venerdì, marzo 28, 2008

悲喜

大江健三郎さんの
「沖縄ノート」裁判
勝訴、とても嬉しい。良かった。
ニュースを観ていて
一瞬、頭の焦点がくっきりとあいました。
ああ、良かったと思って。

同日
”佐賀市で知的障害者の安永健太さん=当時(25)=が
警察官5人に取り押さえられ死亡した問題で、”
(MSNサイトのニュースからママ抜粋)

警察の人にも、いろんな人が居るわけだけれども
このとき、この場所で
警察官という職業をしていた
この行為者の大人の人に、思う。
ヒト・・・に限らず、動物は
”障害”を内包していると
それを抱えてなお、生き延びようとする身体が
多くの場合に、より鋭敏に繊細に
感覚を発達させていくように
なると思う。
聴覚とかそういうのではなくて
怖れたり(危険に近づきにくくなるため)
驚いたり、痛みを感じたり、苦しみを感じたりする感覚が。
また、嬉しかったり、
きれいなものをきれいだと思ったり
何かの誰かの異変に感づいたりする感覚。

つまり、
どれだけ怖かっただろうと思って。
手錠をかけられて
転がされて
殴られたという話もあって
それがどれだけどれだけどれだけ
怖かっただろうと思って。
今まで日本で家族と穏やかに(憶測)
生きてきた彼にとって
この出来事が
心臓を止めてしまうくらい怖かったとしても
私には、それは容易に納得がいく。

どれだけ怖かっただろう。

わからなかったかもしれないけど
この行為者の人達が想像するより
何倍も何倍も
怖かったと思う。
前なにかのニュースで実験していた。
何もしていない一般の普通の人々が
パトカーのサイレンや
職務質問で上がる心拍数。

ましてや。
ああ、どれだけ怖かっただろうと
今からでも
どれだけ怖い思いをさせたかを
理屈だけでも良いから
自分たちがどれだけ
怖い存在としてその時あったかということを
判って欲しいと思っても
無理なのだろう。

腰周りだの
煙草だの
ゴミだの
このごろ、大人の社会まで
まるで、ぎちぎちのどこかの学校(不特定に漠然と)
みたいだと思ってたら
とうとう
どっかの
校門で生徒をはさみ殺した学校みたいに
なってきた・・・