lunedì, febbraio 28, 2005

泣く人がまた増えた

BAGHDADのマーケットで自動車爆弾
少なくとも115人が亡くなって
148人が負傷。

安定・・・しているのか?これが。
ニュースにする価値ないか?
元凶は戦争だと思うんだけど。
日本は国としてはそれを支持しているんだけど。

選挙が成功って、本当?

domenica, febbraio 27, 2005

法の精神の堕落

台湾在住の女性7人が
第二次世界大戦中、旧日本軍に慰安婦として
苦痛を強いられた事に対する訴訟で
最高裁第二小法廷(今井功裁判長)
は、25日 原告側の訴えを退ける決定をした、そうです。

人間が出した判決として、とても恥ずかしい情けない判決だと思う。
最低。
どこまで、罪を重ねようというんだろう。

裁判員の審査をする選挙で
正しい投票ができる為には
こういう判決についても、有権者は知らないといけないと思うんですけど。
だいたい、この裁判についての詳しい事を
知らされるべきだと思うんですけど。

venerdì, febbraio 25, 2005

扉の欠陥

TVに踊らされている自分がつくづく嫌だ。
ニュースはチェックしているのに、現在が国会会期中であることさえ
気がついていない人もいた。
それに、NHKの番組政治関与問題だってどうなった?

それでもなんだか、気になっちゃったメディア買収の件の細かい所
Livedoorが、提案する、
展開や結末が、視聴者の声で変わっちゃうドラマって
それ、観る価値があるのかなぁ。
私なら、観ない。
それは、表現者の表現を
数の力によって歪曲する事なんじゃなかろうか?
そんなドラマ、
作り手の人たちは、作りたいんだろうか?
たとえそれで、感動できるように仕上がっても
完成度の高いものとは言えない気がする。
それは、”作品”とは呼べないような気がする。

それにしても、
この件見ていてつくづく思うのは
私以外を見ても、なんとなく、
めだまって、「変わって欲しくない!」
と思われるような理屈じゃない愛着を
一般の視聴者から
あまり持たれていないんだなぁという事でした。

実際、今のままだって、
結局、視聴率に安易におもねって
作り手の訴えたいメッセージなどは、軽視されたような
ドラマ作りになってきている気がするし。
ただ、あからさまに、そうします!とシステム化してしまうのと
なし崩しにそうなってきている事で、改善の可能性が残されている
というのとでは、ちょっと違う。

そうなって欲しくない、と、思っても
取り返しがつかないことがあるから
そうならないように、
そこに至る道を選ばないよう考える意味があるわけで。
また、後から後悔しても
もう、やり直しがきかないからこそ、
貴重な大切な時間、というのもあるわけで。

でも、そんな大事な事とか話の意味とかどうでもよくて
ただ面白ければいいだけのドラマなら
そりゃ、どうなってもどうでもいい。
ただ、作り手がそう考えているその時点で既に
その話は、面白くない。

lunedì, febbraio 21, 2005

お金の為なら何でもやる方々

日本経団連の奥田碩会長は21日の記者会見で、
ニッポン放送株買収をめぐって
ライブドアの堀江貴文社長への批判が強まっていることについて
「金さえあれば世の中何とでもなるという考えは、
日本社会で一番まずい話なので、
道徳的におかしいと政財界から非難が出た。
堀江さんも甘んじて受けないといけない」と批判した。



はぁっ!?
なんですとっ!?

ああ、この言葉が一番向けられるべきは
ご本人なのではないかと、ワタクシは思う。


ところで、
MADRIDのビル火災の状態と
911の貿易センタービルの火災のときの状況が
あまりにも、違うという話を読んだ。
ほんとだ。
くずれ落ちなかったね。
不思議だね。

貿易センタービルが崩れたのは
やっぱり飛行機がぶつかったせいだけじゃ
ないんじゃないかい?
この疑問に賛成。
http://www.parody-times.com/join/col_honne/column.html

次から次へと

Iraqで人質になっていた
インドネシアのジャーナリストMeutya Hafidさんと
同じテレビ局の技術者(?)Budiyantoさんは
無事、解放されたそうです。

で、良かったなと思ったのも束の間

今度は、イラク人ジャーナリストの
彼女の10歳になる息子さんが
拉致されたそうです。

Sgrenaさん達については
進展なし。

転載です

☆イラク支援寄付金のお願い☆

PEACE ONではイラク支援寄付金のご協力をお願いしております。
イラク現地入りが困難な状況がつづいているため
現地スタッフのサラマッドが支援金を数百ドルですが一部立て替えており
(ファルージャからの避難民への食料支援、ほか)、
今回の支援分に加え、その立替分の支援金も必要です。
また、寄付金のご協力を広く呼びかけていただければ幸いです。

・振込先 郵便振替 00160-2-647637
      口座名 PEACE ON
・備考欄に「イラク支援」とお書きください。
・ご協力いただいた皆様の氏名などは基本的に公開させていただいていますが、
匿名希望の場合は備考欄に「匿名希望」とお書きください。


イラク問題に対する世間の関心が薄れるにしたがい、
寄付金額も減少しています。
引き続きイラク支援を継続していくために、
より多くの方のご賛同、ご協力をお願いします。

転送歓迎ここまで

めだまドア

http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html

livedoorのメディア買収問題について、江川昭子さんが書いていました。
これを読むと確かに多少、イメージが変わる。
かなり揺れ動きますですね。
最初っから、別に特にlivedoorを応援しているわけじゃないし。
これが、社長さんの意見であれば、なんとなくものすごく賛成はしない。
でも、だからって、政治的な関与が入る問題ではないと
まだ、思う。
売っているものは、株であって経営権であって
ジャーナリストの良心でもないし
伝える側が作った内容に、関与する権利でもない。
売っているものは、誰が買っていいと思うし
経営権、運営権を手にしても、
伝えられる報道の内容に、関与するべきじゃないと思う。
個人の持つ考え方で、真実を歪曲させたりはしてはいけないと思う。

こちら側からは全くアプローチの方法が無い
送り手の良心に頼るしかない、
知りたい事を伝えてもらう為の、効果を期待できる方法がない
経営する側には、その損得によって
記事の内容について干渉する権限がある事が当たり前な
その現在の状況が、・・・至上かなぁ。

日本人は、絶対政治に興味を持たないか?
もしくは、
日本人には、自分の望む方法で伝えてくれるメディアを選ぶ能力は
絶対無いのか?
livedoorの媒体を望まない人は
違うものを選ぶ自由があって当たり前なのだから
livedoorの機械のような冷徹な無感情のメディアも
そのひとつとして、あっても構わないかもしれない。
それと、それではないものとを選ぶのは、こっち。

報道の使命、なんていうのは思い上がり
という、思い上がった
    (ように私には思える、
     と書く私もいい加減思い上がって居るようなんだろうとも思えば、
     うんざりする。
     思い上がった、っていうのは、実にうんざりする表現だな。)
考え方を、記事を書く記者に、また記事の内容に
押し付けるのであれば、大いに問題です。
でも、もし、本気でどっちでもいいと思っていて、
全くの自由の中に放置するというのであれば
本人が、そう考えていたとしても
結果的には、報道の使命、を信じている記者が
その使命を果たしやすくなるんじゃないだろうか?
わかんないけど。
そういう使命を感じている人は、
特に選んで潰させてもらいます、という経営者よりは。
実質的に、使命が果たせるなら
経営者がどういう考えでも構わなくなくなくなくなくなくない?

結論としては、結局
やっぱり、どっちでもいいやぁ、という事でした。
だって、今のフジテレビ、別に特に変わって欲しくないと思えないもの。
標的がフジテレビとニッポン放送である、今のところなら
ほんと、どっちでもいい。
勝手にすれ。

それにしては、随分長く書きました。おばか。

domenica, febbraio 20, 2005

今、戦死するかもしれない日本人

ローマでのSgrenaさん達の解放とイタリア軍のイラクからの撤退
平和を求めるデモ行進は500,000人の参加があったそうです。

19日にはBAGHDADとその周辺で自爆テロが集中、
2日間で91人が亡くなってしまったらしいです。

オランダ軍はサマワからの撤退準備を始めたそうです。

自衛隊がIRAQに派兵されていると
自衛官は、(事実上の)戦闘地に居なければならないが
自衛官以外にも
実質的には断れない状況で
(事実上の)戦闘地域に派遣される人達がいるそうです。
普通の人たち。
三菱とかで働いている人は、辞令を受けると
(事実上の)戦地に行って、自社製品の整備をしなくちゃならない。
戦車とか戦闘機とか。
防衛庁が要請したので、企業はそれに応えている、のだそうですわ。
どっひゃーだ。

自衛隊が敵とみなされていれば
その駐屯地で、軍のために作業をしている人も
敵に見えるだろう。
派遣についての事は、口外しちゃあいけないらしい。
で?
拉致されたらどーするのだ。
殺されたらどーするのだ。

で、なんでそれを私らは知らないでいたのだ?

・・・・・!!!!!!(壊)

sabato, febbraio 19, 2005

まとまらね

イラクのニュース、テレビでは本当に少なくなってしまったのだけど
インターネットを見てても、
イラクは、ぜんぜん落ち着いたようには思えない。
バクダッドでも連続テロとかで20何人も亡くなったって言っていたし。
大体、
信じている人も居ないのかもしれないけれど
一応報道では多く言われているように
選挙も成功して一段落なら
何故、今、無差別にそこいらじゅうの人を殺すような
キャタピラロボットを
わざわざ送り込む必要があるのかわからない。
落ち着きがみられてきたのなら、
選挙で選ばれた議会も、他国軍の撤退を求める方向にあるのだし
アメリカ軍、多国籍軍は、出て行く準備を始めているはずで
持ち出してはいたとしても、持ち込む必要はないじゃーないか。

にゃー???
今、イラクに他国の軍隊が居続けている理由って
要するに何?
平和憲法まで持ってて、平和主義っていう事になっている
戦争被爆国日本の、普通にさえ海外に派兵される事が疑問視される自衛隊が
わざわざ、他の国が撤退している中で居残り続ける理由って
何?
そのせいで、効率的非政治的非軍事的な
民間の人たちの、今本当に必要とされている国際貢献ができなくなっているのに
そういう事を、納得している人が納得できている理由って何?
わかんないんだもの。
何?

ローマでは、Giuliana Sgrenaさんと、
Florence Aubenasさん, Hussein Hanounさんの解放
と、平和を求めるデモ行進が19日に行われる予定で
200000人以上の参加が見込まれているそうな。

インドネシアのジャーナリストの人も2人、拉致されたらしい。

venerdì, febbraio 18, 2005

なんで?

BaghdadBurning 更新

イラクのニュース、テレビでは本当に少なくなってしまったのだけど
インターネットを見てても、
イラクは、ぜんぜん落ち着いたようには思えない。
バクダッドでも連続テロとかで20何人も亡くなったって言っていたし。
大体、
信じている人も居ないのかもしれないけれど
一応報道では多く言われているように
選挙も成功して一段落なら
何故、今、無差別にそこいらじゅうの人を殺すような
キャタピラロボットを
わざわざ送り込む必要があるのかわからない。
落ち着きがみられてきたのなら、
選挙で選ばれた議会も、他国軍の撤退を求める方向にあるのだし
アメリカ軍、多国籍軍は、出て行く準備を始めているはずで
持ち出してはいたとしても、持ち込む必要はないじゃーないか。

にゃー???
今、イラクに他国の軍隊が居続けている理由って
要するに何?
平和憲法まで持ってて、平和主義っていう事になっている
戦争被爆国日本の、普通にさえ海外に派兵される事が疑問視される自衛隊が
わざわざ、他の国が撤退している中で居残り続ける理由って
何?
そのせいで、効率的非政治的非軍事的な
民間の人たちの、今本当に必要とされている国際貢献ができなくなっているのに
そういう事を、納得している人が納得できている理由って何?
わかんないんだもの。
何?

どこでもドア

最初、ぜんぜん興味なかった話ですが

売っているものを、なんでlivedoorだと買っちゃいけないの?
時間外だって、合法なら方策のひとつなんじゃないの?
電波メディアは、政治家の”知っている人”じゃないと
経営や運営に関われないってこと?

テレビ、変なわけだよなぁ。

民主主義でもないが、
資本主義ですらないわけなのか。
要するに、目指しているのは”民主主義人民共和国”ですか?
北朝鮮と同じ。
自由”民主”党、とか、”民主”党とか、
アメリカ政府首脳陣の言う所の”民主主義”。

お金を出すと物が買えるのが、自由経済の基本なはずで
政治権力が、それを阻むようになったら、
結局、政治権力に関係を持たない人は必ず支配”される”側にしかなれない
選民主義社会になってしまうって事で
要するに、コネが無いと米が買えない、ような日も来るかもしれない。
いやあねぇ。

別にlivedoorに特に感情は持ってないが
今までのフジテレビの姿勢が、好きだったわけじゃないし
正直、どっちゃでもいいんだけど、
どっちゃでもいいなら、今と変わった方が面白いような気がする。
楽しくなければテレビじゃない、って、あれ、うそだった?

これで、また楽天が横からかっさらったりするんだろうか。
ずる。

lunedì, febbraio 14, 2005

やっている事

Iraqで拉致されて、安否がわからないでいる
il manifestoのジャーナリスト
Giuliana Sgrenaさんは、
今まで、Somaliaや, Afghanistan, Algeria, Iraqで
戦禍の中で、本当に一番苦しんでいる
一般の人々の姿や声を、イタリアのメディアに乗せてきた人
なのだそうだ。
そのことは、イスラム世界の人々にも知られていたそうだ。

・・・・・。
実際、どういうつもりなのかわからない。
けれども、現実として、
こうやって、戦場から命を懸けて
戦争の愚かさを伝えてきているジャーナリストを
拉致したり、
信憑性はわからないらしいけど
出されている声明どおりに処刑したのなら、
やっている事は、アメリカ政府への加担だ。

いくら、
「Italia軍のIraqからの即時撤退を要求」していても、
アメリカ軍のスパイだ、などと主張しても
実際、戦争を主導してきたアメリカ政府に、
実質的に役に立っているのは、拉致した側の人たちのほうだ。
気が付いているのかいないのかは知らないけれど。

体調が優れなくて、なんだったか儀式まで出れなかった法王が
復帰するやいなや
彼女の解放の為に、声明を出した。
もう、書くまでも無いけれど
「自分が政府に逆らってイラクに取材に行ったのだから
自己責任だ」などという、非人間的でふざけた空気は、
無いように見える。

だっさ

審判のユニフォームの胸部以外にも
背景の柵とか、いくらでも広告出てるよなぁ。

なんつうか、かっこわるい
いくら、”広告”のもんだいだっつったって、
意固地になっているその意図はあきらかだしょ。

大体、この問題は本来、NHK VS 朝日ではなくて、
政治家が、番組を改ざんするよう圧力をかけたか、
もしくはそれをほのめかしてNHK側が自ら変えるように仕向けたという事なはず。
(正直、たいして変わんない)
NHKと朝日とを焦点にしようとしている事で
なんとか逃げようとしている、本来の主役の方々がいるのよね。

ラグビーが好きな方は、
そんな人をかばおうとして、わけがわからなくなっているNHKの
暴挙にとばっちりを受けたわけで、まったく気の毒です。

sabato, febbraio 12, 2005

続く

イラクでは選挙後170人(以上)の死者が出てるらしい。

BaghdadBurning更新

ところで、日本
共謀法って、立ち消えたのかと思ってしまっていたけれど、呑気すぎました。
それどころか、今国会で刑法改変で成立しちゃうかもなのらしい。

日本が、モノも言えないようになってしまったら
そこから、もう一度自由を取り戻す為に
行動を起こせるんだろうか?日本人は。
そうならない前に食い止めた方がいいんじゃあないんですか?

venerdì, febbraio 11, 2005

連鎖切れることなく

ガザ地区で、イスラエル軍の銃撃でパレスチナ人が1人死亡し
ハマスが、報復の為ユダヤ人入植地に迫撃砲攻撃をした。

・・・そうか。宣言だけじゃ、ぜんぜんだめなのか。

mercoledì, febbraio 09, 2005

ニュース番組  なんじゃないのかよ

世の中にはいろんな人が居て、
スポーツ好きの人というのも、その一部であって、
スポーツに関心が無い人も、その一部で
報道番組というのは、その両方、全ての人の為に
提供される放送番組だと思う。
全ての人が
知っておいた方がよい「ニュース」が伝えられるべきだと思う。
スポーツは、全ての人の関心事、ではないので、
お願いだから、スポーツ番組でやってほしい。
それについて知らなくても、なんら問題は無いから。
誰も死なないし、誰も苦しまないから。
もっと、別の、人々が知っておかなくてはいけない事が
あるはずだと思う。
ひとりでも多くの人が知ることで
犠牲が生まれなくてすむこと、
人が助かるかもしれないことが、
あるはずだと思う。

オリーブの林を抜けて

オリーブの花言葉(樹言葉?)は平和。
オリーブの林が、シャベルカーで引き倒される映像は
象徴的だと思った。

イスラエルとパレスチナの両首脳、停戦宣言。

30年かけて農夫に育てられたオリーブの林は
農夫が、元に戻せたと感じられるようにするまでには、
また、30年、それ以上の月日がかかるだろう。
失われた家族は、二度と戻らない。
傷つけられた心も、
強い人が、それを乗り越えられたとしても
癒える事は無いだろう。

でも、戦争でない状態になれば
少なくとも、オリーブの林を植えなおす事はできるから
今以上に、戦争による犠牲者が増える事を、止める事もできるだろうから
停戦は、終戦であって欲しい。
戦争は停止して、そこで絶たれて欲しい。

lunedì, febbraio 07, 2005

ある意味、ピーターパン

スパイ防止法なんて、笑っちゃう。
スパイの定義が、ほんとにわからない。
「横田めぐみさんたちを拉致した人達」なら、それは
拉致犯であって、それに該当する刑法はあるはずだね。
中曽根さんなんて、なんだかわからないが
それこそアメリカのスパイみたいな方じゃないか。
この方が、首相のとき
北朝鮮に拉致された方の救出に関して
どれだけの努力をしましたか?

疑わしきは、罰せずが、公正な法律の原則だと思います。
何の根拠も無く、ご自分がスパイであると
ある日突然認定されたら
平沼さん、西村さんどうするのか?
いくらでも、何か理由はつけられそうですが。
平沼さんもいきなり、訪朝されたこともあるわけだし。
風がいつも、自分へ都合よく吹くとは思わない方が良いと思いますよ。

「もうひとつの国」の危機

関谷勝嗣参院憲法調査会長は3日午後、
今国会中にまとめる最終報告書に
「憲法9条の改正は必要との意見が多数だった」
との内容を盛り込む考えを示したそうです。
先日、今後予想される展開として、
早ければ、今年5月にも改憲の為の国民投票法案が、
国会に提出され成立してしまうかも
しれないというのを読みました。
もし、それを阻止できたとしても、
今の状態では成立するまで何度でも提出されてくるでしょう。
この人達は、本当に呆れるほどにこつこつと地道で
着実で根気強く歩を進めてきます。
考えてみれば、この方々は、たとえ今目標を達成せずとも、
主張を続けている、という事によって今の地位を保持できるとか、
権力を保持できるとかの利があるのかもしれません。
続けている事そのこと自体で、得ができるのでしょう。
それに引換え、戦争をしない平和主義である事を求め、
憲法の改悪に反対する側は
ただ、それによって、こういうときに黙っているような人間にはなり下がらない、
という誇りを持ち続ける事ができるというそれだけです。
誇りで空腹は満たせないとなれば、なかなか持続が難しい。

でも、お腹の足しにならない、雨風しのぐものにはならない、
その誇りは、
実は、人間として在り、生きていく事に、
とても大切なものと思うのですけれども。

こういう、感覚、価値観というものは、
読書によって培われる事も多いような気がします。
勿論、本好きな人が皆、戦争を疎み、
平和を求めるようになるとは限りません。
”作る会”の人達なんかでも、読んでいるかいないか、
で言えば、かなり読んでいる人々だと思います。
ただ、普通に自然に考えた時、
大多数の人は「平和なほうが良い、戦争はしないほうが良い」
と考えるものだと思います。
その人達が、その考えを、自分の考えとして組み立て、
確かなものとできていたなら、9条や前文に特に示されるような
現在の日本国憲法の毅然とした平和主義の姿勢を
変えようなどという意見が主流になるはずが無いと思うのです。
漠然とした、本能から来る自然な思い、
それを根拠立て確かなものとできないでいると
その考えに自信がもてないから、自信ありげにきっぱり主張する人が居るとき
その内容が何か違うような気がしても、流されてしまうのだと思います。
もし、自分の考えが確かなものであったなら、
たとえいくらきっぱり発言されたものでも
その発言の矛盾や、異常な点があれば、それに気が付くことができ、
自分の考えが揺らぐ事も無いはずです。
矛盾してますよ。
改憲を主張している、軍隊を持ち戦争をできる国へ日本を変えようと主張している
あの人達が、元気で、幸せに、そういう事をのたまっていられるのも、
戦争は二度としない、という誓い、前文や9条に象徴される憲法に守られて
日本が、平和主義の国として60年間歩んでこれたおかげなのに。

考えを組み立てて確かなものにする力は、
澄んだ水をそそぐように、
たくさんの言葉を自分の速度で理解しながら頭の中を通す
文章を読み進める事で養われるものと思うのです。
憲法の前文や9条を読んで、わかりにくい、
理解しづらいという感想しかもてないというなら、
まず、そこで、そんな国語力でいいのかと思ってしまいます。
この、気高い決意を示した美しい文章に感動できないなんて、
せっかく日本語を母国語とする日本人として生まれたのに、なんて勿体無い。
日本人が一番に日本語を深く理解できないのなら、
一体、日本語はどうしたらいいんですか。気の毒に。
自分の日本語の能力がそう優れているとは、残念ながら思えませんけれど
地方のそれぞれの方言、子供や若い子の使う新しい日本語や、
外来語がこなれて変化したものも含めて、
私は、日本語という繊細で情緒の深い表現を持ち、
幅の広い言語がとても好きです。
なんてことを書いていると、まぁ、自分の愛国心、
その辺の街宣車のお兄ちゃんよりよほど強いと
苦笑せずに入られませんが。
言葉を頭の中で組み立てて、自分の考えを確かなものにする
日本語を母言語としていながら、
それがそんなにまでも、理解されなくなってきているのなら
自分の意見、確かな自分というものを、
持つのも難しくなってきているのかもしれません。

本が読まれなくなったせいなのではないか、
多少暴論ですが、そう思うことがもうひとつあります。
以前、高橋源一郎さんの書評について書いたとき
何かおかしい、なにか変になってきている、
この「なにか」、は何だろう、と考えたとき
それは、良心、というものが失われてきている事なんじゃないかと思いました。
今、またそれを思い出して、思い至ったのは
「想像力」が失われてきてしまったので、
「良心」が機能しなくなってしまったのではないかという事です。
テレビで司会者が「この捕虜に拷問を加えて情報を引き出してもいいかな?」
と問うた時視聴者や回答者が「いいとも」と答えた、
というそのえぐい現象は
つまり、そういう事を訊かれた時に、
拷問を加えられる側の人間の痛みや苦しみが、
瞬間的に脳裏をよぎらない、想像できないからこそ、
それに「YES!」と答えることができてしまい、
罪悪感を感じる事ができないから起きた事なのかもしれません。
これが、イラクへの戦争をしかける大統領を支持できてしまう、
「作る会」の教科書が、採用される事を見過ごせてしまう、
クルド人難民者のカザンキランさんがトルコに強制送還される事を見過ごせてしまう
その他、もう、ここの所、本当に列挙すればきりがない、
そういう非人間的な事がまかりとおってしまう
そういう所にも繋がっているのではないかと思うのです。
本を読んで、文字だけの所から情景を思い浮かべ、
少しの間、読み進めることを休止しその情景を眺め
そして、また綴られた文字に戻っていく、
映像だけでは伝わりにくい、遠い氷の国や砂漠の国の人の気持ちや価値観を
自分のものとして、共感する。
そうやって、長い人類の歴史の中で育まれてきた想像力が、
今、失われてきているのかもしれないと思います。

情報が少なかった昔は、知らされないことによって
残酷であってはならない事が、まかりとおっていったのだとしたら
現代は、いくら情報をもたらされても、
それに反応する人間の能力が退化してしまった。
だめになってしまって、許されるべきではない事が許されるように
なってきてしまった、のかもしれないです。

それで、ですね、
何故、図書館が民間企業に管理を委託される事に、私が、反対するのか、です。
民間企業が管理運営する事になれば、採算が重視されるような気がします。
コストが削減され、作業の能率化が進められ、
利潤を生むことが求められるようになるような気がします。
でも、図書館というのは・・・・・
例えば、10年間手に取られない、開かれない本があったとしても、
10年目に、誰かがその本と出遭うのなら、その本は、
10年間、そこに無ければいけないのです。
それは、無駄として省かれてはいけない大事な図書館の役割です。
今までに、特に子供の頃に、本を読んで強く感動した事がある人
初めて読んだときは、そう衝撃的でなかったとしても、
その本の内容がことあるごとに思い出されたり
何年も経ってから、その意味に気が付いたり
そういう特に思い入れのある本との出会いがある人は
少し時間ができたら、是非、図書館に行き、
その本が今も書棚にきちんと並んでいるかどうか
確かめてほしいと思います。
1人が衝撃を受け感動した本に対して、他の人間も同じように衝撃を受け
何かを得られるとは限りません。
というよりも、ほとんどの人は、それぞれが違う思いを抱く物と思います。
それぞれの個人の持って生まれた感覚、今までの経験、知識によって
同じものを読んでも、感想は十人十色なはずです。
でも、今大人になった人と、
とても似ている感覚を持つ子供が、今いるかもしれない。
同じ本に感動できる要素を持った子供が、
今、その本と出遭う時期にあるかもしれない。
その子供は、やっぱり、その本との大事な出会いをする権利があるはずなんです。
それが可能な状態になっているかどうか、確かめて欲しいんです。
大切な思い出を持つ本と、無事、書架で再会できた人は幸運です。
私の通う図書館の閲覧書棚からは、なだいなださんの「おっちょこちょ医」も
舟崎克彦さんの「ピカソ君の探偵帳」も消えていました。
大きさも装丁もとても好きだった、福音館の土曜日文庫が全部無い。
「おっしょこちょ医」を並べないでいて、よくも図書館を名乗れる!
・・・・私怨を交えてしまいましたが、

思い出される本を、ネットで検索してもわかると思うのですが
たくさんの素晴らしい本、好かれていた本が、今、廃刊、生産中止です。
そういう本は、図書館で探すしかないのです。
今の子供は、図書館でしか出遭えないのです。
たまたま、制限無く、気になった本を買える裕福な子供であってさえも
お店の本棚でその本とめぐり合う事は、なかなかできません。
古本屋も減ってきていますし。
今、背表紙が気になっただけで、何冊でも本を買える子供が
どれだけ居ますか?そういう事をしたいと思える子供がどれだけ居ますか?

民間企業が管理するようになって
人件費を削る為に、司書の人が減らされたり、その雇用が安定しなくなって
対応がマニュアル式になることで、
親身になって時間をかけ一緒に一冊を探してくれたり
なにかのきっかけで読む人と本とを繋げる橋渡しをしたりが、
できなくなってしまう事は無いでしょうか?
並べられる本も
企業が、その時広告費を費やし、今、元を取りたい、企業として売りたい作家の本、
ベストセラー、話題の本、売れ筋作家の本ばかりが、
試食販売のように並べられるようになったらどうしようと思います。
管理を能率化するために、整理しやすくする為に本の種類が減らされて
夏休みに3冊指定される文部科学省推薦図書のように、
提供する側が提供したい限られた本だけがあって
その本と気が合わなかった子供が、本を読む事の魅力を知らずに
読書は面白くないものと思ってしまって、本を読む習慣がつかなくなる
そういう事が今よりさらに増えてしまうかもしれません。
本当は、出遭うべき本と出遭わなかった為に。
その子の為にある本、その人が出遭う為にある本が
そこに無かったばっかりに。

出版社も、図書館が宣伝機能を持つような、そんな事になってしまったら、
たとえ一時的に一部の本を売るのに追い風を得られたとしても
長い目で見れば、本を読む人が減ってしまって、業界は衰退する一方だと思います。
図書館で、制限無く手に取れるいろんなたくさんの様々な本の中から、
本当に自分が面白いと思える本と出遭って
本を読む事の面白さを知って、それが習慣になり愉しみになり
どうしても借りているだけじゃいられない
自分の手元において置きたい本というものが出てきて、お金を払う価値を感じる。
新刊にも、歴史的な名作の本にも。
それでこそ、出版業だって安定した需要をもてると思います。

そうじゃなかったら、このまま出版社が本を出さなくなって
書店もどんどんつぶれて、
人はますます本を読まなくなっていってしまう。
そうすると、どうなるかというと、
・・・・・冒頭にモドル

公共施設である事、というのは、
どうしても国や自治体が管理している=国のもの、自治体のもの、
それを直接動かしている人達エライサンのもの
と思ってしまいがちかもしれませんが、
私達、ひとりひとりみんなのもの、なのです。
公共施設で在ればこそ、やっぱり利用者の為の
運営管理がなされる仕組みであるべきと
誰もが、建前的であったとしてもとにかく認めざるを得ないわけです。
NHKも、公共放送局だからこそ、
今のように受信料の不払いなどの意思の表示のしかたも
できるところがあると思います。
民間放送局であっても、とにかくメディアに政治家が圧力をかけて
番組内容を変えさせるなんて言語道断ですが、
制作する側が、勝手に顔色を伺って番組作りをしたとき、
公営の方が視聴者の憤慨が、まだ反映され・・・少なくとも本来はされるべきだと
筋が通りやすい。企業スポンサーがついていると、
観る人よりも、大事なのは広告主だ、と居直られてしまいます。
今、やっている事がおかしいから、その存在自体を無くしてしまおうというのも
またおかしい。民営化してしまえばいいという意見を
ここの所頻繁に聞きますが、視聴者のものではない放送局ばかりにするというのは
イタリアで起きたような、権力に繋がる放送媒体の独占
番組への関与の独占というのも起きてしまうかもしれないし、
また、違うのではないかと首をひねります。
公立学校でも、高速道路でも、税金を払っている国民の中にも
利用する人としない人がいるわけですから
NHKも、チューナーなどを配布して、受信料を払って観る
受信料を払わないで観ない、そういう選択もできるようになればいいのに、と
私は思ったりします。
受像機は、民間放送局だけを観たい人にも必要なんですよ。
今のやり方は視聴の押し売り、だと思う。
前回、「NHKも嫌いだし」などと書きました。
好き嫌いの問題じゃないから、
「嫌い」で切り捨てるのはまずかったと思ってたところなのですが
著作権をたてに、VAWW-NET Japanの集会での
改ざんした番組の上映を阻んだというのを知って
「やっぱり嫌いだ。大っ嫌いだ。」
でも、現実が本来あるべき姿とかけ離れている場合、だからといって
本来の筋の方を、曲げるなどというのは、愚かです。
間違っている方を正すのが、当たり前じゃないですか。

「作る会」の教科書を採用した白鴎高校付属中学校が
応募倍率14倍になったとテレビで言っていたのですが
「結局、一番大きな魅力は・・・!?」
学費が安く済むことなんだそうです。公立なので。
学費の安さが学校を選ぶ要素に大きく関わる、そうせざるを得ないそういう人達が、
まず「お国の為に、命をささげる事」をよしとする、
権力に従順になり自己犠牲を賛美させる教育を受けさせられるようになっていく

そのような方向にこのまま進むのであれば
せめて、そういう教育を受けながらでも
そこに疑問を感じられるような思考力を、
経済力で差別される事無く、様々な価値観と出遭う事のできる図書館で借りる本で
はぐくんでほしいと、私は思います。

だから、私は図書館の民営化は反対。

sabato, febbraio 05, 2005

人の友好路を邪魔するやつぁ

”政治”とか、”いでおろぎい”とか、聞くと
耳がわーんとする人も、そういうものに関わりあいたくない人も
自分の生活必需品を、くるっと裏返して
その原産国、輸出国を見ることくらいは、できるんじゃなかろうか?

自分達の生活が、中国やアジアの人達と、どれだけ深く関わっているか
今の生活の水準が、どれだけ彼等との関係に支えられているものか
ちょっと考える事くらいはできるんじゃないだろうか?

自分の大切な友達が
「そういうされると傷つくんだよね、
しないでくれないかなぁ。」と言った時、
じゃあ、やめとこうか、
って思うのは、言いなり?
大事な友達が嫌がることを、しないでおこうとするのは、
言いなり?卑屈?自虐的?

自分が気に入っている製品
自分が好きな食べ物
自分の健康を維持する為の物
香酢とか、ウーロン茶とか、香港映画とか
ビデオデッキとか、耳掻きとか、帽子とか、自転車とか

友好関係というのは、何も感情的な、きれいっぽい事だけじゃない。
一緒に、お互いに良いように協力できる
お互い同士で、支え合ってより良く暮らせるようにできるって事でもあると思う。
物だけじゃなくても、考え方が多岐になるとか、
カルチャーショックで視野が広くなるとか。
今の自分の生活水準が、
アジアの人達との友好的な関係
気持ちよく取引をしたり仕事をしたりできる関係の上に
成り立っている事も考えた上で

日本国首相の靖国神社参拝、
それ、本当に、絶対、必要?
”作る会”編纂の教科書、
それじゃなくちゃだめ?
今の生活を、引換えにするほどの価値のあること?
筋の通っている事?

イラクの人達とも友達だったのに
そう、思ってくれていたのに
その友好感情は、かなり失われてしまった。
個人の友達関係が
政治家の、権力を持った人の意地とか建て前とか都合とかで
勝手に壊されるの、何故、仕方ないですませられるんだろう。

venerdì, febbraio 04, 2005

何か起きたらしい

ネパールで、2月1日国王が内閣解散して・・・いろんな人を軟禁したり?
しているそうな。
日本のテレビは興味ないらしい。

martedì, febbraio 01, 2005

3歩歩いたら忘れるんか?

昨日が質問状の期限だったという
NHKの番組改変問題における朝日新聞の記事の件
本日に、何か動きについての報道がなされるものとばかり思っていたのですが
ニュース番組を観ていてもどこも全く取り上げていません。
結局、昨晩の多事争論だけが、
知っている限り唯一この件に言及されていました。
誰に、というわけでもなく、心細く、とにかく誰かに訊きたいです。
どうしてなのでしょうか?
どういうわけなのでしょうか?
これから何か動くので、私があせりすぎているのでしょうか?
それとも、日本の報道というのは、
結局そういうものだというわけなのでしょうか?
NHKについて、思います。
海老沢会長の辞任がどうのこうので、
まるで幕を引いたかのように口を拭ってしまいましたが
制作費の横領とかいう問題よりも、
日本中にたくさんいるんだろう観る人達に、
物事を伝える立場として、どういう姿勢で居るのか、
本来なら許されないはずの、
”政治家から命令されて番組の意図を全く違うものにした”という事が
あったのか、無かったのか、という事に、
あったとしてうそをつくのか、それとも、逆らえなかったから仕方ないのだ、と
多分、多少は存在するのであろう信頼していた視聴者に、本当のことを伝えるのか、
そここそが、焦点だと思うのですが。
また、全く”圧力なんて無かったのだ”というのであれば
あの4年前の番組の、改変され放送された形の、あの番組が
NHKという放送局が伝えたい事だと、
そう解釈しろというわけなのでしょうか?
(正直、とりあえず、私は今までそう思ってきたんですけどね。)
もしかして、このように、
つまり、本来なら違う主旨があった番組をなんらかのわけで、
変な形に改変したことについて
そうなのであれば、どうしても、それをほうっておいてはいけないのではないか
と思っているのは少数で
大多数は、10日前の事は、さっぱりと忘れてしまい
今は、マイケルジャクソンさんへの興味の方が大きいのでしょうか。
いくら今年が酉年だからって・・・

これで、北朝鮮メディアの事を、信じられない番組ばかり流しているとか
面白半分に取り上げるのだから、もう、わけがわかりません。

どうしたのでしょうか?
何がどうなっているのでしょうか?

日本の、特殊な考え方を持っている政治家、という人達は
本当にそこまでそんなに強い圧力を、力を持ってしまったのでしょうか?

アウシュビッツ刑務所解放60周年を記念する、世界の歴史への反省の動きとの
日本の、過去の戦争犯罪に対する対応が
こう、ここまで差があるというのは
つまり、北朝鮮内部の事情と、世界の事情が、かけ離れている、というのに似ていませんか?
もう、手遅れだったのでしょうか?
少なくとも、私がこういうメールを送信したりできている以上
そんなはずはない、まだ、まだ間に合うはずだと、
思いたいのですが。

放送局や報道を伝えるメディアが、遠慮している自粛している、
なぁなぁにして、忘れ去られるのを待とうとして許されると、
そう判断しようとしているなら
それは、もしかしたら受け取る側が、まるで、関心を失ったかのように
そう見えているのかもしれません。
それなりにかなりの意思表示はされているはずなのですが、まだ、足りない・・のかぁ・


とりあえず、NHKは朝日に回答書を送ったらしい