lunedì, gennaio 31, 2005

遠い所から

選挙登録をした人のうち
75%が投票した、というイラクの国民議会選挙。
で、成人イラク国民の何%が投票できたのか?

この後、内戦になってしまうかもしれないと
あちこちで言っている。
内戦状態って言うのは
あの、アフリカのシオラレオネやコンゴなどの状態?

どうするのか?
アメリカはどう責任とるのか?
戦争を支持した日本はどう責任取るのか?

サドル師が武装解除を呼びかけたときもあったね。
選挙の前に、それに協力する事と引き換えに
アメリカに撤退を呼びかける訴えかけもあったね。
もう、限界なのかもしれないけれど
どうか、もうひとがんばりしてほしい。
政権の多数派を取れてしまったほうも
選挙に参加できなかったほうも
Iraqの、全体の未来を、どうか考えて欲しい。
Iraqがどうなっても、アメリカはその苦しみを共有するわけじゃない。

どうでんぐりがえっても
通じることは無いかもしれないけど
状況もわかっていないながらに、とにかく、祈ってます。
何派に属した人間か、じゃなくて
Iraqという国の構成者の1人として
それぞれ、考えて動いて欲しい。
じゃなきゃ、国内が荒れたら荒れたで、武器を売って儲けたい誰かさん達の思う壺だよ。

ウワゴト

大阪市の職員厚遇問題についての伝えられ方に
なんだか臭うものを感じているのは私だけでしょうか?
どうも、攻勢側の声だけが伝えられていて、現場の状況というものも良く見えず
自分が正確な判断ができていないようにも感じるのですが
確かに「ちょっとやりすぎちゃったかねぇ。」と思う部分もあり
味方のしきれない所もあると思いつつも、
不謹慎を承知で、書かせてもらえば
「大阪人、やるぅ。」という感想も、正直こっそり持ちました。
大阪の人達はまだ元気があるんだなぁ、さすがだなぁ、
と少し感心しちゃったのです。

職務内容と同じ職務に対する”手当てがこんなに!”と取りざたされていますが、
その中には
例えば、昔は印刷という仕事は機械を扱う危険性やインクで汚れ続ける重労働であったり
また、集金などでも、雪の中を徒歩で行くしかないような所へ赴く業務があったり
規定のほかの職務よりリスクが大きいことから、その分の上乗せがされていて
そういう仕組み規定が、現在は技術が進歩して無くなった事柄についても
規約文書の中に残ってしまっているといった場合もあるのだ、というような事を言っている人が居ました。
なるほど。今、騒ぎ立てられている”信じられない!”話の中には
そういったようないきさつがあるものも、多少含まれているんじゃないでしょうかね。
(いつも、あまり好きではないコメンテーターが、言っていた話なのですが
この人が”良い事いう”のははじめてみた、などと失礼な事を思ってしまった。
どうやら、アメリカにしろなんにしろ多少でも社会構成が確立していれば
フツウは、労働者が権利を主張し労働条件を良くしようとするのは当たり前なので
日本のこの異常な状況での空気を読み損ねたものと見えます。
本当ならこの人のアメリカ政府のスポークスマンという
役割(邪推)からすれば、アメリカさんの為にこんなことになっている部分もあるわけで
違う事いいそうなんですけどね。)

テレビでこの事件が取り上げられているとき
街の声としては、「許せない、私達の税金を無駄遣いして。」と憤る人ばかりなわけですが
確かに、そう思っても無理も無いのでしょうが、
そんなとこで噛み合いをさせられててどうすると感じる部分もあります。
「一般企業だったら絶対ありえない」というコメンテーターのコメントをよく聴くのですが
そりゃ、一般企業の福利厚生も悪すぎるんだよ、と思う人は何故いないんでしょうねぇ?
対象が公務員の人達なので、お金の出所が税金という事もあり、確かに、
確かにああ、こりゃ、また気前のいい使い方をしてしまったねぇと思える話もありますが
働く人達は、冷遇された労働条件を強いられて、
経営側、上層の人達だけが、やたらと豊かになり権力をもち
果ては、その利潤をさらに上増す為に武器商売にまで手を出そうと
政界にまではたらきかけるようになり、国民全員の平和を脅かすようになっているような
そういう一般(某)企業などの状況と比べたら
職員全員が、健康を害しないように老後も心配しないで居られるように
(職員だけなところが問題なんですが)みんなが幸せになれるようにがんばって
度を越してしまい道を多少踏み外してしまった
なんてのは、かわいいもんで許せる範囲な気もするのです。
これで、職員さんたちがえらそうだったら、また別にねちこい怒りも生まれますが
もしかしたら、この厚待遇のせいでめちゃめちゃ親切でやさしいかもしれない
(そうじゃないんですか?それじゃだめですねぇ)

そういえば、こういう税金の無駄遣いに比べたら議員年金なんて屁のようなもの
(失礼。発言者が下品なんです)と言っていたコメンテーターが居ましたが
飼われちゃっているんじゃないの?と邪推させてもらいました。
職場にマッサージチェアがあるなんてね、
自宅にあんなものじゃない超高級マッサージチェアがあって
やたら料亭などに通って、運転手つきのぴかぴかの車に乗ってふんぞりかえって
そのお金の出所があやしい人達も随分居るはずですよ。
あやしくなくたって、苦しい生活をしている雇われている人達の労働から出た末の資本力の
独り占めですよ。
そういう人達にとっては、こうやって庶民がお互い同士に噛みあいをしているのは
とても都合が良いと思います。乗せられていないか、気をつけてください。

あの、大阪市の職員の厚遇を、うらやましいと思うなら
自分達の職場も、あのようになったら良いのに、という方向に向かう考え方が出てこない、
ただ、「あいつらだけ得しやがって、」という感情だけしか出てこないというのも
なんというか、情けない。
この大阪市の件に関しては、やりすぎちゃってはいるところもあるのでしょうけれど
働いている人達は、
自分達の職場にも、多少の”厚遇”を求められるべきだ、と気が付けばいいのにと感じます。
自分達の職場の組合も、せめて、少しくらいはあの元気を分け持てないものか、と
望んでもいいのじゃないでしょうか?

税金の使い道の無駄を削減する、という話が
役にも立たないばかでかく趣味の悪い建物を造る事や
やたらと戦争に投資する事や、
業者と結託して一部の人だけが
なにやらわけのわからない機械の購入の決定とひきかえにお金をもらっている
といった話から、

ちょぉっと違う方向にずれきているように感じるのですが、気のせいでしょうか?

無駄、と切り捨ててはいけない
公共の福祉、文化の充実、教育とか医療とか
そういうものを切り捨ての対象にする方向になってきていませんか?
郵便局とか、電話(NTTやたら工事費とか何とか取りすぎっ)とか、交通(JR高過ぎっ)とか
利益目的ではなく、利潤を生む目的ではなく運営されるべき所が切り捨てられて
削られてきてはいませんか?
防衛費は、たかが1%削減するのも大騒ぎですが、そのうちわけって、
何億もするミサイルとかなわけでしょう?
ミサイルよりは、その分、役所の人が懐豊かにするほうがまだまし。
本当は、教育費無料にして、
医者や学校の先生がやまほど居るようになって
子供がそれぞれの特質に合わせて勉強できたり
誰かが夜中に病気になっても救急車が、すぐ病院まで病人を運べて
丁寧な医療が受けられるようになったり
医療費もまた無料になったり
そういう使い方がされて欲しいですけど。
借金なんか、アメリカの戦争に貸し付けている分、
返してもらったらいいじゃないか。解消とは行かなくてもかなり足しになるはず。
日本人って、なんだかんだいって稼いじゃう国民性があるじゃないですか。
ひとりひとりが安定して暮らせるようになったとすれば、
それぞれの能力を100%発揮できるようになれば多分、結構すぐ返せるんじゃないかと思います。
800兆円だか、そりゃ、多額だけど
それ以外の、国家予算というものに出てくる金額も全部超多額じゃないですか。
家計の中での借金の話とは、別のような気がしますけど
(誰かさんの)都合に合わせて、そのときだけ、国民一人当たりは、なんていう換算をするんですよね。
まず、ミサイルいらない。手榴弾いらない、。戦車いらない。
あと、個人的には支持もしていない政党に助成したくない。
一人当たり借金いくらっていうなら
一人当たりのそれぞれの考えの中で、払う分決めさせてもらうぞ。ってそりゃ無理ですが。
だから、一人当たり換算なんて、意味ない。
それを返す為に、公共の生活施設や機能を削らなくちゃいけないなんて話は、意味が無い。

あ、郵政民営化、何故こんなに急ぐのかについて
2日に放送された番組で
「アメリカの国債を買う(アメリカ(のあの戦争赤字)を支援する)為に
郵政事業、郵便貯金の超多額資金も運営という形でつぎこめるようにするためなんじゃないか」
という話を聞きましたが、それは説得力あると思いましたけどどうでしょう?

労働組合、力もって良いですよ。
労働者の権利というのはありますよ。
それで、その中で、平和の中で働いていける権利というのもあるのです。
それは、戦争をしない方向へ、平和の中で文化的で充足できる生活を営む
そういう方向への力ともなるわけです。

大阪市の事は、税金を払っている大阪市の人達が
その”自治”体のあり方として、どうよ、と考えて欲しい。
職員だけじゃなくて、大阪市内の人達みんなが厚遇になるように、これを機会に
なんとかおりあいつけられたらよろしいんじゃないでしょうか?
市の職員だけ恵まれているのが許せないなら
一般企業の職員も、恵まれるよう、なんとか考えりゃいいのに。
テレビのニュースを作っている方々も含めて。

選挙

自爆テロなどにより
少なくとも36人の死者、だそうです。

投票に行った人も、拒否した人も
それぞれにそれぞれの考えがあったんだろう。
にしても、
選挙というものに、それぞれがこれだけ真剣な国もあって

・・・・そうじゃない国もあって
そうじゃない国、日本で選ばれた議員さん達の国会は、なんだかふざけた空気満開で
なんつうかこう、
民主主義ったってこんなもんなので
自爆するほどの事じゃないよ、と
なんとなく思ってしまう。
アメリカ主導にしろ
制度上は一応、
小選挙区ってやっぱ問題だよなと思うけど
一応、公平なものだったにしろ、
結果は、似たような物になる事も
あるわけなのですね。
けちょん。

公平じゃないんじゃないか?やっぱり。

何書いているんだかわけわかんない。
いつものことですが。

venerdì, gennaio 28, 2005

あと3日

Bughdad Burning 更新
水が戻ったらしいのはうれしい。
あと3日で選挙、大丈夫かなぁ。
夕方の&日テレのニュースの扱いは
イラクの人の声が、結構多めに取り上げられていたように感じる。

オランダ軍が撤退してイギリス軍が
自衛隊のおもりをする事になりましたが
「今までのオランダ軍と違う
捕虜虐待問題などにも関与しているイギリス軍に交代する事で
自衛隊の為に、イギリス軍がこの土地にやってきたのではないかと
サマワの人達が思うかもしれない」
ってさ。
そうかも。

giovedì, gennaio 27, 2005

またひとり

今朝 和久井映見さんが
なにかのコメントで
映画が作られ楽しまれる平和が続いて欲しい
っていうようなことを言ってた。
なんかうれしかった。

検索したけど
記事がないなぁ。
松竹の映画のなんか発表会?

mercoledì, gennaio 26, 2005

一回一回が一回

自爆テロ自爆テロ自爆テロ
毎日このニュースがあると、時々感覚が麻痺してきて
ふうっと読み流すようになってきてしまう。

時々、それがはじめてみる文字列のように見えて
ぎょっとする。
自爆したら、自爆した人は死んじゃう。
(巻き込まれた人も死んじゃう)

自爆を決断させない方法は、何だろう。
ニュース一回一回が
誰かの、間違った決断で、間違った終わり、と思う。
次の回を中止させる事は、いつできるのだろ。

martedì, gennaio 25, 2005

no border

http://www.nissinfoods.co.jp/product/cm/

Flower編

このCM連作の”企画意図”の文章
ほんっと、いつも好き。

今回は年始って事で
おめでた仕上げかなぁと思ってましたけど
でも、花は儚いってさ。

発作

アメリカ合衆国の新国務長官となるコンドリーザ・ライスの、
18日に行われた上院外交委員会の公聴会での発言

「(スマトラ沖大地震の)津波は米国政府だけでなく、
アメリカ国民のハートを示すための素晴らしい機会となったことは
まちがいありません。私達にとって大きな見返りをもたらすことでしょう。」

("I do agree that the tsunami was
a wonderful opportunity
to show not just the US government,
but the heart of the American people,
and I think it has paid great dividends for us")

http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/

わはははははははは(もはや笑うしかない・・・のか

ライスさんは、”人の気持ちがわかる人”なわけですか?

domenica, gennaio 23, 2005

なごなご

小泉首相が「心和む雰囲気に」と、
美術品の展示を3倍以上に増やすよう指示したそうです。
「官邸を訪れた方から『殺風景だ』とよく言われるものですから。
官邸はこんなに広いのに、さみしいと思ってね」。
小泉首相は21日夜、記者団に美術品を増やす理由をこう説明した。

http://www.asahi.com/politics/update/0122/003.html

ものすごく殺風景で、さみしかろう場所を
いくつか想像してしまって、滅入った。
風景どころじゃなく殺されてたりするだろう。
いいねぇ、官邸を訪れる方々は、いつも和めて。

なにも、今しなくてもいいじゃないか、税金か、それ?

Water

BaghdadBurning更新。

選挙、本気でやるんだろうか?
あと8日。

水が不自由って、嫌だろうなぁ。

そういえば、昨年末意見広告の後に出された
政府広報、まるであてつけのようでした。
あてつけるほうは税金使って、額を気にすることなく
一面広告出せるんだから。あーあ。

NGOやNPOが戻れたら
どれだけの人に、きれいな水を供給できるだろう。
日本という国が、
自衛隊を出す前のイメージをキープできていたなら
日本人は、他のどの国の人間よりも
特別な存在としてイラク国内で活動できたんじゃないだろうか。
なっちゃったものは、しょうがない、って思わないの。
戻す方法を考えたいの。

sabato, gennaio 22, 2005

えちごや

TBSのブロードキャスター
というか、この番組に限った事じゃないけど
「NHK vs 朝日新聞」などと呼んで、他人事扱いしていると
この問題の結果は、放送とか報道に関わる人すべてに影響を及ぼしていくと
思いますけれど。
卑屈な番組作りに徹する覚悟があるというわけなんだろうか?
ほー。

今回の問題の決着のつき方によっては
「ここまで、できる」と、政治的圧力をかける側に思わせる機会となってしまうと
私は、思います。
ここまでやっても、日本人は放置する、許す、とみなせば
では、もうちょっと・・・となるでしょうね。

今までも、常識だったのかもしれない
なるべく権力を持った人達の意向に逆らわないように
報道をすることは暗黙の了解だったのかもしれない。
どのメディアにしても。
でも、それ、少なくとも、裏側の話で
建前上は、無い事になっていたのですから
これを機に、あることになったら、
今以上にやりにくくなることは、明らかと思います。

それをわかったうえで、こういうぬるーい感じで伝えているわけなんだろうか。
誰も、長井さんに続かなくていいんだろうか?
思う事があるなら、知っていることがあるなら、言うのは、今しかないと思うなぁ。


それにしても、
違う個人、それぞれの口から
まるで1人の人の口癖のように、同じ単語が繰り返し飛び出てくるのは何故でしょう?
「伝聞」とか「予め結論ありきで」とか。
人って、同じ事を言い表すにも、
それぞれに違う言葉を使うものよ。普通。
そだってきーたーかんっきょうもちーがうーからぁー・・さぁ。

だめだこりゃ

こないだ、
探したい本があったので図書館の児童書コーナーに行きました。
この図書館は、小学生のころから今までずっと通っている図書館です。
前から薄々感じてはいたけど、
今回、改めてショックでした。
書架最上段が全部からっぽ。
他の書棚も、すきまだらけ。からから。
また一段と本が減っていた。
探していた本は、かろうじて書庫にありましたけれど
定期的に本は処分されているようです。
だいたい、その本が自分の好きになる本と知らない子供が
どうやって書庫にあるその本と出遭えるん?

日本の未来、だめかもしんないです。

問題意識を持つこともある一般の人向け、の書架よりも
児童書の方に、動きは頻著に出ているように思った。
子供の頃、好きだった本があったり、感動した思い出がある
本好きだった元子供な人に、お願い。
ついでがあったとき、最寄の図書館の、児童書のコーナーに
自分にとって、特別だった、大事な出会いだったと思う本が
今もちゃんと書棚に並んでいるか確かめてみてください。
今、大人になった人が、子供の頃感動し、大きな糧とした本と、
その大人と共通する感覚を持っている子がどこかにいたら
その子はこれから、その本と出遭う権利があると思うんです。

図書館や博物館を民営化するという方針を、
埼玉県知事が発言してるって知って、
なんてひどいことを言うのだろうと
思ったのですが、この方針は地方だけのものではなく
どうやら現政権の”なんでもかんでも民営化してしまいましょう改革”の一環なんですか?
民間企業が、委託されて管理する、ようになれば
その管理は、能率化や、経済的利潤を追求するものにはなってしまわないでしょうか?
10年、誰も開くことが無い本も
10年に、その本と出遭うべき誰かの手に取られる為に、
図書館に並んでいないといけないと思う。
無駄を省くとか、サービスとか、
そういう概念と図書館の役割というのは、相容れない気がする。
民営化されて、”ベストセラー”な、売れ筋本ばかり並ぶ図書館になってしまったら、
図書館の役割は果たされないよ。
さらに、利用料まで取られるようになる可能性もあるかもしれない。
ああ、そんなことになったら
うわぁぁぁ・いやだぁ

今の子供が本を読んでいない事は、
その子供が大人になったときに、結果が出る。
(というか、徐々に出てきているような気はする)。
どんな本でも値段を考えず、
気になったらとりあえず手にして読んでみることのできる
図書館はそういう大切な場所なはず。
本を読むことにまで経済的な格差が影響すれば
知識や思考力にまで、人の間に、本来の能力とは別の差が生じてしまう。
際限なく買える人だけが、本を読める社会考える習慣をもてる社会・・・・って大丈夫?
「どうせ、私わからないから、とりあえずえらそげな人に従っておこう」
という人が、増えちゃわない?(ていうか、もう増えてない?)
困った事に、自分がなってみないとわからないっていう人、増えてない?

子供の学力低下が問題、って
私も、わからない事たくさんあるけれど
いろんな事、どーすりゃいいんだろう、って思うけど
この学力上げる方法だけは知っています。
あのね、図書室と図書館を充実させて
学校に居る時間の中に
読書の時間を、多めに設定すれば、
平均学力は間違いなく上がる。絶対。
だって、何の為にやっているかわからない勉強、
練習問題の繰り返しなんて拷問みたいじゃないか。
自分の読みたいと惹かれる本、自分が面白いと思う本を読んでいくうちに
知りたい事や、知っておきたい事を認識する事で
それを身につけたいっていう動機が生まれるんじゃないか。
楽しくない事を無理強いして出させる結果が、着実に伸びるわけが無いよ。

別に読む本は、なんでも良いと思うんです。
読む人は内容を絶対的に肯定するとは限らないし。
いろんな感想を持つわけだろうし。
だから、それぞれにぴったりする本に出遭えるように
できるだけたくさんの本の中から、読みたい本を選べるようであるべき。
どんなぼろぼろでもいから、
図書館や図書室には、ぎっちぎちに本が詰まっていて欲しい。

テレビとか映画とかで得るものもあるわけだけど
そういう、送信側の速度で進むものじゃなく
自分の脳みそが理解し吸収する速度にあわせて、
読んでいく、ということは、とても大事な事だと思います。
そうやって確実に身についた内容は、いつか何かに繋がっちゃったりするものですよ。
そうずっと先に、な話に限らず。

と、思っているのに
現状は、本を読ませない方向に動いているわけですから
まぁ、未来はないんじゃないか?
正直、あの書棚をみちゃった後、暫く何も口をききたくないくらい絶望した。
絶望しっぱなしでいた方がいいのかもしれないけど。静かで。

郵政民営化、のせいで、
書籍小包も、その特権を失うかもしんない。
というか、既に今の時点で
代引きでうちまで持ってきてくれなくなってた。
送り主が印をつければ、配達する、形式だったようだけど
もともとは、基本は配達だったわけじゃないか。

なんでもかんでも不便になっていく。
フツウ、文明って、前に進むもんなんだと思ってた。
最初、識字率が上がっていって、
だんだん、一般の人のもつ知識が増えていって
ひとりひとりが深く考えて、より良い方法を思いつくようになって
技術も、人の共存する仕組みも、暮らしも、より進化していくものだと思っていた。
日本は違うみたい。

venerdì, gennaio 21, 2005

光が当たる

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050118/mng_____tokuho__000.shtml

少なくとも
関係者やそのての職業の方々の
暗黙の了解じゃなくて
こういう話が、話のネタになるようになっているのは
大変よろしいことだと思う。

martedì, gennaio 18, 2005

唖然

カザンキランさん、強制送還。

どこに何億ドル支援しても、
これじゃ、この国の人道支援という言葉は軽薄に響いてしまうんじゃないか?

放題

BaghdadBurning更新。

もちろん大量破壊兵器は無かったし
もちろん、イラクを攻撃した本当の理由は
もっと別の事なんだろうし
もちろん、自由や民主主義という言葉は標榜されたわけで、
すっかり汚されたし

そうだろうと思っている人は
世界中に、たくさんいて、また増え続けているはずだけど

このままで、それでもまた、裁かれず進むんだろうか

避けられるニュース

メモるのを忘れてた

防衛庁は12日、イラク南部サマワの陸上自衛隊宿営地で
11日午後6時50分(日本時間12日午前0時50分)ごろ聞こえた爆発音について、
宿営地内の空き地から信管付きのロケット弾1発が見つかったと発表したそうです。
宿営地内に信管を装着した砲弾が着弾したのは初めてだそうです。
移行国民議会選挙を控えた時期だけに、防衛庁は警戒を強めているそうです。

 同庁によると、12日早朝(同日午後)見つかった弾は長さ約90センチ、
口径107ミリのロケット弾で、信管付きだが不発だったそうです。
着弾痕から宿営地北西方向から撃たれたと見られ隊員には、けがはなかったそうです。
宿営地周辺に砲弾が撃ち込まれたのは9回目で、
うち宿営地内には今回を含め3回着弾しているそうです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20050113k0000m030060000c.html

・・・・非戦闘地域?
テレビも、信管抜いてあったときは、それを強調するのに
信管入ってたら、取り上げない。
それじゃさぁ・・・だめじゃん。


〔10日カイロ時事〕によれば
イラク共産党の有力メンバーで
30日の国民議会選挙に立候補しているマハディ・アルズバイディ氏が
首都バグダッドの自宅で4日に何者かに殺害されていた事が10日発覚したそうな。
候補者が犠牲になったのははじめてなんだそうです。

http://www.google.co.jp/search?q=cache:l9J5J3qA1NMJ:www.ocn.ne.jp/news/data/20050110/j050110X066.html+%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3&hl=ja

2日の「陰謀のシナリオ」っていう特番観ました?

共産主義であれ資本主義であれ原理主義であれ菜食主義であれ朝は珈琲だけ主義であれ
それを理由に殺したらいけないと思うよ。

・・・・それ以前に、理由も無いままに、普通の人がたくさん殺されているのでしょうが。

民主主義・・・じゃないだろう。こういうの。
イマサラ ナニヲ ト オッシャイマスガ


lunedì, gennaio 17, 2005

やっぱりあやふやなまま、うやむやに
竜頭蛇尾に終わっちゃうんだろうか?

転載の転載をさせていただきます。

(”メディア”というかたまりがぐだぐだでも、
自分の足で立ち自分の頭で考える個人のジャーナリスト達が居て
自分で得た情報を自分で発信できるというのは、とにかく進化だと思う。
このまま、テレビが腐るなら
まぁ、アナログブラウン管と一緒に
デジタル放送切り替え時に、テレビ放送とは縁を切る事になるだろうなぁ。
先の話すぎて、鬼が笑ってへそで茶を沸かす。
そうしたければ、そうすれば、って話だろうけど。)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

マスコミ、関係者各位

安倍晋三氏の事実歪曲発言について

 このたび、政治家によるNHKの番組介入が問題になっており、
「政治家」として 名前が上がっている安倍晋三氏と中川昭一氏が、
複数のメディアを通じてコメント、 または発言を行っています。
中川氏は国内不在ということもあり、彼の発言の多くに 触れることはできませんが、
安倍氏はこの間、頻繁にマスコミに登場し発言を行っています。
その中で、安部氏は、女性国際戦犯法廷の事実関係について
重大な事実歪曲、誹謗・中傷を続けていますが、
それに対してマスメディア側は知識不足、勉強不足のため
ほとんど事実の間違いを指摘することができず、
そのまま一般市民に垂れ流されているという状況にあります。

 歪曲された事実があたかも真実であるがごとく
日本の市民の皆様に伝わっていくこ とは、女性国際戦犯法廷と
「法廷」を主催した国際実行委員会の名誉を大きく傷つけるものであり、
何より「法廷」に正義を求めて被害8カ国から参加された
64名の被害女性の尊厳を甚大に侵害するものです。
「法廷」には世界三十カ国以上から約400名 が参加し、
三日間の審理にはおよそ1000人が傍聴し、
最終日の判決概要に言い渡しは およそ1300人が傍聴しました。
「法廷」の歪曲と侮辱は、こうした多くの人々に対しても許されない行為です。
安倍氏のこうした発言は、自らの行為を正当化するため、
番組で取り上げた女性国際 戦犯法廷自体を貶めることで
世論を味方につけようとしているものです。
問題の論点 のすり替えが「法廷」の事実歪曲をもって行われていることは、
今回の事件の真相を 明らかにする上でも大変問題であり、
このことは、真実を明らかにする上で危険な流 れであるといえます。

マスコミの皆様には問題の核心(番組に対する政治家の介入)
を見失うことなく真実 を明らかにし、
ジャーナリズムの役割を果たしていただきたく存じます。
そのために は女性国際戦犯法廷の事実関係を正確に理解して頂くことは重要、
不可欠なことであると考え、皆様に正確な事実を知っていただくため、
ここに安倍発言の間違いを指摘いたします。
※以下に示す安倍氏の発言は、「報道ステーション」(1/13放送)、
「ニュース23」 (1/13放送)、
「サンデーモーニング」(1/16放送)、
「サンデー・プロジェクト」 (1/16放送)などにおける発言、
及び安倍氏が出したコメントに基づいています。

1、「被告と被告側の弁護人がいない」

⇒ 女性国際戦犯法廷は、「日本国家の責任」を問うため、
開催2ヶ月前に全裁判官 の名前で、当時首相であった森嘉朗氏に
被告側弁護人(被告代理人)の出廷を要請した。
しかし、開催直前になっても何の応答もなかった。
従って裁判官は「アミカスキ ュリエ」(法廷助言人※)
という形で被告側の弁護を取り入れた。
「法廷」では3名 の弁護士がアミカスキュリエとして被告側主張を行い、
「慰安婦」問題についての日 本政府の立場や主張を明確に紹介し、
被告が防御できない法廷の問題点を法廷のなかで指摘した。
※Amicus Curiae 裁判所の求めに従い、
裁判所に対し事件についての専門的情報または意見を提出する第三者。
英国の制度で、弁護人がいない場合、市民の中から弁護人を要請できるという制度。


2、「裁判自体、とんでもない模擬裁判。模擬裁判ともいえない裁判」

⇒ 女性国際戦犯法廷は「模擬裁判」ではなく権力を持たない市民の力によって実現
した国際的な民衆法廷である。法廷に出廷した被害証言者も、加害証言者も、
被告人も、判事もすべて“実在する/した”人物であり、
「法廷憲章」作成という手続き を踏んで、
膨大な証拠資料と証言に基づいて当時の国際法を適用して裁いた民衆法廷だった。
「国家の法廷」のように「国家」に権威の源泉があるのではなく、
大国やエ リートの道具だった国際法を市民の手に取り戻し、
被害者を置き去りにしない正義の 実現を目指し、
「国家の権威から無縁」であることによって得られる「普遍的正義」
を明らかにしようと、民衆法廷の開催を決意した。
本法廷の意義はここにあるといえる。「法廷」は、権力をもたない市民の力で、
「慰安婦」被害者に被害をもたらした 加害者と加害事実を明確に示し、
その責任を当時の国際法により明らかにした。繰り返すが、
女性国際戦犯法廷は民衆法廷であり、模擬法廷ではない。
1999年に国際実行委員会を結成。ソウル会議、上海会議、マニラ会議、台北会議など
でどのような「法廷」にするのか議論し、準備を進めていった。
 まず着手したことは 「法廷憲章」(前文と十五条の条文から成る。※1)の制定であった。
「法廷」は 「法廷憲章」に基づき、
立証と共に各国の被害者の証言や元日本兵の証言、専門家証言などを行い、
膨大な証拠資料や宣誓供述書を提出し、それに基づいて判決が下された。
判決は2001年12月4日、オランダのハーグで言い渡された。
判決は1094パラグラフ (英文265ページ)にわたる膨大なもので、
この判決は日本だけでなく世界の国際法 や人権に取り組む専門家、
学者たちからもレベルの高さが評価されている。 
女性国際戦犯法廷の開催については、国連人権委員会特別報告者クマラスワミ報告書にも引用(※2)
された。また、2003年に発表されたILO条約適用専門家委員会所見は、
「女性国際戦犯法廷」について、より詳細な引用と解説を行った。
また、「法廷」は、国際刑事裁判所(ICC、1998年ローマで設立合意、
2003年から オランダ・ハーグで始動)に先駆けて、
戦争と武力紛争下の性暴力に対して果たすべき役割を明らかにした世界史的にも意義ある試みであった。

※1「法廷憲章」は、前掲のVAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録』
緑風出版、27?32頁を参照。
※2 2001年。「武力紛争下において国家により行われた、または容認さ
れた女性に対する暴力報告書(1997-2000)(E/CN.4/2001/73)」


3、「主催者である松井やより」

⇒ 女性国際戦犯法廷の主催は松井やよりではない。主催は国際実行委員会であった。
国際実行委員会は日本と被害国(6カ国)、国際諮問委員会
(第三国から国際法 の専門家6名が委員)で構成され、
それぞれの代表者で共同代表が構成された。
松井 やよりは日本の代表として共同代表の一人であった。


4、「裁判を始める時、主催者の松井やよりさんが、
裁判の会場を九段会館に決めたのは悪の根源である皇居に一番近いからだと明言した」

⇒ 女性国際戦犯法廷の初日、まず、国際実行委員会の共同代表3人
(松井やより、 尹貞玉、インダイ・サホール)が挨拶した。
「裁判を始める時」というのはこの時の挨拶を指していると思われるが、
松井はそのような発言は全く行っていない(※)。
※VAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録』緑風出版、
38ー39頁を参照。ちなみに九段会館を会場にしたのは、
1000名規模の人が集まれる会場と、300名規模の宿泊ができる施設が併設していたからであり、
予約を快く了承してくれる施設はここだけだった。 


5、「最初から結論ありきはみえみえ」

⇒ 女性国際戦犯法廷は民衆法廷といっても、
世界の五大陸から選ばれた世界的に信 頼の高い国際法の専門家や
旧ユーゴ国際刑事法廷の裁判官ら(※1)によって、当時の国際法を適用して、
被害者・専門家・元軍人の証言や膨大な証拠資料
(日本軍・日本政府の公文書等を含む証拠文書)
に基づき厳正な審理を経て、判決が出されたものである。
判決は、まず2000年12月12日に「認定の概要」が公表され、
一年の休廷を経て2001年 12月にオランダ・ハーグにて「判決」が下された(※2)。
主催者に対しても「認定の概要」および「判決」は発表まで全く知らされず、
「結論先にありき」という発言 は根拠なき誹謗中傷であり、
「法廷」の事実に基づかない。また、旧ユーゴ国際刑事法廷で裁判長をつとめた
マクドナルド氏などの本法廷の裁判官たちの名誉を著しく傷 つけるものである。
※1 <裁判官> ガブリエル・カーク・マクドナルドさん
(アフリカ系米国女性/ 旧ユーゴ国際刑事法廷の前所長)、
クリスチン・チンキンさん(イギリス人女性/ロンドン大学国際法教授)、
カルメン・マリア・アルヒバイさん
(アルゼンチン/アル ゼンチンの判事/2001年国連総会で、
旧ユーゴ国際刑事法廷の判事に選出/現国際刑 事裁判所判事)、
ウィリー・ムトゥンガさん(アフリカ人男性/ケニア人権委員会委員長)、
インド人男性の裁判官は病気のため欠席※2 
<判決文全訳>に関しては、VAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の
全記録 』緑風出版を参照。


6、「(女性国際戦犯法廷)は謀略。当時、拉致問題が問題化しているなかで、
北朝 鮮を被害者の立場にすることで、この問題の鎮静化を図ろうとしていた。
大きな工作の中の一部を担っていた」

⇒ そもそも拉致問題が問題化したのは2002年9月17日の日朝首脳会談以後のことで、
「法廷」が開かれたのは2000年12月である。2000年12月時点で表面化していない
拉致問題の鎮静化を図るため、北朝鮮を被害者の立場にした工作活動の一環として
「法廷」を開催したなどというのは、事実無根の誹謗・中傷である。
日本は朝鮮半島を植民地として支配したが、
朝鮮人女性は植民地支配の一環として日本軍の「慰安婦」にされたのである。
 しかし、日本は北朝鮮に対しては2000年当時いかなる意味でも謝罪・補償をしていない。
そのため「法廷」の主催者である国際実行委員会が
被害国検事団への参加を呼びかけたのであり、
その呼びかけに応じて北朝鮮が参加した。
その参加のし方は、他の被害国各国と同じである。


7、「検事に北朝鮮の代表者が二人なっている。
工作活動していると認定されている人たちを裁く側として登場させているというのも事実」

⇒ いうまでもなく“裁く”のは「検事」ではなく裁判官。
安倍氏の発言は事実と法 常識を逸脱している。
念のため、女性国際戦犯法廷の検事について補足する。
まず、被害国を代表した首席検事はアフリカ系米国女性のパトリ・セラーズさん
(旧ユーゴ とルワンダの国際戦犯法廷のジェンダー犯罪法律顧問)と、
オーストラリアのウスティニア・ドルゴポルさん
(国際法学者/国際法律家委員会のメンバーとして、
「慰安婦」問題について調査し、勧告をまとめた)。
 次に、そもそも北朝鮮検事団というのは存在しない。
2000年6月の南北首脳会談 (金大中大統領=当時と金正日軍事委員会委員長)
をきっかけに、北朝鮮と韓国は一 つとなって「南北コリア検事団」
(韓国から5人、北朝鮮から4人、計9人で構成)が結成された。
南北コリア検事団長は韓国の検事(朴元淳)であった。
安倍氏に「工作員」と名指しされた黄虎男氏は、2000年当時「従軍慰安婦」・
太平洋戦争被害者補償 対策委員会の事務局長であった。なお、「法廷」には
各国から検事団が参加した。南北コリア(韓国と北朝鮮)だけでなく、
ほかに中国、台湾、フィリピン、インドネシア、日本も検事団が参加した。
検事団は組まれなかったが、オランダ、東チモールからも被害者の証言が行われた。
(マレーシアはビデオ証言)


■補足

番組の中の秦郁彦コメントについて
・ 番組は、秦郁彦氏を「法廷に参加した歴史家」と紹介しているが、
秦氏は三日間 の審理を傍聴してはいない。彼が参加したのは
最終日の判決概要の言い渡しだけ。従って、発言内容は事実誤認が見られ、
秦氏の歴史認識と法廷の事実関係が混同し、誤った事実を視聴者に伝える内容があった。
・ 一事不再理を主張しているが、「慰安婦」制度については東京裁判では裁かれていない。
女性国際戦犯法廷は民衆法廷であるが、位置づけは東京裁判の継続裁判。

以上、安倍氏の発言の事実関係の誤りをいくつか取り出して指摘しましたが、
更に性格、詳細にお知りになりたい場合は、『女性国際戦犯法廷の全記録』
(※審理の記録)『女性国際戦犯法廷全記録』(※起訴状、判決全文掲載)
などを参照してください。
※この2冊は共に緑風出版から刊行されています。
ちなみにこれは全6巻シリーズの一部であり、
このシリーズは出版社としては名誉ある梓賞を受賞しました。
皆様が論点をずらされることなく、事実誤認の情報にとらわれることなく、
政治家の 番組介入の問題を正面から取材し、真実が明らかにされるまで、
いかなる政治的圧力 に影響されることなく、屈することなく、真実と正義を
追求していただきますことを、心から願っております。

2005年1月17日
「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク
 (VAWW-NETジャパン)

sabato, gennaio 15, 2005

まとまらないまとめ 一部だぶりあり

NHKの番組が、政治的な介入を受けて改編された・・かもというニュース、
関連する情報を見る限り、中川現経産相さんの証言の変移などからも
個人的には事実なんだろうと思うのですが
(これだけいつも”記憶が混乱”する人がこんな責任ある職務に就いてて
お仕事大丈夫なんでしょうか?)
私は、現在出ている所のどの説が事実だったにしても、どっちにしろ嫌です。
政治家がNHKの幹部な人を呼びつけて
政治的圧力で番組、事実を歪曲したのであっても
NHKの幹部の人達が、
自らはせ参じて、自ら番組についてお伺いを立て
顔色を見て、自主的に自粛し番組を編集したのであっても。
国の予算をもらって、つまり、うちらが払わされている税金を使うために
その額を思うように支給される為に
情報や報道、番組を、その人達だけが払っているわけではない税金について
采配を振るう権力を持った人達の思うように
おもねって作るような、そういうNHKの体質が
どっちにしたって、ある、という事じゃないですか。
番組が、改編された以上。そしたらどっちにしろ嫌ですね。

今回の番組については、なんかうさんくさいまま4年経過してしまいましたけど
でも、今になってであれ明るみに出た事は
まだ、日本の報道には、経済事情だけでなく、気持ちを持って仕事をしている
人の存在を感じられて、希望が持てます。
今回、リスクを覚悟して良心に従って勇気を出した人が
このあと、嫌な思いをしてはいけない、と思う。
このままうやむやになってしまっちゃいけないと思います。

せっかく開かれた突破口は、報道に関わる全ての人に継承され
徹底的に、全部分解掃除されてほしいです。
絶対に、うやむやのまま、竜頭蛇尾に流さないで
勇気を出したこの人だけが損だった、ずるい人が巧くたちまわった
という事にはならないようにしないといけないと思う。
とかげのしっぽ切りにならず、情報を得る側もひとりひとりが注目を続ける事により
これは、現在の報道が少しでも変わるきっかけになるかもしれません。

イラクの人達が、何故国民選挙に反対行動を取るのか、
クバイシ師が、12月末、語った理由は
「アメリカが押し付けた選挙項目がある。それは、いかなる新政府が発足しても、
例え米軍がイラクで人権侵害を犯そうがそれを変える権利はなく、
新政府はその軍と治安と警察にかんする全ての権限を
アメリカの支配下に置かなければならないと定めているのだ。」
と語ったそうですが
http://peaceonyatch.way-nifty.com/peace_on_iraq/
その言葉が公式なものでなくても、
このアメリカの選挙項目の方は公式なはずですが
今のところ、ニュースでそれを伝えているのを観た覚えはありません。
またリバー・ベンドは誰が立候補するのかイラクの人たちは知らされていない
と書いていましたが、そりゃ、選挙としておかしな話と思いますが
日本のテレビが伝えているのを観た事はありません。
アメリカから渡される情報だけで、イラク戦争を報じてしまった所がある
と年末の特番なんかで反省しているのを見ましたが
その後、イラク側のムジャヒディンの人の話している所や、
サドル師側近の話などが放送されても、
攻撃的な部分ばかりが選別された印象を受けました。
多分、イラクの人達がみんな知っている状況を、
私達”西側のメディア”からの情報だけを得ている人は
ぜんぜん知らされていないと思います。
それでは、例えばいくら世論調査をしたって、
調査される方も正しい判断なんかできません。

報道番組というものが、自分達が良いと思うかどうか、ではなく
立場上も含め損得を考えて作られている、のだとして、
それが、今回の問題をきっかけに変われば、随分いいと思います。
日本の選挙の時の、国民の無関心、投票率の低さだって、
報道にまったく責任が無かったとは思わないんだ。私。

自分の発する言葉の力、風圧を
安部自民党幹事長代理さんが、自覚していないのではないか、というコメントを
聞いたのですが、
いや、充分以上に自覚していると私は思います。
北朝鮮に拉致されていた家族が、ようやく全て揃った地村さんのお父さん
最近ニュースで観ると、以前とはまるで別人かと思ってしまいました。
顔も声の調子も、ぜんぜん違う人のようです。優しげで。
家族を拉致されている、という苦しみがどれだけこの人をさいなんでいたかを
改めて感じます。
家族が、どこかに居て助けを求めている、と思いながら長い時間を耐える事は
とても辛い事だろうと思います。
そういうときに、実行力を持っていそうな、それなりの立場の人が
「こうなれば、帰ってくる可能性があるのですけどねぇ」
とほのめかしたら、家族としては、
可能性がある方法が何故実行されないのか
何故、他の人たちはそのことに協力してくれないのかと、
目から火花の散る思いを持つでしょう。
あくまで、私のたかが空想なんですけど。
家族、子供が拉致されているその被害者が訴える言葉は
どうしても人々の心を動かさずにいられません。
同じ意見でも、表面に出たとき人々に対して説得力も持つでしょう、
政治家が口にするよりも。

それにしても、その想像が現実だった場合
こういう人の心を利用するやり方は、ひどいよなぁ、と思います。
津波被害だってそうです。
今、あの状況においてだと、救援活動は少しでも多い方が良い。
装備も整っていて救援を能率的にできるであろう自衛隊は
支援の為に派遣されていいと、誰もが思ってしまうじゃないですか。
本来であれば、災害対策隊となって災害救援をその任務と専らにし、
そうなってからの海外派遣の方が良いようにも思うのですが
それじゃ間に合わないじゃないですか。
被災地に助けが必要なのは今です。何か決めてからでは間に合いません。
そこを利用して、軍隊としての現実的側面もある自衛隊の海外派遣を、
暫定的なものでなく本任務にしようという動きがあるようですね。
自然災害とそれに苦しむ人たち、それを助けたいと思う人の人情を
はぁ、そう利用するのか、何でもありだな、と寒気をおぼえます。

戦前の日本にしろ、フセイン政権下のイラクにしろ
そして、現在の北朝鮮にしろ
じゃあ、どうしたらよかったのかな、どうすれば良いのかな、
と思います。
暴力による抵抗を行って犠牲を出す事は避けたいとき
この圧制から国民が国民自らによって解放される為に、
どうしたら良いんだろうと、良かったのだろうと思います。
イラクのことについて、アメリカ政府はイラク国民から、
自分達の手で自由と民主主義を奪回する権利を奪ってしまった、という言葉を読みました。
北朝鮮の人達も、自分達の手で、解放されるのが一番良いだろうと思います。
でも、その為に、では外の国としてはどうすればいいんだろうと思うのです。
なんにしろ、立ち上がるべき人々が、立ち上がる前に餓死してしまったら
どうしようもない、というのはわかります。
大事なのは、北朝鮮で今苦しみながら生きている人が死なない事です。
お米などを支援すると、それを売って中心の政府権力が豊かになってしまうばかりだ
という話があります。
とうもろこしなど、商品価値の無いものであれば
”人民”に届くかもしれないといいます。
今のところ、私はそれが一番良い方法に思えて、他に無いような気がするんですが。
商品価値の少ないような、おいしくないものを支援すると体裁が悪いんでしょうか?
体裁じゃなくて、大事なのは届く栄養です。
食物が届いて、北朝鮮の人たちが餓死を免れ、
北朝鮮で歴史が動き、人々が自由を得る事ができる日が来たら
その後に、「日本からの救援物資はひどい代物ばかりでまずいし最悪だった、
このようにすれば、もっとましなものを私達に届けられただろうに、」
と証言してくれれば「このように、」のその方法がわかり、
別にまたそういう機会が訪れたときの為に、
成長する事ができます。そういう事を伝える前に、その人たちがみんな死んでしまっては、
いつまでも、その方法がわかりません。
経済制裁とか支援打ち切りとか聞くと、何か違うなぁと思ってしまいます。

それにしても、今、北朝鮮の人たちが自分達を解放するのは
その為になにかするのは、ものすごい覚悟とリスクと・・とにかく大変な事だろうと思います。
軍事政権、独裁政権下にあってその圧制に苦しめられている人たちが
そこから自由を得るのは、並大抵のことじゃないと思います。

現在の日本は、毎日のようにきなくさい法案が飛び出したり
示唆されたり決議されたりはしていますが
まだ一応民主主義国家で
今なら、まだ、穏やかに平和的に選挙や国民の意思表示によって
裁判などの手段もありますし、国が軍国主義や独裁政権にならない前に
それを防げる可能性がおおいに残っていると思います。
なにしろ、まだ人権と平和の確立を志す日本国憲法は、今は私達の手にあります。
みんな無関心で、なるたけ面倒ごとは避けたくて
なんだか、危ういですけど、国の仕組みは、まだ、今のところ理の通るものであると思います。

間に合ううちに、権利を持っているうちに
声を出せるうちに、動けるうちに、できるだけの事は、しておいた方がいいです。
今なら、日本という国の仕組みについて
まだ間に合うのに、間に合うから、間に合わせたいと、心から思うんです。

venerdì, gennaio 14, 2005

報道魂っ

NHKの報道番組に、政治的な圧力があったかもかもの話(あっただろそりゃ)

怖かったですねぇ。報道ステーションに出演した安部さん。
まともに、人に話をさせないで、何か覆うように強引にしゃべるし。
もう、これだけだって圧力ライブでした。
日本は民主主義国家であって、日本のことは国民が主権を持って決めるのです。
安部さんをはじめとする政治家が独断で動かしていい国ではないんであって
購読者数も国内上位の新聞の編集委員のような人が”ウカガイシレナイ”ような
そんな、こそこそした政治はしてもらっちゃ困るんですよ。
ほいで、さらに”工作員”なる言葉が、そんな
”私たちの思うような”言葉でないのであれば
容易に使ってもらっちゃ困りますよ。
共通意識で認識している言葉で話してくださらないと
”政治の世界においては”
「誤報ですよ」というのは、「事実ですよ」という意味だったらどうしましょう。

私は、何がどうあれどっちにしろ嫌です。
政治家がNHKの幹部な人を呼びつけて
政治的圧力で番組、事実を歪曲したのであっても
NHKの幹部の人達が、
自らはせ参じて、自ら番組についてお伺いを立て
顔色を見て、自主的に自粛し番組を編集したのであっても
どっちにしたって嫌ですね。
国の予算をもらって、つまり、うちらが払わされている税金を使うために
その額を思うように支給される為に
情報や報道、番組を、その人達だけが払っているわけではない税金について
采配を振るう権力を持った人達の思うように
おもねって作るような、そういうNHKの体質が
どぉっちにしたって、ある、という事じゃないですか。
番組が、改編された以上。そしたらどっちにしろ嫌ですね。

戦前の日本にしろ、フセイン政権下のイラクにしろ
そして、現在の北朝鮮にしろ
じゃあ、どうしたらよかったのかな、どうすれば良いのかな、
と思います。
暴力による抵抗を行って犠牲を出す事は避けたいとき
この圧制から国民が国民自らによって解放される為に、
どうしたら良いんだろうと、良かったのだろうと思います。
現在の日本は、毎日のようにきなくさい法案が飛び出したり
示唆されたり決議されたりはしていますが
まだ一応民主主義国家で
今なら、まだ、穏やかに平和的に選挙や国民の意思表示によって
裁判などの手段もありますし、国が軍国主義や独裁政権にならない前に
それを防げる可能性が残っていると思います。
みんな無関心で、なるたけ面倒ごとは避けたくて
なんだか、危ういですけど、国の仕組みは、
まだ、理の通るものであると思います。

だから、今回の事が、なんかうさんくさいまま4年経過しましたけど
でも、今明るみに出た事とかは
まだ、日本の報道には、経済事情だけでなく、気持ちを持って仕事をしている
人の存在を感じられて、希望が持てます。
今回、リスクを覚悟して良心に従って勇気を出した人が
このあと、嫌な思いをしてはいけない、と思う。
このままうやむやになってしまっちゃいけないと思う。

というわけで、ここまで出してきた以上、
徹底的にあやふやにせず、全部分解掃除しちゃってほしいです。
絶対に、うやむやのまま、竜頭蛇尾に流さないで
勇気を出したこの人だけが損だった、ずるい人が巧くたちまわった
という事にはならないようにしないといけないと思う。


そんな日本のテレビに、ほとんど取り上げられなかったNEWS。
デモをしてもその訴えが届かないなら
彼等が抑圧、占領から解放されるには、じゃあ、どうしたらいいのだ。

http://www.occupationwatch.org/article.php?id=8585

 ホァン・コール、「数千のファルージャ市民、デモ」

(訳者まとめ:1月1日、廃墟のようになったファルージャの町の入り
口で、こどもも含む数千人がデモを行った。要求は、米軍の撤退とライ
フラインの復旧。大規模なデモであったにもかかわらず、西側メディア
はほとんど報道しなかった。(翻訳:TUP/池田真里))
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
TUP速報
配信担当 萩谷 良
電子メール: TUP-Bulletin-owner@yahoogroups.jp
TUP速報の申し込みは: http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/

mercoledì, gennaio 12, 2005

intolérance

人は一人一人多かれ少なかれ違っています。
その違いが、多かれだったとき、それを病気と定義づけないと
受け入れられない社会というのは、なんだか寂しいと思います。
彼等・・と言っていいのかどうかわかりませんが
(そう診断される人と診断されない人とが
どう違うのか納得いかないので)
彼等はコミニケーションや感覚の受け取り方が、少し違う、のだと思うのです。
自然界においては、それは、肌の色が違ったり目の大きさが違ったり、
そういう違いに似たようなものの気がします。
アスペルガーであれ、自閉症であれ、名前をつけてしまいましたが
それは、例えば腫瘍であったり、薬などで遺伝子を傷つけられ
引き起こされたりした物理的損傷と違い
生命活動に支障は無い事が多いように思います。違いますか?
自然の流れの中では、生きていける、
フツウに、そういう風にできている、のだと思います。正常。
ただ、一般大多数とは感受のしかた考え方感じ方の方法が違うので、
一般大多数は一般大多数のコミニケーションのやり方をしたとき
それが通じないととまどい、病気としないと受け入れることができない、ように思います。

アメリカが、自分たちとやり方が違うと、
とりあえず自分たちに合わせて変えようとするのに似ていますね。

人はそれぞれ違います。
その違いは、スペクトルのようにグラデーションをおび
そして、片側から、一番外れたもう片側のこの二つは、ものすごく違います。
真ん中くらいとだと中くらいに違います。
近くであれば、違いはだんだん目に付かなくなります。
でも、違います。
違うそれぞれを知り、どう違い、どう付き合えば共存できるか
それは、”病気”の人相手であろうと、そうでなかろうと
ひとりひとりに会ったそのときから、
そのときを最初として謙虚に真摯に始める必要があると思います。
自分のやりかたと違って、自分が疲れるからといって
自分の思う社会のやり方と違うからといって、
やれしつけが悪いの頭が悪いのというのは傲慢だと思います。
そういう考えを持つことこそ、頭が悪い。
こういう場合に限らず、何かっていうと
他人のことを、しつけが悪いの甘やかされてるの、
自衛隊に入ってイラクに行って根性叩きなおせの、いけしゃあしゃあと
のたまうような方々こそ
人の気持ちがわからないし、経済面でなく育てられ方が悪いと思うし
オタンチンパレオデュカスで豆腐の角に頭ぶつけてXXXXXだと思う。
自分がいかほどの者か。
経済活動においての優勢だけが、価値か?
そのせいで、地球はぼっかれつつあるんだけど。
まとめられて整然と足並み揃えて動けることが良いとするのなら
いわしさんやや蟻さんとお付き合いなさればよかろ。

思ったのは
そういう風にできて生まれてきた場合に
大多数が、その人と大きく違ったときに
問答無用で、その人のほうが社会に適合するべく矯正されることが前提とされる
それは、なんだかつまらない社会だねぇ、とそういうことでした。
なんだか不公平だし、本当に、つまらないねぇ、と思います。

普通の人から見て、”高機能”と選別されたり
そういう特殊に”優生”とみなされる能力が無ければ”障害”で”劣性”とみなされるのは
なんだか寂しいです。
記憶が飛びぬけていたり、楽器などの演奏が飛びぬけている場合もあるという事実は
それが”病気”ではなく、そういう風にできている
もしかしたら人類という種の中での”進化”のひとつかもしれないと思わせ易いですが
たかが別の人間が優れているいないと決めるのは傲慢で
高機能とされない人も、もしかしたら自然の流れ宇宙の流れの中で
ものすごく高機能かもしれません。

lunedì, gennaio 10, 2005

Libération en otage?

フランス人記者と通訳が行方不明

 6日、仏紙リベラシオン紙の女性記者フロランス・オブナさん(43)と
イラク人通訳が5日からイラク国内で連絡が取れなくなっていると発表。
仏外務省も行方不明の情報を確認したそうです。
 オブナさんは5日午前11時すぎ、
バグダッドのホテルから北方タジに車で出発後
連絡が途絶えて24時間が経過。拉致された可能性があるそうです。

 オブナさんはルワンダやコソボなど紛争地での取材経験が豊富なベテラン記者。
(01/07 10:23)

その後どうなったんだろ。

domenica, gennaio 09, 2005

200X

人類滅亡と13のコント集
http://www.ntv.co.jp/jinrui/

200X年、人類は滅亡した・・・

ってさぁ、200Xなわけですよ。
20XXじゃないんですよ。
つまり、あと5年以内だ。
2009年、何歳ですか?

小学一年生、中学生になれないじゃないか。
眠い目こすって宿題やってるの、無駄になっちゃうじゃないか。

でも、それって
本当に、ありえないフィクションて、
本当に、言い切れますか?
私・・・ちょっと言い切れないかもしれない。

自衛隊法、変えるんだそうだ。
改憲の為の国民投票法案も、本国会で決めるつもりなんだそうだ。
経団連も応援するんだそうだ。
それ、国民投票、電子投票にするんじゃないでしょうね?
アメリカと日本とで、兵器開発の協力をするんだそうだ。
より、えげつなく滅亡する為か?

滅亡が一瞬ならまだいい。
多分、こうやって生き残っちゃう人が出るんだよ。1人だけとかで。
で、ものすごーく苦しんで、おなかへって、のど乾いて、うじとかわかしながら
のたれちゃうんだよ。
それが、自分じゃないって、何故わかりますかー?

あーやだやだ。
ありえないフィクションとは言い切れないが
せめて、そうならないようにあがくくらいは、
しといたほうがいいだろうと思うんですよ。
そうならなければ、その方がいいじゃないですか。

venerdì, gennaio 07, 2005

あがける限りあがこ

あいかわらず、こんなことしかできないけど。
私は棚の上に上がる。
私の事じゃなくて
でも、人ってどこまで強くならなくちゃいけないんだろう。
イラクの人達から届いた言葉を伝えている
blogやページを見ると
リバーベンドも。
新年を祝った。
イラクで。
そして、立て続けに起きた自然災害に心を痛めている。

でも、イラクの人は、イラクの人だからって、特に特別じゃないだろうな
と思うわけですよ。
なんとかがんばる人のほかに
絶対、限界、無理、の人が多く居るはずだって。
だって、自分だったらって
考えたらいいんだ。
自分だったら耐えられるか、考えたらいいんだ。
え、私だけですか?やわなのは?
そんなわけないでしょーー?そんなわけないよ。みんながじゃないにしても。
私は、私のような性格のイラクに生まれた人を思ったら特に
いらいらする。いらいらいらいらいらいらする。
早く、迷彩服でうろつくのやめて欲しい。
銃で威嚇したり、威嚇ですまないことしたりするのやめてほしい。
あたりかまわず壊さないで欲しい。
アメリカの人、とりあえず友達としてTシャツで来る様な
そういう関係にに戻れる日までは
今は、出てってよ、って思うさ。
日本の人も。武装している人はみんな。
なんのための武装だよってことだもの。
それで、どうしたってめちゃめちゃ悲しい。
だから、頭から離すことができない。
何にも知らない癖にでも。わかってなくても、お金も無くても。
それは、しようと思って努めているんじゃなくて
そうなっちゃうんだって。

はぁ、なんでこう強くなる事ばかり求められるのだー。
弱くたって、泣かないですむようにしてくれよー。
弱い人間もいるんだよー。い る の っ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
我々も参加しない理由として、アメリカが押し付けた選挙項目がある。
それは、いかなる新政府が発足しても、
例え米軍がイラクで人権侵害を犯そうがそれを変える権利はなく、
新政府はその軍と治安と警察にかんする全ての権限を
アメリカの支配下に置かなければならないと定めているのだ。
http://peaceonyatch.way-nifty.com/peace_on_iraq/

12月23日 イラク聖職者協会のクバイシ師は、
そう言っていたのだそうです。

年末、多々ある報道総括特番で
もうどの番組だったかも、ごっちゃになってしまいましたが
いくつかの番組で
イラクの戦争に関して、日本はアメリカから渡される情報だけで
戦争の様子を判断したり伝えてしまった部分がある、という反省の言葉を
聞いたように思います。
反省したなら、改良されて欲しい。
現在の、選挙に対する抗議としての暴動、などといって伝えられるニュースで
この、アメリカの提示している条件をのむわけにはいかないから
だから、選挙の開催に反対している、という事を
どこか伝えましたっけか?聞き逃したでしょうか?

両方から、見なくてはいけないと
アルジャジーラの取材のレポートで
番組はそう考えたのだと思ってました。
自爆テロは、悲しくて良くない行為です。
でも、それしか他に方法がないと思わせるまでに
他の意志を表現する手段をイラクの人々から奪ってはいないのでしょうか?
そして勿論、選挙への協力を拒否した全てが
自爆テロをしているわけではないはずです。
家も街も人も壊されても、煮えたぎる思いをこらえているたくさんの人々が
いるはずです。
今の伝えられ方では
ただやみくもに、なんにでも腹を立て
わけがわからなくなっているように見えてしまいます。
それは本当でしょうか?

世界中、どこでもいろんな悲劇が起きています。
どれも重要です。
ただ、イラクの戦争に関して
私達は、現在加害者の立場に居ます。
そう思われる行動をしています。
この状況は特殊です。
そして、そんなことになるのは
日本という国に今まで無かった事、
国の姿勢が変わってしまおうとしている、そういう事件です。
何が起きているか、その国に住む人は
逐一つぶさに知っておく必要があるんじゃないでしょうか?
民主主義である以上、主権は国民にあります。
意志は国民のものとされます。
でも、知らなかったら、事柄に関して意志の持ちようがないじゃないですか。
避けてはいけないんじゃないでしょうか?
伝える側として。

giovedì, gennaio 06, 2005

新年の豆腐・・・(ベタだなぁ)

年末年始ちょっと滅入っていました。
日々、目にする惨状の映像や、
意を決して行動を起こした人の運動(意見広告とか)
お金の力は、どうしたって実際つくづく大きいです。
振込みすれば、それが間違いなく力になる
絶対力になる、事がわかりながら、それでも注げる額には限りがあります。
そして、待たれている注ぎ口は限りなく多いです。

社会生活に順応するのに、処方された薬まで必要としていた友達が
まだ小さい小さい子供を保育園に預けて、
体調を崩せば休みがちにもなってしまう自分を自戒しながら
それでも頑張って働くのだと手紙をくれました。
えらいのだと思います。
でも、保育園に預けられていた子供だった私は
毎朝どれだけ辛かったかを思い出すと、なんだか複雑になりました。
人間が、誰に文句を言わせることなく母親を必要とし、
なんなら独占だって要求くらいはしていい
その限られた時期、子供のうちは、
できればできるならその願いはかなえてあげたいです。
それは、母子だけで放置され煮詰まっていくような孤独は避けたほうがいいでしょうし、
周囲との接点や分担、サポートは必要でしょうけど
子供が小さい時ってその子供、その人にとって、一時期だけなんだよー、と
一分一秒が貴重なんだよーと思ってしまう。
子供の時の記憶や思い出は、本当に子供にとっても
今後その子供と家族としてずっとつきあっていく親にとっても
節目節目で、ものすごく大きく意味を持つものなんだよと、思うんですけど、

でも、この友達が働く理由はきっと精神衛生上というよりは
やっぱりお金なんだと思います。
そのかわいくて大切な子供だからこそ
かわいい子供を育てるのに、
どうしてもお金が必要なんだとがんばっているのだと思います。

近所で立て続けにお店がつぶれています。
ちょっと改装して、自動ドアがついたな、酒類の販売始めたな、と思っていると
数ヵ月後につぶれたりします。
空き店舗だらけです。
定期的に通っていたお店がつぶれるのは、悲しいし、また現実的にも厳しい。
今までできた額での生活ができなくなるからです。
私の周りでは、余裕ある人をとんと見ません。

支払えば、支払っただけ間違いなく誰かの命を救い苦しみを減らすのだろう
お金というものを見ていると、
小さい私なんかが、書いたり描いたりして表現することは、
自己満足にしか過ぎなくて意味がないのかなぁ
迷惑そうにされる事もあるし、はた迷惑で場合によっては押し付けがましく
逆効果にさえなってしまうのかな
と思ってしまいそうに・・・
正直に書けば、その考えが頭から離れません。

でも、もしかしたら
ある程度額募金できて募金している人は
募金だけしていていいのかな、と
思っていることがあったりするのかもしれません。
募金できるだけの生活を維持するからには、
それだけ忙しく疲れきっているかもしれませんから。
何が起きているかも、実際詳しくはわからず
知らなくちゃいけないのにな、と思っているのかもしれないです。
知るための時間が無い。

できるだけの事をすれば、できない所に気が付き、その足りなさを悲しんでしまいますが
できるだけの事をした時、できただけの事を、誇る事もそして喜ぶ事も、必要かもしれないと
今朝、ふと思いました。
例えば、ホームレスであっても亡命している人でも、あとなんだろな、
入院中の人でも就労年齢に満たない子供でも100歳を越えて動きの取れなくなった高齢者でも
ありとあらゆる立場の人間に
戦争を疎み、平和を望む権利があります。
それを表現する権利があります。
権利は行使したとき、うれしくないと、その権利を大切に思いづらい。
平和であってほしい、戦争には反対だと、
どんな手段でも表現できるそれによって得られる満足感、歓びを
否定してはいけないと、なんだか思ったのでした。

平和を望む声をあげる人は
たとえどんな人であっても
ひとりでも多く必要だと思います。
多い方が、憲法九条だって戦争をしない国である事だって、なんとか守る方向に
ひっぱれる可能性が高いもの。一応民主主義なんだから。
そのひとりであり続けることを、
ちゃんと嬉しく思おうと思います。誇りに思おうと思います。
(なーんかとかとんとん大魔王が襲ってきてむつかしいものですけど)

おまけ。テレビ。
年末年始、やけっぱちのような嬌声響く番組が連なる中
でも、結構収穫もありました。
明石屋さんまさんが、年末の小さめの番組の中で
話の流れでどさくさに紛らしたようではあったものの
「戦争はいや。戦争が、嫌」とそこのとこ強調していましたし、
宇梶剛士さんは、深夜の討論系番組観ていても、もう、完全に腹決めたなって思いますし
北野武さんも、独立した自分のスタンスからの発言が、最近、鮮やかです。
井筒和幸監督さんの発言も、注目してます。
番組としても、ニュース総括のような特番でも
例えば”自己責任論”について
全体的に、「踊らされちゃったよねぇ、」という雰囲気を感じる事が多かったです。贔屓目?
今更、ともちょびっと思いますが、反省が生まれるなら、
まだ捨てたもんじゃないかもしれないです。(含希望)
ばたばたしていて普段の私に比べたらそう観てられなかったのですが
もともとからの人だけでなく、表現者の人々が、それぞれに少しづつ心を決めてきているような
そんな空気を感じないでもないのですが、気のせいでしょうか?

mercoledì, gennaio 05, 2005

いーーー

イラクじゃなくて
この津波災害に支援を派遣したらいいのに
と思っていたら
津波方面支援に派遣、されたようですけど。
自衛隊って、かなり充分に人員があるのですねぇ。
どこに派遣してもまだ、
イラクに居る隊員の人々を回す必要性が出ない・・・のか?
どう思っているのか、私がわかりはしませんけれど
でも、イラクに居る隊員の中には
この、本当に感謝される、ちゃんと人道復興支援な作業の方に従事したい人が
いるんじゃないかと思うんですけれど。
どうどうとその被災地中のどこへでも、必要にあわせて駆けつけられるわけだし。
誰も敵意をもつ理由も無いのだから。

自然災害は
起きてしまいます。起きてしまったら
あとは余裕ある持てる者がどう協力し
どう人々が復興するか、みんな誰もがそれこそアメリカも北朝鮮も、
方向を同じく見て、人類として、協力し合おうとします。
かなり無条件に。
そして前見て進む方向は決まっています。
なんとかしよう、助けよう助かろう。
人命尊重です。誰がそれに反対します?

でも、戦争は、戦争の被害者は、戦争さえ止めれば
人が起こしている事ですから、起こさなければいいだけなのに
何故か、このとき、この事に対して方向を見るのは
なんだかごたごたしちゃうんですね。
何故ですかね?
できることなのに。
つまり人の力の及ぶ、やらなきゃいいんだよって
もうそれだけのことなのに、
何故ここで人命は尊重、第一優先じゃないんでしょうね?
しかも、それをひとりひとりが考えれば
なにかなるかもしれないのに、
そのきっかけは、
人の力の及ばない、どうしようもない部分のある自然災害よりも
あたわれにくいんでしょうー。うー。
そりゃ、アメリカが京都議定書に加わるなり
国が太陽発電設置料金を、全額負担してみせるなりすりゃあ
少しづつ、今起きている自然災害は、自然の怒りは収まるかもしれませんが
でもどんなにどうしても、やっぱり噴火も地震も津波も
人間がどれだけどんなにがんばっても、100%防ぐ事はできないと思うんですよ。
でも、戦争は、人類1人残らずが
とりあえず、戦争はしない、ことを前提に物事を考え進めば
起きないですむはずなんですよ。
しなきゃいいのだから。

で、その為には
本当は、いい加減、ひとりひとりが想像を働かしてほしいと思いますけど
それが欠如しちゃった以上
現実に戦争がどーれだけしてはいけないことか
おきてはいけないことが、どのように起きていて
それは何故か、自分たちは、その中でどの立場にいるか
再三、しつこく、今日、松井さんが何をしているか雅子さんが何をしているかよりもずっとしつこく、人の目に耳に届く媒体からの声として
訴え続けられる必要がーあるってば。

どらえもん募金て、イラクの人達の為にはやらないのでしょうか?
どらえもんはイラクの人が嫌いなんでしょうか?
(そういうことじゃないのはわかっていますけど
あえて書いてるわけですよ。)

ところで海外放浪の旅は
その土地その国の人々に対する、日本の中に居るだけでは持ってしまいがちな
偏見を払拭するのに、とても大きく働くと思います。
ひとりひとりが、ちいさい”国民”枠から、地球人、という星人枠に
自分の範囲を広げる事は、大事な事だと思います。
で、別に津波が起きなくても
いつどこで強盗にあったり、警察に捕まったりするかわかりませんから
そういう意味で言えば、家族の心配は今に限った事じゃないし
また地方から都会に出てきているような人に関しても
同じような事はいえると思います。
ほんとは。
テレビを観て心配になる、ということはあると思いますが
放浪している側は、テレビも新聞も読んでなかったりもするので。
あとで、無事だったとわかればうれしいし、それでいいので
便りが無いのは良い便りとも言います。

放浪している人が、連絡を取って家族の心配を拭ってくれればそれはいいですが
それをしない人も、それは、自由放浪である以上そういうものなので
もう、津波が起きてしまったその時期が放浪の時期だったらば
心配な故郷に残る人は、一生懸命旅する家族の無事を願い
また、その気持ちを、他の家族の人の気持ちに重ね
できることなら戦地の人にも重ね
他人事にならない、ということに繋げる、のがいいのではないかな、と
毎日、家族に連絡を取っていたら
親離れできてないとか言われかねないし、さぁ。

誰もが無事であるといい、そうでないなら、
やはりそれは誰であっても、誰かの悲しみです。

martedì, gennaio 04, 2005

ぶゆ゛

2日BAGHDADBURNING更新



それにしても、
ようようふゆらしいさむさがまいりました。
そうすっとだね、
しもやけるのですよ。てのゆびがー
たぶん のーみそも