lunedì, luglio 31, 2006

正誤

誤爆 って、どういう意味?

国連って、何?

リラックスって何?

安定って何?

アメリカや、どこだか知らないけど
そういう国の、命令したりする人々と違って
自分が死ぬよりも
目の前で子供が殺されることのほうが
つらい人々が、居る。

そこに、爆弾落とすような誤りは
誤った以上
どう償うつもりなんだろう。
償えることと
償いきれないことというのが
あるのではないかと
思うんだけど。

どういう理由があろうと
爆弾は、落としちゃ間違いだろ。
爆していいのは、せいぜい
建て直す建築物を、土木的に、安全第一で
発破かけるときくらいのもんだろ。
多分。

・・・国連って、何?


ニュースを観てからリラックスするお茶を飲んで
リラックス。ではなくて、
お茶飲んでリラックスしている時に
ニュースを観て、なんとかするにはどうしたらよいか
考えるのが、
よそんちに爆弾落としてへらへらしている人が
爆弾落とせるような権力を持たないようにする為には
いいんじゃないかと思う。
リラックスとか言ってんじゃないよ
と思われないためには、お茶屋さんもその辺
CMの置き方考えていただきたい
というのは、余計なお世話。

あの不幸に比べたら、自分たちの不幸はまだましだ、
ヨカッタ。という考え方は、どうも、こう、なんかこう・・・
やっぱり、自分たちの不幸も、なんとかしないといけないし
”あの不幸”もなんとかしないと、・・なんとかしたいよ。
もしかしたら、
”あの不幸”が、なんとかなったら、
その事が、自分たちの不幸を無くす事に
なるかもわかんないですよ。
風が吹いたら桶屋が儲かったら
漁師が大漁になって
染め物屋が繁盛した
とか、なんか、そういう、感じで。

mercoledì, luglio 12, 2006

ケミカル

人の脳の中の動きを、科学的に分析することは可能かもしれない。
どこか、試験管の中に脳みそだけが、もしくは人体組織が一個体分、
標本としてごろんと入っていて
それを”正常”に機能させておけば良いだけならば
脳内の分泌物質の出方や反応の仕方に”異常”が起きたとき
足りない物質を、外から注入して補ったり、
適切な反応をするように戻るまで
バランスを戻すために、反動する刺激を集中的に与えたりしても
かまわないかもしれない。
なんだったら、面倒だから、試験管の中にある
バランス調節の失敗した
壊れた標本は廃棄して、別の標本に取り替えたってかまわないかもしれない。

何か、絵があったとき
それを、
#ff0000が何パーセント、
#2555faが何パーセント
#fffc7dが何パーセント
相対的に青色傾向が強い絵である
バランス悪いから
赤色系と黄色系を足しましょうか
なんつうことをやって、
その絵が、数字的にバランスよければ
それで良い絵か?
たとえば本が一冊あったとき
”あ”が100個
”い”が、85個・・・
と、数えていくことで
”名作”を分析し
それと同じように、
”あ”が100個あって
”い”が85個あって、・・・
というように数を合わせたら
それは、名作に、なるか?
はじめは、このように物事が起き
そしてこのように経過して
このように”オチ”る、のが、良い作品
と決めて、そのように書かれている本が
面白いですか?

面白い本として、売っているけどね。
・・・・・。(マタ余計ナ事ヲ)

脳の中はケミカルに運動しているかもしれないが
そのケミカルの運動は
世に住む心が
世に住む中で、反応し呼応し同情し響鳴して
悲しんだり怒ったり苦しんだり
楽しんだり喜んだり感動したり
しているわけである。
そして
悲しいことが起きたときに
苦しいことが起きたときに
それを、なんとかしようとすることが
悪いことを無くすことにつながったり
誰かの喜びを促したり、楽しみや幸せを促したり
それによって、また、自分もうれしかったり、するわけである。
脳の中の物質をケミカルに分析し
足りないものをケミカルに補い
または、ケミカルに補えるよう意識しながら行動したりしていると
何が自分なのかわからなくなっちゃうよ。
何が人間なのか、わからなくなっちゃうよ。

物理的についた傷を医療技術によって物理的に治すのは、
治したいと思う心が、痛くて辛いと思う心の為に治すのであれば
治ったほうも治したほうも、それは人の心の作用であろうと思う。
腫瘍や、欠損を、それが無ければいいのにと思っている人の思いをかなえるために
その人たちの思いをかなえたいと思って医療技術を会得した人が
医療技術を使って、治療できる場合に、治療するのは
人の心の作用であると思う。
よかったね、よかったね、つって
感謝して、感謝されて、大団円である。
よくなかった時は、悲しい、お互いに悲しい、苦しい
その悲しいことは、できれば無ければよいことだけれども
だからこそ、そういうことができるだけ起きないように
神業的なことまで、するに至ったりもするだろう。

ケミカルに直接感情を操作されて、情況が好転したとして
操作された人は
それを自然の自らの力で繰り返せるか?
自力で繰り返せるなら、肯定する。
でも、それならはじめっから、そうすると思う。
人間の感情を
相手に説明もしないでケミカルに分析しケミカルに処置して
理屈通りの結果が出ずに
面倒になったら
自分の精神衛生上、考えないというのは、どういう事なんだろう。
自省をこめて書きますけれども
反省というのは
他者にだけ求め促すもの?

しかし、ケミカルに物事を判断して
理屈だけで物事に対処している人に
そのような、情の言葉で語っても
ケミカル反応としか、受け取らないので
ケミカルの言葉を習得する必要がある場合が、たまにある。
ケミカルに物事を考えている人にだって
話しかけなければいけない場合はある。
ケミカルに物事を考えながら
表皮的に、マニュアルに沿って
こっちの言葉に似せた言葉で話している相手と
こっちの使っている言葉で話していても
話は、意味のあるものにはならない。

ただ、それで、ミイラ取りがミイラになっちまって
ケミカルに自分の脳みそを考え
その考えに従って
脳みそを意識的に動かしたりしていると
きゃーxxになっちゃうー。いやー。

心の無い、標本みたいな人間にはなりたくない。
自分で意図して、自分の心を動かすような
科学的な機械的な
スイッチひとつで、ぽんと簡単みたいな人間には
なりたくない。
心が心のように動く人間でありたい。

私思うんですけどね。
アメリカって、かなり多くの人が
ケミカルな処方を受けているか
ケミカルな意識で自分をケミカルにコントロールしているんじゃないでしょうか?

それで相手に好印象を与え
いい人で、お互いにトラブルが少なかったとしても
よその国に爆弾落としたり
よその国に爆弾落とすお金を供給したり、
その行為を支持支援して
武力制裁を実行させたり
よその国に、自分の国の人を送り込み
送り込まれる人を、また、送り込まれた先のよその国に住むたくさんの人を
物質的にも精神的にも
破壊しまくったら有害である。
それだけの事が起きる過程に加担(見過ごすのも含め)して、
その事を、考えると
自分の精神衛生上問題だから、
と予め分析し判断し、予防の為に考えないようにしたりすることは
そうなっちゃう、なら、これはしかたないと思うんだが
蕁麻疹でたり涙腺壊れたり
あげくの果てに筋肉が硬直して閲覧しようとしてもできなかったりするのは
そうなっちゃうし、抗いようも無いんだから
ごめん、見逃してくれよう、と思うけれども
(ごめんごめんごめんごめんごめん)
そうなっちゃう前に
分析して判断して、ケミカルに意識して
自分の脳内物質のバランスを制御する為に
行動や考えを動かすような人間には
なりたくないな、と思う。悪いけど。

人がわんわん泣くようなことは、してはいけない
というのが、人の心というものだと思う。
人が悲しんでいたら、辛い、というのが
人情だと思う
(別の反応もあったりするが、それは、人の心に住む鬼の情であって
それに対しては、うしろめたく思うのが、人情ってもんじゃないの?)
ひとそれぞれに、人が個性を持ち
ひとそれぞれに
それぞれの生き方をして
響きあうのが、
試験管の中ではなく世の中だと思う。
悲しいことは、悲しいことだ。
悲しい事は
悲しい事が起きて
悲しい事が起きた事が
悲しい。
悲しいと感じている事が、悲しいのではない。
悲しい事実を、心が悲しんでいるの。
苦しいことは、苦しいこと。
だから、面白いことは面白いし
美しいものは美しい。
悲しいほどに美しく
寂しいくらい面白い。

ひきこもった子がひきこもっている部屋の中も
封鎖された学校や会社や類する組織の中も
家の中も
牢屋の中も
閉鎖病棟の中も
世の中だと思う。

でも、試験管は世の中じゃない。
意識的に投与される脳内物質(や、脳内物質を制御する物質)や、
意識的に操作される脳内運動は
世の中に住む心の運動じゃないと思う。
物質の反応でしかないと思う。
その横で、心は心として存在し続けて
何か別のことを、起こしてしまったりするよ。
心と、心によって起きる化学物質のケミカルな物理的な運動を
物理的に切り離しちゃいけないと思う。

ケミカルに考える人間も、また人間であるから
いつか、意図しているつもりで、
意図しない結果に行き着くだろうけれども

・・・で、それは、またそれだけど。
この辺がとっても難しい
せめて他人を巻き込むな、と思うが
巻き込む人も、巻き込まれる人も
世の人だし・・・
こういう、とんでもなくえらそげな事を書いている私が、
いろいろと周囲をむちゃむちゃに巻き込んだ事も
周囲からむちゃむちゃに巻き込まれた事もあるし
まぁ、えらそうに書ける自分じゃないとわかっているんだけれども
だからこそ、まだ人間ができてないから
書いてしまったりするわけだけれども。

人を殺しちゃ、だめだよ。
どんな方法でも
他者を殺すのは
善悪じゃなくて、罪なんだよ。
自分の理由で
他人を排除するのは、排除されることを認めることになっちゃうよ。

後で、化学的な薬物投与や手術によるケミカルな方法で
記憶を抹消してトラウマを消したならば
トラウマになるような戦場に
人間を送り込み
トラウマになるような罪な事をさせても良いものか?
戦場に限らず
化学的に被害者の傷や加害者の傷を癒すことができたなら
犯罪は、起きても良いものか?

良くない。
それくらいは、共通認識としてあってほしいものだけど。
無理ですか?

人の心はケミカルじゃないと思う。
そこまでの歴史と、そこに至る理由があって
どんな壊れたケミカル反応をしているときでも
人は、その人の本当の骨のところで
物事を判断し、選択すると思う。
その時の判断をする材料というものが
その人の、人としての骨だと思う。

・・・文章が
わかんないことになってきてるわな。
そうなってきてるだろうって事は
なんとなく、わかる。凹
誰も傷つけたくないんだよ。たとえ無理だとしても

sabato, luglio 01, 2006

signature

アメリカに、イラクにおける暴力をとめることを
要請する署名。

詳細→http://www.iraq-hope.net/

署名サイト→http://www.thepetitionsite.com/takeaction/507914513?ltl=1151682287