabato, marzo 19, 2005

ワレワレワ

最近「我々は」って聞くと
虫唾が走る。
くしゃみが出る、蕁麻疹が出る、目が痒くなる、鼻が痒くなる。
誰だよ、その我々って。
少なくとも私じゃないよ。
「ワレワレハ カセイジンダ・・・」
か?
私島根なんて行った事ないし
行ける事も無いだろうし
竹島なんて、一生目にすることもないだろうし
いいじゃん、韓国の漁師さんも
日本の漁師さんも
そこで一緒に漁をして
魚や貝が足りなくならないように
一緒に環境を守れば。
変な海上ヘリポートとか作られないように気をつけて。

島は地球のもの
海は地球のもの
空は宇宙のもの
地球は宇宙のもの

とりあえず人間が追うべき管理責任の
担当が確定していないなら
共同管理ってできないものかな。

せめて、そっとしておけないものかな。
島根県議会って
他に話し合う事何も無かったのか?
福祉とか、行政はみんな巧くいっているわけなのか?
わざわざ悶着の火をつけないといけないほど
暇なのか?

どこかの国のものって決めたって
それで、誰か個人が、それまでの権利を失うわけじゃないなら
どこかの国とどこかの国のもの
だって、かまわないじゃないか。
いっそ、我々のものにしたらどうか?
ワレワレ地球人ノモノってことにでもにしといたらどうか。
とりあえず今のところ文句つけてきそうな宇宙人は居ないみたいだし。

・・・いるのか?

鬱憤蓄積

Soffro nel
vederti compiere
bizzarre movenze indotte
da un burattinaio scaltro.

(Carmen Consoli L'Eccezione)

Berlusconiさん、ひどいよー。
一瞬見直したのに。
幻滅するのは、疲れる。

・・・アメリカ政府って、
なんでそんなに怖いんだろう。
こういう事していたら、この人選挙で立場失うの
目に見えてるのに。
日本でもさぁ
なんで、そんなに怖いんだろう。
何か、普通の人が知らないような事
あるのかなぁ。
子供っぽい陰謀説、とか言う人居るけれど
そうじゃなかったら、
隠されている事が何も無いなら、
この状況は、なんなのさ。
全部日の目に晒されてるっていうわけじゃないでしょうが。

ついでに言えば、じゃなくて書けば
甘ったるいヒューマニズムとか言うけれど
人間性が全く欠如しているのに比べたら
甘ったるくても持っている方がずっとまし。
甘ったるいヒューマニズムだらけだったら
ひとりづつが、もう少し楽になるけど
だれもが、
にがーい、利己主義だったら
つまり、今みたいな事になっちゃってるじゃないか。
甘いの結構。
激甘上等だねー。

帰ろう

ブルガリアのスビナロフ国防相は17日、
イラク駐留部隊450人のうち約100人を6月に削減し、
今年末までにイラクから
全部隊を撤退させる考えを明らかにしたそうです。

日本の自衛隊が
撤退できない理由ってのは
なんなんだ。
平和憲法の国なのに。
他の国より
よっぽど堂々と主張できる理由があるのに。

本当にねぇ
この戦争への協力が
アメリカ政府への貸しになるなんてのは、
間違った思い込みに過ぎないと思うよ。
それと引換えに得るものなんて
何も無いと思うよ。

失ったものは
とても大きいけれど。

軌道修正は早いに越した事はないし
とにかく、しないよりは、今でも、早く修正した方が良いと思う。

giovedì, marzo 17, 2005

正しい側に

イタリアSilvio Berlusconi首相
イタリア軍のイラク撤退を協議開始。

日本では、派兵している事に
すっかり慣れちゃって
今ひとつ話題にもなりゃしない。
犠牲者は出ているんだけどなぁ


Per Berlusconi la decisione di aver inviato truppe
in Iraq è stata "difficile", ma adesso
"possiamo essere felici di
essere stati dalla parte giusta della Storia".

Berlusconiにとって
Iraqに軍を送る決断は”難しい”ものだった。
けれども、今こそ
”歴史の中での、正しい側に立つことで
私達は幸せになれるでしょう。”

Reppubulica


あーあーあーよかったねー。
ものすっごく羨ましい

lunedì, marzo 14, 2005

絶対

読むのが辛い
知る事が辛い事がある。

アブグレイブ刑務所で何が行われていた(いる?)か、
情報として提供されている。
許されてはいけない事が
現代、現在、起きている。

これは、止められない事なんだろうか?
これが許されてはいけない
止めさせなければいけない、と思う人は
この星に住む人の中の
本当にそんなに少数なんだろうか?
世界中の、良識を持つ人々が抗議しても
そこで苦しんでいる人の前から
気の狂った加虐者を引き離す事はできないんだろうか。
その根本原因、命令している人から
命令する能力、権力を剥奪する事は
できないんだろうか。
何が、正確にどの場所で起きたかわかっているのに。

うちは、結構寒い。
こういう寒い所で
寒い話を読むと
そういう事をできる人間というものの
相手の感覚を想像できない、麻痺した脳みそが
どれだけ病んでいるか、よくわかる。
字を読むだけで、ウンザリする事を
実際、やるのだから。

自分に寒いという感覚が無いわけじゃないだろうに。
自分が子供だった事が無いわけじゃないだろうに。
女性の家族を持たないわけじゃないだろうに。

ここまでに人間を壊さない為に
戦争をする前に、それを止めなければいけなかったのに。
日本の国も
ここまでに人を壊さない為には
どうしても、戦争ができる国になってはいけない筈なんだけど。

戦争の中じゃなくても
人間は壊れる事もあるだろうけれど
それは、必ずじゃない。
戦争の中では
必ず誰か壊れる。
だから、しちゃいけないんだって。
人間を壊す事がわかっているのに
それと引換えにしてまで、必要な理由など
絶対に何も無い。

数少ない、絶対、という言葉を使っていい事のひとつだと思う。


米軍アブグレイブに年少者を拘束

sabato, marzo 12, 2005

よいとこどり

私自身が、経過を見守っているうちに
感情移入しすぎて、時々、見失ってしまう事ですが、
正直、完全に見失っていましたが
今回のイタリア人記者の方の一連の事件について、
関心を持つ事の意味の一つに、
このような事件が起きたとき、人間の社会において
どのような反応が起きるものか
という、ひとつの例を知る、という事があると思います。
「日本には日本のやり方考え方があるのだ!」と、
考える事をせずに、日本の独自性にこだわっているままでは
良い方を選ぶ、という事ができません。
他にある別の方法を見る事によって、自分達のやり方を客観的に見直して
より良い、自分達の方法を育てるのは大事な事だと思います。
日本のやり方は、「自己責任」と、「礼儀や態度に対する批判」でした。
イタリアのやり方は、「50万人のデモ」と、「救出の為の最大限の努力」
「アメリカ政府、軍に対する強い抗議」です。
どちらが、良いか、という事です。
日本だって、より良い方法を選んでいいのです。

イラクに行った人が人質になった場合の、日本の政府や
一般の多数の人々の反応をもう一度思い出し、
それが、国として、人として、良いものだったのかどうか、
考えてみる必要があると思います。
今回のSgrenaさん達のような事件が、もし、
舞台を日本にして起きたら、どのような事になったか、
考えてみる必要があります。

日本国内の事であっても、例えば、米軍の基地のある場所で、
日本人が、米軍関係者から被害を受けたとき、
日本の政府や、日本の多数の人々は
その事を、どう考えて、どう対処するでしょうか?
基地に関してついでに書けば、事件だけではなく
「思いやり予算」の名目で、
アメリカの人たちに快適な生活の資金を提供している一方
生活に困っているような人、高齢者や病気の人
ホームレスとなってしまった人たちに対してや
地震や大雪などの災害の被害者となった日本の人たちが、
不自由な生活を強いられて居る事に対して
どのような「思いやり」がなされているか、
そういう政府に対して、他の日本人の有権者達が、どのような態度に出ているか。

イタリア政府は、Sgrenaさんに対して責任を持っている事を、
今、示しています。
また、彼女を救う為に米軍の銃撃を受けて亡くなった
Calipariさんに対しても
責任を持って、事件の解明を果たそうとしています。
間違っても、その死への責任を
人質となった記者に向けるようなことはしないと思います。
日本なら、しそうです。
イタリアの政府が推し進めてしまった、アメリカ政府への追随、
そして、支持してしまった戦争によって、何がその戦地で起きているか
その政府とは異なる考え方を持って取材し、
その現実を、自国の人々に誠実に報道する、自分の国のジャーナリストに対して
彼等の安全と生命に、イタリア政府も、
また、たくさんのイタリア人も責任を持っているという事です。

どうなるのかわかりませんけれど、
イラクの地を、それでも世界中のジャーナリストは、取材し続けると思います。
戦闘地域で起きている事を
世界中の人が、そこに集まって、監視する事はできません。
でも、何が起きているかを知る事は、それが正しい事か続けてよいことか、
そして、それぞれが何をするべきかどう考えるべきか判断する為に必要です。
日本も、この戦争に対して中立である事をやめ、片側についてしまった以上
その結果を、きちんと見届けなくてはいけないはずです。
なのに、現在日本人のジャーナリストがイラクで取材をするという事は
完全に孤独で、本当に、1人っきりの、
支えの何も無い仕事になってしまったのではないかと思います。
それに比べると、イタリアやフランス等の国籍を持つジャーナリストは
日本の人よりも、少しだけ多くの心強さを持って
取材ができるのではないでしょうか?
それが、文化的な国の在り方というものだと思います。

国内の、反対もおしきり、
このように米政府、米軍に恩を売っておく事により
いざという時に、アメリカが日本を守ってくれる筈、
という説を頻繁に見たり聞いたりするのですが
多分、アメリカは守ってくれないと思います。
狂牛病の全頭検査をしていない牛の輸入を、日本が拒み続けている事に関して
アメリカ国内で、経済制裁を求める声があがったそうです。
病気のリスクを抱えた食品の輸出入に関してだけでも
これだけドライなのです。日本人がそれで病気になったとしても
「しょうがない」のです。
何かあったときは、日本は、足場や衝撃吸収剤のように
利用されるかもしれませんけれど
米軍に助けてもらえるなんて事は、ありえないとおもいます。

だから、何かあったときを想定するのではなくて、
何かが起きないように、政府というものは中立で公正な立場をとって、
ひとつひとつの国との外交に、努力するべきなのだし、
民間レベルでの国際交流も、友好だけじゃなくて
協力して仕事をすることや、地域の環境の、人間が汚染しているものに対する
対処の方法を開発したり、国境を越えた繋がりを深めていく必要があるのだと思います。
ニュースでやたら、国の間の摩擦、問題を取りざたされる国々の人々との繋がりが
実際、私達の生活にどれだけかけがえの無いものになっているかわかりません。
何かあったとき、を想定して武力による防衛を進めたり、
ひとりひとり個人の自由を束縛し従順にしたてあげる事に熱心になるのではなくて
自国の平和を保つ為には、何も起きないように
「そんなこと言われても、今更敵とは思えない」という関係を
他の国の人々との間に築く事が大事なのだと思います。

イタリア政府が、今、アメリカ政府に対して示している態度を、
この事件の経過を、見守るという事は
自分の国が、他の国々と、どのように関わるべきかを考えるのに
大切な一要素をもたらしてくれると思います。

今も人質のまま

ところで、Floernce Aubenasさん達については
まだ新しい情報が無い。
拉致は旧フセイン政権の構成員によるもの
かもしれないと書かれているけれど

銃撃は突然でした

Sgrenaさんの証言

検問所は見なかった。
運転手が
「ここから700メートルで飛行場ですよ」
と言った直後、着弾した。
右側にカーヴがあり右曲している車の
Nicolaが座っていた右側から集中射撃を受けた。
投光などは一切見なかった。
ただ、集中射撃の音だけを聞いた。
銃撃がひとつの銃によるものか、複数だったのかはわからない。
暗闇だったから。
衝撃は直に車に受けた。空中に向けた発砲は無かった。
職員が、「攻撃されている」と叫んだ。
そして、電話を探しているような気配を感じた。
が、電話はその後、外からなされた。
外に出て「私達はイタリア人だ」と叫んでいた。
一方Nicolaは、もう何も言わなかった。
2つの椅子の間に、できる限り下へ伏せようとしている私の方へ
彼は倒れ掛かっていた。
彼に私は救われた。

運転手は降車していた。
米兵が攻撃できるようには思われなかった。
私は車に残った。
周囲をライトが照らし
そのとき、道の右側の10数メートル先に
装甲車を見た。
これによって、奇襲だと思えた。あなた方はどう思うだろうか?
降車して電話している職員の声が、聞こえていた。
Romaにだと思った。電話をかけるのに
Bagdadへ、というより、Romaへの方を信頼するだろうと思えた。
「Nicolaは死にました。彼女の方は、離れていますが、目をあけています・・・」

Repubblica.it

強引なやり方の結果

Bughdad burning更新

それと、
モスルのモスクで自爆テロで
47人が死亡80人以上が負傷。
1月末の国民議会選挙でシーア派が多数を占めたことに対し、
不満を募らせるスンニ派が各地で攻勢を強めている。 のだそうだ。

わからないけれど、
なんとなく、
普通の人の気持ちは置いてけぼりなんじゃないだろうか。
アメリカ政府のやった事は
ひとつの独裁政権を打ち壊したものの
なにか別のふたを開けてしまったんじゃないだろうか。
Nicola Calipariさんが殺害された件も
もうわけがわからなくなっている。
とにかくも、
多分、イラクの各地で
ただ居るだけで、殺される危険、ひどい目にあう危険に
避けようも無く晒されている状態があるのだと思う。
それは、良い状態じゃないし
平和でもないし、

・・・・・
どこの国の人でも
自分の国の人が、自由で平和の中に生きて欲しいと願う人と
なにより自分が、采配を振るって、
周囲を思い通りにしたい、強くなりたいと思う人が居て、
だから、力づくでひとつを排除したって
それが良い結果に繋がるわけじゃないんじゃないか?

venerdì, marzo 11, 2005

マガジン9条

Magazine9条っていうサイトができてました。
毎週水曜日更新だそうな。
ミンナミマショー(山崎バニラさん風)

http://www.magazine9.jp/

mercoledì, marzo 09, 2005

戦争をしない国。

日本は、戦争がどういう痛みをもたらすものか
知っている国のはずです。
たとえ自分が身を持って経験していない世代でも
流れている血の中の遺伝子が、知っているはずだと
思うんです。
自分の国の言葉で書かれた、自分達が一番親身に理解できる
言葉で、戦争の哀しみを伝えられてきたはずです。

戦争をもう繰り返さないために
それから、
同じようなひどい思いを、他の国でも
この星の誰も、もう経験しないですむように
その為にどうしたらいいのか
一生懸命考えなくてはいけないと思う。
知っている者の責任だと思う。
東京大空襲で亡くなった全ての人と
その空襲をもたらした戦争にまつわる全ての悲劇で
傷つき苦しんだ全ての人の気持ちについて
想いをよせたいと思う。
たとえ、本当に、
目の前で燃えて失うその恐ろしさや
もっとひどい目にあう事の壮絶さを
本当に経験するほどに実感はできないとしても
それでも、理解しようとしたい。

戦争は嫌だと、
それは、人間のなしうる最悪のことだから
絶対、今起きていても、それでも
絶対起こしてはいけないはずの事で
ひとりでもその犠牲者を増やさない為に何ができるのか
ちゃんとちゃんとちゃんと
考えないといけないと思う。

祷。

ペンは、生きている

BaghdadBurning更新

Sgrenaさんが、これからジャーナリストとして
Fallujaで取材した内容を、広く伝える事ができて
何かが、変わらないかなぁ、と思うんです。

martedì, marzo 08, 2005

輪郭

ファルージャ攻撃で殺された人々の遺体のなかに
”ウジが全くわいておらず、
皮膚が文字通り真っ青になっている不気味な遺体もあった。
イラク人の間では「米軍がファルージャで化学兵器を使用した」という話が広まっている”
シバレイさんのblogから引用)

スグレーナ記者は、武装勢力に拘束される直前、
バグダッド近郊のモスクで、
米軍の攻撃に遭ったファルージャ住民のインタビュー取材をしていたという。
(中略)
米軍はファルージャ攻撃の際、化学兵器を用いたと言われている。
ファルージャについて嗅ぎまわるジャーナリストを、
駐留米軍が疎ましく思う可能性は否定できない。
暗いニュースリンク より引用)

Sgrenaさんが拉致された時
”キャンプの人の話によると
当時すぐそばに警備員がいたのもかかわらず
彼らはなすすべもなく
ただ空に向かって銃をぶっ放していただけだったらしい。
そして彼女をさらった車は、
堂々とバグダッド大学の正面ゲートから出て行ったという”
Peace on Iraqより引用)

銃撃されたとき、当地は土砂降りだった。
銃撃された車体に残る弾痕は400近い。
 etc....

思い込ませたいのだろうと思われる内容ではない
もうひとつの答えが、
事件の経過の事実からは、
どうしようもなく明らかに露呈しているように
見えるのだけれども
それが認められていないのは何故だろう。

lunedì, marzo 07, 2005

responsabilità

"dovrà chiarire il comportamento dei militari americani
per un incidente così grave
di cui qualcuno dovrà assumersi la responsabilità"

e qualcuno dovrà assumersi la responsabilità di
partiicipato questa guerra che è la propria causa
della questa trageria.

senza dubbio anche i giapponesi dobbiamo pensare
nella nostra situazione .....

sabato, marzo 05, 2005

吉報と悲報

”遺憾の意を表する”だけで、
アメリカ大統領だけは、何をやっても許されるのか?

Sgrenaさんは、救われたけれど
そこに、米軍が誤射、
情報局員Nicola CalipariさんがSgrenaをかばって死亡と。
誤射じゃないんじゃないの?
なんで、そういう事しかしないの?

mercoledì, marzo 02, 2005

報道の使命 いうならば

NEWS23の今晩の”それから75日”、反戦ビラ配布で
逮捕された事件を取り扱っていました。
こういう、この状態に今この国はあるという事を
きちんと伝えるのが、なによりの”報道の使命”だと思います。

殺す、殺されるという表現が隊員の家族の不安をそそるのだとしたら
ビラが届かないで居る事で、平穏な気持ちで居る現在は
隊員の仕事とはそういうものであるという事を
普段、認識しないでもしくは、させてもらえないでいるから、
不安を感じないでいるという事になります。
不安を感じる事で、その不安を覚える事実、大事な家族の一員を失うという悲しみを
避けるためにどうしたらいいのか、考える事もできると思います。
それを阻まれて、結果だけが与えられるのがいいことなのでしょうか?

これは、隊員の家族に限らず
全ての国民、視聴者についていえることだと思うのです。
日本はここまできてしまいました。
なんとか踏みとどまり、道を変えるためには
まず知らなくてはいけないと思います。
知らせられなくてはいけないと思います。

不安が現実になる前に。

まだ望みはあるようなので

7週間前に拉致されてIRAQで人質になっている
Liberationの記者Florence Aubenasさんの
ビデオがイラクで、拉致犯から渡ってきたそうだ。
とにかく、も、命あるって事は望みがあるので
何とか助かって欲しい。

Sgrenaさんについても、イラクの外相Falah al Naqibさんが
”生きている”とコメントしたそうな。
”良いニュースを待っている”と。
本当に。待ってるから。

もう、何度でも書く。
イラクから多国籍軍は撤退すべきなんだって。
米軍もイタリア軍も自衛隊も。
それなのに、自衛隊が駐留し続けるが為に
オーストラリア軍まで新規に派兵されなければならなくなるし。
Iraqのことは、Iraqの人が決めるべきだ。進めるべきだ。
なんで、いつまでも、しかも、
平和憲法を持っているような国の軍隊が駐留し続ける必要があるんだ。
わけがわからん。意味も無い。

martedì, marzo 01, 2005

超越する祈り

3月1日から、
Giuliana Sgrenaさんたちの解放を求める
ハンガーストライキが、
イスラム教徒と、カトリック教徒によって
首相官邸の前で始まります。

キリスト教原理主義
敬虔な宗教者だと偽っている
欲ボケしただけの人達に、知って欲しい、なぁ。

本当に誠実であろうとする人たちは
その道を探そうと考える人達は、
信じている宗教が何であろうと
または、あろうとなかろうと、
それをお互いの溝にはしないはず。
少なくとも、現代においては。