lunedì, novembre 27, 2006

口をふさぐ

無視したくない方のニュース
http://www.geocities.jp/shamilsh/litvinenko.htm

しかしどう書いたらいいかがわからない。
この人がどういう人でどういう人だったか、
知ることが、
・・知りづらい。

わかるのは
誰かもしくは何かと
違う考えを持っていた誰か、が
違う考えと、違う正義を持っていたという
その事を理由に
殺されるって
実際に起きることなんだ

ということ。

情報が高速度で行き交う現在でも。

12個入り

なんとなく、無視したい種類のニュースなんだけど

しかし、すごすぎる。
すごーい、自民党、こわーい

一、誓約に違反した場合は政治家としての良心に基づき議員辞職する。(一部議員は「身を処する」)

政治家の良心に基づいて政治家を辞めます
って、大の大人に、言わせるの!?
良心に基づいて辞めますって言いなさいね
(署名しなさいね)
って、いみじくも、政治家っていう仕事を選んだ人に
その人から出た形じゃなく
力づくで、「良心から辞めます」
って言わせるの。
どっひゃー

怖すぎる。
まさか、ここまでって思わなかった。
人の良心なんて、その人のものだろう。
本当に、まるで10個いりパックの卵みたいに
50個入りのネジみたいに
20本入りタバコみたいに
数だけ合えばいいんだな、
その人なんて、人個人なんて
どうでもいいんだな。

だって、郵政民営化反対って
一応、議員個人の信念と良心に基づいて
示した意見で意志だろう。
それを

えええええ?


ああ、もう、ほんと、暗いよ。先が。

sabato, novembre 25, 2006

進化

今、”学校で起きているいじめ”を
(子供、が通う場所としての)学校に通う立場を終えた人間が
自分たちの頃のいじめと同じには、考えないほうが良いかもしれない。
どちらかというと、今現在自分たちがしている、されているいじめと
同じものと考えた方がいいかもしれない。
大人でさえ耐え難いものに
神経の数の多い子供が、耐えさせられている、耐えられなくなっている

私が子供の頃に
大人から聞かされる以前のいじめは
貧乏だったから、とか、身体が悪かったからとか、
国籍とか方言?
そりゃ、そういういじめも、ずっと続いているかもしれないが
どうも、自分の知っているものと
違ってた。
貧乏でいじめられるなら
貧乏でなくなるといじめられないのに、ということになるだろうし
身体が悪くて、で、あれば
身体が悪いからといって差別してはいけない
という考えが、
もちろんそのほうが圧倒的に正しいのだから
浸透すればいいのに
ということになるだろうが
いじめられる本人の
しぐさ、くせ、雰囲気
うっかりとした選択の間違い
空気、声が急に高くなるとかさ
なに、はしゃいでんの
みたいな、そういう
あの子、変だよね、
って、それだった。

つまり
本人が本人であること、
がいじめられる原因だった。

今はどうなっているのかなぁ
いじめは、昔からあってなくならない
という、話を、しているが(テレビとか)
昔からあってなくならないものは
なくならないである以上
進化している。
いじめ方はきっと
いつも前の日より進化している
一番、傷つく方法
いちばん、辛い方法
一番悲しい方法
考え出すほうも
こんなことされたら、それが一番きついだろうと
思って考え出すんだから
そりゃ、自分が被害者には絶対なりたくないだろう
加害者の立場を守りたいだろう。

本人が本人であることが
いじめられるほどに、ひどくだめである。
お前だけは居なくて良い
お前だけは、居ないほうが、更に良いとされたらね、
特に、頭の中で理屈をこねることになれていないと
自身をたもてるよすがが何もないと

納得しちゃうんだよねぇ・・・・

鏡を見て
自分を客観的に考えて
ああ、そりゃ、そうだわと
あ、自分気持ちわるい
自分、変、
特に、学校に通う年齢の人間って
不安定で気持ち悪くて変。
だから、納得してしまいやすい。
自分のことは自分が一番よく観続けているから
自分の一番悪いところを
一番よく知っているのは
結構自分だ。

自分が、価値が無いことに
一度納得すると
そこからなんとかなるのは
むつかしい。
ものすごく。
ものすごくものすごくものすごく。

そこまで人間一人を落とし込む技術は
毎日毎日きっと進化しているだろうなぁと
私は思うんですけど
今落とし込まれた人間の傷の深さは
他人の想像の3割り増しかも。

負けるなっていったって無理だよ。
どこぞとちぢだって
権力やお金を取り除いて
本当に、その立場になったら
無理だよ。
腕力で抗えば
暴力的な切れる子供って、また、いじめられるだろうし
理性で抗えば
かっこつけてるって
きもがられるだろうし
理性とか知力って
狡猾さとか巧妙さって
自分で補えるようなもんじゃないし

そのうえで
今いじめられているような子が
うっかりニュースなんか観て
新しい教育基本法なんかやってたら
まぁ、
そんな余裕も無いかもしれないが
たまには、
あー、この先には
自分がいじめられていることが
社会からも正当化されるようになるんだ
だからいじめられるんだよって
政府から言われるようになるんだ

って、思っちゃったりする子も居るかも
私だったらそう思うかも

そうじゃなくても
なんかこの雰囲気
先はどうなるんだろうって思うと

もうこの先は戦争になって、
何だかんだいって
平和のための戦争ってやつに参加せざるを得なくなる時代になって
うまく立ち回れない人間は
非国民とか、いじめころされちゃうかなとか
戦争の時は
人のストレスやいらいらは、やっぱり
やっぱりね、ただ不景気で、大変だけど戦争ではない時より
今より、戦争分もっと高まると思う。
61年前の基礎、人間のお互いに対する思いとか
得体の知れないものを信じたり畏れたりしているその頃の常識とか、
くまさんはっつあん的な人情とかの基礎があってもで、
なおその上に戦争があった場合で、あの状態だから
今の状況の上に、更に戦争が重なったら

とにかく
努力しても気をつけてもどこか隙が出ちゃう、巧くない人間は
先のこと考えたら
我慢して、生き延びると
待っているのは更なる苦しみと思ったら
そりゃ、生きていけないわ。

今を耐えれば
その先は、今よりも苦しくないかもしれないと
思えなかったら耐えにくい。

いじめるのは、卑怯だぞ君たちやめたまえ、
なんて、そんな事言ってかばうことまで、
今度は自分が明日から人間失格の穴に埋められる覚悟を
持てという勇気なんて
そこまでは誰も誰かに要求できない。

誰も見ていないところでかまわないから
何もできなくてごめんって
いじめてるほうが悪いと思うよって

誰か、少しでも余裕のある部外者が
ゆってあげてくれないかな
死にそうな人が、身近に居る人は。

少なくとも、何時間か生きていくことくらいは
たったそれだけの事で
耐えられたりするもんだから

・・・その後、ぶらさがられてめんどくさい
っていうのがあるのかなぁ
溺れかけの必死の人間は重いんだよねぇ。

でも、本当は
今いじめられているような人間が
一人でも多いほうが
社会はキメ細やかになる
いつかみてろよ、見返してやると、思えないような人間が
誰かを自分の代わりに犠牲者にできないような人間が
一人でも多く生き残ってくれないと

ほんと、今、生き残っちゃった人間が
更につらくなるなぁ・・・

giovedì, novembre 23, 2006

霹靂

ちょっと待て

そしたら天の瞳は
どうなるんだ。

どうなるんだ。
ライフワークってのは
完結させてくれないと
困るじゃないか

どうなるんだ、

どうなるんだ沖縄とか

びっくりして
悲しめない

はやすぎだろういくらなんでも

(灰谷健次郎さん、逝去)

lunedì, novembre 13, 2006

。。

こんな簡単に、ちゃんちゃん、ちゃんちゃん死なれてしまうと
生徒にしろ先生にしろ校長にしろなんにしろ
すごく巧く失敗せずに、毎日みんなしてどんどん自殺に成功してると
呆気にとられる。
愕然とする。
ぼーっとしてしまう。

なんなのよ。
そしたら、無理して
なんだかんだ考えて
瀬戸際をうろうろしながら
生きてるのが馬鹿みたいじゃない。
馬鹿なんだけど
馬鹿じゃいけないみたいじゃない。
なんなのよ。

そりゃ、本人たちは簡単じゃないつもりかもしれないけど
というよりも、
死んじゃった人に何も届かないし無駄だけど
あんたたちが死んじゃうせいで
いつまでたっても
追い込まれる人が追い込まれ続けるんだよ。
追い込まれた先の突破口を
誰も見つけないで
みんなして
死んじゃうから
いつまでたっても
死ぬしか方法がないんじゃない。
どうすんのよ。

そりゃ、
死んじゃえば全て、
その人にとっては完結だし解決だけど
そしたら、
さぁ、

それまで関わってきた人の事とか
なにか面倒をおして
その人の為に何かした人とかさ、
その人の為に我慢したこととかさ
そういうの、どうなんの?
無駄だった、ってことなんだな。
親切なんて、みんな、無駄だな。

こういう時、戦場や違う時代をもちこむのは
違うと、は、思うけど
つまり、
戦場でも
辛い中でも
死んじゃったら楽なときに
それでも死なないで行くことは
馬鹿なの?
別に、死ななかったからって
いつか、幸せになれるとは
限らない
多くは、実は、あんまり幸せになんか
なれないだろうけど
でも、それは、自殺はやっぱりいけないだろうと思って
ぎりぎり意識が遠のく瞬間にとか
やっぱりまずかろうと思って
けっこうたくさんの人が我慢して行き続けた結果
建前的には
戦争って
あんまり趣味で行ってはいけない
くらいには、
なったんじゃないかという気がするが。
趣味でこんな目にあわされたらたまんないっていう人がそう言ってきたおかげで。
ぼちぼち。
(それでも仕事なら、お金のためなら、戦争してもいい、みたいな
了解があるのが、まったく解せないんだけど。
正義のためなんていう理屈で、納得しちゃうって
つまりたぶんそういうことなんだろうと思うんだけど
違うかもしれない。)

死にたい死にたい
って言うのは、場合によってはありだと思う。
死にたいんだから
死にたいって言ってもしようがないと思う。
だけど、本当に、それで死んでしまうなら
言われた記憶が残った遺される人はどうしたらいい。
死なないから
死にたいってもらして
苦痛を訴えてもいいんだと思うんだよ。

少なくとも
誰かに何か提供されているうちは
自殺する必要は

なくったって、
死んじゃうしなぁ。
なんなんだよ。

いつでも死んだらぁ、って、思うのは
つまり、
死んでしまうリスクをおかしても
何かをして
その結果として
死んでもいいって事だけど
積極的に
死ぬ準備をして
死んでいく
その瞬間に
何も、ひきとめるものはないのか?
なかったのか?

ないんだよな。
先が無いんだもの。
生きてて、生きていれば良いことがあるかもって
ある人も居るが
確かに
いつまでも、無い人も
いる。
居るって事は知ってる。

で、先はなぜないかって言えば
追い詰まった人が、その多くが
追い詰まった気持ちを
解決する方法を
考えないで
逝ってしまうからだ。
多分。
だからたまたま死にぞこなっても
死ぬこともできないくらいの無能っていうのは
それはまたそれで稀少で
極小数になってしまって
いないことにされてしまう
声が少ないから
声として認知されない

死ぬほどまでに追い詰まってみなかったら
その切迫感はわからない。
追い詰められない人は、その切迫感がわからないから
どういう状況なのか、いつまでたっても
伝わらないから
「誰かに相談しろ」
だの、
「助けを求めろ」
だの、
「がんばれ」
だの、
「弱いからしょうがないんだ」
だの
そういうコメントばっかり屁のように沸いてきて
どっかに流されて
それで終わっちゃう。

誰かに相談しろ
助けを求めろって
どうやって助けてもらえばいいかわかったら
追いつまらないんだよねぇ・・・
自分の力にかなわなくても
なんらかのこれを誰かがこうしてくれれば
っていう望みがあったら
死なないよ。
こうなる、その方法を、あらゆる角度から考えちゃうよ。
そうすりゃ、いいなら。
助けを求められても
助け方なんか誰もわからないでしょう。
求めるほうにも、
どう助けてもらったらいいかわからないでしょう。
だいたい
助けを求めろの、誰かに相談しろの言う人たちは
「どうして私に言うの」
とか、
「あとにしてくれないかな」
とか、
「あんたまで私を困らせるのか」
とか、
言われたことがないんだろうねぇ
そういうことしか言えない人は。
幸せだと思うよ。

いじめに関して言えば
現在義務教育課程の時期にある子供で、
いじめが今現在進行形なら
このちょっとした注目が流行になっている今なら
この今の瞬間いじめられている人は
まだ、少し幸運だと思う。
今だっていう、それだけでも、
与えられている、運命だよ。
親や先生は無理かもしれないが
交番に駆け込めば
今のこの報道の扱い方とか考えると
期間限定で
なんとかなるかも。
交番のおまわりさんにもいろいろ居るけれども
基本、普通の大人よりは
切迫してしまっている人間から
話を聞くためのマニュアルが
身についているはず。
問題に対処するのが、仕事だということになっているはず。

でも、普通普段にこの国で
死にたいところまで追い詰まっている人間を
助けられる人は
場合によっては
誰もいない。
誰も助けてなんてくれないよ。
助け方わかんないもん。
過去例がないし
成功例が無いから。
みんな死んじゃったから。

死ぬ人がみんな死んじゃうから
死ぬほどまでに追い詰まる人は
いつまでも、
追い詰められて良いとして
そういう人は追い詰まるという犠牲があるものとして
社会の仕組みはできあがってしまう。

ここがこうなっていて
ここがこうなっていて
そのひずみとして
ここで、こういう人は追い詰まるが
自殺してしまって
解決されるから
それでよい
と、
無自覚に
無意識に
そうなっていってしまう。

かたづかなくってね
死ぬ死ぬいいながら
いつまでもうだうだわだかまってね
ごたごたひずんでいると
そういうのが、どうしようもなく増えたら
ひずむようにしておくのは
面倒だって、いつか、なるはずだったのに。

死んじゃったから
もうどうしようもないけど。

なんか、

そいじゃ、

馬鹿みたい。(私が、だよ)