martedì, maggio 31, 2005

Baghdad Burning 更新

移行政府による武装組織の掃討作戦つって報道されるけれども
誰が捕まってるのか、よくわからない。
なんやら、地位のある人で、もともとがその人がどういう人か知られている人の場合
誤認逮捕だと認められて釈放されるみたいだけど、
ただの雑貨屋のおじさんだったりした場合も
間違いでしたって、認めてもらえるのかなぁ・・・

この誤認逮捕もひとつのメッセージかもしれないと
書いてあるような気がするけれど
なんにしろ、裁判でひとりひとり綿密に逮捕理由とか罪状とか検証されるわけでも
無さそうな気がするし、ここから受け取れる別のメッセージは
歩いていれば脇の車は爆発するし
どこでいきなり撃たれて殺されるかわからないし
家の中でじっとしていても、踏み込まれて窓は割られるわ物は壊されるわ
わけわかんないまま逮捕されて拷問されるかもしれないわ
という状態に、イラクがなっている、っていう事かと思う。

少なくとも、人々が”解放された。自由になった”という状態ではないのは確かだ。
頭打ち抜かれて河に沈められたら、民主主義もへったくれもない。
で、このような結果をもたらした戦争に、無条件に支持を表明したとき
その支持表明は撤回されなかったんで、日本の国の多数派の判断能力は
そういうものだったんで、
そんな国が、戦争の道具と、戦争のできる体制なんか整えたら
正しい戦争なんていうのは、ありえないと私は思うけれど
とにもかくにも、間違っていようとなんだろうと
また戦争をするのではないかと思う。



being funded by the American people.
・・・日本って、アメリカだったのかぁと錯覚しそうになる。

the majority of Sunnis and Shia
just want to live in peace as Muslims- not as Sunnis and Shia.

こういう時、特定の国の宗教というものが
(今、なんだかそこに矛盾する事がごたついてますけれども)
”無い!”筈の日本は
本来、どちらの顔もつぶさず仲裁に
間に立てるはずの立場だろうと思ってたんだーる。
ところが、ただ単に、本当の戦争の理由は宗教じゃないんだよって事を
身を持って示すかのように、
何の躊躇も無くかたっぽの側についちゃったんだーる。
イスラム教の人々を排する事は無理だと思うが
仮に成功したとしたら、アメリカ政府は、
戦争を行う為の理由として、また何らかの別のものを
探し出すと思う。大統領が、実はキリスト教カトリック信者であると同時に
珈琲にはミルク入れる派なので、
ミルク入れない派は、全滅させてみたいと思います。
ミルク入れないと胃に悪いから、悪である、みたいな。
カフェインが子供の脳みそに悪いから、ミルク入れないのは悪魔であるとかゆって
だから、殺しちゃえって言いだしそうな気がする。
(その前にもう少しだまくらかすのに
説得力のありそうなものを選ぶ可能性はある。)
で、日本には珈琲以前に日本茶もほうじ茶もそば茶もあるにもかかわらず
日本の総理大臣は、ああ、そう、ミルク入れないのは悪だ、駆逐しなければ
とか、言っちゃいそうなんだよなぁ・・・・・

sabato, maggio 28, 2005

所により

アフガニスタンで拉致されたClementina Cantoniさんについては、
アフガニスタン政府と、イタリア政府による救出交渉が続いていて
拉致犯行側が提示する期限の延期を、繰り返しているようだ。
イラクで起きる場合と違って、犯行組織からの要求もアフガニスタン政府に対する捕虜の釈放だし
イタリア政府も、人質の人に対して敬意を表して熱心に交渉を続けている為に
訴えどころが特に無いせいか、イタリア国内での集会やデモに人数が集まらず
その事を憤慨している文章をいくつか見た。
それでも、集まるべきなのに、というような。

・・・・・憤慨も場所によっていろいろだなぁ。

(アフガニスタン国内では、拉致犯行者に対して
早く無事に解放するように、と訴え
また、目撃者に対しての情報提供を求めるためにも、デモが続いているようです。)

戦争犠牲者

イラク戦争の7人目の日本人犠牲者が出たようだ。

崖崩れが起きる前、ぱらぱらと小石が転がってくる、という。
終戦後60年、またぱらぱらと戦争で亡くなる人が出てきた。
崩れるのだろうか?

そうはいっても、というかすかな期待のようなものもあったわけだけど
現実は、やっぱり、恐れていた想像通りかもしれない。
表立っては、見えなくても、水面下では救出交渉みたいなのが
行われるものなのじゃないかと思うところもあったのだけど
現実は表立って見えるままに
郵政民営化や、靖国神社への参拝に固執してそれを続ける為の詭弁
そういう事で、エラい人々の頭はいっぱいだったわけだ。
下々の者には関心ござらん。
これが、この国の国民が選挙で選んだ代表者の方々でした。やっぱり。

今現在、家族や友人がイラクに派遣されていて
その無事を願っている人は、本気で状況を直視した方が良いような気がする。
本当に強く思う人が言葉にしないと、事はなし崩しに進められるし
本当に大事に思う人が、それを言葉にしないでいたら
誰も、戦地で働かされているその誰かの無事の為に動く人はいないままになる。
本来は、それが職務の人が居るはずなんだけど、
お金に替えられるものと思われている。
後から追悼すればいいものと思われている。
目の前にいて欲しい人が、目の前にいて欲しいと、
そう思っている本人は言わないままでいていいのだろうか。自由だけど。
板だの紙になった存在は、もう、何もしゃべらないよ。

でも、設備維持とかで出向させられるような人は
秘密義務があって家族とかにも赴任先を告げられなかったりするのかもしれない。
外国から派遣されてくる武器を持った部隊のための施設の、設備維持だったら
地元の人達は、友達とみなしてくれるだろうか?
何故だかわからないけれど帰ってこない、なんて、事になるのだろうか。

無事を祈るならば
今無事なうちに、帰ってきてもらうのが、一番良いと思う。
取り返しのつかないことっていうのがある。

venerdì, maggio 27, 2005

BORDER

この時期放送のCMの中で
一番目と二番目に好きだったCMが、
観ないなぁ、運が悪いのかなぁと思っていたら
苦情で放送中止になっていたらしい。

日清カップヌードルと、金鳥のスプレーのCM。

なんてこったなんてこったなんてこった。

あのね、
あの少年篇を、少年兵への賛辞だと思うのは
まかりまちがいだからっ。
自分がまかりまちがったからっつって、
他の視聴者がみんなまかり間違うと思ったら大間違いだからっ。
あのCMは、世界の大人が、各国の子供に銃を持たせたままにしている事の切なさと
武器と青い海との、不調和を描いているんだと思う。
それを、まかりまちがってかっこいいと思ってしまうような人が居たら
周囲は訂正したれよ。
残念で残念で残念でならない。

CMをひとつつぶしたって、
世界で銃を持たされている子供達は居なくならないし、
日本でたくさんの人が、その事実を知らないというのは
悲しい事なんだから。

あーあ、せっかく好きなのに。返してくれ。

”世の中おりこうさんが多くて疲れません?”


ちなみに、3番目は
「人類はつまらない争いごとはやめて
トレハロースのことを学んだらどうですか
それが進化ってもんですよ」っていうCM。
かなり賛成。

mercoledì, maggio 25, 2005

まずは材料から

日本の国の総理大臣や閣僚の靖国参拝について報じられる時
いつも、羽織袴で神主の方と一緒に歩く首相の映像などしか映されないですけれども
境内の中の様子、併設されている施設に陳列されているもの
そこに書かれている文章なども、放送されるべきなのではないかな、と思います。
基本的に、この問題については
”靖国神社にA級戦犯も祀られている事”が重要視されますが
確かに、それも争点だろうとは思いますが
本当の問題の焦点は、この靖国神社に参拝するという事が
どのような意味を持つか、
どのような意味を持つと受け止められるのか
という所にあると思います。
であるならば、この宗教施設が、
過去の日本が行った戦争というものをどのように捉えていて
この歴史上の出来事に対してどのような姿勢でどのような立場で居るのかを、
政府の要職にある人の参拝に対して判断を下さなければいけない国民は
知る必要があると思います。
靖国神社は、それを正しいと信じて観覧施設を作り展示物を
並べているのでしょうから、公式に参拝される場所としての是非が問われているとき
それが放送される事を、拒否するのであれば、その理由が不思議です。
首相はじめ閣僚の方々も、この施設のあり方が正しくて
周辺各国から、これだけ止めてくれと求められているのに
この各国との友好関係を壊してまで、参拝を続けることを
貫く必要があると考えるくらいであるなら
それがどのような行動であるのかを明確な形で
一般に知らされることを、拒むならそれは不思議です。
もし、この神社の境内、併設施設の映像を放送される事を阻む動きがあるなら
そのような動きがあることが、知らされてもいいと思います。

日本国籍を持ち投票権を持つ人達が、
過去の歴史を学び、
靖国参拝の問題についても考える必要があるのも確かですが
それと同時に、その為の材料は、客観的に公平に提供される必要があり
なのに、今のところ提供は充分でないと思います。
今あるものは、これは、これ以上になく確かに、今あるでしょう。
展示品は、今、展示されてるでしょう。
万博の中だって、ディズニーランドの中だって
展覧会の中だって、デパートの中だって放送されるのだから
現在、アジアのお隣さんたちとの間で起きている問題の中に、
具体的な固有名詞として出てくる施設の内部が
放送されないのは不思議。

それともあれですか?
もしかして、退避勧告なんざ出ていて
報道関係者さんも、自己責任なぞ問われたかねいなら
金輪際入っちゃいけねぇって、お達しでも出てるんですかい?
ビザが下りないとか。

lunedì, maggio 23, 2005

不眠症こじれる

より高い殺傷能力破壊能力を持つ武器の開発を競い
人間同士に殺し合いをさせる戦争を
肯定しきる事ができる可能性のある、唯一の考え方があるとすれば
「人類は、人間以外の地球上の生物、もしくは地球という惑星にとって
有害種なので、人間以外の生物がお互いバランスをとって存在し続ける為には
人間は絶滅する必要がある。その為に、戦争をする。」
というものかもしれない。
人類が、地球上の人類以外の生物の生き残りを阻んでいる事は無く
地球という惑星にとっても、迷惑極まりないという事も無い、
と断言できる為の確実な証拠を並べる事は、
現状を見ればそりゃちょっと難しいかもしれない。
戦争以外にも、より、他種生物に迷惑をかけずに絶滅できる方法はあると思うし
それが本当に自然の摂理なのであれば
新しい個体が発生しなくなる、などの、このもっと穏便な方法で
自然は働くのではないか、とは、反論できるけれど。

ただ、これを主張する存在が、本気で人類が絶滅するべきで、
この惑星に存在するべきではない種の生物である
その為に戦争は続けなければならない
と信じるのであれば
信じているその存在は、
存在しているのだから
”存在するべきではないと信じているところの人類”の中の1人ではない
という事になる。

あんた何者?

domenica, maggio 22, 2005

少数派

Iraqで3月28日に拉致されていたルーマニアの報道関係者が
解放された。Prima TVの記者のMarie Jeanne Ionさん、
撮影のSorin Dumitru Miscociさん、Ovidiu Ohanesianさん。
彼等のガイドをしていたイラク人のMohamed Munafさん。

拉致して人質にして、処刑すると脅迫したり、
命と引換えの交換条件を提示したりする事は、許されないと思う。
他の方法は、何か無いだろうか、と思う。
だけど、そうやって拘束された人を、無事に解放し帰した事は
認められなければいけないと思う。
イラクに住む人は、新政府の警察からだか、どこの軍隊の兵士からだかわからないが
何の理由も無く、逮捕され連行されて、遺体となって発見されて
その一人分について、国際的にニュースにならない。
基本的には非難されるべきこと、として取り扱われない。
納得行かない。
拉致して人質にして銃を突きつけたりするのも、
無差別に辺りの人を巻き添えにして自爆するのも
自動車爆弾を仕掛けるのも、砲撃するのも
勿論非難されるべき事だし、
地元の人の仕業と見せかけて、爆弾仕掛けるのも
刑務所という設備に理由無く拘束して、対象者の宗教をむやみに冒涜したり
物理的にも精神的にも傷つけたり苦しめたり殺したりするのも
勿論非難されるべきだと、思う。同じように。

地球上に人間はやまほど居て、それが人間世界なんてものを作っていて
国際というのは、その全員を対象にした事だと思う。
とすれば、その全ての視点を持つのが理想であって、
どうしたらそうできるかわからない所は、試行錯誤されるわけだけど
こういう、どうみたって、あるのにもかかわらず、
取り上げに差がついて、意識的に遠慮される視点が
あったままにされるっていうのは、
どうもよくわからない。
絶対的な人数考えたって、さぁ、
権力を持っていて強い立場にある人の数よりも
そうでない人間の数の方が明らかに多いのだから
不特定多数の人の関心における重要度で取捨選択されるにしても
影響を受ける側の人が多い方が、
つまりー、大切にされていなくて苦しんでいる、もしくは
苦しむ事になる側の人間の方が、多い側からの視点の方が
なぜか、その全部が現在進行形で無いばかりに
マイノリティ扱いなんで、なんだか、こう、納得行かない。

軍隊を動かす権限を持っている、政治上実行力のある立場の人間なんか
裏表の存在を合わせて地球上全部あわせても、
たいした人数じゃないと思うのだけれども。

ウズベク

ウズベキスタンで殺害された市民は
1000人を越える可能性があるらしい。
大きい所は、宗教によるものとしているけれど
市民への直接の取材では
そうじゃないと言っているみたいだ。
1000人もの
しかも、その内の何割かは国外に退避しようとしていた人々が
子供も含めて全員”武装過激派組織”だったとは思えない。
Watching

”民族紛争”と言うから、紛らわしい。
”民族いじめ”って呼ぶのは、どうだろう。

東京人でも、大阪人でも、東北人でも、九州人でも
北海道人でも、沖縄人でも
そう呼ばれただけなら、多分それだけの事。
でも、それを理由にいじめられたら、怒る、でしょう。
それを理由に
不当な扱いをされたり、差をつけられて蔑視されたら
何か強い感情に繋がると思う。

そのように考えると
学校でも職場でも地域でも、人の集まる至る所で
あらゆる理由をつけて
いじめが横行してしまうような
村八分の風習が残る社会の中での、
難民の人たちに対する対応が
まるっきり、人権を無視した形になったりする事も

理解してたまるか。

パッキャマラド

アフガニスタン政府に委譲され現在診療停止になってしまった
ダラエ・ピーチ渓谷の診療所は
別名が、「沖縄ピースクリニック」。
沖縄の、平和への気持ちが託された診療所だったのだった。

アメリカ政府が、関与して作った新政府による
医療行政の背後に、米軍の民生局が関わっているから
そういう医療行政が、運営をすることになった診療所は
「米軍の手先」に見られるようになってしまった。
また、この政府行政の采配は現場の事情を踏まえていないので
結果、機能停止になった。って事でいいのかな。

沖縄の80%以上が
辺野古へのアメリカ軍基地の移転に
反対しているそうだ。
にも関わらず、その基地の建設の為の調査が
強引に進められようとしていて
地元の人たちが、調査を阻止する為に、
海に出ている。
毎日、というのは、2文字だけど大変な言葉だと思う。
人は、お腹も痛くなるし、眠れないときもあるし
悲しいときもあるし、眼が回るときもある。
交代でやっているにしても、
海は、雨が降るときもあるし
寒いときもあるし、風が吹くときもあるし
太陽の照りつけがひどいときもある。
そういう毎日、海に漕ぎ出でて、装備が充実した業者の人々の
強行的な業務に抵抗しなきゃなんない。
つまり、和やかな気持ちでいる事さえできないだろうと想像する。
それどころか、暴力的な扱いを受けて
溺れそうになるような事もあるという。

アメリカ軍基地ができる状態というのは
アメリカ軍が、武器や戦力を持ち込んで居座る、という事で
アメリカ軍が、武器や戦力を携えて居座るという事は
アメリカ軍は、どう言うのか知らないけれど
中東の国において現在、
地元の人が切実に必要としている設備が
それにもかかわらず”敵視される”原因を作っている、それと同じ事だ。
ものすごく、大事な場所さえが
誰かの敵と見えるようにしてしまう
そういう影響を与える出来事なわけだ。

いつ落ちてくるかわからない
事故が起きても、被害が出ても
事情が明らかにされない特殊なでっかい飛行物体が頭上を支配する。
何をやっても、この国においての司法に裁かれない人達が
しかも、できるだけ良心の呵責を受けずに殺人ができるよう調教された人達が
町を歩き、アルコールを摂取する事もある。

で、しかも、更に、それは
どこかから敵視される原因にもなる。と。

だから、沖縄の人たちは、
この基地移転を阻止する為に
毎日、海に出ている。


アメリカの国の人々に対して
アフガニスタンの山岳部に住む日に焼けたおばちゃんが、裸足の子供が
一体、何をしたというのだろう。
アメリカの人々に、
沖縄の漁師さんが、小学生が、数々の傷をくるみこんで生きて来た高齢者が
何をしたというのだろう。
何か、しましたか?

アメリカの自由を奪う存在があるとするなら、
それは、自らの内にある
個人の自由を束縛し報道の自由を弾圧する力を持ったものだと思うのだけど。
アメリカの自由も、アメリカ以外の国の自由も
アメリカの兵隊は、守らないし、壊していると思う。
それを実現化しているのが
日本の経済支援、投資だとしたら、
その日本の支援できるだけの経済力は
徹夜して働く、普通の人達によって成り立っているわけで
けれども、日本の国の政府なのに
日本以外の国の政府の要求を重視する、こういった政策を決定している人達は
日本の国の普通の多数派の人が投票した結果、選ばれちゃった人達で、

・・・・・
パオパオパパパ
パッキャマラードパッキャマラード
パオパオパ

どうすんだよっ

sabato, maggio 21, 2005

めも

Hamid Karzai氏の新たな約束と、Clementina Cantoniさんを
拉致したと見られるTemur Shah容疑者との新規の連絡は、
カブールでさらわれた支援活動者にとっての
希望の混じった更なる苦しみの日々が続く事を示す。
Clementina Cantoniさんは、まだ生存しており
人質を撃ったのではないかと思われた容疑者は、
「いくつかの方面からの訴えかけにに従って、彼女の解放の為の最後通告を
明日19時(イタリア時間日曜16時30分)まで延長する事に決めた」
と伝えた。

France Presseへの電話(注 Clementina Cantoniさんの携帯電話からのものだと思う)
の中で、拉致犯行グループの指揮者は、人質の状態について
「あまり良くないようだ。眼が化膿している」とし、また、解放の引換えの条件についての
詳細は明らかにされなかった。が、政府関係者によればShah容疑者は母親の釈放を要求しているらしい。

この電話は、Ahmid Karzaiアフガニスタン大統領の記者会見の数時間後に、かかってきた。
記者会見で、大統領は「彼女をなるべき早く救う為に全ての手を尽くす。」と約束し
「私達は彼等が何者であるか、そして、犯行の動機も把握している。けれども
これ以上のことは言えない」と付け加えた。
「私達は、彼女が無事に解放される為に動いている。そして、彼女の解放を
アフガニスタンとイタリアと、アフガニスタンの人道活動の為に望んでいる」
と締めくくった。

朗報は調査関係者周辺からも届いている。Timor Shah容疑者はタリバン政権期に、
カブールの警察の第二管轄区所長だったようだ。
「であるから」と情報提供者は述べた、「彼は調査のやり方をよく知っている。そして、
交渉をどのように運んだらよいかも熟知している」そして、交渉は
「たとえ、長期にわたるものではなくとも、
状況が、ポジティブな解決を迎える為に、知識の全てを尽くして、続けられるだろう」とした。

今朝、Clementinaさんの父親 Fabio Cantoniさんは、「間近の開放について話し合われている
中に惑わされては居ないが、同時に昨日の報せによる落胆の影響を受けて、絶望しているわけでもない」
「とにかく、私達は外務省が進めている事に大きな信頼を持っている。」今まで、家族の知人を
通して話してきたFabio Cantoniさんは強調した。「確かな情報を待っている」
「私達が、報道への会見へ応じてこなかったのは」と、支援活動者の父は締めくくった。
「敬意が無い事によるものではなく、逆にあなた方の仕事と、気遣いには感謝しているが
ただ、私達が完全にプライベートな中でClementinaの事に集中する事を必要としている為である。」

人々の動きも強まっている。今朝カブールの各所でCare International と共に始められたいくつもの
デモは、イタリア人人質女性の顔写真を掲げる。そこには、「彼女を解放して!」と書かれている。
その中の小さな行進には、現地語による訴えかけの言葉と、アフガニスタンの子供を抱いて微笑むClementinaさんの写真がみられる。

「彼女を助けてください。拉致されました。見かけませんでしたか?」
写真に添えられた言葉は、そう読まれる。
「彼女は、アフガニスタンの為に、善意によって3年間働いている。
彼女は50000人の孤児と、10000人の、配偶者を亡くした女性達の為の計画の
責任者だ」
この看板には、何か知っている人は、誰であっても
Kabul 0202200159に情報を寄せてくれるようにと、呼びかけている

(21 maggio 2005)

訳はかなりいい加減です。

giovedì, maggio 19, 2005

めも

ROMA - Nuove minacce di morte per Clementina Cantoni:
un uomo che ha telefonato dal cellulare della cooperante italiana
ha detto che l'ultimatum scadrà alle 10 locali (le 7,30 italiane).
"Fra un'ora la uccideremo" ha detto un uomo che si è presentato
come Temur Shah e ha telefonato alle 9 ora di Kabul all'agenzia France Presse.

Fonti locali hanno indicato in Shah
il sospetto sequestratore della Cantoni,
anche se i funzionari del governo di Hamid Karzai
non si sono sbilanciati.
"Abbiamo fissato un primo ultimatum alle 19:00
di mercoledì sera (locali, due ore e mezzo prima in Italia),
che abbiamo prolungato fino a questa mattina (giovedì) alle 10:00
(le 07:30 italiane). Passato questo tempo, potremmo ucciderla",
ha dichiarato il presunto sequestratore
della cooperante italiana raggiunto dall'Afp
sul telefono portatile di Clementina Cantoni.

Sembra che il governo non voglia negoziare con noi
- ha detto ancora il sequestratore - e accogliere
le nostre richieste. Stanno cercando di localizzarci per arrestarci".

La Cantoni è stata rapita lunedì sera mentre
in auto attraversava il quartiere di Qala-e-Mosa, a Kabul.
L'indomani i rapitori si sono fatti vivi
chiedendo la messa al bando della vendita di alcolici
in Afghanistan e di un programma televisivo musicale.

Il primo ultimatum era stato fissato alle 21,30 di ieri,
ma i sequestratori lo avevano esteso fino a questa mattina
minacciando che si trattava dell'unico e ultimo rinvio.

(19 maggio 2005)

新しく、民間の報道事務所を通じて脅迫の要求が出されたようだ。
Temur Shah と名乗る人物が、Cantoniさんの携帯電話を使って
述べた内容は、政府は彼ら犯行組織の要求を認めて応じる気がないようで、
現在彼らの居場所をつきとめ逮捕しようとしているようだけれども、
一回目の期限は既に過ぎている。現地時間の朝10:00に期限を延長する等

mercoledì, maggio 18, 2005

戦争の感触

Baghdad Burning 更新

まったくもって
人間は国籍によって違ったりはしない。

こういう話は、ずーっと
歴史上のあらゆる戦争の中にもある。
そして、戦争が終わったときに
もう繰り返さないと誓われる。
人間は鶏に劣る。
少なくとも鶏が三歩で忘れる事は
ここまでひどい間違いをした事ではない。

実行者に都合の悪い者が罪を着せられたり、
不安を煽る噂が流布されたり
ざわざわざわざわ

ニュースを仕事にしている人なんていうのは
普通よりも、
年表だって、歴史の内容だって
よっくご存知なのじゃなかろうか?
テロリストによる自爆テロがって言い切る時に
どれくらい、それを言い切っていいかどうか
知っていることを生かして考えているんだろうか?
にゃあー?うにゃー?

本気でイラクの治安を回復させようという意思があるなら
イラクの一般の人の怒りを、わざわざ
考え付く限りの方法で煽る必要も無い筈だっていう事が
戦争の本当の目的が何かっていう事が
何故理解されないの?
もしくは、
理解したうえで、何故支持できるの?

民間人は殺していないとか、
爆撃は誤爆だったとか、言いつくろっていたのは
ほんの数年前なんだけれども
今や、繕う手間は省かれてしまって
それでも、戦争は続けられている。
犯行者が思っていたよりも
人類は、更にずっとだめでした。

安否?

鶏肉報告書が更新されない。
5月7日までは、生存が確認されているはずだが。
ウズベキスタンについて、さっぱりわからないので
何かご存知かも知れないと思ってそれも見たかったのだけど
それどころか、22日間も更新がされないもんだから
まず、ご存でいらっしゃるのかどうかが知れない。

結構頻繁な日記だったので、
余計かつ無駄な心配をしている。

付 13日までの無事が確認された。
本当に実に、余計かつ無駄な心配であった事が知れた。

quella giusta !

KABUL - Nuovi segnali di speranza per la sorte di Clementina Cantoni,
Clementina Cantoniさんの、安否に関する希望の新しい兆候が見られた。
アフガニスタン政府は拉致した組織と直接会話をし、
イタリア人ボランティア女性についても話したと伝えた。
”彼女の健康状態は良好であり、」と、Lutfullah Mashal外務省広報担当者は言う
「彼女の安全についても保障された。
私達は彼女が平和的手段において救出されるであろう事に
大いに希望を持っている。」

”コンスタンスな接触”を確約した後、Mashal氏は
拉致犯行組織が、先月一部逮捕されたTela Mohammadグループの
メンバーであり、統率者はじめ現在拘束中の組織員の解放を
要求している人間達と同一である事を否定した。
Mashal氏ははパキスタンに本部のある'Afghan Islamic Press’の取材に対し
「Tela Mohammad組織との接触はもっていない。人質事件を起こしたのは、彼等ではなく、
別の人間達である、」と語った。

別の人間達とは、何者たちなのかについては彼は口を閉ざした。
(推測される犯行組織についての分析 
通俗的な盗賊集団だと思われ
イスラム原理主義組織や元政府軍兵士を含む人民軍でも
アルカイダ組織の繋がりも無いだろう云々略)

昨日、イタリアの政府機関の関係者は(?)
彼の若いミラノ人(Cantoniさん)の電話での声が
録音されたテープを聞かせされた。
彼女は、その中で自分の名前や個人的な情報のいくつかを述べ
全て、正しい情報だった。
それによって、人質となった善き若者の無事解放への道筋が続いている事に、
捜査に携わっているこの関係者は、確証を得た、とされる。

La Repubblica.it

細かい形容詞が、泣かせる。

Gli uomini dell'intelligence
hanno così avuto conferma
che la strada seguita per arrivare
alla liberazione della giovane rapita
in Afghanistan è quella giusta.


アフガニスタン政府が明らかにした所によると
アフガニスタン警察はカブールで人質となっている
Clementina Cantoniさんと会話をした。
広報官Luftullah Mashal氏によれば、
連絡はCantoniさんの携帯電話を通じて行われた。

以下略

adnkronos.com

めも

イタリア外務大臣Gianfranco Fini氏は
イタリア政府は、アフガン政府関係者との連絡で
人質となっているClementinaさんの安全を確認し
彼女のできるだけ早い無事救出の為に
可能な限りの手段を尽くすと述べた。
犯行グループとはアフガニスタン当局を通じて連絡を取れている。

http://www.metronews.it/det.php?id=34004&fid=adnk_id抜粋

Ai giornalisti che gli chiedevano se i rapitori di Clementina Cantoni in Afghanistan avessero chiesto dei soldi per la sua liberazione, Fini ha risposto: <È una questione sulla quale riserbo, discrezione e prudenza sono doverose per raggiungere l'obiettivo. Ancora una volta - ha aggiunto - si tratta di non lasciare nulla di intentato per liberare una nostra connazionale che era impegnata esclusivamente in missioni umanitarie>. Una donna che lavora per una organizzazione non governativa e che si è impegnata <in particolar modo dedicando tutta la sua attività alla nobile causa del popolo afghano e delle donne>.

身代金の要求についての質問をした報道関係者に対し
Fini氏は、「それは、よい結果をもたらす為には
慎重に注意深く扱うべき問題だ。」とし
「私達の同胞であり、人道的な支援の仕事に従事していた彼女を救う為には
どんな方法も除外されるものではない。」と付け加えた。
非政府組織で、働いていた女性、彼女は特に献身的な態度をもって
アフガニスタン民衆、女性達に関する事柄という気高い仕事に従事していた。
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Esteri/2005/05_Maggio/17/rapita2.shtml

・・・訳 すごく自信ない。

ma, mi lascia piàngere?
Quanto siete ammirèvoli.........

益害

アフガニスタン首都での拉致事件
職員が人質になれば
それまで続けられていた支援活動も
それまでどおりには進まなくなるでしょう。

http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/83nakamura.html
↑掲載手記のアフガニスタンの山岳部において
診療所が診療停止にされた事も、また思い出しました。

各国政府によるもの、民間の組織によるもの
いろいろな武装した人々が、武器を持って実力行使をする中で
一般の人たちは、困窮し、
ただでさえ困難であるだろう救援活動も
結局、武器による力、権力による力のごたごたの為に
続けることの困難さが増していっているようです。

結局、軍隊というもの、戦力というもの、武力というものの
生み出す結果は、いつもこういう事なのだろうなと、思います。
普通の人は、誰によってであっても、
不幸になっていけば辛い事に変わりはないです。
つくづく、戦力の不保持、という事が、
どれだけ筋の通った大事な事かと思います。

軍でも隊でも組織でも、なにしろ武装した人々を、
強そうに頼もしそうに見る人もいるかもしれません。
けれど、私には、その強さが
日本でも、また、武装した彼等が派遣されるどこかの国においても
私達普通の人々にもたらすものが、何かを考えると
鬱々とした不安にかられます。

同じペシャワール会の14日に更新されている報告の中に
武器ではなく、作業道具で行われた仕事の結果が見られます。

灌漑水路から、分水路が畑にひかれ、水が注ぎ込み穀物の芽が出ています。
パキスタンに出稼ぎに出ていた、難民になっていた人々が
農地を耕す為に帰ってきているそうです。

出稼ぎで、出稼ぐ事ができずに、武器を手に取った人もいたかもしれません。
故郷に戻って、緑を育てている事は、誰の命も脅かさないでしょう。

まとまりませんけれど、
まとまらないくらいに強く思います。
とにかく戦力は、ほんとに、ろくなことしない。
持たないに限るって。

小さくまとまった世界地図で物事を考えると
本当の土地の大きさがわからなくなるものなのかもしれません。
画面におさまりきる朝鮮半島の脅威よりも
怖いものがあります。
国益という所からだけではなく
ひとりひとりの、日常の生活からの視点でも
同じ事柄について、報道されていて欲しいと、思います。
国益というものは、誰のための利益なのか、どうもよくわかりません。
”利益の為に”、脱線した電車を見ても
誰のための利益なのか、わかりません。
普通の人々の、では、ないような気がするのですが。
”利益”によって私達の生活に起きる事は、何ですか?

martedì, maggio 17, 2005

アフガニスタンで伊NGO職員拉致

つまらない事にくだを巻いている最中に
アフガニスタンでイタリア人NGO女性が人質になっていた。

拉致は、アルカイダとの関連の無い
ギャンググループによるものと地元警察は発表しているらしい。

人質になっているClementina Cantoniさん、32歳はミラノ出身で
昨年イラクにおいて拉致され、殺害されている
Margaret Hassanさんが所属していたのと同じ
カナダに本部を置くCARE International所属。
ブルガリア、コソボでの5年間の活動を経て
3年前からアフガニスタンで
戦争によって配偶者を失った女性達とその子供達に対する救援活動をしていた。
犯行は16日夜 8.30 TOYOTA車に乗った武装した4人組男性によるもので、
人質と引換えに、彼等のグループの統率者で、
逮捕されているTela Mohammedという名前の人と、Omara Khanという名前の人
その他グループ構成委員の解放を要求している。

17日朝、カブールの広場には、
Clementina Cantoniさん達による支援を受けていた
数百人のアフガニスタンの、女性達が訪れ彼女の早期解放を訴えた。
その中の1人は、「彼女は私達にとって神の次に頼みにしている存在なのに。」
と涙をぬぐった。


http://www.repubblica.it/2005/e/sezioni/esteri/afrapito/vedve/vedve.htmlなど
(後ロイターとか。

タリバンの広報担当者は
私達のムジャヒディン達は、女性を人質にしない。
今回の事件にタリバンとの関連はないし
犯行グループについても、まったく知らないと述べた。

彼女が拉致された地域は、
外国人もよく利用するHOTELやレストランがたくさんある場所で、
去年ビルマのUN職員がインターネットカフェで射殺されている。
彼女が所属していたCAREは、
昨年イラクにおいて拉致され、殺害されているMargaret Hassanさんが
所属していたのと同じカナダのNGO団体。

寒い

この国の国民の大多数が
自分のみを守りたい一身で、
自らの人間性まで殺して黙っているから
たまたま、それどころの立場じゃなくなった人が
人間的な言葉を発した事が目立ってしまい
集中砲火の標的になったんじゃないか。

家族が政治的発言をすることで
人質の立場が更に危険になる、などという状態が
一般に受け入れられていることが怖いのに。

人質事件のときに限らず
現在はそれが、悪化していると思う。
発言をする人が少ないから、
発言しようとする人も、余計発言しにくくなる。

それぞれの視点からの考え方を
個人同士の、相手に対しての感情を交えながら、という会話や議論の状態からのもの
ではなく人から、放たれた意見、考えの純粋な塊として、知りたい。
と、書いたことがある。

これは、ネットの掲示板などを見ていて、つくづく思った事で。
けれども、顔を合わせないネットにおいての、
文章のみの対話、議論だからというだけではないかもしれない。

勿論、実際に、顔を合わせる事による意志の通達ができれば、
言葉の行き違いは少なくなるだろうし、
また、お互いへの理解もより深くなるという事は、
間違いないとは、思う。
昨年の長崎の小学生による犯行の際、
掲示板などのWEB上のやりとりによる
特に幼年者の意志のすれ違いが、
このような惨事を招いた一因ともいえる、という説は
確かに、全てではなくとも一理はあると思う。正直。
でも、直接会話においても、
言葉のやり取りの中で感情的になってしまう事が
無くなりはしないだしょ?
結局、会話の中で自分の政治的見解なんか、気楽には言えないだしょ?

日本特有な事?それも、よくわからないけれど、
例えば、憲法九条は変えるか否か、
という論点に始まる意見のやり取りがなされているのを
ずっとたどりつつ読んでいると疑問を感じてしまう。
相手個人に対する”○○なくせに”であるとか、
”自分は○○であるのに、えらそうに”とか
”以前はこう書いていたのに、””あなたに、そのような事を述べる資格は無い”
といったものがとても多い気がする。
これが、理解できかねる。
これは、議論、なのかどうか。
権力的な立場、公の実行力を持った立場からではなく、
ひとつの意見を主張する一個人がいて、その人の”○×▲□◎”が、
国の方針について、どう関係があるのだろう。
権力的な立場の人のほうが逆に
「個人的には」と注釈すれば、何を言っても許されていそうだ。
だいたい、「意見を言う」資格ってなんじゃらほいな。
というか、巧くかけているのかどうかわかりませんけれど。(書けてないよ)

要するに、対話、議論という形になったとき
その意見自体でなく、何故か、
主張している人の品行方正さが、問題になっちゃう。
多分、意見のやり取りの目的が
良い結論を探し出す、見つけ出す、お互いの意見を理解しあう、というよりは、
いかに相手をやっつけるか、に変わってしまうせいだと思う。
これが、ネット上特有なものなのかどうかは、これまた、わからない。
現実においての人間関係でも
まずどんなものであれ、
意見がぶつかることを、とても恐れている空気を感じる。
例えば今観た映画が好きか嫌いかでさえ、
相手の顔色を見ながらでないと表明しにくい。
意見がぶつかると、そこに意見のぶつかりあいではなくて
相手に対する、悪感情の増幅だけが起きてしまう、
陰湿な仕返しを受ける事にも繋がる
という経験を、積んで来ている人が多かったのかもしれない。
ぶつかったら、ありとあらゆる方法を使って、とにかく相手をつぶす。
相手が孤立するよう画策するといった、
意見がどうこうとは全く違う話に発展したりする。
わけがわからん。
孤立させられるだけならまだしも、
場合によっては、失うものが多すぎる。
就職に不利になるらしい、とかね。なんでかね。
どこぞにおもねるのではない
自分の意見を発する人が少なければ少ないほど
叩きやすくなり、そういう仕打ちをされやすくなるわけだけれども。

結果、そういった事態に陥ることが怖くて
いっそ自分の意見を持つこと自体をやめてしまっている人たちも、
多いかもしれない。

これは、”教育のせい”かもしれないそうな。
個の意見を持つものを排除する事で制御しやすい人間を育てて、
支配しやすい社会を作るため、そのような教育方針というものを
この国はめだたないように少しづつ進めている、のかもしれないと。
そうかもしれない。

私としては、そのような現状の中での
直での”闊達な意見のぶつけあい”、には、多少懸念を感じる。
確かに、顔を合わせない中での誤解もあるけれど、
それだけでない、難しさを感じる。
こんな意気地なしにもかかわらず、
数年前、何度かこの”議論”にまともにはまりこみ、
これは、まず、体力が持たない。と思った。
個人攻撃の応酬は、意味が無い、と感じる事もあった。
更にそれが余所であれば、何より、その場の管理者に迷惑がかかる。
大事なのは、方向性としてどうしたら良いか、であって、
意見を主張する人の態度、であるとか、
返事をすぐに返さないのは失礼であり、失礼さをなんとかすべきだ、とか
そういう事ではないように思うのだけど。
ましてや、議論として個人が個人としての意見を発している所に
年齢や学歴や職業は何であるかとか、
”そんな人に”に何がわかるか、といったことになると
あー、という、気になる。
誰であろうと、考える必要はあるし、どんな人間から発せられたものであれ
良いものは良いし、悪い事は悪いであろうよ。
また、その判断もひとそれぞれだけどね。
大事なのは、その意見がどうかだと
私は思うのだけど、どうもそうはいかない。

議論を苦手とするのは
日本の国民性かもしれないと思うときもある。
議論とけんかの境がどうも、とてもあやふやに感じるときがある。
農耕によって、つまり地面に固定した状態を基本にする生活をしてきた先祖からの
山に囲まれた村のような所で、
周囲といさかいを起こすと、生きていけない時代もあっただろう中で
育て上げられた特性かもしれない。
環境の中で培われた様々な特性は
他面から見れば、悪いばかりでもないわけだし、
そうであるなら、また、その性質があっても可能な意見の交換のしかたを
工夫する必要があるだろうと思う。
放り投げて、意見を純粋にその意見だけでみるという方法は
私なりに考えた、方法だったのかもしれない。

それにしたって

物言えば唇寒し 春なのに。 

駄句。



読み直してみた。
我ながら混乱している。
しかも、これは、以前に書いたものの焼き直しなのに。
ちなみに、以前書いたときも混乱していた かも。

lunedì, maggio 16, 2005

鶏頭暴走

あーあ。

あーあ ったら あーあ。

まぁ、ちょびっと嘘だよね。
何人かの個人のコト尊敬した上で
応援もしちゃってるよね。
主張に見えないことも無いよね。
でも、押し付けじゃないつもりである。
内心の自由である。

べき、は、本来はこうであってほしい、という事であって
べきって書いたからといって
私は、誰に対しても強制できるほどの権限は持ってないし
持ちたくないし。
物事が良い方向に流れて欲しいだけ。
だからさ、それでも現実は悪い方向に流れているし

・・・・。
あ、だめじゃん、悲しいじゃん。

りべるてっ

私の大部分は、多分、童話でできている。
私の根幹は、童話だと思う。
童話をなめちゃあ、いけないよ。
童話は、大人が子供に対して、めいっぱい格好をつけ
体裁を繕い、あらんかぎり誠実になろうと努力して
理想と夢に希望を託して、ほとんど恥ずかしげも無いくらいに
真剣に書くものだと思う。
(そうでない場合も、あるだろうけれど。それはこの際例外)
まっすぐなので、幹にしやすい。

自由というのは
汝の欲する事をなせ
であると、
果てしない物語に書いてあった。
直接じゃないかもしれないけれど
私はそう書いてあったと思った。
汝の欲する事をなせっていうのは、
その結果も含めて全てがその人のやりたいと思うことかどうか
を判断し、(対象がある場合は対象にどのような影響を与えるかも含め)
そのうえで、善いと思うこと、自分がそうでありたいと思うことを
するという事だと思う。

その意思は、その人に自分を制御できる限りの範囲において
その人の良心や想いに託されるものであると思う。
限界は、限界ぎりぎりに設定されているべきだと思う。

他人を守ることを、”全国民の責任や義務”にするのはおかしい。
国に、それを義務付ける権利は無いと思う。
個人でも、それを別の誰か個人に強制したり義務付けたりする
権利は無いと思う。望むのも願うのも頼むのもできるけれど。

今またむしかえすけれど、
イラクで邦人民間人が人質になったときに
(この場合、元)官房長官としては、救出の為には、相手の要求を即座に
「必要ない」などと無碍に拒否したりせず
あらゆる外交手段を講ずるべきだったと思うが
福田康夫さん個人が、もし「むしがすかないから、助けたくない」
と考えたなら(私の勘、もしくは独断、そしてあくまで”if”)
人間としてひどいなぁと思うけれど
個人に対し、この考えを強制的に禁止する事はできないので
考えをどうしても尊重したいなら、公的な職務を辞するべきだったし、
国家公務員という職務に徹するなら、考えを優先すべきではなかったと思う。

人は、自分が一番大切なものを一番大切にする権利があると思う。
自分が一番大切なものが何かという事を、自分自身で選ぶ権利もあると思う。
民主主義国家は、その個人の良心による選択の権利を認め
尊重し保障するから民主と自称できるのだと思う。
本来はっ。

domenica, maggio 15, 2005

最低

http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4501737.stm

だからね、私は英語苦手なんだって。

というわけで、暗いニュースリンクを頼りにしましたところ
先月末、イラクのサマワなる、今では大変耳慣れた地名の土地において
ラムズフェルドさんが、フセイン元大統領さんに贈った
MADE IN U.S.Aの化学兵器によって、1980年代に
殺害されたと思われる1500体の、モストリーって、ほとんど?
ほとんどが女性と子供のクルド人の遺体、骸骨が発見された。

5体を除いたすべてが、女性と子供です。
・・・う゛わ゛ぁ゛・・・・

もひとつ。

といっても、同じ所にあったリンクだけどアルジャジーラ記事によれば
ドナルド・ラムズフェルド米国防長官は、
獄中の前イラク大統領サダム・フセインと極秘裏に面会し、
釈放と通常生活への復帰を約束する代わりに、
テレビでイラク武装勢力への停戦呼びかけを行うよう提案していた、
と報じられている。

ロンドンを拠点にしたアラブ系新聞Arab daily Al-Quds Al-Arabiの記事
を引用したイスラエルのオンラインメディアYnetnewsの報道によると、
サダムはその提案をすぐに拒絶したとの事。


しかしながら、或るイラク政府高官の話によれば、
サダムのバース党が政権復帰を要求しているとも報じられている


英テレグラフ紙2005/05/02付け記事によれば、
米国防総省はイラク駐留軍の撤退を今年12月から
開始するつもりでいるらしい。

年末といわず、今すぐ撤退すればいいのに
と思うが、撤退の準備として
独裁政権の建て直しを謀るって
おまいさん、そりゃどういう事だい

これは、アメリカ政府にとっては
「やっぱり昔からの取引相手との取引の方が
楽だわ」と思えてきたって事なんだろうか?
どちらにしろ、人々を殺してしまうのだから
戦争が”イラクの民衆の為の正義”ではなかった事は

いいかげん、わかってよ。
自衛隊撤退しましょうよ。
やだよ。
こんな側を支持するんですか。
そんな非道い国になっちゃうのですか?
もう、既に充分遅いけど
知らなかったから騙されたという言い訳は
どんどん、どんどん無理になっていくと思う。

めも

ウズベクの民間ニュースサイトは、14日朝に市内で新たな銃撃戦があったと伝えた。
また、13日の暴動では約300人が死亡したとの情報がある。
カリモフ大統領は会見で、アンディジャンでの暴動は
「約30人が主導し、携帯電話でアフガニスタンの人物と通話していた」
と述べ、アフガンのテロ組織との関連を示唆した。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050515k0000m030075000c.html
から抜粋

PM9:50
どうやら死亡者は500人を越えたらしい。なんてこった。
麻痺してはいけない。
麻痺しそうだ。

ある少年は「軍は、僕たちをウサギのように撃った」と訴えた。
http://www.asahi.com/international/update/0515/009.html?t1

ウサギのように見える少年が
”武装勢力の一部”にも見えるというのは
ウサギも武装勢力に見えるという事か。
そうとしか、説明がつかない。
子供も女性も”過激派組織”の”呼び出されれば、楯となって守る親類”
とみなし、発砲し、無力で傷ついた彼等に止めを刺して歩いた側の方が
過激じゃないとは思えない。
武装派じゃないとは思えない。
間違っていないとは思えない。
ウサギと人間の区別もつかないとしか思えない。

sabato, maggio 14, 2005

プレッツェル販促委員会←嘘

1人の人が、海越えてアフガニスタンまで行って
旱魃で水が無いから大量の難民が出てしまうと思って
用水路を掘る事に決めて
2年目で4.8キロメートルまで完成させた。
したらパキスタンに難民として出稼ぎに行かざるを得なくなっていた人々が
水が出たって聞いて、戻ってきたという。

人間の中から出てくる1人の人が、できた事って
すごい。人間には、こういう事ができる人が居る。

アフガニスタンの山村部に1991年以降ずっと
空爆中もずっと、職員が入れ替わりに診療を続けてきた
診療所が、活動停止させられたそうだ。
「テロとの戦い」のせいで!

人間の中から出てくる、ひとりじゃないのだろうが、
のほほんと良い生地の背広着て
SPに護られて高級車乗っかっている人達が会議かなんかで決めて
できてしまう事って、すごい(酷い)
人間には、こんなんも居る。
長生きするんだろうなぁ。

戦争が無ければ、兵士は要らない
戦争があるから、兵士の需要というものが生まれ
それぞれの事情で兵士となる人が出てくる。
まず、戦争をする事を決める人がいる。
もし危険な状況にあっているとして、
私が心から、そのまま放っておきたい人がいるとすれば、
この高級車組なんだけれども、
この人たちだけは
滅多に危険な状況にはならないんだよな。
プレッツェル食べてるときくらいしか。
プレッツェル売れろ売れろ。
あああ。

あ、そうか。
この人たちに権力を与えた人って言うのも
人間の中に入るのか。
特に民主主義社会の中には。
いろんな考えの人が居るからしかたがない、と唱えているうちに
頭ががんがんしてくる。
いろんな考えの人が居るのだから、
たくさんの生きていける筈の人が殺されちゃっても
死んでしまってもいいのか?
いいのか?

いいっていう考えが
わかんない。
私嫌だ。

戦力を保持するっていう事は
大量に無差別に人を殺せるようになるって事で
実際の所日本はそれだけの武器を多分保持しているだろうけれど
憲法9条二項があるから
やっと使えないぎりぎりの所を護っている。
あるけど、無い。からね。あっても無いものは、使えない。

普通、昔から放火魔は居るものだからつうて
放火を合法化するか?
おちおち眠れなくなりますがな。
どっちにしろ不眠症だけども。そういう問題ではなく。

憲法に合わせて、今ある武力を無くすのが本当なんじゃないか?

隣に住んでいる人が、あなたに攻撃されたくないから
っていって、拳銃やなんかそんなものを自分ちの方向に向けたとき
あなたも、銃を保持するですか?
ちゃうでしょう。
銃刀法違反だよって、いうでしょう。
攻撃なんかしないから、大丈夫っていうでしょう。
だって、両方で保持してけんかしたら
両方痛いでしょう。
話の通じない相手だから実力行使しかないっての、
確かに、話の通じない相手っていうのは、居るが、確かに居るがああ。
でもねぇ、話し通じないから殴るからっていえば
ますます話し通じなくなるんだよ。
「ああ、通じねえよ。いいよ。
じゃあ牛丼でもカツ丼でも撃っちゃうよ」って事になるんだよ。
通じないこと無いよねって、
通じないなぁと思っていても
通じないはず無いよねって言っていれば、いつか、通じるかも
しれないんだよ。

よく鍵と比較する人がおりますが
自分ちの鍵閉めても他人死なないから。ほんと。
鍵でいちいち死んでたら新聞配達なんてできないから。

martedì, maggio 10, 2005

いーやー だ!

自衛隊には、軍事訓練、戦闘訓練をしない
災害対策の為の救援隊という役割を担うようになって欲しい。
自衛隊が現在の状態で、ここに入隊する事が、
将来の武装兵士になる第一歩になっているかもしれない。
戦場で戦争に参加するための訓練を積み重ねて、糧を得た人が
この訓練で培った、戦闘に加わる為の技術によって職を得ているために
日本人の人が、どこかで誰かの敵になり、
誰かに銃を向け、誰かに銃を向けられる事になっている事は
たとえそれが国としての政策ではなくても、
同じ国の人間として悲しいし、心配だ。
当人に対しても、相手に対しても。
嫌だ。

戦争の練習をするから
戦争の本番に向かう事になる。
戦争の練習の為の環境が私達の税金によって整えられ
私達の税金で、戦争をできるようになってしまった人が
戦争の犠牲になる。
嫌だ。

邦人雇われ兵士となった人を
戦争ができるような人にしたのは、
私達かもしれない。
嫌だ。

戦争を永久に放棄した国なのだから
少なくとも、この国の国民には
戦争には、参加してほしくない。
戦争のできる人を、作る国であってほしくない。

イラクでまた拘束

日本人がまたイラクで人質になった可能性があるらしい。
WEB上に犯行声明が出たそうだ。

英米軍と契約する警備会社の発行する身分証明書を所持していたようで、
警備員だった可能性が高く、米軍施設で働いていた人らしい。

付 キプロスの警備会社の職員は9日、
拘束されたとする日本人が同社で働いていることを確認した上で
「イラク国内で24時間前に攻撃があってから、連絡が取れていない」と述べた。

まったく関係ないかもしれないけれど
以前あったハローワークの一件を思い出した。
関係ないよね?

lunedì, maggio 09, 2005

不謹慎

なるほど、テレビは新しい生贄羊を見つけたのか。
事故当日、後日、プライベートで親睦を深めていたJR職員も
不謹慎というなら、不謹慎かもしれないが
悲しむ遺族と、犠牲者がどのような方だったかをさんざん放映した直後に
にっこり笑って「では、次は話題のくじら君です。
ゴールデンウィークもたけなわ、大勢の家族連れが 云々」
は、不謹慎じゃないのか。

職員というのが、どういう職員なのかまでよく知らないけれど
「明日は我が身かもしれない」
「整備もできていない電車を、3時間ぶっ続けで運転させられて
一秒の正確さを求められ、失敗すればいじめられる。
神経ぎりぎりで、一歩間違えれば大惨事を起こすのが自分かもしれない」
飲まなきゃやってらんない程の不安感っていうのは、
そういう事は絶対に無いのだろうか。
そんな仕事の人なら、飲んだら飲んだで、リスクは高まるかもしれないが。

JR西日本職員だと不謹慎で、JR東日本ならどうなんだろ。
JR東海は?私鉄は?その間中ミスが連発されている飛行機は?
境界線はどこだ?日本中謹慎すべきだったか?
そんな中、日本国民が選出した政府が決断して
お金も旗もブーツも見せて支援している米軍がイラク西部アンバー州で
掃討作戦を強化”武装勢力”を75人近く殺害
イラクでは4月28日からの10日間だけで300人を越える犠牲者が出ているそうだ。
100人亡くなれば、100人分に
その家族達、友人達それぞれが耐えられないほどに悲しい。
300人亡くなれば、それが戦場であれ、
亡くなった事悲しい事に変わりは無い、と
思うのだけど、違うのだろうか?
戦争で亡くなるのは悲しくない?まさか。
戦場に生まれた自己責任って言うのかって
もう何度も思うんだけど。

戦力は何の為の物、
人を殺す為の道具。
抑止力として、という所から所持を始めても
持っている限りは、使えるという事。
人が死ぬ結果を生むものを、持っているという事に
人が死ぬ哀しみを知っている人が、耐えられるのだろうか。
何故。

venerdì, maggio 06, 2005

現実問題

仮に「北朝鮮が攻撃してこない」
と思うのが、なめてかかっている態度だとして、
なめてはいけないのだから、北朝鮮の攻撃に備えて、戦力を保持すれば
北朝鮮は、攻撃してこないかというと
攻撃する気があるなら、どうであれ攻撃してくると思う。
核ミサイル一個をとってみても、
日本にそれを向けて撃ち込んで爆破させたら
こんなに近い北朝鮮にその核の影響が及ばないはずは無いけれども
それでも核ミサイルを本当に発射する気があると思うのであれば
そういう事に気が回らない、という事で
それならば、いかに日本が戦力を強めても
それだから攻撃をやめようなどという論理展開もしないと、私は思う。

抑止力としての戦力と、よく聞くけれど
かなわないと思わせるための軍備の整備の必要という事が言われるけれど、
かなうと思えば攻撃してくるような国は
かなわないと思ったら、かなうように更に自国の戦力を高めて
結局、攻撃してくると思う。
自国の人々の状態を犠牲にして。ますます、飢える人が増えて。
それに対抗して日本も軍備を増強し続けるつもりなのだろか。
軍備を提供する企業は儲かるだろうが
それを買うのに使う税金は、福祉を削って回されるのではないだろか。
現実問題、人は必ず年齢を重ねる。
事故や災害も、必ず起きる。
そういった事のケアをないがしろにして、もしもに備えるわけ?

もしも、
で考えるならば
北朝鮮に侵略されて思想弾圧、民間人の統制をされるにしても
日本の政府が、民間人の思想弾圧や民間人の統制をするにしても、
される民間人にとっては、たいした違いは無いと私は思う。
今の日本は戦時中とは違うと言われますが
実際のところ、ドイツなどと違い
戦時中に日本の支配層に居た人々や、その子孫は
今も世襲されて、その辺に残っているっぽい。
考え方も、世襲されている可能性はあると思う。
第二次世界大戦中、日本の支配層がした事を考えれば
どっちにしても、一般市民が被るかもしれないことは
そう、楽しい事じゃない事は想像がつく。
他国に侵略されても、自国政府に統制されても
統制される事に変わりは無いなら
侵略によるものの方が
それ以外の国際社会からの微弱にしろ経済的な圧力や、なんらかの働きかけ
国連などの、勧告があるかもしれないと思えるだけ
まだほんの少しだけまし。
自国の政府が民間人に対して、高圧的になり
思想を統制したり、行動を監視したり、人々を弾圧した場合
それを選んだ国民も悪いという事で
上からもアメリカ軍から空爆されるかもしれないし
ろくな事はありません。イラクみたいに。
ワタクシには政府が悪いから、民間人が殺されて当然という理屈は
さっぱりわからないけれど
政府が悪くても、人々が殺される理由にはならない
という事を、世界中の権力ある人々は
さっぱりわかってくれない。
アメリカだけじゃなくて。さ。
じゃなかったら、何故イラク攻撃を
国連はもっと真剣に止めなかったのか。
何故、”多国籍軍”がイラクに駐留してるのか。
多国籍な、”エライ人々”は、エラくえらくなっちゃっているので
自分が大丈夫なら、他の犠牲については、知ったことではないようだ。
エライこっちゃ。

攻撃されれば、戦力でそれに対抗できるようになるという事は
攻撃されれば、確実に即、戦争状態になる事ができるという事。
戦争状態になってしまえば
もう、どこがどうでも、戦場となった国民にとっては同じ事。

だから、まず戦争をしないことを前提に置き
それを実行化するために戦力も保持せずに、平和主義国家、
非武装国家である事を、宣言した方が
同じように危険であっても
外交努力も切羽詰って真剣に行われるであろうし
まだ、安心ができると思う。
非武装地帯は、攻撃された場合
攻撃した方が国際法上、絶対的に悪い、事になりますが
武装していれば、両成敗にされてしまう事もあると思う。
他国からの抑止する働きかけも、どちらがより堂々とできるか
日本も悪いのではないか、という声が上がるような場合
イラクのような状況になるという事を
見ればわかるのではないかと思うのだけど。

北朝鮮が攻撃してくるという事は、想定、で、もしも、ですが
日本政府が、少しづつ国民の上に立つもの、
支配するものに変わってきているのは
現実です。
ここ数年でどれだけの「しちゃいけない」が増えたか。
与党の憲法草案にどれだけの「しなければいけない」が書き込まれているか。
もしもよりも、現実問題の火の粉を、火の粉のうちに食い止める方が
より、現実的なのではないかと
私は思う。

martedì, maggio 03, 2005

Thank for carrots and

Baghdad Burning 更新

本当に起きている爆破もある
起きていないのに流される宗教間の内戦のニュースもある。
遠くからでは、わけがわからない。

でも、10年前だったら、
もっとわからなかったと思う。
直にイラクの人が書いたものを読める。
近くに居た人が見た事を、直に知る事ができる。

こういう時代に、
下手に、誘導されるままに踊らされたら
その責任は10年前よりも重い。

日常の生活の隣で、爆弾が破裂する。
助かった人のすぐ近くに
犠牲になった人が居る。
生きている場所が戦場になるという事。
生まれて育って生活する場所が戦場になるという事。
戦争をはじめるという事は
この状態を作るという事。
戦力を保持するという事は
この状態を作るための準備をするという事。

それを放棄する事を決めた
平和憲法に生を与えた日本人先達に感謝する。
地球上で一番最初に、その勇気ある一歩を踏み出す決断をした事に。
そして、なんであれ、これを今まで護って来た事にも。

だけど、この日本国憲法を、もっと勢いよく掲げて
これを世界に伝播する事にもっと積極的であったなら
もしかしたら、
Riverさんの家の前で
自動車爆弾は破裂しなかったかもしれない。

今、出した歩を退けている場合じゃないはず。
ここで退いたら、後に続こうとしているかもしれない人々を
阻む壁を高くしてしまう。

そう思う。
日本国憲法58歳、まだまだ若いよ。

lunedì, maggio 02, 2005

独自性

イタリア政府は、アメリカ側の提供した証言に反駁するため
イタリア情報員がイラクでアメリカ軍に射殺されたことについての
調査報告を2日発表することを決定。
この調査報告では、事件発生後にアメリカ軍側が現場を破壊した証拠が
含まれていると伝えられている。

尚、アメリカとイタリアとの共同調査はすでに終了、
最終結論を共有するには至らず、イタリア政府は独自の調査を始めていた。

http://jp.chinabroadcast.cn/1/2005/05/02/1@39722.htm