venerdì, aprile 29, 2005

技術崩壊

日本人の良い所、と聞いて、ぱっと思い浮かぶ事のひとつは
卓越した技術、神業を淡々こなす職人芸
なんですよ。
切り口が艶やかに光るお刺身とかね、
コンピューターにも不可能な、誤差の無い部品の製造とかね、
開ける時音のしないなめらかな箪笥の引き出しとかね、
どこまでも繊細で美しい螺鈿や漆とかね、虫眼鏡で見たって綺麗。

日に何千人もの人間の人の命を預かる仕事をしている人間を
「取り囲んで罵倒する、業務後に踏み台昇降をさせる
職務を停止して草むしりをさせる
などの罰を与える、再教育を行っていた」と聞いて
くらっとした。
少なくとも1人の職業を持つ人間に対して、大人がやることじゃない。
咄嗟の判断を冷静に的確に下せるかどうかは、
本人の自負心、自信にかかっていると思う。
自信がないと、突発的な事態が起きたとき
パニックを起こす。思いつくどの方法が正しいか
選ぶ自分が選べるかどうかわからないから。
1人で職務をこなさなければいけない人間の
自信をぐずぐずに崩壊させるようなやり方は
ちゃんとできている電車をわざと壊してから走らせるようなものだと思う。

職人さんが、線を一本引くとき
迷いの無いすーっとした筆運びをすると思うわけですよ。
この迷いの無さは、自信なわけですよ。
それができないと本当の仕事はさせてもらえない、
ってもんだったんじゃないんですか?
まずは、勉強する事が仕事で。

暴論かもしれませんが(いつもの事ですが)
国鉄を民営化させたのが、原因なんじゃないか?
正常に安全に運営されなければならない社会に不可欠なサービスに
利潤を追求しなければならないという重荷を課して
なおかつ、寄生虫がついたまま
市場競争の中に放り込んだから
こんなことになったんじゃないか?
市場の競争の方も、それによって厳しさを増したでしょうし。
利用者を争奪するために、切り捨てた、大事な部分があったのでは
ないでしょうか?
違うかなぁ。

たくさんの、ベテランの国鉄鉄道員を配置換えしたり退職させたりしたから
その技術が受け継がれずに、途絶えたという事は無いのだろか?
経費削減の為に人員を整理したから
運転手でも昔は2人居た所を1人に削らなくてはならなくなって
新しい人たちに、神業が伝わらなくなった、という事は無いのか?
見習う、という事があるでしょ。

借金のかたに
公的機関を民営化するのは
借金のかたに子供を売るような感覚と似ている。

今回の事件
はじめ、ただ、悲しむ遺族に躊躇無く無神経にインタビューされる映像が怖くて
まともに観れなかったんだけれども
感じるのも悲しいだけで、私の悲しいのなんか
当事者の悲しいのに比べたら、何でも無いから何も言葉にならなかったけれども
日が経つにつれていろいろ他の事も伝えられるようになって
やっぱりこれは、
どうしても起きてしまう交通事故とは、違う
他の人を侮辱する人の無神経さによるものなんじゃないかと
思えてきました。なんとなく。

踏み台昇降したら
なんで、遅れが無くなると思うのか。
その根拠がわからない。
脅かせば萎縮するだけじゃないか。
だけど、それだけ思考力も人間性も損なわれるほど
一人一人に鬱憤が溜まっているという事で
それで、得をしている一握りの人間も
多分、どっかにいそうな気がする。
{!!!!!!!!!!!!}
ここ↑、ここの人

martedì, aprile 26, 2005

嬉しいやら悔しいやら

こういう時に限って
ビデオの確認をし忘れていて
良い所で、空きが無くなってしまって
録画失敗。おばか。

9条の会が、NEWS23で取り上げられていた。
嬉しい。

憲法24条

便宜上、面倒くさいから言葉として使っているけれど
正直な所、個人的には、人間を含めた生き物を
女性と男性、雄と雌のどちらかに分ける、という考え方が既に
本来の人間の知能水準から考えれば
少なくとも100年くらい、遅れている考え方だと思っている。
そんなに、すっぱり二種類に割り切れるものは
この世の中にはひとっつもない、と思っている。
この件に関しては
ベランダのローズマリーの花や、かたつむりの賛同も得ていますーなんつて。
だから「男はー」「女はー」っつってるのを聞いていると
あひゃひゃ あいやいやい(※)と思ってしまう。
特に、性同一障害、等なつもりも無いけれど
性別記入欄を見ると
しょうがないねぇ、と思って、とりあえず戸籍に合わせて書きながら
厳密に考えたら、どうかなぁ?と考えてしまう。
どっちか、というものでは無いような気がする。

一般に、女性、とカテゴリ分けされたものを○として
男性とカテゴリ分けされたものを、◆として分けますれば、ですね、
ここに1人の人が居ましたらば、
この人が生まれた際に戸籍に◆と記されましたらば
遺伝子の形骸的な組織形成を司る部分が、◆寄り。
でも、この人は、ピンク色が好き。
この部分では、世間一般的(かつあまりにも主観的)な定規に合わせれば
ピンク色を視覚が認識した際の、脳内における反応現象の起き方が○寄り。
どちらかというと、細かい作業が苦手なら、
世間一般的(かつあまりにも主観的)な定規に合わせれば
細かい作業に関しての点が、◆寄り、
料理は得意なら、料理に関する点が○寄り、
・・・・以下省略

で、要するに
グラデーションスケール、のようなもので、
一人一人にどうしても性別をつけるなら、
そのグラデーションの中に点在する一点なんじゃないの?
○要素の極端に強い、極端な○の角の端の人も居れば
◆要素の極端に強い、ラジカルな◆の角の端の人も居れば
その真ん中の、物理的には、○要素が強いのだけど、精神的には極端に◆要素が強い
等の状況で、自分の中でも、世間的にも
全く折り合いがつかないのでなんとかしてくれという
”性同一障害”と区別されちゃう人も居る。
でも、その辺にごろごろしている人でも、
どう見てもおじさんだけど、おばさんとか
なんだかおばさんぽい、おじさんとか、うじゃうじゃ居るじゃないですか。
その人たちは、みんなどこか中間点の、世間に生きていて
不自由は感じない程度に、○もしくは◆の要素が強いのだと思う。
赤と青だけ、黒と白だけが色じゃないでしょ。
紫も黄色も緑も水色も黄緑も群青色も、灰色も銀色もあるでしょ。

一人一人違うと思うんだよねぇ。

それをいきなり、男女を”区別”して”役割分担を”っつって、
なるほど、じゃあ、血液型でも分けるのかな。違いはありますけれど。
なんだったら、花粉症では無い人と
花粉症の人、とか、クラシック好きの人と演歌好きの人と(以下略)とか
全部、違いがあるものを憲法に明記しますか。
筋肉の強い人は、力作業に向いているだろうし
数字関係を考えるのが強い人は経理に向いていますから
それぞれの役割分担って事で、憲法に明記しますか。
筋肉は強いが、紫外線に極端に弱い人は屋内での力作業向きで
数字関係といっても、プログラミングが得意な人とか計測が得意な人とか
いろいろ居て、それもまたいろいろ違うのを全部明記しますか。

そんな憲法、まず永遠に書き終わらないよ。
日本人口一億数千万人一人一人、全員がそれぞれに違う。
生まれたら書き足して無くなったら削除して、誰がやるんだそんなこと。

家庭内の家事の分担を2人で決めたけれど
洗い物をしながら
「こういう細かい事は男の仕事じゃない」と思う人は
まず、そういう細かい仕事が、本人に向いていないのだと思う。
その辺の飲食店の厨房に行けば
そういう細かい仕事を超大量に見事にこなす
向いている”男”の人が、いくらでもみつかると思う。
赤ちゃんの世話が苦手な、お母さんもたくさん居ると思う。
子供に好かれて、やたら手際よく面倒をみれるお父さんも、たくさんいると思う。
それぞれの部分において個人の能力が◆的だったり○的だったりする。

教育だの、家庭を守るだのは、
向いているほうがやりゃいいんでないかい?
どっちも向いてなければ、かわりばんこにでもやるしかなかろ。

子供が小さいときに、家で子供と一緒に居るのは
子供が望む方がするのが良いと思う。
本当は、もっと働く人一人当たりの勤務時間が
もっと少なければ、少なくて生活が成り立てば
調節つければ、いつも、どっちかが子供と一緒の時間が取れると思う。


ここまで周囲の人の考えとかけ離れていると、
さすがに世間一般の人が同じ考えになるとは
思わないけれど、
今の憲法24条の条文は、とりあえず、巧い具合になっていると思う。
まだまだ、充分使えると思う。

その辺の人が、どうしても男か女かに区別したいなら
しとけば、と、思っとく。
だけど、それによって困る人が出てくるなら問題だわな。

※ (考え方はいろいろだからしかたないなぁ
と思いつつも、ちょっとわだかまるが
まぁとくにつつかなくてもいいか、めんどくさい、ってそれでいいのか
いいんじゃないか、いや、どうなんだ、ああもう、いいです、もうどうでも・・・)、

Blowin' In The Wind

Mossulの爆破現場を取材中の
AP通信のカメラマンが1人亡くなったそうだ。
Saleh Ibrahimさん、5人の息子の父親。
また、同行のMohamed Ibrahimさんは負傷。
他に少なくとも13人のイラク人が亡くなって36人が負傷した。

Corriere della sera

ロイターによればイラクでは2003年以降少なくとも39人のジャーナリストが
亡くなった 朝日新聞

爆破は米軍兵士を狙ったものと見られる

一体、何人死んだら、多すぎると気が付くんだろう・・・


新法王は、2004年の大統領選挙の際に
アメリカ国内のカトリック教徒に対して
ブッシュ陣営に有利になるような呼びかけを
したそうな。
どうなるのかなぁ、にゃあにゃあ(泣)。
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/

にゃあにゃあ にゃあにゃあ


ついでメモ
米EPA、「低所得者層の子どもを使った影響調査」計画を中止

この計画『子どもの殺虫剤への暴露に関する調査計画』(CHEERS)で
EPAは、2年の調査期間中、協力した各家庭に970ドルに加え、
ビデオカメラや子ども服を支給する計画だった。
計画では、調査されるのはフロリダ州デュバル郡に住む
60人の子どもとなっていたが、計画反対派によると、
対象は低所得のマイノリティーが住む地区なのだという。

この調査の目的は、
子どもたちが家庭用の殺虫剤や化学薬品に
さらされることに関するデータを補うことにあったと、
ジョンソン長官代理は述べている。

lunedì, aprile 25, 2005

人の力

米軍によるFalloojehの封鎖と攻撃の際
kubaisi師さんの家も攻撃を受けたりしていて
今は、ほとんど何が起きているのか
よくわからない状況の中で
勝手に、何の役にも立たない心配をしていたけれど
kubaisi師さんは、拘束などもされておらず大きな怪我も無いようで
勝手に何の役にも立たないまま安心した。
よくぞ、ご無事で。(何事が無かったわけではないだろうけれども)

外国からの人が、拘束されて脅迫声明等が出されるたびに
立場にとらわれず、救出の為に尽力されていた事を知っていると
勝手に親近感を持ってしまう。
勝手に無事を祈ってしまう。

そういうものだと思う。

暴力的に強いから、良いというものではない。と、思う。

愛国心

今回の中国の日本に対するデモと暴発の件で
卓球の福原愛さん、かっこいいなぁて、思った。
試合で中国に行くの、どうですかっていう質問に
「何の心配もしていません。」ってきっぱり言い切った。
日本料理屋さんの店長さんが
「でも、上海好きだから、続けますよ。これからもよろしくお願いします」
って言ってたのも、かっこいいなぁって思った。
別に報道に出なくても
こうやって、「それでも、中国好き」って言い続ける
たくさんの日本人がいるんだと思う。

こういう人がたくさん居る国の、
過去の歴史の暗い部分を学んで受け入れて
それについて、反省しても
その自分の国を、だからといって嫌いになるものではない。と思う。

過去の一部をひた隠しにしないと、
自分の国を、好きで居続けられないと思う人のほうが
自分の国の事を、本当に好きではないのだと思う。
自分が生まれた国なんてね、
そう簡単に嫌いにはなれないよ。
時に、嫌いになりたくなったとしても、
嫌いにはなれないよ。
だからこそ、認めるべきことは認めて
国際社会の中で、その態度を恥じることなく
他国と仲良くできる国であって欲しいと
諦められないで、思い続けてしまうのでは、ないか。

日本以外のアジアの国の人の中に
”反日教育”を受けようと、
それでも、日本人と友達になる人が居て
日本が好きでいてくれる人も居るのは
どんな歴史があっても、日本に魅力も長所もあるから
という理由もあるはず。
それを、日本人自身が歴史を学んだという理由で
嫌いになるわけがないじゃないか。

domenica, aprile 24, 2005

重みもいろいろ

いろんな考え方があり
いろんな教科書があって良いのだ、という主張を聞いていて
そうかな、と思った。

自分の頭が固いという事を自覚しているから
とりあえず、逆側から考えてみるようにしている。
私から見ると、明らかにおかしいが
私がそう考えるのも、今までの教科書のせいだ、等という説を読んで
そうなのか?と思ってみたのだけど、

思うに、加害者というのは
第三者よりも更に、被害者の気持ち、被害者とされた立場の人の気持ちというのが
全く、理解できないのだと思う。
加害者に親身になって、ほとんど同一化してしまうと
物事を両方から見えなくなるのかもしれない。
加害者の気持ちは理解できたまま
その、気持ちのある側は人間であり
そうでない側の事は、なんだろう、なにかもやっとした影のように
考えてしまうのだろうか?なにか、敵キャラとかそんなような?

加害者が、それは歴史上無かった事だと主張するのは
気持ちの上で楽な事だ。
それを前提に、歴史を調べ研究し資料を作り
その論拠を打ち立てていて、
多分、あまり辛いものではないのだろう。
そんなに、ひどい事はしたとは、”限らない”。
”たとえ起きたのだとしても”
地球上のあらゆる所で起きた事だ。
仕方の無かった事で、仕方の無い範囲内だ。
だから、自分が、もしくは自分の気持ちの入った加害者が
そう、特に悪いわけではない。
歴史上の、悲劇の一幕だ。けんか両成敗だ。

罪を認めることには苦痛を伴う。
何をやったのか証言し、
たとえ、他から許されていいと言われても
本人が直視してしまえば、本人には許す事ができなくなるくらいの
罪の意識を感じる、という事は、
したくない、という気持ちが強く働くほどに辛い事だと思う。

この両方を同じ量りにかけることには、疑問を感じる。
どちらが、信じられるかという事になると
やっぱりしずらくてもしなければならないという
信念や、勇気を持ってなされる証言の方に真実味を感じる。

更に
これが被害者となった場合
ここが、加害者や加害者に親身となった人々には
理解できないのかもしれないが、
それ以外の
被害者に、会った事も無くても、
例えば、加害国の1人でもなくその子孫でもなく
被害国の子孫の1人でもなく
まったく関係の無い人間であっても
少し、考えればわかるのではないかと思うのだけど、
被害者が被害を証言する事は辛い。
できれば、思い出したくないはずだ。
なのに、忘れられないのではないか?
痛みは、現在も続くのではないだろうか。
それを直視した時、痛みは増すのではないだろうか。

そのうえ、今また新たに浴びせられる中傷や誹謗を受けながら
それでも、証言し続けられる言葉というのを
加害者側の考え方と同じ重さで受け取っていいものかどうか。

加害者は、のんびりとにこにことしている。
記憶の中に残酷に鮮明な事実を
「もう、謝った。忘れても良い頃では?」という。
更には、繰り返さない、といいながら
何故か、もう一度繰り返す事が可能な状況に
物事を変化させようとしている。
いつまでも、過去の事に固執して恨み続ける存在から
防衛する為だといって
武装を始める。
もう一度繰り返さないと言いながら、
何を、に関して言葉を濁す。
次の世代に教えないという方向転換をする。
それまで、ほんのわずか、微々たる部分に限ってではあれ
たった数行ではあれ、教えていたものを
削除する、という。

この時の被害者の気持ちは
多分、自分を正当化したいという気持ちを持つ加害者にだけは、
理解できないのだと思う。

そういう、加害者としての考え方や立場の人も居るのだから
その気持ちを無視しないために、あいまいな表現を用い
多角的な視点の歴史の教科書が必要だ。

というのは、やっぱり、納得できない。
教科書なんだから。

例えば、私達は1492年コロンブスアメリカ大陸発見。
と、いう教科書で教育を受けた。
その後、コロンブスが生まれた国の人に
私が教えてもらった事。
アメリカ大陸には、既に人々が住んでいた。
コロンブス一行は、そこに到着し、もとから居た人々を虐殺し、
言葉を奪い宗教を押し付け、奴隷として自国へ連れ帰った。
彼等が、海に乗り出した冒険心は高揚するものがあるけれど、
コロンブスがしたのは、発見ではない。
アメリカ大陸は、ずっとずっと昔に
今や誰とも知らない誰かによって発見されて、
その子孫によって、文化も育まれてきていたのだ。

本当に、そうだ。
なんで、気が付かなかったんだろう。
その通りだ。

ところが、
それでもなお、
”コロンブスは1492年、アメリカ大陸を発見した”と
頭のどこかに刻みついてしまっている。
教科書は、そういう存在なのだと思う。
日本の学校教育というのは
黒板に書かれたこと、教科書に書かかれたことを
ノートに書き写し、暗記し
試験を受けて、回答を記入し
正解か不正解かに、選別され
正解を書けるように、訓練されるもの。だと思う。
ゆとり教育で、自由解答欄の白紙回答が増え成績が下がったので
これは、ゆとり教育が生んだ弊害と評価された。
考える事ができるようになったので、
決まった答えを、記入すればよいだけの頃よりも
答えを出すのに時間がかかるようになって、
決められた時間内に、まとめられるような
単純なものじゃなくなったせいなのだと思うけれど。
しかも、いろんな考えがある以上、
採点者、問題製作者の正解と同じものはどれでしょうという
読心術のテストになってしまって
ますます、答えをさっさと書き込むのが難しくなったせいだと思うけれど。

この国の考えている”教育”は叩き込むもの、覚えさせるもの、
信じさせるもの、であって、その機構作りに成功している。
そのうえで、教科書だけが、いろいろな考え方に配慮しちゃっている。
それは、納得できない。

中国も韓国も、反日感情を煽る反日教育をしているのだ、と
主張しているのを聞く。
だから、何なのかわからない。
被害者は、覚えているからだ、と私は思う。
そのうえで、
他の国がこうだから、日本もこうでいいのだ、とか、
他の国がこうなのに比べれば、日本なんか随分公平で偏りも少ない
というので、いいんだろうか?
子供みたいな事を書くけれど
他がやっている事であれば
何でもやるの?

・・・やるのかもしれないなぁ。
私が子供の頃
大人の人が、「じゃあ、A君が人を殺したら
B君も殺すの?え?」というお説教をよく聞いたけれど
今じゃ、多分、それは使えないだろうと思う。
肯定されたら、怖いじゃないか。
しかも、先頭たって
国の政を行う人達が、理想を捨て他に倣えを実践なさっているのだから、
なんとも、説得力も無い。

全ての人が、なんにも欠点が無いのは、気持ち悪いと思うけれど
政治家の人、有権者から選ばれる代表が
おかしげな事をして開き直って
きれい事ばかりじゃない、という場合には
批判が必要だと思う。
代表になった時点で
普通の人以上の力を得るのだから、
その権力を自分が濫用しない為の
ただの人以上の、自制心や自重心、冷静さとやさしさのある人である
必要があると思う。
だから、代表になるのだから。

である以上、
加害者側、自分の親近者の立場にしかなれずに居る人が
政治家という仕事をするのは困ったものだし
そのような人々の考え方を大いに取り入れた教科書も
やっぱり学校で使われてはいけないような気がする。

ましてや、そのうえ
被害者の国の教科書にいちゃもんまでつけたので、
こんなもの書くくらい頭が煮えちゃっているんですよっ。
なんでー、あのような人がー、外相なんですかー?????

sabato, aprile 23, 2005

不可抗力

ポール牧さんが、飛び降りて亡くなったそうだ。
僧侶をなさっているというのを、見たことがあるけれど
それでも、抗いきれなかったのだろう。
この人の、また、同じように、居なくなってしまうたくさんの人々の
寂しさを、想う。どんなに、寂しかっただろうと思う。

どうしたら、いいかわからない、という事がある。
どうしようもない。
誰にも何もできない、どうしたらいいのかわからない時。
どんな所にいる人にとっても、
他の人なら生きていける中でも、
生きていけない、その人の力が及ばないというときがある。
生きていくための力が、尽きてしまって、どうしたらいいのかわからない。
誰も、助け方もわからない。
何をどうしても、生きていけないという事があると思う。
誰の目にもそれが、明らかなときもあるし
誰にも、気が付かないときもある。
たくさんの人は
他の人の事を、自分の中からしか考えられない。
だから、社会の機能の中にも
わかりやすい不幸に対する援助は多少はあるかもしれないけれど
わかりにくい不幸に対しては、
わからないので、何もない。
でも、不幸はどれも同じように不幸で重たいと、私は思います。
外から見てわからないのを、背負っちゃったら運が悪い。しかたない。どうしようもない。
そういう事なんでしょう。
どうしたらいいのかわからないから。

どうしても、どうしようもない事があるのだから
どうかすれば、助かる人がいるのなら、助けなくちゃだめだと思う。
例えば、心臓の血管を人工のものに替えれば生きていけるかもしれないなら
その為に、どんなにお金がかかるとしても
周囲の人は少しづつ寄付しても
そうすればよいなら、そうすれば良いと思う。
爆弾落とさなければ、死なないなら、爆弾は落とさなければいい。
銃で撃たなければ生きていける人なら
撃たなければいい。
劣化ウラン弾を落とさなければ、白血病にならないなら
劣化ウラン弾を落とさなければ良い。
その為に、何かできる事がわかっているなら、
可能性は全て試されて欲しい。手は尽くされてほしいと思う。
戦争をしなければ、
楽しそうに生きていける力のある人達がいるから、
戦争は、やめてほしい。
戦争を止めることで
破産する会社があるなら
破産すれば良い。
それで、職を失う人がいるとしても、
そこの会社で働く事ができたなら
武器を作る会社や、武器を売る会社や
戦争による経済効果でしか儲かる事のできない会社ではなくても
働く事ができるはずだから
転職してください。
少なくとも、銃で撃たれる人よりは、生きていける可能性は高い。
戦争を止めると、収入が減る人でも
戦争を利用して収入を得るだけのことをできる人なら
他のお金の増やし方もあるはずだから、
お金を数える以外の、頭の使い方もたまには、やって欲しい。
別の方法を考えるのに、多分何日かしかかからない。
頭はいいんでしょ。
その為に、1人でも多くの人が
声を出さなくてはならないというなら
声を出せば、ああなってこうなってそうなって
助かる人がいるというなら、
声が枯れるまで出したらいいと思う。
戦争はやめて欲しい、戦争に協力するのはやめて欲しい
と、国中の人が言えば
この国の規定としては
やめるべき事になっているはずです。
したら、馬鹿でも無知でも言うしかないでしょう。
言わなかったら、1人分減ってしまうから。
なんでか、いつまでも人数が足りる事が無いのだけど。

手の施しようが無く
亡くなる人を多く見て、
それでも尽くせるだけの手を尽くす為に
昼も夜も無く駆け回って
それでも、やっぱり毎日誰かが亡くなっているのを見ている人がいたら
自分が治療をすれば、生きていける人がいると思ったら
治療をしたくなるんじゃないだろうか。
それがどこであっても。
方法があったから。
方法が無い苦しさを知っているから。

米軍や多国籍軍がイラクから出て行けば、なんとかできる、と思われるなら
出て行ったらいいと思う。
米軍や多国籍軍の人だって、
そこにいなければ、もっとずっと楽しく生きていけるかもしれない。
今からでも、間に合うかもしれない。誰かにとっては。

何をどうしてもどうしようもないことがたくさんあるのだから
なんとかできる事は、すりゃいいと思う。

venerdì, aprile 22, 2005

辞表提出

20日 イタリアSilvio Berlusconi首相、辞表提出。

選挙前の、組閣し直しだった。
なーんだ。

giovedì, aprile 21, 2005

▲ワーニング▲

私が無知なのは自覚していたが、
たくさんの人が、これだけいろんな事を知っているとは
知らなかった。
知らないから、こんななのかと思ってたら
知ってて、こんなんなんであった。

そりゃあ、更に悪い状態だと思うけども。

いろいろ知らなくても
間違っている、と確信できていたし、できるのは、
その下に、人々が生活を営んでいる所に
爆弾を落とす、正当な理由は在り得ない、という事と、
人に、一般人を殺す事を命令し、強制し、責務とさせる
正当な理由は在り得ないという事。
そこに繋がるように進むのは間違ってると、思う。思うけどなぁ。

だから、国同士の武器を使う戦争は常に間違っていると思う。
戦争をしない、物事の解決方法を模索している人や
困窮して支援を求めている地域で
本当に、現地の人に望まれて、本当に必要な作業を
友達として手助けをしている人たちには
それを、自分ではできない以上
誰かがやってくれている事に、感謝する。
何かあったときは、それは、任せている人全ての責任だし、
任せているのは、現実に従事していない全ての人類だと思う。


しかし、ここ数ヶ月の、
勘違いと、根本的な知識違いで書いた事は
特に多くてひどかった。
(文民統制、について。Marla Ruzickaさんについてなど) 
ひどい。今後にも、別に自信無い。
気をつけてください。
うちのブロ愚は、資料として、あまり役に立ちません。
資料は、あくまで私のメモです。
気が付いたところは、こしょっと訂正していますけれど
全て気が付くとは限りません。
事実確認は、併記リンクや検索で確かめてください。

ふふーん。

勉強する事は多い。
知恵熱出そうです。

憲法輪舞

現在、政治を行っている人々によって、どのような憲法論議がされているか
与党が、どのような憲法改革案を持っているか、
この国の国民は知る権利があると思います。
衆議院の憲法調査会最終報告書なんか読むと、
ひどいなぁと思って涙出そうになりましたけれど。
現在の日本国憲法が、とても好きで、
この憲法を持つ日本人である事の誇りとしている人間としては
それを冒涜されているような痛みさえ感じました。

社民党は、国民投票法案には賛成の立場を取りましたが
私は、現在の状況の中で、憲法の改定が進められることには不安を覚えます。

どのような目的や目標を持って、
憲法を変える事を目指しているのかを知らないまま
ただ、突然選択を迫られて、
後悔の無い選択をすることができるかどうか
選挙の投票率が、これだけ低い、
つまり、これだけ政治や外交に興味がもたれていない中で
検討される変更の内容を、きちんと理解し把握される事ができるのかどうか、
疑問を感じます。

変える、という案に示されている方向は、
どれも、時代に逆行するものに思えます。
男女の平等や、戦争の放棄を、本当に日本の国民は、望まないのでしょうか?
憲法の九条は、2項によって、現実化されているのだと思います。
戦力を保持したら、国際紛争を解決する手段として
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を放棄
した事になりません。
武力によってのものだけが、国の防衛手段、だという
人間相互の関係を支配する崇高な理想を、諦めてしまうので、良いのでしょうか。
と、いう事が、問われているという事に、国民の人たちは
頻繁に考える機会を与えられるという事が無いまま、突然答えを迫られて
気が付くことができるのでしょうか?
(武力によって、防衛ができる、という事にさえ、私は疑問を感じます。
戦力を持って、暴力による攻撃を交えれば、
どちらも、確実に無傷ではいられないのではないでしょうか?)

憲法論議に時間をかける必要はあると思います。
憲法について、国民の関心が薄いのは、一般的な報道全般にも、
責任が無いとは言えないと思います。
議論されている内容が、実際どのような意味を持っているのか、
上下関係の規律を強め、人々が支配されやすい状態になり
国民に国防の責務が負わされ、個人の権利よりも、国家の安定が優先されるという事が
どのような意味を持っているのか、
それぞれが、自らの自前の考えを持つ事ができるように
憲法についてのニュースは、逐一伝えられて注意が喚起されるようでないと、
国民は、保証された自由及び権利を、
保持する為に不断の努力を尽くす事ができません。

時間をかけると共に、その時間の中で
専門家によるものだけではない、
充実した検討がなされる為に
報道の果たすべき役割も、重いものがあると思います。

martedì, aprile 19, 2005

重要性

Baghdad Burning 更新

Marla RuzickaさんというNGO活動家の人が
Baghdadで、殺害されたそうだ。
(ジャーナリストかと思ったら違った。
記事かいてるから、ジャーナリストとは限らん罠)

自衛隊が駐屯しているから、イラクでの戦争は重要だ、
という事は無いだろうけれど
自衛隊が駐屯しているから、
そして、その戦争を自分達で確かめた根拠も無いにも関わらず
支持し賛同し莫大な金額を貢いでいるから、
イラクでの戦争の情報を知る事は
日本人にとって重要だ、という事はあるだろうと思う。
日本の政府が、そのような方針を取らなければ
現在の結果は違ったものになったかもしれないから。
確かに、世界中で戦闘は続き、飢餓と貧困は
そこに抗う術を何も持たない子供を含むたくさんの弱者を苛んでいる。
弾圧される人々がいて、差別される人々がいて、虐殺が起きている。
私の知っている少々と、知らないでいるのだろうたくさんの地域で。
だけど、それらの事について、ここにいて生活の中で
どのように関われるのかが、わからない。
どこか近い所で
親に毎日暴力を振るわれ、食事を与えられずに亡くなる寸前にある子供が
いるかもしれない。
弱りきって疲れ切っている高齢者が、罵倒したり乱暴に世話をされたりして
いるかもしれない。その加害者も、自己嫌悪に苦しんで
それがまた、一層の虐待を招いているかもしれない。
寒くてひもじくて死にそうなホームレスも、いるかもしれない。
彼等の為に、具体的に何が必要で、どうすればいいのか
この場合、そこから考えないといけない。
自分に備わった条件の中で、何ができるのかわからない。

知らなくてすませて良い事じゃないのだけど
どうすればいいのかわからない事は、
何も、よその家庭に行かなくても
それぞれ自身の家の中にだって山積みです。
うちにも山積みです。
でもさ、うちの問題だからうちで解決したい、
できるかもしれない、という場合もあるじゃない。
うちについては、うちはうちの中で解決したい、と考えているという事が
自分達のことだからわかるけれど
よそについては、まずそこがどうなのか、
困っている人自身がどう思っているのかそこから知らないといけない。
助けを求めているのか、どう助けられるのか。

根拠の無い自信を持った一方的な価値観を押し付けて、
恩を売りたいだけの為に踏み込んできて
物事を更に面倒にした挙句
手に負えないと判断するや、逃げてしまう人間が
どれだけ迷惑かわからない。
更にこんがらがったその問題と
その後も、当事者はずっと付き合わないとならないのです。

そういうもの、全部をいっしょくたにすると
ひとつひとつが薄まってはしまわないか?
押しどころだけは、少なくともわかっている問題まで
押すのが遅れてしまわないか?

イラクの戦争については
うちの問題だと思う。日本にとって、日本の問題だと思う。
日本が、事実上参戦しくさったから。
困っている人々の為に、
例えば、その場所に行き、献身的に救助をできるような条件を備えていない人でも
大金を寄付できるような甲斐性、経済力が無い人でも
困らせた加害者側に属せざるを得ない状況の人間の1人という事になれば、
一応民主主義という事になっているのだから、
この国の1人として、考えなければいけないと思う。
この国が選んだ道のせいで、結果が起きているから。と、わかっているから。
間違った選択を、繰り返さないためには
選択を迫られたときに、何故間違った方向を選んだのか
その結果はどうなのかを、知らなければいけないと思うから。
それに、ひとりひとりが考えて
もし、その流れの方向を変える事ができれば
少なくとも、これからの犠牲者を減らす事ができるかもしれない
と思うから。

商業的に、需要を計算して”これは遠いな”という判断を下し
情報を切り捨てる報道関係者のおかげで
”遠い”所で起きている悲劇について、その詳しい事を
日本人の多くが知らない。
そこに、どう日本は関わっているのか。
日本が方向を変える事で、その国の戦いを終わらせる事のできる可能性はあるか。
イラクの場合のような
自衛隊を撤退させるとか、米軍に対する資金援助をやめるとか
誰か、どんな機関かに、政府の誰かが何かいう事で
争いを沈静化させることができるのか。
それを私達が、どうやって訴えていく事ができるか。
そういう事が
”これは遠い”事柄については、ちいともわからない。
日本に住む、多くの人は、世界の情勢をメディアからだけ得ているので
メディアが伝えなければ、山の間の村に住んでいて
山の向こうに何があるのかもわからない。
その状態は、そのままなので。
世界中に行って、見てこれるなんて、限られた人だけです。
だけど、限られた人だけが考えたり動くのでは
国の方針が変えられたり、
税金の、提供先が変えられたりは・・・できるの?

イラクについては、日本の国がどう関わったか。
まず既成事実を作ってしまうのに好機という理由なのか
戦場にもかかわらず自衛隊を派遣したし、
莫大な資金を、攻撃者側に提供したし
その結果が出てきていて
具体的に国民の意識が問われている。と思う。
問われている以上、答えを出さなければならないから
現実と作り上げられて提供されるものとを見分けなければならないし
その為により多くの情報が必要だ、という事がわかる。
国の政府の方向を変える事ができる一番の権利を有しているのは国民だし
その責任を担っているのも国民だし

一朝一夕で政府を変える事はできないのに
日本の国の政府が、本来やれる事をやりさえすれば
死ななくても良いかもしれない人が
一朝一夕で、死んでいったり核物質に侵されていっている。
それをどうしたらいいのかは、わからない。
日本の政府が、一部の国内だかアメリカのだか、お金持ちの為ではなく
その人達の為に動いてくれるように変える方法は
どうしたら良いかわからないけれど、それでも
考えていれば、それをすぐとは言わずとも、変えられる可能性があって
その先に犠牲になる人を
犠牲にしないですむかもしれないなら、考えないでいることはできない。

アメリカが、世界の警察になれないのと一緒で
日本だって、国として世界の問題を全て解決することなんて
できるはずは・・・できないような気がする。
提言はできるけれど。
でも、イラクについては、現在やっている事を変える事で
問題の解決を、促す事くらいはできるのではないかと思う。

関わった事は、関わる事になった以上
良い方法で関わる必要があると思うので
間違っていたら方向転換をしなければならないし
どうすれば、よく関われるのか、選択する責任があり
その為に情報は、また、他の事とは違った意味で、必要だと思うのですが。
なにしろ、国の方針を選ぶのは、国民という事になっているので。
無条件に戦争加害者に賛同し、自衛隊を派遣する事で
非武装の非政府組織が活動できなくなるような状態にする、
という関わり方は、間違っていたと思う。
非政府組織による、地元の人達と協力しての復興の支援は
関わり方の別の方法として、できうる事を示したという意味もあったと思う。
それ以上に、本当に役に立っていた、のだろう所にまず大きな意味があるし。

一点について、追求する事で
他の問題の糸口も見えてくるかもしれない。
この国が、今後、どのように世界の問題に関わるか
その方法が良いものであれば、他の国の場合に応用される事で
何か、良い結果をもたらせるかもしれない。

って、こういう奴が多いせいで
マールブルグ病ウイルスとか出てきちゃうんだろうか。
結局、いつまでも衛生とかが、整備されることができなくて。

世界中のことを知っていなくちゃいけないんだろうか。
知っていないせいで、世界中の困っている人は困っているんだろうか。
でも、そりゃあ無理だよー。努力はするけど。



私は、せっかく、”恒久の平和を念願し
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚”して
”平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意”し、
この崇高な理想と目的を達成する事を誓ふ”事を、明言し
その証として、また、この理想を実現し、目的を達成する為に
”陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は
これを認めない”と、宣言する事を世界に先駆けて実行した
この国が、これまでの60年間、それによって築いてきた信頼があるのだから
その信頼を更に育てていく為にも、本来であれば
必要が存在するはずの無い防衛費をば削って
その分を、現地で非武装で活動する人たちへの資金として提供したら
良いと思う。
提供する先の組織や個人の国籍を問わず。
したら、それは、その場で本気で救いを求めている人達の為に
一番効率よく使われると思う。
スーダンとかコンゴとか、今、戦争のおかげでぶっこわれてしまったイラクとか
アフガニスタンとかバンダアチェとか、
日本に助けを求めてやってきた難民の人を受け入れるための資金とか。
国がそういう姿勢であるように、注意を払う、というだけなら
日本国中全ての人が、世界中の情報を常に集める、という事よりは
実現可能な気がする。
・・・まず姿勢になっていないのを姿勢にすることさえ
できていないけど。



・・・現実は寒い。
戦地の貴重な情報を、世界に発信していた
有能な人間がまた1人殺されてしまった。
また、戦地の人に何が起こり、何を望んでいるのか
戦地にいない人々に、伝える事のできる人が1人減ってしまった。

domenica, aprile 17, 2005

消えない煙

チェチェン共和国グロズヌイで
銃撃戦があったそうです。
”武装勢力”7人、治安部隊員5人が死亡
付近の住民も負傷。

犠牲があっても、平和にはならない。
また、学校占拠のようなことも
繰り返されるのかもしれない。

少年篇

http://www.nissinfoods.co.jp/product/cm/show_cm.html?cm_type=B&cm_id=121

カップヌードルのCMシリーズ、no borderは
CMも好きですけれど”制作ノート”の文章が
とても好き。べた惚れ。

子供が銃を持つのは切ないです。
まかりまちがっても、
かっこよいと思われてしまわないことを祈る。
晴れた日の青い海は
威嚇するものではなくて
深呼吸して眺めるもの。

対処法

実際に被害を受けている個人の日本人や
商店店舗、企業施設などは、気の毒だと思う。
だけど、日本政府は本当に
首相が靖国神社参拝をあくまで強行し続けてきたことや
今年の教科書検定についてなど
直接のきっかけとなった事について
全く責任がないと思っているのだろうか。

日本で起きた事だったら日本政府はどうするだろう。
警備体制を充実させる以外に、何かするかな。
今まで
日本に在住している韓国や中国、朝鮮の方々に
一部の日本人が行った嫌がらせなどに対して
日本政府は謝罪や賠償をしてきたのかな。
チマチョゴリを切り裂かれた女学生に
日本政府は賠償をしたのかな。
戦後も、差別をされる事の多かっただろう
2世や3世の日本に居る日本以外のアジア国籍の人たちに対して
賠償と謝罪をした事があったのかな。

それでも、だからといって
その報いを、今アジア各国に滞在している
個人やお店がまとめて受けなければいけないという事は無いとは思う。
国と国のいさかいで、被害をこうむるのはいつも民間だ。
で、国の面子や建前なんかを守ったことで
民間が受ける恩恵なんてこれっぽっちもない。
日本政府は、この怒りを暴発させてしまった事に対して
ただ、抗議するだけで
自分達は何の対処もしないのだろうか。
ぶーぶー文句言うだけじゃなくて
あの人達の要求は、今のところ日本政府に対するものなのだから
それ、何か考えた方がいいのじゃないか?
自分達がそれだけ面子が大事なら
相手の面子というものも理解できるんじゃないのか?
どこか折れる事はできないのか?
相手の気持ちを逆なでするような事はやまほどしているのだから
そのうちいくつかについてだけだって
譲れるところを譲らないと
どんどん国民感情同士の関係が悪化していって
実際に何か得られるものがあるのか?その状態が楽しいのか?

ひとりひとりの個人が
個人間では、歴史の痛みも乗り越えて、くすぶるものを譲り合って
築いてきた結んできた関係を
またばっさり壊すわけじゃないでしょうねぇ。
国家権力って、本当に悲しい。
この、個人の努力を無にすることにかけての力だけは本当に強い。

うーらーみまぁすー。

sabato, aprile 16, 2005

桜 錯乱

桜の季節が、そろそろ終わった。
(これから八重桜が咲くけれど、
私の桜のイメージはどうしても一重ですよ。)

一年という時間が
とてもきつい事があります。
砂時計の砂が落ちていく
落ちていく止められない悲しさです。
時が経つのは、恐ろしい。
取り返しがつかないのに
不甲斐ないのです。
後悔する事を予想して
予想通りに後悔します。

大事な思い出があるときに
それを共有する人から
それが失われてしまうと
それを覚えているのは
自分だけです。
あった事だと覚えているのは、私だけで
取り残される記憶をどうしたらいいのかわかりません。

不老不死を願った、昔の人達が
いつそれを願ったのか
誰のためにそれを願ったのか
自らの為の人よりも
何か、ものすごく悲しい
こういう気持ちのときに
願った人が多いような気がする。

一年前と今とを比べて
今までの桜の季節を思い出して
桜の怖さはそこにもあるのかもしれない。

venerdì, aprile 15, 2005

クローンの卑怯

人の常識って不思議。
365日はどうしても、ひとくぎりなのです。
私には感覚的に、どうにもくぎれていなくて、続いているのだけど。
あの時、流行病のようにはびこった自己責任論は、どうしても
人の言い出す事として、おかしいから
それを言っていた誰か1人でも
間違えだったと、認めて声に出して欲しいと思うのだけど
それで一段落だという気がするのだけど
そういう事は小さくて、器の小さい私だけが思っているのかもしれない。
意地悪をしてよいと、なんとなく雰囲気が決まった対象に対して
群集的に、個としてでなく
自分が考えてではないように思える大量コピーの言葉で
的になった人を攻撃するような卑怯な人間に
何を期待する事も、できないのかもしれない。
しっかし、そんな人間がそれだけあれだけ多かったというのは
やっぱり、嫌な事で
この先に不安を覚える大きな一因です。
区切りがつかずに、積み重なって
いつか崩れ落ちてくるような気がする。

イラクでイラクの人によっての拘束状態となった人達が
今、イラクと日本の人と人の間の
直接の架け橋となっていてくれていることを
ありがたく思います。
ちゃんと生きて帰ってきて
イラクの人々の事を、ちゃんと話して下さっている事が
どれだけ大事かわからない。

lunedì, aprile 11, 2005

必需

ナチスによってユダヤ人の人々等が殺害された
ドイツ東部ブーヘンバルト強制収容所の近くワイマールで
10日解放60年の記念式典が行われ、
シュレーダー首相は「犠牲者に頭を下げる。ネオナチは許さない」
と反ナチズムへの決意を表明した。

こういう、国としての
きっぱりとした意志が必要なんだと思う。

domenica, aprile 10, 2005

あけてはいけない

Baghdad Burning 更新

Baghdadでは、占領に対する抗議行動が行われたんだそうです。
BBCも、CNNも伝えなかったっていうんじゃ、
日本は更に無理かも。
http://bellaciao.org/en/article.php3?id_article=5723
わかんにゃいですけど。取り扱われるかもしれないですけど。

そういえば、イラク兵が15人殺害されたという
ニュースはどこかで読みました。
戦争が始まると
亡くなってしまった人にとっては、もう終わらないし
生き残った人にとっても
殺される危険を感じずにぼんやりできる日常が戻るまでには
随分長い時間がかかる、ように思える。
戦争になるのはあっという間なんだけどなぁ。
サラエボだって、オリンピックしていたのだもの。
それなのに、次にテレビに出たときは廃墟。
はじめたら、おわりだな。
ああ、嫌。

ぼらちょ?

上海で留学生がビアジョッキで殴られたそうで、
殴ったら、同じ所に堕ちてしまうではないか。
日本人に生まれた人間というだけで、暴行を加えたら
自分も堕落してしまうではないか。

抗議する理由は理解できるけれど
国籍だけで、個人を攻撃したらおかしいじゃないか。
その留学生がどのような歴史認識の人か
わからないじゃないか。
どういう考え方の人かわからないじゃないか。
むーん。

けれども、
今回の事件を起こしたのは
今回の事件を起こした個人だけなのだけど
報道メディア、ぜーったい、煽るよなぁ・・・
同じ日本人同士、中国人同士だって
お酒が入ると特に、
顔が気に入らないとかで、けんかするものかもしれなくても、
こういう時期に、国籍を訊いたうえで
そういう理由にしてけんかふっかけると
ややこしくなっちゃうんだよなぁ。
軽傷ですんだという事は
周囲に止める人が居たのだろうけれど
そういうところは、伝えないしなぁ。

批判するなら
批判されるような批判の仕方はしない方が
怒りも哀しみを伝わるのではなかろうか。
日本人でも、個人によって
考え方はいろいろであるから。
酔っ払ってけんかふっかけるときは
普段から仲の良い、後で関係を修復しやすい友達を相手にして欲しい。
”日本”がそういう存在じゃないのは、悲しい事だけど。

それもこれも、
アルコール入っていなくても、酔っ払いみたいな
変な人々と、
変な人々に、何故か主導権取られちゃっている
日本の国の状態のせいなんだけどなっ。
考えてたら、また、腹立ってきた。

sabato, aprile 09, 2005

気がする

この件に関して
私の感覚がおかしいかもしれない事は、予め書いておいて。

だけどさ、例えば
大阪市の係長級以下の職員約二万三千人に
制服の名目で一人当たり三万数千円相当のスーツを支給してたそうで、
で、係長以下級職員家庭が、このういた3万数千円、
なんとなく、商店街で、大根とか、小麦粉とか、
買うような気がするんだよねぇ。
子供の学校の給食費や、新しい上履き買うのに、
使われそうな気がするんだよねぇ。
退職時に上限四百万円が支給されたら
それで、老後、白内障になったとき
病院に少しだけ気兼ねなく通院できる、ような気がするんだよねぇ。
係長級以下の職員、とか
職員全員にひとりあたり、とか
そういう”ヤミ配当”の数万円は、
結局、地元の八百屋さんの
今日、キャベツ一個多く売れた、という所に
つながりそうな気が・・・してしまう。

議員年金で、一年当たり、数百万もらうと
高い車買ったり、ブランド品買ったり、
知人の葬祭時に、他人より高いお金包んで
恩着せそうな気がするんだよねぇ。
きれいに手入れされた庭のある料亭で
芸妓さん呼んだり
きんきらきんの場所でお酒一本何十万円のお酒
飲みそうな気がするんだよねぇ。

自分の子供を議員にするための
選挙資金に提供されたりも
しそうな気がするんだよねぇ。
選挙時に有利に働く、なんてものじゃなくて
それで、選挙に出られる、気がするんだよねぇ。

あくまで、気がするだけだけど。

それでも、だめなんだろうけど。
もっと、ずっとダメな事は、
誰もつつかないのに、
つついてリスク無さそうなこういう事だけは
めくじらたてるのよね、
っていう、そんな気がするのよね。

venerdì, aprile 08, 2005

岐路

菜種油の使用済み食用油から
トラクターやバスの燃料を作ることができるらしい。
トラクターやバスが動くなら
作れば、そういう燃料で動く家庭用自動車、
小型車とか4駆とかもできるかもしれない。
発電機も動くらしい。
日本中で走る車の燃料を、全部まかなうだけの
菜の花畑を想像してみる。

・・・とっても いいんじゃないかい?

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな   

(↑山村暮鳥作 風景 一部引用)



2つ未来があって

ひとつは、

いちめんのなのはな
白い風車
光る屋根
ゆるくうねる海

もうひとつは

まっくろくすすけた天体


菜の花プロジェクト
http://www.nanohana.gr.jp/


オリーヴオイルとか、
ひまわり油とか、紅花油とかでもいけるんかな。

古代生物の安らかな眠りを妨げず
海底のガスも、砂漠の原油もほうっておいて
菜の花畑を作った方が
きっと楽しい。

martedì, aprile 05, 2005

無反省の愚

教科書検定で、従軍慰安婦とされてしまった人々に対する記述を
掲載する教科書が無くなってしまった事や
強制連行についての記述を掲載する教科書が
激減した事、領土問題についての
2つの意見がぶつかって国家間の摩擦となっているにもかかわらず
片側の意見のみを、主張する記述がなされていることについて
アジアで批判の声が上がったことについての報道が
まるで、その抗議の声をあげている人々の方が
事を荒立ていておかしいといわんばかりに伝えているのを聞いて
驚きました。これが、この国の多数派の?中立の立場からの?意見なのでしょうか?
ここしばらく続いた戦時下に行われた残虐行為に対する裁判の判決にも
愕然として、めまいをおぼえていましたけれど、
本当に、どうかしています。
どうなっているんでしょうか。
どうしたらいいのだろうと思って、どうしようもなくて、悲しいです。

韓国や中国の人達が怒るのは当然です。
政治家の人気取り、というのであれば
それは、日本の政治家の、
特殊な歴史観を持つ人達に対する人気取りだと思います。

自分が、韓国や中国に生まれた人間であると想像してほしいです。
以前のまともな教科書で、教育を受けた方々であれば
慰安婦とされた方々や、強制連行をされた方々が
どのような目にあったかはご存知のはずです。
それが、自分の家族であると想像してほしいです。

戦争の時代の事であるから仕方が無いという考え方はおかしいです。
それならば、戦争を始めたこと自体が間違えなのに
それは、認めないのですから。
戦前、戦時中になされた特殊な教育によって
他国の人間の尊厳というものを感じられなかったから仕方の無い事だというなら
今、また特殊になり始めている教育に対して疑問を持つべきです。

自分の母親が、かつて慰安婦とされた人間であったと
想像してほしいです。
それを、今、加害者の国が、その国の子供達に対して
きちんと、戦時中に行われた非人間的な集団行動として
繰り返してはならない事として、強く戒める気持ちを持って教える事を
放棄しだしたとしたら、どう感じるか考えてほしいです。

仲良くしたいです。
ちゃんと、誠実な国の人間として、
相手国の人間に対する誠意と、尊厳の尊重の気持ちを持って
仲良くしたいです。

日本人として、あのような教科書で
子供達を教育するようになるなんて事は
とても恥ずべき事だと思います。
ただ、歴史上の明るい面だけを
日本は素晴らしく清廉潔白な国であり
間違えなんかおこさないのだ、
だから、国家から死ねといわれたら死ね、と
そういうところにつながりかねない
そういうものは、教育とはいえないと思います。
それは洗脳です。
オウムが信者に対して行った事と同じです。

信じられない。
自分達のしている事を、さておいて
それに抗議する人たちに対して
選挙のためだなんて言うなんて。


子供の権利条約 
第29条
1、締約国は、児童の教育が次のことを指向すべきことに同意する。
  
a 児童の人格、才能並びに精神的及び身体的な能力を
その可能な最大限度まで発達させること。

b 人権及び基本的自由並びに国際連合憲章にうたう原則の尊重を育成すること。
  
c 児童の父母、児童の文化的同一性、言語及び価値観、
児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに
自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成すること。

d すべての人民の間の、種族的、国民的及び宗教的集団の間の
並びに原住民である者の間の理解、平和、寛容、両性の平等及び友好の精神に従い、
自由な社会における責任ある生活のために児童に準備させること。

e 自然環境の尊重を育成すること。

2、この条又は前条のいかなる規定も、
個人及び団体が教育機関を設置し及び管理する自由を妨げるものと解してはならない。
ただし、常に、1に定める原則が遵守されること及び
当該教育機関において行われる教育が
国によって定められる最低限度の基準に適合することを条件とする。

lunedì, aprile 04, 2005

どぶ

BaghdadBurning 更新

米情報機関の問題点を検証した独立調査委員会は、
3月31日に公表した報告書で、
ブッシュ政権が開戦を正当化する有力な証拠の一つとした
「イラクは移動式の生物兵器製造装置を保有している」との情報について、
中央情報局(CIA)が重視していた情報源によるねつ造だったと断定した。

イギリスのBBCなどの報道も、アブグレイブ刑務所に、
子供も拘束されていたニュースや、拷問が行われているという兵士の告発を
いち早く取り扱げてきた。

政府や権力機関が隠蔽したそうな事実が、
数年で明るみに出てくるというのが、
なにはともあれそれでも、でてくるという所が違うと思う。
日本は、出てこないねぇ。
なんだろ、また半世紀くらい経たないと
アメリカ政府の戦争を支持した間違いも認めないんだろうか。
それとも、半世紀も何世紀もたってもずーっと認めないんだろうか。
亡くなった法王は、ガリレオさんを罪とし罰を与えた
カトリックの間違えを認めた事も、偉業のひとつとなったけれど
本当は、カトリックとしては、それ、遅すぎるでしょう。
地球は、どうしても、丸い。
丸いものは丸い。
例え、その時代それが明らかに確かに思えなくても
主張する人が居るならば、その可能性は視野に入れるべきで
主張する人を断罪するというのは、自分達の考えが
どうしても正しくて絶対だと思ってしまう傲慢さだったと思う。
それは間違えで、間違いを理由に断罪したのは罪な事だ。
認められないのは、愚かだ。

アメリカでもイギリスでも、政府に迎合しない報道をすれば
”目をつけられる”事はあるんじゃないか?
それでも、圧力を受けても、本当のことを言う人が居るし
その事を、大きく取り上げて伝える報道がある。
そこが違う。
日本でも、本当に政府と迎合しないような報道をしたら
暗殺されるかもしれなかったりするのだろうか?
なんとなく、何も確かな事は無いのに
ただ摩擦を起こす事が面倒で、あまり問題になりそうな事は
勝手におもねって、避けている様な気がするのは
気のせいなんだろうか?
放送コードを自分達で作って、自分達で勝手に自分達を統制して
従順にも程がある。

イラク戦争の理由だとされていた事は、全部からっぽだったわけなのに
自分達で真剣に検証している様子も無く
アメリカ政府から渡される情報をそのまんま受け取って
日本なのに、被爆国なのに、
戦争の加害者になるひどさ被害者になるひどさを経験した国なのに
つるっとイラクの人々を戦火に焼く事を支持してしまった政府に対して
責任を追及するような声があまりにも少なすぎるんじゃないだろうか。
特に報道に携わる、その中でも実行力のありそうな”大人”の人たちに。

争いごとを好まず、相手のあるがままを認められるという長所が
日本人の国民性にはあると思う。
やっぱり、だからこそ、平和憲法を世界に先駆けて担って来れたのだと思う。
でも、その”争いごとを好まない”部分が
逆に争いごとを悪化させ被害を増大させてしまうように
働き続けたとしたら、
それは、寛容で穏やかな長所、じゃなくて、”日和見で卑怯”になってしまう。
戦争に反対するには、本当の勇気が要る。
人と戦って殺すのは勇気じゃなくて、野蛮、なんじゃないだろうか。
日本人にもいろんな人がいるけれど、印象として持っている特徴のこの穏やかさは
事なかれ主義の日和見じゃなくて
季節の移り変わりの中で、糧とするものを育てて収穫して生きてきた、
時間をかけ考え深くある事のできる知性と、
暴力による争いは、連鎖するばかりで
問題を解決しないという毅然とした理念に裏付けられたものであると
示す事が必要だと思う。示すときだと思う。
・・・実は、そうじゃないんだとしてもさ、
示す事ができれば、そうだということになれば、
現実はあとからついてくるかもしれないじゃない。

報道に関わるなんてのは、生活する為の経済力の為だけにする仕事じゃ
ないはず。何か思って、使命感を持って、その仕事を選ぶはず。
ごたごたする事が怖くて、適当で当たり障りの無いようなニュースばかり
選んでいるというのは、
結局能動的に、何かに加担しているという事だと思うのだけど
結局、それも偏っているうちだと思うんだけど
自分の信念に背く事になっている人も多いだろうと思うのだけれど
それは、良いんだろうか?

つくづく思うのですが、NHKの番組への政治的介入を告発した
プロデューサーの方は、勇気があったと思う。
この国に、こういう面があるのをよく承知しているのに。

domenica, aprile 03, 2005

BOOMERANG NET

イラクブーメラン意見広告プロジェクト。
http://www.boomerang-ad.net/
賛同の締め切りは4月13日だそうです。

部分抜粋転載。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ブッシュ大統領によって大規模戦闘終結宣言が出された5月1日に、
イラクを含む中東全域で読まれている
アラビア語日刊紙「アルハヤート」に、
「イラクのみなさんへ 私たちの声を聞いてください、
あなたたちの声を聞かせてください」(仮)
と題する意見広告を掲載します。
そこでは、アメリカ主導の占領に反対し、
それに加担する自衛隊のイラク駐屯に反対する声が
日本に存在することを伝えるとともに、大手メディアでは伝えられない、
イラクの一人一人の市民の声を私たちに直接投げかけてほしいと伝えます。
そして、インターネットやイラク支援NGOなどを通じて
投げ返されたイラクの人々の意見を、
日本をはじめ、イラク戦争に加担した多くの国の人々に伝えます。
そんなプロセスの中で、占領を今すぐ終結させ、
真の意味で独立を回復したイラク市民と世界の市民が
手をつなぐきっかけにしていくことが、
今回のプロジェクトの目的です。
既に、日本国内だけでなく、
今年が日本との国交回復40周年となる韓国の若者が趣旨に賛同し、
共にプロジェクトをつくりあげていくことが決まっています。
そして同時に、現在イラクで起こっていることの真相が
正確に伝えられていない現状を見据えて、
私たちはイラクを知り、イラクの人々とつながるための
様々なアクションを起こしていきたいと考えています。


この意見広告掲載には約200万円かかる予定です。
多くの人からのご支持とご協力によって
この「イラク・ブーメラン意見広告プロジェクト」を成功させたいと思っています。
ぜひご参加・ご支援下さるようお願い申し上げます。

今回、意見広告掲載を予定している中東の新聞「アル=ハヤート」で
    私たちのメッセージを伝えるために、
    必要最低限の経費を含め約200万円必要です。
    ご賛同いただけましたら、次のように賛同金をお寄せください。
       個人 一口 : 1000円
       団体 一口 : 5000円
【振込先】
       郵便振替口座
         加入者名 : BOOMERANG NET
         口座番号 : 00220-6-78892
 ※ご賛同いただきますと、お名前を意見広告に掲載させていただきます。
     (不掲載をご希望の方は、お振込み頂く際にその旨記して下さいますよう
      お願い申し上げます)
 ※振込用紙に下記の項目をご記入ください。(●は必須項目)
       ●名前
       ●住所
       ●電話番号
       ○メールアドレス
       ○掲載希望名(ローマ字もしくはカタカナ)
       ●掲載可不可
       ●金額(個人x 口・団体x 口)
 ※個人情報の取り扱いには十分注意いたします

転載おわり。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

フリーズ

フランスの国営放送の番組にも
政府、シラク大統領による圧力の疑惑があったらしい。

ヨハネ・パウロ二世死去

中国山西省で戦時中に日本軍から受けた被害の後遺症に
今も苦しんでいる女性達の訴え、控訴棄却。
ひとつ判決の前例ができてしまうと
こうやって次々それに倣ってしまうものなんだろうか。
間違った判決だったとしても?
鸚鵡大国。

スーダンのダルフール地方虐殺事件に対して
ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に訴追する決議案を採択。
そんな所に、PKOとしてまた自衛隊が派遣されるかもしれないって。
地元北部の一般の人々は、大規模な多国籍軍部隊の派遣に対して
歓迎よりも不安の色を浮かべているそうな。(東京新聞
不安・・・。
(付 取りやめになったそうです。問題が起きては困る、と。なるほろ。)

アブグレイブ刑務所で戦闘。
軍、兵隊というものがどこかに武器をかついで出向くという事は
こういう結果をもたらす可能性が高いのじゃなかろうか?
その場所に住んでいる人生まれた人にとっても
そこに派遣される人にとっても、一番悪いやり方を
何故、力の強い人たちは、いつも選択するのかな。

今日、桜咲き始めるのみた。
桜は潔く散る、というけれど、樹だからね、
結構長生きします。
花を散らすというのは、髪の毛を切るくらいのものなんじゃないだろうか。

キルギスのアカエフ大統領は辞任に同意。

ブッシュ大統領は、ローマ法王に対する追悼の言葉として
自由の擁護者を失ったと述べたそうですが
攻撃者が攻撃をやめればいいのに。
法王はイラク戦争に対しても、幾度も遺憾の意を示してましたけれど。

ネパール国王 元首相の自宅軟禁を解き、その他258人を解放。
でも、まだ、軟禁状態や拘束状態にある人たちは居るそうです。
29日にジャーナリスト200人が抗議行進。

いろんな事が起きているようですが
情報処理能力の限界を超えています。
脳みそか鼻水かわからん。もう。