domenica, luglio 31, 2005

Rights for detainees

Khalidさんは、ロンドンでの爆発とどんな関係があるのかと
尋問されたらしいような気がする。
あー・・・・

それにしても、
一年以上、リバーさんのblogを頑張って読もうとしているにもかかわらず
何故私の英語は上達しない・・・・(馬鹿だからって言ったらおしまいですわな)

誰か翻訳してくれないかなー、くれないかなー。
(翻訳された!
http://blog.goo.ne.jp/raed_2005/是非)
何人ものたくさんの無実の人が拘束されていて
何故、その中の1人だけが、救われていいのか、といえば、
1人でも、なんでも、救われる可能性がある人は
救われる方法がある人は、救われた方が良いからだと思う。
この、イラク人で、拘束された経験を持ち
しかも、世界に対して独立して発信できる条件が備わっている人が
それが、署名の為だったのか、知名度の為か、とにかく釈放されて
これからまた発信を続けることで
他の拘束されている人々も、最低限の権利を保障される突破口になるかもしれない。
繋がったなぁとおもう。

こういう事だけではなく
明確な何かの役に立つかどうかだけでなく
1人でも助かれば、その後にその人が何かするという続きが生まれていくから
運が良いだけでも
誰かは助かって、助からない人もいるのが不公平に思えても
助けられそうな人は、1人でも助けていいと思う。
一人助かるのは、一人も助からないよりはましだと思う。
その人である理由なんか要らないと思う。
目の前にたまたまめぐり合った1人の人が
助けられる人が、助けを必要としている人と出会ったら
助けて良いと思う。

全てを助けられないから
この目の前の一人も助けない、
わけいかないじゃないか。
目の前の誰かその一人を助けられるなら、助ける事で
一人助かるなら、1人分、良いじゃない、と思う。

Khalidさんという人が、継続してblogを書き続けてきて
世界に発信し続けてきた事で
たくさんの人が、この人は逮捕されるような事をしていない人だ、しない人だ
と、信じる事ができて
絶対助けたい、と思わせることができて
少なくとも、1人の人が、確かに、何の理由もなく逮捕されたのだと、
なにか書類的な、何かの専門的なデータじゃないかもしれないけど、
データよりも深く、世界中の人は
実感として、ひとつの固有の例として確かめたという事は
充分、大きいと思う。

本当に、誰でも、何の理由もなく逮捕されるんだ、と
これは、英語で書かれているから
特に英語圏の人は、目の当たりにしたわけで、
それなら、他にも、そういう人がたくさん居ておかしくない
たくさん居るだろうと、実感として結論が出て
それによって他の、
世界に発信する術を持たない、八百屋のおじさんとか
飲食店のお兄さんとか、雑貨屋のお姉さんとか
拘束されている、街の人々の状態が
すぐ釈放されなくても、今よりはましになるきっかけに
なるかもしれないと思う。
なったら良いと思う。

I also think that it's indispensable for Iraqis in the jails and prisons.

1-Detainees should have the right to inform their families about their location.

2-Detainees should have the right to appear in front of a judge in the first 48 hours from being detained, without being tortured and humiliated.

3-Detainees should have the right to have a real lawyer in the court.



1、抑留者は、家族に居場所を知らせる権利を保証されるべきである。
2、抑留者には、拷問や辱めを受けることなく、逮捕から48時間以内に
  裁判を受ける権利を与えられるべきである。
3、拘留者は、法廷で正式な弁護士から弁護される権利が保証されるべきである。

どこか、間違えて訳したかも。
でも、とにかく、
これが許されない理由は思いつかない。
必要最低限の、保証されて当然の権利だと思う。

世界中の人がつぶやいたらば、
つぶやくだけでも、変わらないだろうか?
数が多ければ、変わるんじゃないか?
具体的な同じ言葉だったら、より強くなる事もあると思う。

イラクで変わったら、イラク以外の国でも変わるかも。
未来においても変わるかも。
変わるっていう前例があると、
人の起動力って違うと思う。

何か変わらないかな。良い方に。
息が詰まりそうなんだよ。

写真ってすごい

近所の公民館で森住卓さんのバグダッドで撮影された写真が展示されていた。
つまり、いろんな人があらゆる所で実感する事だろうけれど
何も目新しい感想じゃないだろうけれど
実感したわけですよ。
やっぱ、写真ってすごい。
バグダッドの路上でなげやりになっていたり
白内障の辛さを、訴えていたり
アメリカ軍出て行け、と訴えたくて書かれた落書きの思いが
こんな島国の僻地まで、届けられて来るんだからすごい。
直に行ってみることができない私らのところまで
この表情が届いて
このパネルから、こっちをにらみつけるんだからすごい。
笑いかけるんだからすごい。
なんか、あまりすごいなぁと書いていると、
普段、滅多にこういう展示を見に行けないのがばればれですが。
いつも見慣れている公民館の薄暗がりから
いつも遠い遠いと思っている顔が、こっちを向いている。

ホテルの一室に、NGOの協力で
孤児たちが生活している、という写真
あの中に、ネットで見る写真や文章で知った人の
2003年の時の姿もあるのかなと思ったら
写真がちょっと違って見えた。

そうだったんだなぁ、と思った。
ただひたすら恐ろしかった原爆写真展の
あの写真に写っていた顔も
その時代その場所に行って見る事は、絶対にできない表情を
届けていた物だったんだなぁと。
怖かったんだもん。
まともに直視はできなかったけれど
でも、そういう事だったんだなぁ、と今思う。
私の子供の頃は、毎年夏になったら絶対原爆写真展が、どこに行ってもってくらい
展示されていたけど
この頃では滅多にみない。
テレビとかで、どこそこでやっていますっていうのは、聞くけど
うちの近くでやらない。
前は、やってたのに。毎年。

原爆の被害の写真
8月6日、8月10日の、あの瞬間まで
現実に存在していて、ああいう事になる前は、普通にしゃべったり
転んだり、生活していた人だというところが
希薄だと、ただ怖いだけだったんだなと思う。
今、その辺に居るような人が
その辺で毎日、素朴にというか、健気に、というか
たいして、すごい良い事がなくても、毎日
お箸の音のする、風鈴が鳴る、泣いたり笑ったり怒ったりする生活をしていたのに
それが、奪われて、ああいう怖い事になっていたんだなと思う。
重点を、前のこの生活の時の、この人達の生において
その上で、原爆が落ちて、この結果に至ったという事を
きっちり理解してみると
ちょっと見えるものがまた、違っただろうなぁとおもう。
頭で知っていても
やっぱり、今痛いだろう怖いだろうという瞬間の部分だと
とにかく、怖かったり痛いのが直に来るので、怖いというか痛いのだけれども。
痛いこの時の前に、痛くない、戦争も起きていない、時もあって、
それが奪われて、この瞬間であると
・・・やっぱり、ここまでその生活ってやつを過ごしてこないと、
そこまで考える余裕は子供の私には無かったな。
それでも、今でも、本気で真向かうと
また、大変なわけだが。
大変でも、いいかげん選挙権持って投票できる年齢になったら、
少しづつ、なんとかこなせるように・・・
この私でも、まぁ、なんとかなってくるので、
大人の為にも原爆展、やったほうがいいですよ。
なんか話がずれているようなそうでもないような。

個人的にも、バグダッドに直に行けないわけなので
行って撮影して写真を提供した方が居て
結果、この公民館までこの切り取られた瞬間が届けられたことを
ありがたい事だと思った。
有ることが難しい、よくぞ、有ってくれた事だと思った。

こういう事が技術的に可能になったのだから
前と同じようじゃ、おかしいと思う。
前にも、戦争は起きたのだから
今起きているのもしょうがない、では、やっぱりおかしいと思う。

sabato, luglio 30, 2005

うつつ

暑。
靖国参拝をめぐる討論、を観ていたら
夏の疲れがどっと出た。
まだ、これから八月もあるのに。
こんなのより、もっともっともっともっと暑い所で
水が無いなんて、絶対嫌だ。バケツで汲み上げることができる人たちは
とても恵まれている方で、
貧しい人たちは汲み上げる水も無い、
って、・・絶対嫌だ。

自爆する人々というのは
まず、とにかく居なくなってしまいたくなっているんじゃないだろうか。
この次の一分この次の一分を過ごすのが耐え難いときに
居なくなる事へ、更に与えられる大義名分
殉教という口実がちらつかされた、なら、それは、
拒むのがとても難しい誘惑かもしれないと、思った。
イスラム教、過激派、である事が、自爆の原因と
考える前に刷り込むように伝えられるけれど
暑い中で、水が来なくて、浄水場が米軍に破壊されているとき
このまま生きていても、いつ理由もなく逮捕されて
人間が考え付く中でも最悪の苦しみを与えられて殺されるかもしれない
それが、現実として周囲の人が次々と居なくなるのを目の当たりにさせられて
そういう毎日だった時に、特に若い人間にとっては、
宗教や、過激かどうか、の前に
何かあると思う。

憲法九条や前文に謳われる”諸国民の公正と信義に信頼”を根拠とした平和主義が
理想論できれいごとだと言われているのを、最近とみに聞いたり読んだりするわけだけれども
きれいごとを、「表面だけを立派にとりつくろうこと。
見かけや口先だけ体裁を整えていること 大辞林 第二版 (三省堂)」 と定義するなら
きれいごとは、どっちだよ、と思う。
安部自民党幹事長代理さんの話を聞いていると
戦争の過ちは
「戦争に負けた」事であって、「戦争をした」事じゃないという考えなのか、もしかして。
そう考えてらっしゃるならば、
確かに、何故靖国神社に参拝する事が国の内外から憤りを訴えられるのか、
理解できないだろうと思った。
話を聞いていると
「だって、何とか君だって、前、やってたもん」
みたいな話になっていたけれど
他の何とか君達の大部分は、ちゃんと反省してるから。現在進行形の以外。
という以前に、他がやっていれば、何やってもいいのかと
じゃあ、殺人犯などというのも、昔から居るけれども
だからといって、殺人を合法にしていいのかと。(確かに文字通りそれが戦争なわけですが)

戦争に負けたことが、過ちなのであって
戦争によって、犠牲者が出た事は、勝っていれば、問題なかったわけなのだろうか。
”お国のため”や、”大切な人のため”を口実にたくさんの人が戦場に往かされた事は
国家権力が、出征させた事は、過ちではないという認識・・・なんだ・・・・?。

一部にほんの少人数の高潔な例外もあるかもしれないが
人間って、もう、どうせ明日にでも死ぬ、と思ったら
そう思っていないときよりも、酷い事ができてしまうかもしれないと思う。
しかも、命令であったり、集団心理で強い流れがあったら
流されてしまう人は圧倒的に多いと思う。
この人間の弱さは現実だと思う。
”敵”と定義された、武器を持たない民間人の中に
そういう心理状態の武装した団体を送り込んだ事は
過ちじゃないのだろうか。

靖国神社に祀られているのは
”国の為に犠牲になった人々”じゃなくて
”国の為の犠牲なのだ、と強制されて殺させられたり、殺されたりした人々”と
”国の為の犠牲なのだ、と殺したり殺される事を強制した人々”だと思う。
しかも、その事を祀り上げるまでに褒め讃えている場所だと思う。
こういう事こそ、きれい事だと、私は思う。
人間の人体の約70%は水分で
残りはたんぱく質とか脂質とか、ぐにゃぐにゃしたもので、
こういうものは、
”花と散った”り、”勇ましく砕け散ったり”しないと思う。
砕けるような物体じゃない。
どうせ、あとわずかで死んでしまう、
家族も恋人も、国の為に死んで来いと自分を送り出した。
死ぬ事を求められた人間が、
戦場でやる事が、残虐でおぞましくても、そこに矛盾は無いと思う。
戦争というのは、炎天下に放置して腐敗させた生肉を拡大増幅させたようなもので
そんな事は実際戦争を経験しなくても、
日々の経験でわかっていいと思う。
人間の身体を構成しているものは何か。
それが、死んだらどうなるか。
切れば血が出ると。
どんな聖職者でも人体が死ねば腐って死臭がすると。
それを、花だの珠だのに例える事が
きれいごとじゃなくて、何だろうと思う。
この現実を、つくづく思い知った日本人が人類の中で史上初めて
これは、良い方法ではないと戦争というものの実質を直視し
この国の国民がこの先生きていく為に
”戦力を放棄し”、物事を武力で破壊するのではなく、知力で解決するという
空虚でみせかけのぱっとした華やかさは無くても
より、確実で地に足の着いた
きれいごとじゃない、素朴で地道な、方法を選んだのだと思う。

自爆テロは、”kamikaze”と呼称されていたりする。
自爆する為の爆弾や、装置が発明され開発されたのは
そんな大昔じゃないと思う。
だから、イスラム教に詳しくないけれども、それでも
コーランに、「爆薬を身体に結び付けて
周囲の人も巻き添えにする形で、爆破させて死になさい」とは
そのような具体的な記述は、絶対書いてないと思う。
自爆をする事で、その宗教の立場が世界の中でよくなったりはしないと思う。
偏見は増えるかもしれないけれど。
宗教の為に、役に立っていないのに
自爆してきました、なんて言ってこられても、
神様としても、「恩着せがましいのがまた来た。まいったな」
って思うかもしれない。そういうものじゃないかもしれないが。

きれいごとを一切省くなら
一瞬ものすごく痛くて熱くて(一瞬ですめば運が良い方かもしれない)、
後は、巻き込まれた人や、その家族が
ものすごく悲しむだけだと思う。
自爆しなければ、少なくとも巻き込まれる人が巻き込まれなくて救われる。

人一人分、人が死んだくらいで
人間1人を生かしたり、守ったりは、できないよ。
ましてや、国を守ったり世界を変えたりなんか
できるわけないよ。
実際には、人の命1人分は、みじんこ一匹分と引き換える事だってできない。
人が1人死んでも、死んだミジンコが生き返ったりしない。
だいたい人一人分の命は、この人間の社会において
どんどん扱いが安くなっているし
本当に、虐げられている国の人々を苦しめている、その元凶の誰かにとっては
数秒の音声にしかならないと思う。
「どこそこで、自爆テロがあり、何人の死傷者が出ました」
それが、耳に届いて聞き流されるか
一行読んで、忘れるか、そういう事にしかならないと思う。
生きているから、重いのであって
死ぬだけで、何かができるくらいなら、苦労はしない。

これを、殉教、と呼んで、英雄と呼ぶのは
きれい事だと思う。
”kamikaze”なんていう概念を
作ってしまった、この日本の国の歴史の、ひどい過ちのひとつの余波かもしれない。

三島由紀夫さんの本を、結構読む。
だって、きれいごとの極みなんだもの。
ある程度以上に極まっているものは、ある程度以上に面白い。
微にいり、細にいり、綺麗に綺麗に作りこまれていて
面白い。
現実味が、まったくなくて面白い。
ちょっと前の少女漫画の、ひたすら背後からバラの花が湧いたりするのとか
顔の半分以上の大きさのある瞳の中に、星が散っているのとかも
面白いもの。
少女漫画じゃなくても、やたら稲妻が飛びまくったりとか
目の中で炎が巻き起こったりとか、面白くて感情もいろいろに動かせるけれど
だけど、それ、現実じゃないよ。現実に背後からとめどなく花が湧いて出てきたら
枯れたりして、臭いしごみは増えるし、
ショック受けるたびに一々稲妻がひかったら、危なくてしょうがない。
気象がとんでもない事になる。
作り物と現実を、現実の政治を扱う仕事の人は
分けて考えてほしい。
国が税金で軍隊を養い、武器を携え
外国に往って人を殺して、殺されて戻って来なくなって
そこで、バラの花が湧いたりはしない。
湧くのはうじだから。

靖国神社も、そこに祀られているかつて居た人々も
祀られていない、戦争で殺された多くの人々も
生き残って今なお苦しんでいる多くの人々も
全部、現実の事であって
鬼が島へ行ったら宝の山がありました
という話ではないという事を
認識して欲しいと思う。

それとも、言っている本人は、それが綺麗に飾った嘘であるとよく認識していて
綺麗に飾ると、いくらでも騙される集団心理を操るのが
面白くてしょうがないのだろうか?
そんなの全部きれい事で
普通に自分と自分の周辺の人間の飯の種だって事はよくわかっていて
飯の種が、自分の思うままに動かせるのが
面白くてしょうがないのだろうか。
面白くてしょうがない人が止められないのは、少なくとも理屈が通っているが
飯の種にされて面白くもなく踊る方が、止められないのは
ちょっとねぇって、思うんですけど。

今、イラクに居る、イラクの人も日本の自衛隊も、他の軍隊の人も
みんな、生身の人間だから。
一度亡くなったら、コマーシャルで復活してきてにっこり笑ったりもしないから。
わけのわからない大儀だの面子だのそういう飾りより
大事なものを大事にしてほしい。

大事なものってお金が大事とか言うのかな。
お金が大事なのは
大事な何かの役に立つからだしょ。
何にもなくなってお金だけあっても
意味ないだしょう。

martedì, luglio 26, 2005

個人的な

今日は、中島らもさんの命日。

何の因果か(何の因果でもないが)
テストの日で、台風直撃で
帰り道草して衝動的に黒い帽子を買ってしまった。
なんか、セールやってたから。3割引。
その分、バス代節約して駅から歩いて戻ったら、ぬれねずみになった。

知事ってのはいいなぁ。
暴言吐いたら、語学教材、無料でもらえるのかぁ。

ともかくも、これで、半年間は試験がない。
一科目捨てちゃったけど(てゆうか、半年留保)。

lunedì, luglio 25, 2005

わからない、理由

判断をするための材料として
知識は有用なものだと思う。
多くの事についての深い知識は
あるに越した事は無いと思う。
知る機会や方法がある限り
勉強はしておくに越した事はないと思う。
基礎知識や最低限の知識、っていうものも、あるだろうとは
思うけれども
「戦争はいや。戦争にならないようにしたい」
という意思表示をする為に
やっぱりまずなによりも不可欠なのは、
知識じゃなくてまず自分の気持ちだと思う。
知らない人間にも、資格はあると思う。

核物質の人体に与える影響を科学的に分析したデータに精通し
兵器の環境や人間を含めたあらゆるもの対する破壊性を
理論的に実証でき
世界中の政治的状況について、歴史から現在の権力構成まで
全てを完全に把握していて
いくつもの、系統化された(じゅっぱひとからげられた)思想カテゴリーを把握していて
どの人がどのような思想に対するどのような内容の著作をなし
それが、誰によってどうやって発展したかも、全て頭に入っていて
世界の宗教分布と、それぞれの宗教の関係を完全に把握し
ひとつひとつの宗教について、宗派や細かい聖典の解釈に対する理解があり
それぞれの宗教が、どのような文化にどのような影響を与えているか
フルネームでどのような権力者が、どの宗教に関与しているか把握していて
なおかつ、国際経済や、企業の内部事情、世界の各国の政府とのつながりについても
情報を得ていて、
それぞれの国の権力者の一人一人がどのような考え方を持っているか
その派閥や力関係を把握し
なおかつ、早寝早起きをし、冷蔵庫は詰めすぎず
買い物籠を持ち歩き、添加物情報に敏感で
環境破壊物質についても良く知っていて
電気のスイッチはこまめに切り、
タバコは吸わずお酒も飲まず毎日仕事に励み
高学歴で標準的体格で健康診断にも問題はなく
世界にどのような病気があるのか最新情報を知っていて、どのような症例があり
どのような治療法が開発されているのか、そのために何が必要なのか知っていて
どのような法律がありその判例はどのようなものがあったかも知っている
・・・・ああめんどくさい。

つまり、そういう人でなければ
平和であって欲しい、戦争はしないで欲しい、自由でありたい
と言ってはいけないのであれば
心の中で、それを願っている人がいくらたくさん居たとしても
それを意思表示できる人は
1人も居なくなると思う。

例えば、うまれてこのかた
たったひとつの病室から、出る事ができない状況の人も
まぶたの筋肉しか動かせない状況の人であっても
一年中休日もなく働き続けなければいけない人も
字を読む事ができない人も
住む所のない人も
それぞれの生きている中で得られた知識、記憶、情報から
考えて判断する権利が、あると思う。
考えて意思表示をする権利があると思う。
責任もあると思う。
一人一人の全てが、それぞれの個性が尊重される為には
この世の中に、同じ人は絶対に居ないのだから
1人分のその個性から考えた事を、示す為に
全ての人が、意思表示をする必要があると思う。

信じている宗教や、人種、性別、気質、体質、国籍、趣向
そういうものの区分けの一部に属しているからといって
それだけを理由に、逮捕されたり殺されたり
優劣を評価されたり、束縛されたり監視されたり
死んでも仕方ないとみなされたり、地域ごと燃やされたりする事を
許してはいけないと思う。
他人のこととは限らない
自分が選定をするなら
いつ、自分が選定される側になるか、わからないよ。
いつ、自分の大切な人が、選定され劣等品と格付けされるかわからないよ。
格をつけるのも、不完全な人間である以上
選定は、主観的な独断でしかない以上
何が、どっちが、上になるか下になるかは、ただの好みでしかない。
理が通るはずがないのだから
はじかれる対象になる事を避ける方法もない。
選別自体を否定しない限り。
選別され処理される事を、許さない以外に。
それが大事なんだと思う。

たった一つの事、たったひとつの宗教についてだって
キリスト教にしろイスラム教にしろユダヤ教にしろ仏教にしろ神道にしろetc
敬虔な信者であっても、その教義を全て理解している人は稀だと思う。
何故、そんなにわかりにくいのか
何故、そんなわかりにくい事の知識を要求されるのかについても
考えてみる価値はあると思う。

二回目のロンドンでの爆発で
爆発による死者は1人も居なかったようだけれど
警察によって5発も銃弾を受けて射殺された人が1人居た。
「黒人かアジア人の、リュックサックを背負った男性(テレビの速報で言っていた)」
だったから、容疑者とみなされて、連行されることを拒否したら射殺された。
黒人かアジア人、って言ったらば
除外されるのは、白人だけだよ。
びっくりした。まだ、そうなんだなやっぱりと思って。
主導権をもっている方から見て、私達はどこに配分されているか。
”仲間”じゃない。せいぜい、道具だ。
だから、私達に与えられる情報は
まず、ロンドンでの爆発
次に、どこかの家庭のごたごた、離婚
それから、88人の犠牲者の出たリゾート地で
一番知らされないのは、多分、正確な人数さえ把握されていない大量殺戮。
直接手が下されたか、内部から自滅するようしかけられているかは
明らかになる事もない。

むつかしいからわからない、のではなくて
むつかしくてわからない、と、思えるようにされているのではないか?もしかして。
難しいから、多くの人が理解できないのではなくて
理解されたくないから、難しくみえるような煙がほどこされているのではないか?

失った事に気が付かない人から、奪うのはきっと楽なのではないかと思う。
せめて、何十年何百年経ってから、ばれるようにしたがると思う。

で、そのとおりになっている。

domenica, luglio 24, 2005

released

Mr.Khalid is now free!
まだ、たくさんの無実の人々が
逮捕されて拘束されているのだそうだ。
1人の人が救われた事が
今後に繋がらないものかと思う。
なんとかして、他の人々も
解放されないものかと思う。

mercoledì, luglio 20, 2005

ぶちぶちっ

Colin Luther Powellさんは、
自分の言っている事を、理解しているように見えるから
余計、嫌だ。
理解したうえで、意図的に世論を誤誘導している気がして
なんとなく薄ら寒くなる。
彼に比べたら、ブッシュ大統領の方が、
自分が何を言っていて何をやっているのかさっぱり
わかっていなそうで、まだ、・・・ましでもないか。

911は、イラク戦争以前に起きたから、
イラク戦争をテロの原因と考えるのは安易だ、
と言いながら、イラクにはアフガニスタンからテロリストが流れ込んだ
とも言う。
911の前にアメリカ政府はアフガニスタンを武力攻撃しているものね。
テロは、中東を拠点とするものだけでなく起きているというけれど、
それは、アメリカ等の大国が圧迫したり
軍事支援をしたり、武力攻撃している国が
イラクとアフガニスタンだけじゃないから、じゃないのか。
イラク戦争が、テロの原因じゃない、と言うなら
イラク戦争だけじゃなくて、アメリカ政府をはじめとする
経済的に豊かで世界的に発言力の強い大国の、
イラク戦争に代表されるような
この威圧的で傲慢な暴力に解決を見出そうとするやり方が
大部分のテロと呼ばれる反発行為の原因となっているんじゃないかと思う。
だいたい、だから、気に入らないからって爆弾を落すアメリカのやり方も
爆弾を落とされたり銃撃されたりする側から見たら、充分に立派にテロだって。ほんとに。

フセイン元大統領は国連決議に違反していたから、と言うが
アメリカだって、イラクへの武力行為は、国連議会で、
決議され支持を得たものなわけじゃない。
(イラクに対する武力攻撃を容認する安保理決議案は,
安保理で可決される見込みがなかったために,
米国自らが取り下げたのであって,
イラク戦争を正当化する国連決議は存在しない。
 米国は,イラクが国連査察を無条件で受け容れ,
査察による武装解除が現実に進んでいるもとで,
それでもなおイラクが大量破壊兵器を保有し,
フセイン政権にそれを破棄する意思がないと断定し,
国連決議のないままにイラク攻撃に踏み切ったのである。
自由法曹団HPより
なんで、アメリカだけは、許されるのさ。
フセイン元大統領は、対外的にも大量破壊兵器を使った過去があり
国内の人間に対しても化学兵器を使用して大量殺害を行ったと言うが
その化学兵器をフセイン元大統領に提供したのは
アメリカでしょってば。
フセイン元大統領は市民を何千人も殺害しました、
って、米軍は一体何人殺害しましたか。
抵抗勢力を一掃できたら、イラクに民主主義が浸透し、
アメリカの行いは世界から賞賛されるって
抵抗勢力は、抵抗したい対象が出て行けば、
一掃されなくても少なくとも、抵抗勢力である意味をその方向に対しては失うと思うよ。
今よりは、人数が減るかもしれないと思うよ。
抵抗勢力も武装組織も、その前にまず人間だよ。
人間を、そういう存在にしている理由がなくなればいいんだよ。
宗教の宗派同士の軋轢に関する問題だって
アメリカが首を突っ込まない方が、話し合う方向だって見えてくると思う。
サドル師は、一度、信者たちに武器の放棄を呼びかけた。
武装を解除して、議会に参加する事で意思表示をしようとした事があった。
そこで、米軍がやった事は、何?(ファルージャ炎上)
経済的に優位に立つ大国が、こういう地元の争いを、武器や資金や、軍事訓練をするなどの方法で
より悲惨になるように取り計らった事が、今までにもいっぱいあるんだから
もう、世界もいい加減気が付いたらいいと思う。
賞賛するようになるとしたら、間抜けだからだよ。
何故、アメリカが、自分たちの価値観に、
世界中を従わせないといけないのか?
何故、アメリカのやりかた以外で、
それぞれの国の民、国民が主となって、
それぞれの国に合った在り方を模索しては
いけないのか?
民主主義なんでしょ?
だいたい、人々を殺して、何が民主主義だと思う。
なんだそれ。
耳から煙が出そうだ。
このおっさんだけは、ほんとに冷静になれない。(「だけ」じゃないか・・・凹)
なんだか詐欺師みたいな話し方、話の展開をする。

核開発は、国民に食料を与えるものでもないし
経済を発展させるものでもない事を北朝鮮は理解するべきだ、と、
なるほど、アメリカは経済を発展させているのかこれで。だからいいのか?
その恩恵は、少なくとも、冬に凍死するペーパーバッグおばちゃん達には
届いてないみたいだけど。
北朝鮮にとっても、また、アメリカにとっても、
核開発は、止めるべき事だと、思う。

ロンドンを引き合いに出して、さんざん”テロとの戦い”の必要性を説いたが
あの事件以降にイラクだけでも、多分軽く150人以上は亡くなったと思う。
米軍がお菓子を撒いていた場所で、自爆があって米兵1人子供24人死亡、
憲法起草委員会のメンバー3人銃撃され死亡、イラク空手連盟会長さんは
目隠しをされたまま後ろ手に縛られてナイフで切り刻まれた遺体で発見、
バス襲撃で13人死亡、中部ムサイブで自爆、98人死亡、
バグダッド中心部の軍用施設で自爆、25人死亡の後更にもう一度自爆で10人死亡
まだまだあったと思った、。もう、確かめきれない。
これだけ亡くなっても、この人達については、なんの一言も無い。
この人の”お悔やみ”には、価値が無い。
(ところで、ロイターの表記は”自爆攻撃”ですね。自爆テロじゃなくて。)

去年、まだ、ここまで状況がひどくなかった頃
「自由と民主主義は、武器なしで実現されるものだと思う」
と言っていたイラクの子供
は、その後どうなっただろう。
息苦しい。

lunedì, luglio 18, 2005

署名

Raedさんの弟Khalidさんが、拘束された件に関して
どれだけの効力があるのかわかりませんが、との事ですが
一応、署名活動が始まったそうです。
どれだけの効力があるのかわからないという事は
絶対無駄とも限らない、という事だと思います。
http://www.thepetitionsite.com/takeaction/820522461

名前、国籍、郵便番号、メールアドレスを書き込んで送信するだけ、
数分とかからない事なんだから
やってみていいと思う。

日本語による詳しい説明(Raedさんのblogの日本語訳サイト)

現実逃避に参加する

”女王の教室”に抗議殺到なのだそうだ。
こういう抗議をする人たちはきっと
”瑠璃の島”あたりに感涙なさったんだろう。
大丈夫、明日あたり羽根が生えて、
お菓子の国に飛んでいけるから安心してください。

っていうかー
こういう時に、抗議が殺到するって事は
やっぱり、
「みんな日々の生活に追われていて
生きていくのが精一杯だから、戦争や政治の事は
考えないといけないと思っていても
考えたり何かする時間なんて取れない」
っていうのは、嘘なんだね。
ウソツキ。

今は、もっと抗議や批判をするべき
切羽詰って緊迫した事が、やまほどあるはずだよ。

遊川和彦さんの脚本のドラマで
昔、とても泣いたのがある。(人生は上々だ、だってさ。どんな筋だっけ?)
どこにそこまで感動したのかは忘れたけど。
こういうのは、最後まで観てから感想を出すものだよ。
こんな事で、本来の話の筋を変更したような風が見えたら
そのときこそ、徹底的に抗議したい(違)

domenica, luglio 17, 2005

ずれてます

言葉は数を数える為だけに使われるわけではない。

都知事がフランス語を侮辱したとして提訴された事件についての
テレビでの取り扱われ方を見ていて、げんなりした。

問題の焦点がずれてるよ。
他国の言語を、国際語として失格しているとか
劣っているとか優れているとか、一国の首都の知事が、
公の場で発言することがおかしいんだよ。
この、都知事の発言を
フランス語を、日本語に置き換えて
数の数え方は、異なっているから
例えば、日本語は文字が何種類もあって難しいとか
なにかそういう事で置き換えて
考えてみて・・・わからないか?

他国を民族単位で蔑視したり
言語に優劣をつける発言が、公の立場の人によってなされる事を
喜んで見ていたり、そういう人を知事として選ぶような
そういうような人々が多数派として住んでいる国であると
いう事になっちゃったんだよ。

だいたい、国際語として失格といわれるのもむべなるかな
って、
国際語として、適格だから国際語になっているとしたら
日本語は国際語として失格だから
劣った言語とみなされているから
国際語として使われていないということに
なってしまうではないか。
日本語以外でも
フランス語だけじゃなくて
世界中のあらゆる言語を
侮辱した事になるよ。
英語は、”国際語として適した、多言語よりも優れた、資格のある言語”だから
国際語として使われているのか?

自分が、生まれながらに使っている言語に愛着があり
”””自分にとって”””世界一美しかったり、大好きだと思ったときに
他人にとってもまた
それぞれが生まれながらに使っている言葉が
一番好きであるだろうと思う事ができて、はじめて
自分の母国語を愛するという気持ちを知っていると言えるのではないか?

他国の文化や、他国の言語や
他国の人々のことを
優劣をつけたり、蔑視したりするような人は
知事には適さないと思う。
他国に対しての文化や民族性、価値観や共通意識を
自分のものと違うからといって
受け入れられないという事は
国籍に関わらず、他者という存在に対しての
尊重ができないという事になる。

そういう人が、首都の知事に選ばれるようだから
この国の方針は
難民も受け入れられないし
社会的弱者に対しての福祉も
充実しないのだと思う。
大国の他国に対する侵略も、支持してしまうし
戦争についての責任も、いつまでも直視できないのもむべなるかな。

うちの味噌は世界一美味しい、と言っている分には
たいした事にはならないが
隣の何とかさんの作る味噌は、甘すぎてまずい
と宣伝して歩いたら
多少、ごたつく。
そういう感覚、どこで失くしたの。


で、そういう問題のどこが笑えたのかというと
結局はこれって、例えば夏休みの宿題中に
ばてた子供の言う愚痴とかわらない。
九九を覚えながら
こんなもん、電卓使えばいいんだよ
って言う、みたいな。
rの発音は、こみあげてくるものがある
なんてことは、つい言ってしまったりするものだけど
それを、公の人が公の場所で正論であるかのように主張しちゃだめでしょうよ。

venerdì, luglio 15, 2005

praying

BaghdadBurning更新

Raed in the Middle

少なくとも、現時点において
"Khalid is okay!". であるようだ。

無事に家族のもとに帰されてほしい。

この頃、時々歯医者で麻酔をしたときのような
変な感覚になる。
なんだか耳鳴りのするような。

空虚

多国籍軍に侵略されるまで
イラクには、軍隊があったのだけれども、
その武力で守れたものって、何?
無差別に逮捕されて拘束される無実の学生1人分の自由でさえも
救えないじゃないか。

フセインという国の統率者に逆らう考えの人間は
徹底的に弾圧されるしくみは
治安維持の目的とうたわれた筈だけど
それで、維持できた治安って何?
ただ、一握りの人間の思うままに国政を動かせた事の結果は
大量破壊兵器の存在というでっちあげに
説得力を与えただけじゃないか。
他国から攻撃され、人々が殺される事を
事前に、世界が肯定してしまった理由をこじつけさせただけじゃないか。

武力で、何が守れるというんだろう。

武力が、何を守れるというんだろう。

mercoledì, luglio 13, 2005

どうしたら

彼は「Good bye(さようなら)」というのが嫌いで、
いつも「see you soon(またね)」と言う人でした。


どうしたらいいのだろう。
どうしたらいいのだろう。
どうしたらいいのだろう。
どうしたらいいのだろう。
どうしたらいいのだろう。

はじめに言葉ありき

河童の川流れは、河童が川を流れている様子を表すためにだけ
使われる言い方ではないし、
山茶花は、”さんざか”を”さざんか”と言い間違えたのが定着したのだし
タツノオトシゴは、龍が産み落とした子供ではない。
サルノコシカケは猿の腰掛ではないし、
枯れ木も山の賑わいが、
つまらないものでもないよりはまし、だけではなくて
人が集まれば、にぎやかになる(から、
つまらない人でも、枯れた人でも、集めとけよ)でも
いいじゃないか。
言葉っていうのは、年月とともに変わるものだと思う。
相互に了解されて伝わった言葉の意味が、使われた言葉の意味だと思う。
知恵熱は、幼少時の原因不明の発熱だけではなくて
幼少時に、いろいろな知識を急激に吸収しすぎたために
発熱したのではないかと思われた、その発熱のように、
普段頭を使い慣れていないのに、急にものすごく頭を使ったから
オーバーヒートしてしまった、という意味に使っても
ぜんぜん構わないと思う。
ヤバイ、が、危ないだけではなくて、
はまりそうであぶない位に、美味しいとかかっこいい、という意味で使われても
怖いを超える位怖いから、超怖い、でも、チョー怖い、でも
かまわないと思う。

そんな仲間内で慣れ親しんだ、変化させて楽しんでいる言葉を
使ったくらいで、人間の精神は、荒廃しない。
荒れた言葉を使っていると、心が荒れてくると言う人は
荒れていない言葉を、使っている自信があるのだろうが
それで、自分の精神が荒廃していないと、自信がもてるのだろうか。
今、戦争が起きていて、国としてそのどちらかの味方についてしまったのに
日本中、世界中を駆け回って戦争被害を訴えたり
辺野古の海のやぐらの上に立って、基地が作られないようがんばっていたり
そのように、なんらかの事を、見るに見かねて、やらざるを得ない事になっている人以外は、
こういう時に、普通に暮らせている私達は全て、
いい加減、精神が荒廃していると思う。
精神を荒廃させて、順応しなければならないでいると思う。
それを、自分だけは、荒れていないと思って
自分の荒廃を、自覚できていないという事は
荒廃の程度が、それだけ進んでいるという事かもしれないと、思う。

辞書に載っている意味だけが、言葉の意味ではないと思う。
辞書は、使われている言葉を、追って編纂されるもので、
辞書の前に、生きて使われている言葉があるので、
辞書が、現実に追いついていないことも、少なくない。
にもかかわらず、辞書に載っているから
正しい、と思うのは
とても、奇妙であぶない、鸚鵡症候群だと、私は思うけど。
正しいという事になっているから正しい、と考えるから
地球は平面で、亀か何かの背中にのっかっているのだと
一生信じて疑う事が無かったりするのだろう。
その為に、地球が丸いと言った人を、断罪できたりしてしまうだろう。
正しいと思うなら、何故正しいのか、自分で納得する事、自分で考える事が
できなくなっている事こそが、精神の荒廃だと、思う。

人々の、心が荒れているのは
少なくとも、使っている言葉のせいではない事だけは
確かだと思う。

いろんな人が
ロンドンでの事件の伝え方と
イラクやアフガニスタンや、アフリカや旧ロシアや、その他の地域で
何千何万の人が殺されて、傷ついて、亡くなっていることとの
報道の扱いの違いに、
違和感を覚えている、それを書いているのを読んだ。
少し、安心した。

ここに気が付かない人々こそが、精神が荒廃している、と、私は思う。
”正しい日本語”を使っていても。

辞書に定義された意味や、
本来の語源を持ち出されるのは、
その言葉が、意図を持って、悪意をもって
歪曲されて使われる時、だけでいいと思う。
その言葉が、貶められるのは、嫌だから。


おまけ
「仏語を侮辱」で都知事提訴
これは怒る事・・・というよりも「藁」。ってねってねってね。
こうなったら、本人より投票した人の問題よ。

martedì, luglio 12, 2005

その後

NHKの番組に対する政治的圧力と、番組改変の問題について
内部告発したプロデューサーの方って
その後、不公平な事とかされていないのだろうか。
この件について、まったく忘れ去られてしまったようなので
気になる。薄情な事だと思う。
良心に従って、行動しても、たった一人で損ばかり被る事になる
という事になれば、後に続く人が少なくなるのは
当たり前だと思う。
弁護士の人とか、たくさんついたはずだから
大丈夫なのかな。

たくさんの人の為に、と思って、自分の損を覚悟で動いた人は
たとえ本人が、いいのだと思っていても
やっぱり、たくさんの人の方は、その人を守る必要があるんじゃないかと
思うけど、その後どうなっているのかさえ、知る事ができない
っていうのは、なんですかね、悲しいですね。

テロテロ

イラク:建設作業員ら12人コンテナに放置、9人死亡
 英BBC放送によると、イラク治安部隊がバグダッドで10日、
建設作業員ら12人を炎天下の金属製コンテナに拘束して14時間放置、
このうち9人が呼吸困難で死亡した。残る3人も重症で、
病院で手当てを受けているという。

 建設作業員らは、武装勢力と治安部隊の戦闘に巻き込まれて
被弾した同僚を病院に連れて行った後、武装勢力との関係を疑われて拘束された。
生存者の1人は医師に対し、電気ショックも受けたと証言したという。

 バグダッドでは夏の気温が50度を超える時もある。(カイロ共同)


イラク:イラク20人死亡 北部で米軍が戦闘
 AP通信によると、イラク駐留米軍は11日、
北部タルアファルでの戦闘で2日間に武装勢力側の計14人を殺害したと発表した。
米軍側に死傷者はなかった。地元警察当局者によると、同地の戦闘では民間人6人も死亡、
病院関係者らを含む22人が負傷した。

 米軍によると、10日に武装勢力側の4人、11日に10人を戦闘の末に殺害した。

 タルアファルはアラブ人やクルド人、トルクメン人が混在して居住する都市で、
シリアへの主要道路沿いにある。(カイロ共同)

lunedì, luglio 11, 2005

メモ

Riverbendが、アルジャジーラのインタビューに答える
という記事を、遅まきながら見つけためも

http://english.aljazeera.net/

日本語訳

妄想

室内気温が29℃です。

頭がぬくくなってきました。

G8サミットで、他国との”テロとの戦いに向けて結束”を固める前に、
総理大臣に言ってもらいたかったこと。

・・・お気持ちはよくわかりますが
うちの国も、正しい道ばかりは辿ってきませんでしたからね、
(妙な笑い)
それでも、原爆を落とされましたら、やはり痛かったですからね、
(妙な笑い)
今でもまだ、戦後の問題も解決しきれていませんしね・・
たーいへんですよう・・・・・
(妙な笑い)

で、沖縄戦か広島か長崎の惨状の話か、どこか他の国内の空襲被害の惨状の話か
を、長々と、ぼそぼそと話す。さえぎられたら、妙な笑い。

本人が体験した戦争被害の証言があると良いけど
あるのかな、ないのかな、なさそうだな

これさえやってくれたら、
あとは、ビートルズを歌おうと、マザーグースを暗唱しようと、構わなかったのだが。

自分の国が、今までに正しい道ばかり辿ってきたかどうか、
アメリカにしろ、イギリスにしろ、その他の国にしろ
振り返ったら、えらそうにはできない筈なのに。
だからって、それを理由に
今自分達が他国に対してしているような攻撃を
自分達もされて当然と思えるかどうか
思えるはずが無いのに。
フセインが、圧政をしいたのだって、
どこかの援助が無ければ、できなかったようにも思えるし

日本の一番の強みは、この妙な笑いなんだって。
だめだ、ほんとに暑い。

domenica, luglio 10, 2005

雑感

つまるところ、”テロ”と称するのは間違えではないと
私は思う。
恐怖によって、物事を進める事が、Terreurだというのだから、
各大国が、ぶっつぶす、と言いながら世界中で行っている事も
全てテロだし、また、いつどこで何が起きるかわからないと
世界中の人を怯えさせている何者達かわからない人々も
勿論テロだろうと思う。
本人たちがresistanceと思っていても、
脅かされる側にとっては
自らがどういう立場であれ、自らに罪があろうと無かろうと、
怖いと感じればTerreurであろうと思う。
Terreurであり、同時に、Resistanceでもある、という事も、
ありえるのだろう。
今、報道以外の場所(教科書(・・・。))で偶然Terreurという単語に出会った。
その意味するところは、恐怖政治だった。
恐怖によるものはなんでもテロである。
辞書によれば、Terrorismeは、暴力主義であり
Terroristeは、暴力主義者である。
それが何を意図する、何を目的とするものであっても
武器を持ったらテロである。
私は、もう、そう考える事にした。
めんどくさいから。

正しい”テロとの戦い”は、断固として戦力を放棄する事であるし、
”テロに屈しない姿勢”とは、
自らは傷を負わない政治的主要人物が、安易に武力によって物事を進めたくなる気持ちに
屈してしまわない、という事であるはずだと思う。
が、現実は違う。
各国政治家や、報道はこの言葉を、それぞれの都合によって自己弁護とえこひいきの為に使う。
自己弁護とえこひいきがある限り、言葉が変えられても、物事は解決しない。

言葉じゃないんだよ。問題は。



さて、そんなわけで、60年前まで続けられていた、
日本という国が国民を総動員して行ったテロでありますが、
こういう例え話は、無意味だと常々思っているにもかかわらず
規模を縮小して考えてみました。

が、やっぱりあまりにも無意味だったので
削除しました。
けろけろっ

sabato, luglio 09, 2005

HOTEL RWANDA

『ホテル・ルワンダ』日本公開を求める会

白人のカメラマン(ホアキン・フェニックス)が虐殺の現場をビデオに収める。
ポールが「これで世界の人々がこの映像を見て、何かしてくれますよね」と言うと
ホアキンは「この映像を見て、『恐ろしいね』と言って、
何事もなかったようにディナーを食べるだけさ」と答える。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050226)

1994年にルワンダで起こった大量虐殺事件をテーマとするこの作品は、
ドン・チードル、ソフィー・オコネドー、ニック・ノルティ、
ホアキン・フェニックス、ジャン・レノといった名優たちを大胆に配し、
トロント国際映画祭では観客賞を受賞、
昨年度のアカデミー賞では主要3部門にノミネートを果たすなど、
各方面で並々ならぬ注目を集めています。

暴徒化したフツ族の手により約80万人のツチ族が
次々に虐殺されていく絶望的状況の中で、
ドン・チードル扮するホテル支配人は自らの勤務先へ成り行きで
多くのツチ族を匿うことを余儀なくされます。
当時、国際社会が陥っていた深刻な無関心の連鎖が
この国での被害を拡大させたのとは対照的に、
ルワンダに暮らすごく小さな存在でしかなかったはずの彼の行動は、
やがて1200人ものツチ族の命を救うこととなります。

しかし、このルワンダ版『シンドラーのリスト』とも言うべき渾身の一作が、
残念なことにここ日本では国内配給会社による買い手が付かず、
“お蔵入り”の状況をやむなくされているのです。

公開を求める会のサイトから抜粋引用)

というわけで、公開を求める署名を呼びかけているようです。


関係ないのですが
ジョージルーカスさんのあごに
一体何が起こったのでしょうか?
(くだらな。だって、気になるんだも)

何に

私は、今回のロンドンにおける同時多発テロも
2004年の大統領選挙劇とさほど変わらないCASTでおおくりされた
のではないかと、かんぐっているけれども、
他の人が、どう考えていようと、この際それはどうでも
いいことなのかもしれない(良くない気もするが)。

重要なのは、少なくとも、直に実行をした人間には
それなりに、自分の行動を”正当化”させることをした理由があったのだろうと思うし
本当に大事なのは、そのような、どのような理由があったにしても
爆破物をしかけ、犠牲者を出す事で、得られる良い事は、何も無い、
という事だと思う。
首謀者が、誰かと仲良しであって、
本当の意図は、どこかの誰かの経済的な利益であったとして
その、本当の意図をわかっていたら、自爆をするような人は自爆するのだろうか、
たくさんの人が亡くなるとわかっているような、動作を(爆弾仕掛けるとか)
良心の痛みに耐えてまで、やるだろうか、と思う。
だから、少なくとも、実行者は、出されている犯行声明を、本気で信じているのではないか
と思うけれども、そんな、どんな理由があろうとも
それでも、やはり、それはこの犯行に値する理由にはなり得ないのだという事を
わかってほしいと思う。
死ぬ人や、傷つく人を増やしても、実行者が理由にした事の結果は
得られるものではないと、思う。

遅すぎる決断であって、もっと、早期に、できる事なら
ことに及ぶ前に、気が付いて欲しかったことだけれども、
それでも、日本は、降伏宣言を出す事によって、戦争を終わらせる事ができると知った、
戦争を終わらせる事ができた歴史をもっていると思う。
戦争を終わらせる事ができて、もう、戦争による犠牲をそれ以上に
(既に多すぎるどころの騒ぎではなく多すぎたけれども)
出さない道を選ぶことをした、歴史を持つ国の国民である私達だと思う。
そして、結局、その事によって、現在の日本が成り立っていて
今現在、空爆をされる事にも、
今、突然”敵”の人に逮捕されて殺されるかもしれない事にも
怯えずに、暮らす事ができていると思う。

イラクの人の為にしてもアフガニスタンの人の為にしても
アメリカの人にしてもイギリスの人にしても
その人達に本当に必要なのは、見た目の形骸としての”勝利”ではなくて、
この、実質上の、勝利なのではないかと思う。
普通の人全ての、個人ひとりひとりにもたらされる勝利。
”敵”ではなく、「戦争」という本当の悪魔に、勝つ勝利。
平和に暮らせる事。
今、個人的な事情からではない理由で、会えないでいる友人と再会ができること。
自分たちの暮らしの為に、自分たちの暮らしに必要なものを造る事。
その為には、必要なのは
自爆する事でも、空爆する事でも、銃撃する事でも、爆破物を仕掛ける事でもないと
気が付いて欲しいと思う。
気が付いた歴史をもつ国の人間としては
気が付いてくれるように、働きかける役目があるのではないかと思う。

テロとの戦い、に加わるのではなくて。

venerdì, luglio 08, 2005

星に到る

串田孫一さん、死去

メモ

どこに誰が居るのか、検索してみました。

アフガニスタンにおけるISAFの引継及び拡大
2003年8月11日に独・蘭が指揮する「国際治安支援部隊」(ISAF)の総指揮権を公式に継承。
これは、NATOが欧州の域外で行う初めての活動として注目される。
参加国は36ヶ国。ISAFの任務を、国連のマンデートを得て11月にカブールのみならず
他地域へ拡大することを決定し、
2003年12月にクンドゥスにおいて独はNATO指揮の最初の地域復興チーム(PRT)を立ち上げた。
2004年6月のイスタンブール首脳会合による合意により、
ISAFが指揮するPRT(地域復興チーム)を5つに拡大した。

参加国国別一覧

加盟国:
ベルギー、ブルガリア、カナダ、チェコ、デンマーク、エストニア、
フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイスランド、イタリア、
ラトビア、リトアニア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、
ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スペイン、スロベニア、
スロバキア、トルコ、英国、米国

パートナー国:
アイルランド、アゼルバイジャン、アルバニア、ウクライナ、
クロアチア、 スウェーデン、スイス、フィンランド、マケドニア

非NATO:
ニュージーランド

 ???これ、全部の国の軍隊が、今、アフガニスタンに駐留しているの?


イラク駐留多国籍軍 
米国、英国、イタリア、ウクライナ、オーストラリア、韓国、日本


カエルがなくから・・・・

結束強化

ロンドンで同時多発テロ発生。
警察当局などは37人が死亡、重傷45人、その他負傷者約700人と発表した。

アルカイダってわからない。

わざわざ、世界の中でも発言力も影響力も大きい各国の首脳が、
お互いにプレッシャーをかけあっている
G8サミットが行われている時に、行われている国で
無差別爆破なんてやったら、
「テロとの戦いに向けての強い意志を改めて確認し、結束を固める」に
決まっているじゃないか。

少なくとも、犯行声明が述べているような
アフガニスタンやイラクの人達の味方には、
実質上は、なってない、と思う。
仏大統領などは、ひどく居心地が悪かっただろう。
今回のイラクへの武力攻撃に、懐疑的な姿勢でいたのだから。


イラク中部ヒッラで6日夜、車2台が相次いで爆発し、
イラク国防省によると市民22人が死亡、30人が負傷した。

AP通信によると、イラク駐留米軍とイラク軍は4日、首都バグダッド郊外の国際空港近くで
武装勢力の掃討作戦を開始、少なくとも100人を拘束した。
一方、同通信によると、バグダッドでは同日、遠隔操作による自動車爆弾テロで、
女性を含む市民2人が死亡した。
北部モスルでは、クルド民主党(KDP)の地元幹部4人が射殺され、
地元ニナワ州知事が射殺される事件もあった。

AP通信によると、アフガニスタン東部クナル州のワファ知事は4日、
米軍が1日同州で行った爆撃で、女性と子供を含む民間人17人が死亡したと語った。
米軍も爆撃で複数の民間人が死亡したことを認める声明を出した。
また、複数の米軍当局者は、同州の山岳地帯で
6月末から消息不明だった米部隊の隊員1人が救出されたと語った。
駐留米軍は詳しい事実関係を明らかにしていない。


攻撃したので、攻撃されたので、攻撃したので、攻撃されたので、攻撃されたので、

一番知りたいのは、”いつ終わるのか”。

mercoledì, luglio 06, 2005

おみこし

戦争に反対しながら、戦争を止められなかった、歴史にも残らないでいる人達のうち
想像するにかなり多かっただろう人々の過ちは
自分の頭で考えず、「だれそれがこう言ったから」という理由で動き
これは、だれそれの言葉なんだけれども、と、だれそれの威を借りながら、主張をし
無責任に、「だれそれは素晴らしい。みんなだれそれの言葉を聞け」と、祀り上げることで、
戦争に反対しているという、自分への免罪をしながら、その反対する事で生まれる
痛みの部分は、だれそれに押し付けた事にあるのだろうと思う。
誰か、ひとりもしくは数人が、その正しい主張をする中で祀り上げられれば
この動きを止めたい側の存在が、止める為に誰を見せしめの標的にするかは、
考えたらわかるはずなのに。
考えなかったんですね。
私もうっかりその轍を踏みかねない。踏んだ?踏んだな。ごめんなさーいよー

右や左や、だれそれや何某にへんばりつくんじゃなくて、
自前の脳みそで、自前の足で、なんとか歩く事が、本当に大事なんだと思う。
協力はしても、狂信はしない。

だれそれの、過ちは、もしかしたら
他の人の平和を望みながら、
自分の平和は犠牲にされることを引き受けてあげてしまった優しさかもしれない。
今後、世の中が、更に嫌な方向に進んでいってしまった時に、
誰か、本気でいる人が、浮き上がってしまって
もし、自分の主張の為に、本当に、やばーい感じがしたら、怖くなったら
自説を翻す事で、身が守れそうであるなら
まず、身を守ることをしてほしいと思う。
ぎりぎりの見極めが、必要なわけだけれども。
貫く勇気と翻す勇気との。

自分が仰ぎ見ている人間が、急に違う意見になったからって
その中に間違いがあるなら、そこに気が付かず
間違っていようとなんであろうと
自分の頭で考えた判断をせずについていくような人は、愚かで行動に意味が無いし
このような場合に主張を変えた人を、
その事を理由に責め立てるような人間は、残酷で非道だと思う。

うーん。。。気をつけよう。
まず、自分がみこしかつぎにならないように。私だよ。ほんとに。

日本の防衛

軍隊による防衛の無いまま、アメリカに逆らって、
他国から攻撃されたときにどうするのか、
について、私なりに考えてみる。
まず、どこの国が攻撃してくるだろうかという問題。
とりあえず、北朝鮮なのかなぁ?
ソ連が、あれだけの核弾頭を備えていた時代にも、今ほどそれを脅威としなかった以上
核爆弾にしてもあるのかないのかさえ、定かとはいえない北朝鮮がそれほどに脅威とされている事に
メディアの、現在進行形の罪という部分があるような気がする。
とりあえず北朝鮮だと仮定して、
まず、第一に、いわゆる
軍備を充実させ、武装による防衛が、強固なものであった場合
攻撃しようという国は、「かなわないから、やめよう」と攻撃を中止するだろうという
抑止としての理屈が示されますけれども
それこそ、日本だって真珠湾に、あれだけ強そうなアメリカに向かって、
突っ込んでいったではないか、
その国家のいよいよという場合の心理こそ、日本が記憶していてよく知っている事じゃないか
攻撃をしようという国が、そういう冷静な判断をしない事は、わかるじゃないか、と
思うんですが、何故か、あまりそのような反論は聞かないんですが、何故なんだろう
どっか間違っているのかも。どこなんだろう。
それとも、既にさんざん言われているのに、たまたま私が知らないのかも。そうかも。

で、日本の国として自前でそのような軍備をしないと定めた今の状態だからこそ
アメリカに逆らうわけにはいかなくなっているという訳で、アメリカに
毅然とした態度ができないのだと、いう説がありますけれども
アメリカに逆らって、アメリカが、”守らなくなった”状態になると
攻めてくる国って、どこなんでしょう?
北朝鮮が、日本に対してむかついているのは、日本がアメリカの基地を内包していて
アメリカがそこから、北朝鮮を攻撃するのではないかと、
思う部分があるからかもしれないような気もするし、
中国にしても、現在の国際的な立場で、今、日本という国が無防備になったからといって
攻撃して、想像される国際的な地位の面でのリスクをおしてまで、攻撃しないような気がする。
そういう判断は、できると思う。
日本を攻撃する為の口実を、日本が提供しないでいる限りは。圧迫したり、脅かしたり。
それは、中国ではなくても良いのですが
戦後60年、生き残った日本人は、ぼさっとしていたわけではなくて
多少やりすぎの感もあるくらい、いろいろなものを犠牲にして
がむしゃらに頑張って築いてきたものがあるからだと私は思う。
日本の技術でなくては作れないもの、日本の育てた頭脳でなければ研究できないもの
日本の情緒でなければできないもの(アニメとかも)が、あると思う。
アメリカのような、政府の強い力や、ひたすらの押さえつける圧力ではない
日本人個人達の、築いてきたもの、
技術や医療などの研究だけではなくて、
各国での、企業による仕事の中での交流、個人が渡航して築いた交流
近年では、地道に進められてきた
それこそ、イラクで支援活動をしていた人や
アフガニスタンで支援活動をしている人や
旧ソ連の小さい国で、アフリカで、ネパールで、様々な国で
個人の人が、それを目的とも意識してでもないのだけれども
地元の個人に対して、日本の人に対する、感情を作っている。
このような、日本の、真価というものが、たとえどこかの国が、日本を攻撃しようとしても
世界の中で、攻撃した後の、他国との経済や、外交を考えたら、二の足を踏むくらいの
防御となっている気がします。
しかも、無防備というのが、実は、どんなにたくさん武器をそろえる事にも叶わない
「無防備な国を攻撃するなんて」という世界の人の感情による防衛を、生む事ができると思うんです。
逆に、軍備を増強することは、
イラクがアメリカに攻撃されたような”大義名分の理由”を与える事にも繋がりかねない。
建前的には、人道上許されない、
許されそうに見える攻撃する理由をでっちあげる基礎となるものさえ与えないという防衛
本音であっても、日本が攻撃されそうになったなら、それなりの態度を取る事で
恩を売っておき、先々の利益に繋げようと思わせる価値を持つ防衛、
日本の先達がこつこつと作り上げてきた最大の防御、シールドだと、思います。
アメリカが日本に軍を駐屯させているのは、結局アメリカの戦略上の理由であり
日本を守るためには、なっていない、逆に一部の他国には
敵意を感じさせる理由になっている位だと、私は思う。

仮に、自前で武装防衛したとして、攻撃された場合、戦力による反撃をすれば
まず、その反撃の為の攻撃で、誰かが死ぬと思います。
戦力による反撃をしたときに、それに対する、再度の攻撃がなされれば
また、日本の街が焼かれたり、人が死んだり傷ついたりすると思います。
それの、どこが、日本人の命を守ることになるのか、理解できない。
日本はアメリカとは違う。
面積としても人口としても、あんなに大きくない。
だから、戦争はどこか別の場所で行い、他の人は野球や映画にうつつをぬかして
なんてことは、きっと、無理。
とすれば、攻撃された場合の反撃、更に、攻撃、という連鎖、つまり戦争という形になったときに
今教育や憲法に、加える加えないでごたついている形での愛国心の根拠とされている
文化や、歴史、の形として残っている遺産だって、破壊されるし
家族だって、失うし、大切な人も失うし、家も失うし、思い出のあるもの全て失ってしまったら
それは、一体、何を守っていることになるんだろうと、私は思わずにはいられないのですが。

martedì, luglio 05, 2005

なんでんかんでん

整理します。

現行の日本国憲法を変えないで欲しい。
特に九条は今のままであってほしい。
例えそれが抑止力としてであっても
戦争や、戦力によって、防衛できるような物は
何も無いと思う。
自衛隊が、現状として矛盾する事を理由にするならば
憲法に矛盾しない、自然災害時の救援活動や対策をする組織として
自衛隊の役割を、変えたらよいと思う。
その為の能力は、実に優れているはずだと思う。

総理大臣や、国会議員、内閣閣僚の靖国神社への参拝は、
しないでほしい。
靖国神社は
戦争で亡くなった兵士を
兵士であった事を理由に
”お国の為”に人を殺す事殺される事をした事を讃えて
戦争に武器を持って参加した事を、栄誉としてそれを理由に神と祀る場所であるから
たとえ、神社のその意志とは異なる考えを持って参拝するのであっても
拝まれる対象が、戦争をした栄誉で、そこに祀られている以上
犠牲となった方々だけでなく
祀られている存在に対しても、心痛を思うから、参拝に反対。
どのようななりゆきであれ、
罪に手を染めた、染めさせられた人を
その罪がゆえに拝み奉るのは、
少なくとも、国政に責任のある人がすることではないと思う。
戦争に参加させられた悲劇を悼んで、拝むのであれば
それぞれの人が、それぞれの人として存在した事を理由に眠る場所
一人一人のお墓に参るのが、物理的に無理なのだとしても一番妥当であり
戦争の原爆が落ちてきてなくなった人、空襲で亡くなった人
侵略される側として殺害された人々亡くなった人々
戦争の為に飢えて亡くなった人、徴兵に拒否して殺害された人、
戦争があった為に、その犠牲となった全ての人の中から
日本国の為の兵士として亡くなった人々だけを神としている場所で拝むのは
死者を選別している事に他ならない
思いっきり、死者を差別しているではないか、と、私は思うのだけれども。

アメリカ政府が行っている戦争に、
日本の政府が、何の躊躇も無く、片っ端から賛意を示し、自衛隊を派遣してまで
全面協力をすることもやめてほしい。
アメリカ政府が、他国に対し、でっちあげてでも理由をこじつけて
侵略をするために
苦しむ人がいるから、死ぬ人がいるから、傷ついたり、大切な人を失う人が増えているから。
日本が協力を一切しなければ、
アメリカ政府が戦争を続けるのは、今よりも困難になるだろうから。

それぞれの国に住み続けることが
できなくなっている人々を、
日本の政府が、難民として受け入れる事を認めず、
その上罪人のような扱いをする事も
やめてほしい。
テロとの戦いというならば
テロと呼ばれるような行動をせざるを得なくなるまでに
追い込まれるような人を、1人でも多く、そこから救う事が必要だと思う。
小さくて弱く、強い国から差別される事を経験しながら
そこから、経済大国として、それなりの位置を占めるまでに成長した国であるならば
小国や、固有の民族、人種を差別して弾圧するような強い国々に対して、
いわゆる”ミステリアススマイル”を浮かべつつ、上手に苦言を呈する事を
してもよいのではないかと思う。
世界中で、感謝してくれる人、好感を示してくれる人のいる国の国民は
どこであっても、他国民よりも安全で楽しい旅ができる。
世界中で、世界中の人と対等に仕事をすることができると思う。
ビジネスの相手から、好感を持たれている方が
仕事はうまくいくと思う。
お店の人と仲がよければ、「おまけしちゃうよ」という事もあるし
仲が悪ければ、不都合なものを混ぜられる事もあるでしょ。
国際的に親身になってくれる個人が多ければ
戦力を充実させるよりずっと、安全も保障されると思う。

国連安全保障理事会の、常任理事国入りも、
私としては、今の状態で、特に必要と思わない。
お金をたくさん払っているから、入らせてもらえるべき
という理屈は
お金をたくさん払いたくても、払えない状況の国に対してとても失礼。
そのようなお金をたくさん払うだけの経済力が無い国の
安い人件費の人々の労働力に頼っている事も
現在の、日本のたくさんお金が払える状況を支えている一要因である事を
自覚するべきと思う。
日本人の努力で築いてきたけれど
日本人の努力だけでは、ここまでにはならなかったはず。
借金してまで、というならば、借金しなければよかったじゃないか。
身の丈に合わない見栄を張った事を、恩着せがましく主張するのは、
あまりみっともいいものではないと思う。やめてほしい。
ましてや、貸したお金を返してもらいながら
貸した事を恩着せがましく主張するのは、本当に、みっともないと思う。

郵政民営化をして、これ以上アメリカという国に対して、
何に用いられるかわからない、無益な投資もしないでほしい。
それ以外の、郵政民営化の現実味を持った動機は、見当たらないのですが。
今の郵政運営が、便利で安心で良いと思う。
何故ここで、アメリカに対して「いいなりになるわけにはいかない」という言葉が
出てこないのか不思議。
アジアの各国に対しては、各国の国民が悲しむような事を繰り返しては、
その度に、「いいなりにはならない」と繰り返すのに。
アメリカ軍基地をいつまでも駐留させている事に対しても
実に、「へーこら」してて、不思議。
地元の人たちが、これだけ嫌な目にあい続けているのに。

図書館や博物館の民営化にしても、消費税の増税にしても
その前に、自分達のやりくりの失敗は、
まず、自分達が”つきあい”に使うお金を減らしたりする所から払う事で
挽回をはじめてほしいと思う。
使わない事に定められているミサイルを、買わなければ、更に節約できます。

なんでもかんでも反対なんじゃなくて
反対しなければならないことを反対していたら
なんでもかんでも状態になってしまったという事なのですけれども。

どうでもいいけど、
別に特定の政党、支持していませんから。
自分に投票する権利がある選挙のときは、
それぞれの場合(地方議会選挙とか衆院選とかそういう)に応じて、
議会での意見の傾向のバランス等を考えて投票してます。
それ以前にまず、都民じゃないし。

lunedì, luglio 04, 2005

叉状脈・・・かも

どうしよっかな。

両方、全て、責任を負っているんだよ。
だから、こうなっているんだよ。
大いに自戒も含めつつ痛感している。
排他的で、正しい主張をしている側であるから全て正しい
と信じて疑う事が無く
”正しい自分”が、他に対して間違っていると決めた場合は
それは絶対間違いだと、信じて疑う事が無く
間違っていると、”正しい自分”が判断した相手に対しては
何をしても構わないと信じて疑う事が無く
間違っている事に対しては
どういう対応をしても構わない、と
信じて疑う事が無いその為に
結果、逆効果を生む事をする場合があり
自覚していようといまいと
悪気があろうと無かろうと
その点において
罪は作られたのだと、私は、思う。
だから、責任があるんだよ。
頑張ったものだけは許される、というものではない、と思う。
頑張り方にさえ、求められるものがあるのだろう。
難儀。
なかなか、人間完璧にはなれないわさ。
でも、だからって開き直って己だけを免罪してもいかんのだろう。
難儀。
じゃあ、どうしたらいいのさと思うが
迷う事が必要なんだと、いうわけなんだろうと、
思ったりしつつ、それ以前に私は既に迷いきっている。

何もしなくていいわけじゃないが
目の前を見ずに、仰ぎ見るものだけを見て進むのも
きっと、何がしかの、望んでいるのとは逆の結果を生んでしまう事がある。

水はさしたくないから
これだけまわりくどいことになっているが
って、これでも、今回はかなり、直線を目指したいつもりなのだが

戦争が始まる前に
戦争の最中に
戦争に反対して、その為に散っていった人の多くにも
その人を、個人的に良く知っているわけでも
話した事があるわけでも
友達だったわけでもない以上
どこが、なのかは、よくわからないが
きっと何かがあったのだと思う。
周囲にあわせて、従順に、煽られるままに流れに従った人が背負った罪と同じように
何か背負った何かが、あるんだよ、多分。
そして、そのような事も含めた様々な要因が合わさって戦争は起きてしまった
あのような結果にまで堕ちるに至ってしまったと。
だから、現在のいわゆる”右傾化”にも
やっぱり、この国 全て の人が、それぞれに負っている責任があって
責任も罪も免れる事は無いのだろうと、私は思う。

このまま、もしまた同じような道を進むのであれば
越えて越えた先に、
(現在の人間の破壊する為の技術力を鑑みると
もう、無くなるのかもしれないが)まだ運良く未来があったとして
その未来の人々に、私達が、受け渡される重さに
更に私達が、そのうえにまた、重みを加えて受け渡してもいいのだろうか。
今だって充分耐え難いぐらいに重いのだが。

変わらなきゃも変わらなきゃだが
変わらなきゃ、も、変わらなきゃな部分があるきゃもにゃ もにゃもにゃ


てすとなんてのは、いそぐたびではござらんから、もういい、ちっとも集中できない

domenica, luglio 03, 2005

素朴な疑問

他国を攻撃しないとならないまでに
せっぱつまった国家が
「相手国の武装防衛は充実しており
到底かなうわけはないから、やめておこう」
などという冷静な判断はできないという事は
真珠湾攻撃を仕掛けた日本なら
よくわかるはずだと思うのだが。

指揮する側というのは
自分が砕け散るわけではないから
砕け散る美学の、美しい所だけに
酔うことが、できたりするものなのではなかろうか。

独裁化した国が、誰かの、もしくは、何人かの人間の判断で
”独裁”する場合
”独裁”する人間は、
「指揮する人間が残らなければ」という理屈により
本人自ら砕け散ろうとはしない、と思うな。

である以上、
相手国がいかに戦力を充実させても
国としては、砕け散りに来るんじゃないかな。
だけど、
相手国に、
いじめないよ、何がしたいんだ、理の通る事なのであれば
一緒に考えようではないか、と
真っ向”きれいごと”で、しつこくしつこく相手されれば
調子が狂って、士気が萎えるという事も
ないではないかもしれない。
砕け散らされる立場の人は、特に。
指揮者にしても、誰だって、面倒が少ないですめば
それに越した事は無いはずだと思う。

交流ができるようになってしまい
人同士が、どんどん一緒に物事を進めるようになってしまえば
拉致されたような人だって、
どこかで、見かける機会も、増えないか?
どんなに隠されていても、どこかにいるならば
どこにでも、出入りできるようになってくる中で
「みつけたから、連れて帰るね」っていう事も
可能になるかもしれないなんてことは、絶対無理なのでしょうか。
無理かな。そうかも。まぁ、想像として。

愛国心

くどいわけですけれども、
愛国心は、教育によって教え込んだり
憲法に書き込んで、持つことを義務付けたりするものではないと
私は思います。
放っておいても、自然と沸き起こるものだと、思います。
自分の国の、歴史や、国民性や、土壌や、環境
そういったものを、ひとつひとつ知っていきながら
良い所も悪い所も見て
嫌な所も知って
いっそ嫌いになってしまいたいと思いながらも
嫌いになれない事を自覚して、丸ごとを、自分のうまれた国の姿であると認める
その葛藤を経て、得られて、初めて意味を成すものだと、思います。

堕ちるところまで堕ちた歴史を持つ国であり、
そこで、戦争を放棄し、戦力の保持を放棄する決断をして
それを60年間護りとおし、現在の国際的な地位を得るまでに這い上がった日本という
自分の国が、どうしても嫌いになれない
その気持ちを知ってこそ
他の国の人々にとっても
それぞれの国を、それぞれがどれだけ大切に思っているものか、
理解できるだろうと思います。
パレスチナの人々の気持ち、イスラエルの人々の気持ち
ユダヤの人々の気持ち、北朝鮮の飢える人々の気持ち
難民となってさまよわざるを得なくなった人々の寂しさ悲しさも
理解するとっかかりを、みつけられるだろうと思います。
自爆テロに至る、そういう人の気持ち
戦争の被害から目をそらし、戦地に赴き、死んでいくアメリカの兵士の気持ち
自分の国の為に、死ぬ事潔しとする人々の気持ちも
わかる事ができるだろうと思います。
わかってなお、
気持ちは痛いほどわかるけれども、それでも、それは、してはいけない事なのだと
提言をして、そこに説得力を持たせることもできるだろうと思います。

日本のいろいろな事
伝統芸能、文化、風土
自分の大切な人々、守りたい大事な物事全てを
守る方法は
決死隊として、特攻機や魚雷に乗り、玉砕する事では無かった。
戦力や武力によって敵を攻撃すれば、
反撃をされる事になり、街は焼かれる事になり
文化財も、家族の思い出も、焼ける事になり
大切な人々は、飢えて苦しんだり、身を投げたり、非業の死を遂げる結果を
招く事になった。
日本は、この事を本当に、つくづく、痛みなどというものではないくらいの
激痛をもって思い知った国であると、忘れないでいてこそ
他の国の人々に対して、教えてやろうという傲慢さ
優越心からの、高圧的な態度に出ることなく
わかるけど、その方法は、だめだったよ、
お互いを尊重する事で
お互いが生き残るのが
一番、失うものも少なく、悲しみも少なく
確実に双方が護られる方法なんだよ、
と、訴えることができるだろうと、私は、思います。

日本の国は、軍国主義日本帝国になる前にも、存在していたし
侍だけではなく、農民も商人も、そういう身分に分けられる前から
いろんな人がいたわけだし
落語に笑ったり、一気に描く水墨画をあれだけの完成度で描ききったり
朝顔を育てて、つるべ取られてもらい水したり
縄文土器作ってクッキー焼いて、
そうやって、育まれてきた日本人特有の個性が
あのようなひどい戦争へ突っ走らせたけれど、
戦争の辛苦を思い知ったときに
戦争をしない道への第一歩を踏み出させたのだと思えば
償いきれるものではない罪を、それでも、償おうと努めることも
自虐にはならないと、私は、思います。

それぞれの人種や、民族、ひとりひとりの個性を持った人が
それぞれに、良い所も悪い所も持っている。
国もまた、そうじゃないかと思う。
日本の国の、良い所と悪い所を認めて
特に、他の国に比べて、優れているでもなく劣っているでもなく
自分の生まれた国であるから、好きなんだと、日本人が思えることで
日本人に担える大事な役割があり
その役割は、今、この星の中で、切実に求められているものかもしれないと、
思うんですけど、どうでしょう。

引越しおばちゃん

報道で伝えられる範囲内の限りでは
個人的には、究極の選択を迫られたら
近くに住むなら、”被害者の隣人”よりも、引越しおばさんの方を選ぶ。

子供を失って傷付いている時に
近所に新しく越してきた人に
やたらと文句をつけられているうちに
精神的に、崩壊してしまった人が
崩壊した為にやってしまった事で
とうとう、逮捕までされてしまう
そんな人情の無い話なんだろうか。本当に。

10年前までは、騒音公害を撒き散らしていなかった人が
撒き散らすようになるまでの過程には
何かが、あったはずだよ。
10年前以前から、このおばさんを知っていた筈の、
この近所の人達によって、騒音公害に至るまでの前に
何か、試みる事はされたのかな、よく知らないけれど。

畑を耕す音さえ、我慢ならないなら
はじめから、人里離れた山奥に、家を建てればよかったね。
過疎地はいっぱいあると思うけど。

sabato, luglio 02, 2005

尊敬の形

昨晩というか、今朝の、朝まで生テレビ
戦後60年、元兵士の方々の話
貴重な内容だったと思う。

まず、印象に残っているのが、発言者の方の中の1人の
南京大虐殺はあったことだ、私はその場所に居たのだ
と発言した後の、清々しい表情だった。
もしかしたら、戦時中行われた、いろいろな残虐行為が
無かった事にされ、教科書にも掲載されず、子供たちが伝えられずに育つ事は
彼等にとって、苦痛でもあるのかもしれない。
実際目にして、自分が感触として、記憶として覚えている事
殺されていく一人一人の人間が、どのように人生を終えたのかを自分は見届けた人間であり
それを、証言できない、後に伝えられないという事は
辛いのではないだろうか?
この方々を、英雄と誉めそやし、
そんな事が、あなた方にできたはずは無い、事実であるはずは無い
あなた方がそれをできるほど、ひどくはない、と言われることは
逆に、彼等を苦しめても居たのではないだろうか?
手を下した自分であると公然と認めたならば、
その場に居たわけでもなく、その実際に体験する苦しみがわかるわけでもない若い人々に
非人間であると断罪されるかもしれないという思いを抱えて
50年60年の年月を、口を閉ざしたまま過ごす事は
どれほどに苦しかった事だろう。
本当に、彼等を尊敬するならば
彼等が抱えている自責の苦しみを、分け持つ気持ちが必要だったのではなかろうか。

南京大虐殺の資料を見学し、その意見を求められて泣き出した学生の話をし、
何度も、自虐的になってはいけないと繰り返す方の言葉は、
それを知らない次の世代の人間が軽々しく口にするものと異なる重みを持っていた。
きっと、この方々は、自分達がなしてきた事で
自分達の子供や孫の世代の人間が
事実を突きつけられ、責任を追及されている姿を見るに忍びないのだと思った。
辛いのだろうと思った。
けれども、戦後
この方々が、選び取った憲法のもと、守られてきた戦争の無い日々の中で
育つ事のできた、後世の日本人は
先達の犯した過ちを、彼等と共に引き受ける事が、できると、その1人である所の私は思う。
私達は、負の遺産ごと、戦争をしない事を世界で一番最初に決断した国の人間である誇りを
受け継いで、いけると、思う。なんとか。

国の為に死ぬべきと思えと教えられる中で、
他者の命を奪いながら
死んでいく友達を見ながら
それでも、死なずに生き残った方々が
その記憶を捨てることなく、誰に吐露する事もできず
自分の中に閉ざしこんで、抱えこんで、自分達だけが思い浮かぶ記憶に苛まれながら
この国の、経済を支えて、社会の機構を組み立てて
自分達の子供や孫を育ててここまで生き続けてきた。
今、体力も減退し、腕力への自信も揺らいでいるだろう中で
証言する事で、起き得るいろいろな事への不安を越えて
この時期に発言を始めた、このような勇気と度胸を持った人々の
子孫であるのだから、いまいち頼りない私らであっても
背負っているものを受け継ぐ事のできる人間達であると、信じていただきたいと思う。

信じていただけるよう、示さなければいけないのだと思う。

venerdì, luglio 01, 2005

貢君の責任

Baghdad burning 更新

確かに報道において割かれる時間は少ないけれど、それでも、取得可能な情報がありながら
戦争を支持し続ける日本政府を放置できる日本のヒトビトを棚に上げて思う。

アメリカは、何故にまだ戦争を止めないんだろう。
あれだけ大きな国のあれだけたくさんの人口、人数の人は
何人居るのかわからないが
アメリカ政府に対して、本当に、微力でしかないわけなんだろうか?
民主主義の国アメリカの国民の持っている権利も、随分、粗末だと思わずには居られない。

だってさぁ、そりゃ、そうだよ。
イラクの人の事を、まったく考えられない自国中心主義なのだとしても、
911で亡くなったアメリカ人の数と
その報復の為にアフガニスタンやイラク戦争での戦闘で実際に亡くなったアメリカ兵士の数と
どっちが、多いか、考えたらわかるはずだよ。
しかも、亡くなるまでの苦しみや悲しみに耐える時間の長さだって
亡くならずに帰国できた人の、背負わされた、
これから先ずっと抱えなければならなくなった問題にしたって
いくら、情報が圧力を受けているとはいえ
考える事を、避けて避けられるような事ではなくなっている筈だと思うよ。

911に対しては、あれだけの憤りをもって
罪の無い人達まで、傷つけ殺害しまくる事を容認するだけの怒りにかられた人々が
同じ同胞の人々が、これだけたくさん政府によって”殺害”されている事を
許していられるのは、何故だ?
イラクに送らなければ、戦死しないですんだ人々を
これだけたくさん失って、
しかも、彼等を戦地へ送った指導者は、平然としている事を
アメリカの人たちは、どのように見ているんだろう。
(ひゃあーとか歓声を上げながら紙ふぶきを飛ばしているのが、
全てではないはずなんだけど)

戦争は、イラクの人達に何をもたらしたか
世界中のたくさんの人が、それが、”自由”ではない事を
よーーーーーーく知っていると思う。
世界中のたくさんの人が、それを知っているという事を
アメリカの人の中にも、知っている人は少なくない・・・と思う。多分。

さて、棚の上に上げたモノですが。
そんなアメリカに誰がした、と。
アメリカの人だけの、責任か、と。
何処かが、お金出したよね、支えにもなったよね、と。

少なくとも、今後これ以上の事をできるようになっていいのか、と。
思いつつ、

静去


          ●


6月25日に長新太さんが、亡くなっていた。

亡くなるという事と、繋がらない印象を持っていた方だったが
亡くなってしまったのだった。

空のどこかにぽっかり浮かんでおられるような気がしてならない。

めも

【カイロ29日共同】AP通信によると、イラクの首都バグダッドで28日、
地元テレビ局「アッシャルキーヤ」のディレクター、
バクリ氏が米軍の車列に近づき、米兵の銃撃を受けて死亡した。
この1週間にバグダッド周辺で米軍に殺害された報道関係者はこれで3人目となった。

 同局は、バクリ氏が交通事故現場を通り過ぎようとした際、
米軍に気付かなかったため、撃たれたと説明。
米軍は事件の報告がないとしている。

 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)は
米軍などに事件の調査を要求した。

 バグダッドでは24日にも、米系報道機関で働くイラク人記者が米兵に殺害された。
米部隊の警告に応じなかったためとみられる。

 また26日には、地元テレビ局で働く女性記者が、
米軍が武装勢力に反撃した際に、撃たれて死亡した。