martedì, dicembre 20, 2005

態とってわざとって読むのね

震度5以上の地震が起きれば犠牲者が出る可能性を承知しながら
生活の為、顧客の圧力に負けて耐震基準を偽装した元一級建築士さんと
戦争ができるようになれば、
一部の人が得られる利益の大きさを考えれば
そりゃ、戦争になるだろう事は
仕事柄、プロとして普段得ている情報から考えれば、重々承知しており
戦争になれば、どれだけの犠牲が出るかも
重々承知しながら
生活の為、お上の圧力に負けて
大事なニュースを、ぼかして伝えたり
まともに扱わなかったりする報道のやっていることは
たいして変わらない。
犠牲の大きさを考えれば
報道のやっている事のほうが
でかいのではないかと
それが、詐欺なら
仕事の質として
提供したものが、そーゆーものだったという意味で
実に、確かに
報道は、詐欺なんじゃないかと
思ったりする今日この頃。
テレビ観てると、虚しくってしょうがないが
テレビ消すと、次の瞬間何か起きそうで
またつけてしまう。

triangleは、良いですね。
素直に泣ける。
曲も、詞も、この歌が流れるまでに関わった全ての人の気持ちも。
これも、起きた事のうち。

温暖化のせいで
寒気が来てて寒い。
という事は、ただ、寒いなぁと思ってる人には
やっぱり実感湧かないよな。

15日に、Bagudad Burning 更新。
え、今日って何日?

mercoledì, dicembre 07, 2005

鬼の世界

高校一年生が、自宅で自殺したそうです。
このニュースを報道番組で伝えている時に
出てきた多分学校の先生のコメント。
「いじめはあったようだが、それが理由の100%ではない。」
このように、述べた時点で、
この先生を含む学校が、自殺の理由の100%だと思った。
理屈じゃなく、感情。
人が一人で逝った時に
まず真っ先に考えるのが
自分は悪くない、どのように責任を免れるか。
自分が損をしたくない。
みんなそればっかりですね。

そんな学校なんて
行かなくていいよ。
学校なんて行かなくても
一般的な日常生活を、家族に合わせて送ることができれば
きっと、なんとかなる。
ちょっと落ち着くたびに
なんとか取り戻そうと焦ると
2年3年を待てないでもがくと
個人として完全に取り返しのつかない故障をしてしまって
どうにもならなくなったりするけど。
他人の言葉を聞かず
自分の内面とよく向き合って
自分が自分である事に慣れ、把握できれば
学校なんて卒業してなくても
道はある。ようです。特に昨今は。

うちに居たかったから
うちで亡くなってしまった。
居たい場所があるのに
まだ、状況は、居る事のできる時期だっただろうに
なぜ、そこに居るままにさせてあげられないのか。

他人というのは
人を苦しませる為だけの事を
そういう事に限って
愉悦をもって、嬉々として
えらそうに行う。
こういう人々に従って、
良いことは何も無い。
何があっても、責任なんか取らないし
取りきれるはずもないし。
おためごかしに気をつけれ。

社会での人間関係を学ぶ為に学校は必要というけれど
こんな学校で学ぶような人間関係に
耐えられなければ生きていけない社会は
腐臭がして寒い。
耐えられないなら社会に出て生きていけない、じゃなくて
耐えられないような人間を狙っていじめるんでしょ。
生きていけないようにするんでしょ。

生きていけなかったことは証明された。
生きる事に絶望するまでに
追い詰めた利己的な人間たちにも
生きている価値がないとは言えないわけだが
特に、尊重したいという気にはなれない。
私にはね。

自分が、耐えられるから
他人に耐える事を強要するのだろう。
だけど、他人は、自分ではない。
自分ができる事を
全ての人にできると思わないで欲しい。
あんたはえらいよさいごーさんだよ
上野のお山で、たたされぼうず。
自分が忍耐できるなら
忍耐したらいいけれど
自分だけで勝手に忍耐して欲しい。
どうせ、痛みの部分を他人に背負わせて
その場をこなす事の羞恥を知らず
忍耐できたと錯覚できている
それだけだよ。

彼等の両方が共存する為には
彼が、この自分だけが大切な人々の集合場所である学校に
行かない以外の道は
無かったのではないだろうか?
少数の方、弱い方にだけ忍耐を強いるのではない
各々に適した、2つの道が用意されていてよいのではないだろうか?

(まだ生きている私を含めて)生き残っている人間は全て
大なり小なり、犠牲の上に
生きて居られる鬼ばかりであるから
他人の苦しみから目を背けて
自分の生活を続けられる鬼ばかりであるから
もしかしたらこここそが地獄なのかもしれない。
どっか違う世で、悪い事をして
ここに堕とされたのかもしれない※。
本当は
何が良い事で
何が忌まわしい事なのか
わからない、確かに。
でも、人が死ぬのは一度だけなのに。
どうしても高校一年生で、
10年ちょっとしか生きないうちに
亡くならなければならない運命なら
せめて親に看取られて
寒い所じゃなくて
苦しい思いじゃなくて
そういう逝き方であってほしいじゃないか。

死刑にされるような事をした人は
人権を思いやられた死に方をするのにね。
死刑にさえならない
世界最悪の罪を行う人間たちは
病院で、最高の介護のもと
安らかに死んでいくんだろうにね。

最近の、冷静(冷淡 冷酷)である事が、何より大事な価値観の中では
「あーあ、一人で盛り上がって死んじゃったよ、
被害妄想なんだよ、めんどくせ」扱いなのかもしれない。
だけど、加害者がどの程度のつもりでやった事でも
受けた側が死ぬほどの屈辱だと思ったら、
死ぬほどの痛みだと思ったら
それは、殺すほどに重たい程度の加害なんだよ。
痛みを受けた人間が、それほどに重く受けてしまったという事に
気が付けなかった愚鈍さは
直接の加害者であれ、周囲に居ただけの人間であれ
一生、抱え込んで欲しい罪だと思う。
クールじゃなくて、鈍いんだよ。
尻尾が切れた事に気がつけない、脳みそが梅干大の恐竜の鈍さ。
どうしようもなく引っ込みのつかなくなるところまで
人を落ち込ませた、誰一人、何もしなかったというのは
相対的にとか、法的にどうであれ、充分に最悪だよ。
本当に怜悧であろうとするなら
その場の状況を、冷静に把握して
最悪の状況に、誰かを追い詰めないだけの
誰かが追い詰まった事を察知して
ちょっとした気遣いを、淡々とできて欲しいと思う。
例えそれが、面倒くさい状況になったら嫌だから、
という理由だけだったとしても。

ってな事を書いていると
いくつもの角度から、いろんな立場で思い当たる事はあり
自分にも突き刺さる部分はあり
今まで、ひとりの同級生も死んでないのは
ともかくもありがたいな、と思ったりした。
学校って怖いよな。
軍隊なんかもっと怖いだろうな。
(自主退学って、会社とかの自主辞職とは、
しがらみ加減がちょっと違うと思う。純粋な金銭契約と、ちょっと違う。
その辺が、どちらかというと軍隊に似てる)

1日と5日に
BaghdadBurning更新。
テレビは日本の自衛隊は
駐留を一年延期するといっているし
イラクの人々を、私達は犠牲にしているわけだ。
引換えに、得ているものが何かは理解できないが。

賞が、励みになれば良いと思う。
キャリアとなり
将来へ繋がると良いと思う。
彼女は才能があると思う。
このblog BaghdadBurningの魅力は
舞台が戦場で貴重な資料であり情報であるという事を越えた
文章から放たれる、とても強い光だから。
共感させる力、惹きつける力。
この人の30年後に書く文章は
どんなに優れたものになるかと思う。
日本が攻撃をする事を熱烈支持したイラクで、今この瞬間、
何人の未来の貴重な人材が危険にさらされているんだろう。
天才的なサッカープレイヤーになるはずだった人
世界的な音楽家になるはずだった人
オゾン層に開いた穴を、埋める方法を考え付くだけの脳のある人。
たとえ、華やかでなくても穏やかで幸せな一生を送れるはずだった何人の人が
殺されてしまったんだろう。


※(真に受ける人が居るとは思わないが
これは、下手な冗談下手な揶揄なのです。
理由のわからない人間を罰する事に意味はありません)

martedì, dicembre 06, 2005

国民的標的

大正から昭和初期にかけてのいわゆる戦前
巷では退廃的な文化が氾濫した。
エログロナンセンスとか呼ばれる。
という事を
昔、学校で習った。
なんか、思い当たるところがある。2005年。
人にもよるけれど
空虚な高笑いと
下ネタを大量生産するサマというのは
リストカットに似ている。
感覚の相違かもしれないが。
本当に楽しんで言っているのかもしれないが。

ニートたちよ、農業をしないか
という事で一見よさげな企画だが
「ニートには、生徒指導の経験がある高校教員OBが生活面の指導も行う。」
のだそうだ。
エライさんという人達の考えることというものは・・・・

無就業者や、厭世観にとらわれた人間達を
こうやってニートだとかあだ名づけて、
国規模で、いじめ対象に認定して
バラエティも動員して
攻撃の標的とする事を提唱するなら
自殺者は、また、増えるでしょーね。
ただでさえ減っている若年層を、
これ以上減らして、
高齢化社会、どうする気だろう。
こんなまわりくどい苦しめ方するなら
いっそ青酸カリでも配給すれば良いのに。

他殺に使われると困るか。
民間委託の、安楽死センターでも、作るか?


働く能力のある人間の大量リストラと
過労死するほどに
一人の人材に過負担を強いる人件費削減を鼓舞推奨したり
国立大学の研究費を削って
そこでしか真価を発揮できない人間から居場所を奪ったり
民間委託、民営化推進で
図書館の司書さんや、博物館の学芸員の
その場所に根付いて培われる安定した職業能力のある人から
働く場所を奪ったり、そういう事をしながら半面で
ひっそりと潜在していた、
生来から基本的就業能力に恵まれない人間たちの
ただれた生傷を暴き出して
窮鼠にしてどうするんだろう。
時流に乗っている偽者もいるかもしれないが
調査したから出てきただけで
昔から、どこにも置き場の無い人は居たと思う。
いつかはなんとかなる人もいれば
どうにもしようのないまま
歳を経て居なくなる人も居たと思う。

なんのかんの理屈をつけながら
こういう系統の人々を
たるんでるとかいう事で
軍事鍛錬受けさせる制度を作るまでもっていっても
妙にほがらかになったあたりで
正常ではない状態になるのが関の山だと思うが。
命令に従うどころか
誰が指揮官であるかも自分が誰であるかも
認識できなくなるような。

いいのか。どうでも。
武器の売買ができる仕組みさえ成り立てば。

venerdì, dicembre 02, 2005

憶測

子供達が国会議員を選んだわけじゃないし
子供達が政府の人間を選んだわけじゃないし
子供達が弱い者を犠牲にする「きれい事ではない」世の中にしたわけじゃないし
子供達がぶさいくで気持ち悪い人間を嘲笑する風潮を作ったわけじゃないし
これからどうなるかわからなくても
子供は、まだ何もしてないじゃない。

こんな時代に生れる子供が、可哀そうだと思う。
10年くらい前と比較して
ここ2年位、
前よりもずっと
一人で外で遊べないようになった。
ように思う。気のせいか?
いつも、事件は起きてきたけど
ここんとこ、ほんと、かなり、変。


庭の無い住宅に住む子供が
ひとりでは家の周辺もふらふらできなくなったら
どうやって花や樹と出会うんだろう。
どうやって鳥や動物と出会うんだろう。
どうやって野良猫と顔見知りになるんだろう。
どうやってアリの巣を見つけるんだろう。
大人と一緒だったら
菫の花の下から、妖精は出てこない。
カタツムリが殻から出てくるまで
しゃがんで眺める時間
大人は付き合ってくれない。
だけど、四つ葉が多く見つかる、
自分だけの白詰草の一群れを持たないまま
子供の頃が終わっちゃうなんて
そんな気の毒な。


気持ち悪くて不細工で
同じ大人から相手にされない大人になるまでの間に
自分だって
踏まれれば潰れる子供の頃があった筈じゃないか。
たとえ、気持ち悪い子供だったにしても
自分は、大人から庇護されて
殺されないできたわけじゃないか。