sabato, luglio 31, 2004

吐露



中島らもさんは、よく頑張ったのだと思う。
きっと他の人が200歳まで生きる分くらい頑張ったのだと思う。

会ったことも無いけれど
ずっと読み続けてきて
下手に会った事だけはあるような人よりも
ずっと身近だったです。気持ちのうえで。
20年近く同じ時代の変化を見ながら
泣けたり笑えたり、怒りを共感できたりなんだかそういうのめりこみながら
ずっと読み続けてきたこういう作家は、
他にいないんです。

なんでもよかったもの。
どうであっても好きな作家だったもの。

困ったなぁ。悲しいなぁ。困ったなぁ。

なんでそんなところに階段はあったんだ。階段のばか。

夢なら覚めて

悪い夢を見ているようだな・・と
民主党代表の自衛隊海外武力行使容認発言たらいうものを
観ながら、思っています。
夢なら、早く覚めてほしい。

大切な人が、命を落とすと、とても悲しいです。
30日にもイラクで米軍と武装勢力が激しく交戦し、
16人の負傷者と9人の死亡者が出たそうです。
このニュースを知ってこのひとりずつの為に、
泣き叫ぶほどに悲しむことはなくても
このそれぞれのひとりひとりの死を、苦しんでいる人がいることを
頭に思い描かなくてはいけないと思います。
この暑さの中で、水も思うように使えず、暗闇に居ながら
化膿していく傷の痛みを、思い描かなくてはいけないと思います。
身体の自由を失い、
この先を考える気持ちを思い描かなくてはいけないと思います。
そのつらさをほんの少しでも、共有したなら
戦争を軽々しい、なにかの駆け引きのように扱えないはずです。
アメリカのお祭り騒ぎは、それを思うとあまりにも軽薄に過ぎるように見えます。
そして日本について、第二次大戦の悲劇を、繰り返すまいという、
その誓いの想いから産み出された憲法の精神を
何故、今の世の中がこんな簡単に遊べるのか、理解できない。
多分、私が書いても説得力がないのです。
でも、説得力はこの憲法の文章にあるでしょう?
これを軽くは読めないです。私にはできないです。
この九条の文章が、わかりにくいから全面的に変更しようと
民主党代表は言いましたが
私には不思議です。
この発言が平然とこの国の多くの人々に受け入れられたことが。
つまり、この発言があったのに、民主党が存続の危機に陥ることも無く
それどころか、更に、今回の武力行使容認発言まで出ても
まだ、とても普通に日常が流れているのが
まるで悪い夢の中のようです。

先日報道ステーションで放送された、コンクリート詰め殺人事件犯人の
再犯事件のレポートを観ていても
頭で考えれば
何故、給料未払いが起きたとき、暴力団に関わる人物と繋がるような人を
彼の母親が連れてくる前に、
最初の事件の刑に服した段階で
関わったはずの人々が、弁護士とか
保護観察官や保護司・・(っていうんですか。違うかも。なんかそういう人)
はいなかったんですか?そういう人が関わらなかったのか?
何故、何年も服役している間に、この人間の衝動的なところが
改善されることがなかったのか
といった疑問がありましたが、
それ以前に、まずわからないのが
この母親は、何故出所してきたこの人が
はしゃいでいるようだったときに
それに戦慄を覚えないで居られたのか。
また、
この当事者は、何故、あんな事件を起こした後で
人を殴れるのか
この人は悪夢にうなされたりしないのか。
人を殴れなくならないのか、私にはそのことを不思議に思い、怒りを覚えます。

中国でのサッカーの試合で
中国の人達が、日本の国歌が流れたとたん
空き缶を投げた気持ちがわかるような気がします。
投げてはいけませんけれど、
多分、私が、この事件に
感じてしまう怒りと同じ種類のものなのだと思います。

もしかしたら、反省文は、
後の彼の言ったという”刑事や司法を丸め込む為のテクニック”ではなく
本気だったと考えてみます。
出所した時は、まじめに生きようと思っていたのに
社会に受け入れられると感じることが無かった中で
唯一、人が彼の価値を認めるかのような反応を示したのが
”人を殺した人間である”ことだった為に、心に変化が起きたのか。
もしくは、たとえ本当にその反省の気持ちを示したのが
たかがテクニックゆえだったのだとしても、
もし、それを言い出すなんて事が到底できないような
環境に生活できたとしたら再犯はなかったのか。
更に本気だったかテクニックだったかは別として
できることなら、なにもかもの起きる前に
または、今からでも彼の更正を可能にする為には
彼の母親である人が、
彼が人を殺したり傷つけないでほしいと望むのは
自分が面倒に巻き込まれたくないからではなく
そんなことの為に、生み育てたのではないからだと
きちんと伝える事が大事だったのではないか、とか。
この母親という人も、
いい年してって問題じゃないだろうとか
父親が居ないせいって、これだけ時間を経てもまだそんな事を言うのかとか
勝手にいろいろ思ってしまいますけれど
今、頻発している事件のように
子供が泣いたからといって殺すことも無く
餓死するほど放置することも無く
一人で、彼の衣食住を確保し
育ててきた以上は、それなりの想いがあったはずです。
彼の為に彼の更正を願えるのは、この人だけでしょう?多分。
他の人は、こういう事件は二度とおきてほしくないから、それが理由で
この人に更正してほしいと願うわけでしょう。どうしても。

だけど出所して待っていたのが
たとえどんな環境だったとしても、どんな母だったとしても
これだけのひどい、
最悪の事件を起こした過去のある人間と社会が共存するには
社会としては、彼が罪を受け止めて更正して、二度と過ちを繰り返さない事を
確認したい、その必要があると思うのです。
司法は、この事件に関してそのように機能する役割を果たしきれなかった気がします。
この人にどんな反省文を提出させることができても、
どんな環境の中でも償いの為に生きようと思うのでなければ
生き続けられないくらいに、自分の罪を悔いる思いにはさせられなかったのだと思います。

これを私は日本にも重ねてしまうのです。
なるほど、現状においてきちんと過去の罪を受け止めないできたので
今、起きていることは起きているんだなとつくづく痛感しています。
日本人としての誇りを失わないためには
この流れは、止まってもらわないと困る。
憲法を、誇示してきた日本人の気持ちの方が
本当の日本としての心だと、信じられないのは嫌だ。
私には、何者にも愛国心を強制されず育ちましたが
戦争を越えたとき、今の憲法を掲げることで歩き出せたこの国が
自分が生まれたこの国が、そういう国であることが
とても好きです。
君が代を歌ったかどうかで、教師に処分や、研修を受けさせる
という事が、ありましたが、
愛国心ってそんなものではない。
多分、”君”の人達にとっても、”君が代”はいい加減うんざりで
穏やかな家族の団欒ができる生活ができる世を
望んでいるのではないかとさえ思います。
(伝統工芸の技術などが守られるために、ちょっとだけ変わった生活の人が
いるというのも、必要かなと思いますが、
今の状態は、気の毒で、確かにある意味とても国民の象徴的だと思います)
アジアの人達が、抵抗を感じる国歌は
もっと穏やかな歌に変えたらいいかもしれないとも思う。
愛国心は、愛国歌心でもなければ
教育によって強制的に教え込まれる
どんなひどい国になったとしても
その為に、殺されましょうという
そういう心でもないはずです。
自分の国が、善い国であってほしいと望み
そうなる為に、なにかしたいと思える心だと思います。

うちの今年92になった祖母が、何も言わず
毎年続けてきた募金があったことを最近母が知りました。
ペシャワールの会というのです。
アフガニスタンで、20年以上
井戸を掘り続け、救援活動を続けている日本人医師がいるのです。
本物の人道支援です。
自分の持ち家もなく裕福でもない一人暮らしを続けながら
微力ながらも、この活動を支援してきた祖母が
私の祖母なことを、手前味噌ですが私は誇りに思いました。
そして、この医師の存在を、本当にありがたく思います。

この活動が、アメリカ軍のせいで、今までに無い危機に直面しているそうです。
米軍の行う支援を、武装組織に関する情報とひきかえだと公言したりすることで
全ての人道支援が、その政治的な中立性を示すことがむつかしくなり
国境を越える医師団も撤退しました。
この米軍を、全面支持し、多額の支援金を渡したのは
どこの国ですか?
なんで、私達の国は何をやっているのですか?
もう、本当に嫌だ。





mercoledì, luglio 28, 2004

ホボメモ

国境なき医師団が撤収 アフガン、治安悪化で
【カブール28日共同】AP通信によると、国際緊急医療援助団体「国境なき医師団」は28日、治安悪化のためアフガニスタンから引き揚げると表明した。
6月にメンバーが殺害された事件などを受けた措置。同医師団は、この事件についてのアフガン政府の捜査や、人道援助に対する米軍などの協力態勢への不満も撤収の理由とした。

昨晩の訃報で自分のきた日々の一部分が、いきなり過去にされてしまったようで
何も考えずめそめそしたいのに、
こんな日でも、地球は回る。頭が痛い。

martedì, luglio 27, 2004

いやだっいやだーーーー


中島らも 死んだ
何で死ぬんだ。
ばかっ


ホボメモ

「九条の会」が発足記念講演会を開催(2)大江健三郎

毎日新聞(7/25)
憲法改正に反対、都内で「九条の会」発足記念講演
憲法改正への動きに反対する学者、文化人ら約680人が賛同する「九条の会」の発足記念講演会が24日、東京都内のホテルで開かれた。
まず井上ひさしさんが、「憲法とは、時の政府に発する国民からの命令である」という吉野作造の言葉を引き、憲法9条の重要性を訴え、続いて大江健三郎、鶴見俊輔さんら6人が約1000人を前に講演した。

朝日新聞
「九条こそ日本の象徴」
「9条を持つ日本国憲法を守ろう」と作家の大江健三郎さんら9人の知識人が呼びかけた「九条の会」の発足記念講演会が24日、東京都内で開かれ、1000人を超す聴衆が集まった(以下略 WEBで読めない。なんで)
(そりゃそうだ。定員1000人だもの。多ければ多いだけ多くなったと思うけどさー)

これだけのことに対して、記事、小さ過ぎ。でも掲載されて良かったけど。

基地反対座り込み100日 沖縄の普天間移設予定地
米軍普天間飛行場の移設予定海域を臨む沖縄県名護市辺野古地区で、那覇防衛施設局の海底ボーリング調査に反対する住民が座り込みを始めてから、二十七日で百日を迎えた。この間、調査は着手できないまま。支援団体が新たな基地建設に反対する大規模な「県民大会」も準備している。
 漁港に近い空き地には四張りのテントが張られ、一日平均八十人ほどの住民が座り込んできた。
 「命を守る会」代表の金城祐治(きんじょう・ゆうじ)さん(69)は、マンゴーの栽培を手掛けながらテントに通う。「沖縄がいまだに引きずる戦争のしがらみを、孫やひ孫の代まで残すわけにはいかない。生きている限りは反対を続ける」と言葉に力がこもる。
 基地建設のためのボーリング調査がいつ始まってもおかしくないと、緊張感も漂うが、時には三線(さんしん)の音が響き、沖縄の民謡が聞かれることも。(共同通信)

ホボメモ

夏の一日


il sole e il basilico


花火

lunedì, luglio 26, 2004

本日のにうす

人為的に、戦争などしなくても
本当に、人類には対処すべき問題が、
ウンザリするほど山積してます。
HIVって、改めて観ていたら、
自分があまりよくわかっていない事に気が付きました。
というか、十年ほど前には、映画やアメリカのドキュメンタリーで、
いくつかの事を知りましたけれど、正直忘れています。
もし、身近に患者さんがいた場合、どう接するべきなんでしたっけ。
患者さんに嫌な感じを与えず、またいたずらに感染者を増やさない方法。
これだけ感染者数が増えていると知ると、ちょっと考えてしまいました。
アフガニスタンなどでも、同じ圧政下でも部族によるものの頃は
そんなことだけはなかったのに、
いまやケシ畑が増えていると聞いたことがあります。
感染経路もいろいろあります。
戦場の子供たち、人々の間での状況はどうなんでしょう。
そこへ出かけていく人々は
その対処方法をよく知っている・・んですよね・・
日本は、これだけの国ですが、
実は知らされるべきことはちゃんと知らされているかどうか、
わからないな、と不安になりましたけれど。どうなんでしょう。

津波も起きてしまえば起きてしまうことです。
避難する人が少ない理由の中には、
やはりちょっとやそっとでは、家を離れられない気分もあるかもしれないと
思いました。動きの取れない家族の人が居れば、まずそのこともありますし
また、例えば、避難して生き延びたときの、その後のことを
考えてしまうだろうな、とか。
今、家で団欒していた人々が、突然非難するべきかっという状況になって
すぐすっぱり大切なものを置いて家を離れる気持ちになるのは
難しいことかもしれないとも思います。
家に水が入ってきたとなればあわてるでしょうが
確か津波って、そうなったときはもう遅いんですよね。
何もかもを失ってしまったとき、どうするんだろう。
生き延びれれば、どうかなる、筈ですが
自殺者がこれだけ増えている世の中、
避難するかしないか、決断するとき
いろんなことが頭をよぎるだろうなぁと。
被災者に対する、保障のようなもの、
生き延びる希望の持てる状況だとは言い難、くない?

日本なんて、今、とにもかくにもみんな勉強をする事ができる
環境にあるわけです。いろんな国に比べれば。
だから、優秀な技術者や研究者も育っているはずです。
人道支援だかなんだか知りませんが
何も、水汲みのような直接的な労働にこだわらなくても
日本人が世界のためにできる、必要とされている事、
人道的な事は、随分あるように思います。
でも、子供が親を殺したり親が子供を殺したりを
お金の為にできてしまうくらい
何よりも、実際のお金だけが生きていく頼りなんて
なんだか、・・・うんざりします。
これじゃ、人道ってなんだっけ、ってなってしまうのかも。
確かに、逆らいにくい上下関係で長期間一緒に暮らす家族という
関係の中にはいろんなものが溜まる事もあるのだろうと、
思ってみていると動機はお金・・・・
なんだか、うへぇって思うんですよ。
だから新薬も、採算が取れなきゃ、今切実に必要としている人の
手に届かないというわけなのでしょう。
それで、よくわからない軍隊を送るときは、
直接イラクの人達の為に使うわけではない膨大な出費があって。
わけわかんない。(←結局、それかい)

朝焼け


朝焼け

domenica, luglio 25, 2004

根に持っていること

以前こういったメール
をいくつか送信してたらば、
反応として、共通するものに
”パウエルさんは良い人だ”というものがありました。
パウエルさんが、良い人かどうかは
友達じゃないし、私は知らないです。

良い人の言った言葉でも
今までどのような立場にいた人の言葉でも
また、更に言えばどんなに立派な人が言った言葉でも
おかしかったら、おかしいと思うんですよ。

誰が言っても、正しいことは正しい。
正しいことをひとつ言ったからといって
その人の言うことが、全て正しいとは限らない。

間違ったことを繰り返す人が
ふと真実の言葉を口にしたとすれば
その真実は、真実です。
でも、だからといって、
それまでに侵してきた間違いが、
全て間違いではなかったことにはならない。

正直、草加煎餅に興味ないんです。
いや、本物の草加煎餅は興味あるんですけど。
そこにしか掲載されない必要な情報が出てると思えば
何色がどうこうじゃなく、購読するしね。
普通にモノトーンだよ。カラー面以外は。
疑問を感じることもないわけじゃないけど。
それは、どの新聞でも同じでしょ。

どんな宗教であれ主義であれ、
滅私奉公を強要しだしたり人を格付けしたり
個人を犠牲にするようであれば、その部分において
間違っていると、思います。
主義は、人間が共存する為のより良い方法を
考えているその一過程にすぎないし
良い部分を受け入れあうことも
考えても良いのじゃないかと思う。
全否定され頭から罵倒されれば、
否定された方も壁を高くして
耳も目も塞いでしまうかもしれないけれど
自分自身が拒絶されるわけではないと思えれば、
逆に、盲信、妄信や狂信をしていたものの
欠点が目に入るかもしれないです。

なのに、つい、
先ほどのメールでも、
あの後、あの終わりの方切り取った状態で
送るようになってしまいました。
つい、うっかり、摩擦が面倒で、話をあわせてしまいます。
そんな自分が、ものすごい嫌です。
なりたくなかったこずるい大人になっちまっただよ、と
タバコの一本も吸いたくなりますですよ。
煙草も高いから吸わないけどね。

最終的に望むものが同じ同士なら
こう、切羽詰っていないことは
棚の上に上げておいて
一人でも多くの者が手を結ぶのが大事でしょう。
まず、緊急事態をなんとかしなくちゃです。
迷うのは、そう言うことによって
何故か、その主張自体が
棚の上に上げたいような
ちいせえ問題の火種となってしまう、ということです。

.....sola esse volui
めんどくさいんだもん。

九条の会

九条の会の公式サイトからの引用です。

「九条の会」アピール
 日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
 ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
 しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
 二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
 憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
 私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日
井上 ひさし (作家) 梅原 猛 (哲学者) 大江 健三郎 (作家)
奥平 康弘 (憲法研究者) 小田 実 (作家) 加藤 周一 (評論家)
澤地 久枝 (作家) 鶴見 俊輔 (哲学者) 三木 睦子 (国連婦人会)



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Copyright(C) 「九条の会」 All right reserved.

sabato, luglio 24, 2004

ホボメモ

カンガエルー

隠したってさらしたって、
頭の悪いのは、悪いままだよ。
利口になるまで、モノも言えないとしたら、
悪くても、少なくともある頭がもったいないじゃないか。
 
賢くなるまで待っている間に
取り返しがつかなくなっちゃったら嫌だもの。
 
人間は、考える事ができるところに尊厳がある筈。
考えて、より良い方を選ぶこともできる能力に
尊厳がある筈。
 
従うだけなら道具じゃないか。
 
 

付(2004 7 25)つまりあれです。愚痴です。

こんぐらがるるる

つくづく思うのですが
情報や教育を完全に権力が制御できた昔であれば、
たとえば、お互いの国のほとんど全員の人が、
敵視した相手の国の人の全てが、その国の人であるがゆえに
鬼とか、そんなものと本気で思い込むこともあったのかもしれませんが、
今は、それは無理でしょう。
どうしたって、人種や国籍や考え方が違っても
人は人と、もうだいたいわかっているし、
自分の国が攻撃している国の国民の中には
自分と気の合う人も居るのだろうと
頭のどこかでは、誰もがもうわかっているし。
敵対する国の代表者同士が、同じテーブルについて会談して
その内容が決裂したとしても
お互いにその場で飛びかかるような事も無いのは
彼等の間でも、それは、了承されているものがあるはずで。
自分は、その公の場でどうこうするということが無いのに
何故、命令は出せるのかなぁ。
自分の本意からであればやらないだろう事を
何故命令に従うという形であれば
実行できてしまうのかなぁ。
何の為に。

イラクに生まれて、空爆で殺されてしまった人々にとって
その空爆が、必要なものだった事になり得る理由なんて
あるのかなぁと思うのですが。

現代における、もっとも不気味で不安を覚えるものは、
直接に自らに及ぶ現実的なリスクさえ無ければ
どのような事も平気でできてしまえる
基本的で人間的な良心の欠如の増殖と思います。

例えばある2つの国同士が難しい理由により敵対関係にあったとしても
それぞれの国民全員の、ひとりひとりが
どちらの国の者であるかわからない状態で
混在したまま数年間暮らせるようにしたら
絶対、敵対関係にある国籍の人同士の間での友情関係や信頼関係は、
いくつも生まれると思います。
2年もそれを持続させられたら
その後それぞれの国籍を明らかにしたとしても、
2つの国間での敵対感情は戦争をする程の物ではなくなっていると思う。
各々として、許しがたい理由の結果による怨みがあったとしても
だからといって、本来の憎む対象の人が属する共通項があてはまる
他の人間に対しても、それを同様に持ち得るかというと
自然な状態では、それはないような気がする。
国籍を例にとれば
例え、憎む相手と同じ国籍であっても
別人であれば、国籍以外に憎む相手とは違う部分があるだろうし
それは逆に自分に共通するものであるかもしれないし。
国籍だけが、人との間で共有できる個性じゃないから。
国境をなくしても宗教をなくしても今ある全ての境界を無くせたとしても
どこかにまた別の新たな集団間のひずみができるだろうけど。
下手すると、食べ物の好みとかのの間でさえ。
それが、別の戦争をする程の敵対関係に発展しないようにできるのは、
ひとつの事を理由に相手の全てを否定しない理性と寛容さから生じる
煽る者になり得る個性を持つ人間の良心と、
従う者になり得る個性を持つ人間の良心じゃないかと。
2004年、人間という種の圧倒的多数の個体にこの寛容さと理性は
実は、それぞれの頭の隅にもう備わっているのではないかとさえ思います。
だけど別の面で、もっと基本的な良心
良心の基みたいなものが荒廃してきている気がする。

現代の戦争は、これが目に見える形となって出てきた現象のひとつで
同時に、この事は以前とは少し違う形で起きている様々な
異常な事とも無関係ではない気がします。

憲法の九条や前文は、”基本的な良心”を目に見える形にしたものに思います。
今、もし私の思う状態に近いのだとしたら
時代遅れ、ではなく、実はこの時代の到来を予見して
考えられたかのようであり、その大切さは日々増している筈で、
その時々の都合を理由に変えてしまうなんてもっての他と
私は、思います。
今日は9条の会の講演があった日です。個人的には
そのことを記念すべき日としたいくらいです。自民党は
「憲法改正プロジェクトチーム」(中谷元座長)を発展的に解消し、
草案の「起草委員会」を新たに設置する方針を決めた(共同通信)。
そうですが。



コングラリスの種

多分、現代の戦争は、”いじめ”にも似た
大変卑怯な種類の一種の経済活動なんじゃないですかねぇ?
それが成立できているのは、
”流れの一部”になることの安心感が
良心よりも優先されているおかげ。かな。

ふっただ、たかがそんなもんのせいで、
この暑い中、水も自由に使えず、暗闇で眠らなければならない
たくさんの人々が、一分でも早くその状況から開放されてほしい

venerdì, luglio 23, 2004

ホボメモ

日本への警告声明、われわれとは無関係=ザルカウィ氏組織 (ロイタードバイ)
サマワでテロが起きたら、イラクの人も巻き込まれるかもしれないし
自衛隊隊員が、死傷したり死傷させたりするかもしれないと思って心配なので、
 テロ警告は虚偽であってほしい。
今の以外の方法を、むこうの組織にも日本の政府にも考えてほしいです。

書評 イラク ユートピアへの葬送 (朝日)

この本がどうこうじゃないの(読んでないもん)。
この書評の文章が、的を得ていると思うわけなのよさ。
アッチョンブリケ。

高遠さん「解決の糸口見えない」 今井さんと集会に(朝日)


(7/22)イラク人質事件の高遠さんが講演(日経)





mercoledì, luglio 21, 2004

どうすんだ。

 今のこの現状において
温泉に入浴剤が混ぜられていたことは
そんなに重大なニュースでしょうか?
もし多少の化学変化をおこしたとしても
現在、一般にお風呂に使っているお湯だって
いいかげんプール臭いです。
万一そのような化学変化をおこすような
入浴剤だったとしたら、その方が
その作った会社の方が、怖いです。

民主党の岡田代表は15日、CS放送番組の収録で、
憲法改正について、
「既存の9条1項、2項は非常にわかりにくい条文で、
書き換えればいい」と述べ、
9条を全面改正すべきだとの考えを示した。
「日本が国連を中心とした集団的な安全保障活動に参加できるよう、
憲法上、明確にすべきだ。
(活動への参加時は)場合によっては武力行使も含む」とも指摘した。
[読売新聞]

これは、
日本人にとってものすごい重要なニュースだと思います。

無防備地域宣言(運動)
・ジュネーブ条約追加第一議定書(1979年)第59条は
「 いかなる手段によっても紛争当事国が無防備地域を攻撃すること」
を禁止し、その  無防備地域に4つの条件をあげている。
(a)すべての戦闘要員並びに移動兵器及び移動軍用設備は、
撤去されていなければならない。
(b)固定の軍用施設又は営造物を敵対目的に使用してはならない。
(c)当局又は住民により、敵対行為がなされてはならない。
(d)軍事行動を支援する活動が行われてはならない。

・この規定を活用して、
「(平時から)戦争不参加の意思を表明し…、
そのために地域の非軍事化に努め…、戦争の危機が迫った場合
には自治体が無防備地域を宣言して戦争から離脱し、
あくまで地域住民の生命財産を戦果から守る運動」(林茂夫氏)といえる。
http://peace.cside.to/shoukai.htm より引用)

憲法の九条によって日本は明らかに、国家丸ごとで、
この無防備宣言をしていることになっていたわけなのですが、
ジュネーブ条約とかが、なんだかんだ言ってそれなりの効力を発揮することは、
イラク人捕虜に対する拷問虐待が発覚した後の
(本当は最初からあってはならないことだったのですが。)
流れを見ても、わかると思います。
いまや、軍事行動を支援する活動は行われてしまいました。

イラクでフィリピン人を人質にしていた武装組織を名乗る声明が20日
インターネットのイスラム系アラビア語サイトに流れ、
「日本政府もフィリピンと同様の措置をとれ」
と自衛隊の撤退を求めた。
声明によると、武装組織は「ハリド・ビン・アルワリド旅団」
と名乗り、国際テロ組織アルカイダと関係があるザルカウィ氏を
指揮官とする「タウヒード・ワ・ジハード(統一と聖戦)団」
の武装部門だと称している。声明が本物かどうかは明らかではない。
 声明は「米国を助けるアラブ・イスラム圏の政府が
イラクに軍を送れば、敵として戦う」として
パキスタン、ヨルダン、インドネシア、マレーシアなどに警告。
さらに「もう一つの警告は日本政府に向けたものだ」として、
「我々はイラク占領を助けるものを容赦しない」としている。
(朝日新聞)

決める人はいつも生き残って、長生きをして豊かに暮らします。
犠牲になるのは、一般の毎日の生活をやっとこさ続けている人々です。
こんなの本当に嫌だ。

人の命の為に軍の撤退を決断したフィリピン政府を、アメリカ政府と
オーストラリア政府が、批判しているそうですが
帰ってきたフィリピン軍の兵士は喜んでいる。
スペインのときも、生還できた兵士たちは喜んでいた。
そして、その軍が撤退したことを
イラクの一般市民も喜んでいる
としたら、
批判する、その人達のなんらかの利益の為だけに
戦地に送られる兵士も、現地の人々も
嫌な思いをしていたことになりますね。
ふーん・・・
日本においては、どうなるんでしょう。この先。
自衛隊に入隊した人全てが
戦争をしたくて戦死したくて入隊したというわけじゃ
ないはずです。災害時の救援活動をする自衛官をみて
入隊した人もいるでしょうし、
学費の為という人もいるようではないですか。
そういう人も含めた自衛隊が
殺される危険殺す危険にさらされて
良いとは、私には思えない。

近年、精神医療にかかわる人達の一部は
”かたずけられない”とか、
”やたらブランド品を買ってしまう”といった
病気を定義していますが
それはそれで、患者たる人が苦しんでいるなら、必要でしょうが
頼むから
お金の為なら、中絶胎児は細切れにして燃えるごみに出せる人とか、
自分はへろっとしたままで、
我が民族の誇りの為に潔く犠牲になってくれ、
と心も身体も傷つけられた若者に命令できる人とか、
多分その辺に首謀者が居るはずなのよ、という理由で
民家を片っ端から爆撃させる命令を出せる人とか
命令だから、従うまでです、と爆撃できてしまう人とか
なんだかもう理由すらわからないが、
うれしそうに、それまでなんとか平和でやってきた自分の国を
わざわざ危険にさらすような方向に全力を挙げ
なおかつ、苦しんでいる人の為に一番有効だった救援活動を
自分の建前の為、お金の為か?いくらもらうっていうんだ、
そういう為に、不可能化してしまえるような人の
そういう病気についても、ぜひ、定義していただきたい。
そして、こういう人達こそを
山ほどの精神安定剤を、数時間おきに飲ませて
お金に対する強烈な強迫観念を和らげ
罪を侵しまくる、この哀れな状態から救ってあげてほしい。

環境問題も大変切迫した問題です。
しかもこれは、戦争の元凶かもしれないと思います。
でもね、今それをどうにかしても、してもいいですけれど
その間に戦争で人類が絶滅したら、どうしますか?
しないかもしれないけれど、
爆撃される地域に住んでいる人達にとっては
彼等にとっては、今の状態は絶滅の危機です。
彼等自身が死んでしまったとしたら、後でどうなろうときっと
たいした問題ではありません。
まず、戦争という、エネルギーの問題の手っ取り早い逃げ道を
断つべきです。永久に。
人間は今まで結構たくさんの信じられないような道具を
生み出してきました。
真剣に本気になれば、きっと環境にせめてもう少し配慮できる
文化的生活を技術者たちは作れるはずです。
そうならないのは、そうしたくない誰かのせいなんではないですかね?

とは言っても、コンビニの上全面開放の冷凍庫はむかつきます。
ああ、こういう事のせいで、戦争はおきて、
ついでに言えば、このせいで、うちも暑いんだなと、
うちは、戦争にむかついた勢いで
今年に入ってまだ一回も冷房入れてないので。
(そんなことしてもあんまり意味無いのに)
おかげさまで脳が煮えちゃって煮えちゃって。大変です。
なんであんなことをするのかと、大人代表うちのお母さんに訊いたらば
(私も大人なのだけど、わからないので)
税金の支払いの為に、使うところで使った方がよいのかしらねぇと!
なんじゃっそりゃ。

冷凍庫を使うなとはいえない。使わなきゃ使わないで
他に無駄が出てくることもあるし。
(保存できないと、いろんな品物が効率よく消費されない)
でも、せめて戸を閉めてほしい。
戸を閉めても、たいした不便はないですよ。








martedì, luglio 20, 2004

今日も暑くて頭が煮える

「平和とは、生じ得る諸々の貪慾に対して、
これを制圧し得る諸々の力の収める潜勢的な、
黙々とした、連続した勝利の謂である」
「抗議しない人間は、共謀者だ」
(昔の賢い人々の言葉のぱくり)
 
私たちにできるのは、正しいと思えることがあるならそれを
しつこくしつこく何度でもしつこく言い続けることなのだと思います。
ま、このブログを続ける事だけが、言い続けることにはならないですけど。
と、3日坊主の言い訳を先に書いておいたりする。 
 
そいで、書きます。 
 
26人の人を殺した犯人は、悪い事をした、ということは、
誰もが、とにかくも認めますよね。
例えどんな理由があろうとも、だめでしょう。許されないでしょう。
少なくとも、報道や世論調査でも何でも、
その辺の人もみんなそれは、やってはいけないことだった、
と言うでしょう。
18日早朝、ファルージャでまたもや米軍による空爆がありました。
14人が死にました。
女性と子供が含まれていました。
なんでっ、これがっ悪いことだと、そう意見は一致しないのでしょうかっ。
ザルカウィ氏なんか居るわけない。
いつもああいう人の命を軽んじる権力者はフセインのように、
生きて、せいぜいがとこ立場が悪くなっても捕まってどこかから出てくる。
いつも生きてる。特に最近は。
殺されるのは名前も無く殺された事さえ
たった数秒で伝えられる市民なんですよね。
一生懸命、悪い事をしないように生きてきた地道な人達の命が、
権力者より軽んじられる理由ってなんだ。
そこにザルカウィ氏が居たとしてさえ、
それは14人の命を奪った理由にはならないです。
たとえどんな理由があろうとも、罪の無い人を無差別に殺してはいけない事を、
ひとりの殺人犯に対しては誰もが納得するのになぜ、国家権力に対しては、
そうではないんでしょう?
こういう事に対する怒りが切実だから、
イラクではテロリズム(自爆したり爆破したりするのは、
その理由がどんなに痛い程わかる場合でもやっぱりテロと思います。
アメリカのやっていることもテロ)が、存在し続けてしまうのだと思う。
他国から軍を送ることじゃなく、イラクの人の苦しみを軽減する地道で効率的な、
人と人の協力活動をすることこそが、きっとイラクの人の為の支援なのに。
イラクの人が、仕事をしたいの。イラクの為に。
何故、その仕事(水汲み。しかも不効率)をしに銃を担いでいく兵隊が必要なの?
彼等に必要なのは技術と、仲間として仕事をする”友達”だと思う。 
 
 
それからジェンキンスさんの罪って結局なんですか?
なんだか、うまいことなんとかアメリカの訴追をごまかそう
軽くしてもらおうっていう方向にある気がしますが
もともと、なんで脱走兵は罪ですか?
 
日本国総理大臣がひんまげたことで有名になった
日本国憲法前文の一部です。
 
日本国民は、恒久の平和を念願し
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、
平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から
永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
(日本国憲法前文より) 
 
前文てのは、つまり一番大切なこの憲法の目的の宣言ですよね?
主題 ですよね?
日本人は、こう決意し確認したのですよ。
ジェンキンスさんも、平和のうちに生存する権利があった以上
戦争や兵隊であることを放棄し、逃亡したこともそれを罪とするのは、
違うように思うのでそう思うのですけど、どうしましょうと、
一回くらいは、アメリカ政府に言ってみてもよかったのではないでしょうか?
アメリカが民主主義国家であるならば、
ジェンキンスさんが人殺しとしての兵隊であることから脱走したのが
良心の下に行った行為であるならばそれがどう罪なのか、
人道上明白とは言い切れない以上
ジェンキンスさんの良心と信念を尊重しても、良いのではないでしょうか。
自由の国なはずだったのに。
人を殺したくないという自由は認められないの?
同僚や友人に、人を殺させたくないと殺すなと言う自由はないのですね。
更に、脱走の理由が、急に北朝鮮の共産主義に転向した事だったとしても、
自由民主主義の国において信じるものが違うことは何故許されないの?
共産主義が排他的に他主義を認めなかったからといって
民主主義、 自由主義が
それだけを理由に、権力を用いて人を排するのなら、結局やっていることは同じだと思う。
それなら、主義ってなんだよ。
私はなぜジェンキンスさんが罪なのか、ぜんぜんわからない。
人間としては、人を殺す仕事である兵隊であり続けることの方が、疑問。
 
 主義は、人間がいかに共存するかというその方法を考えてきた人間の、
考えの一過程に過ぎない。
良いところだけ集めて、一番良い方法を考え出したらいい。
主義の為に人間が犠牲になるのならその主義はその部分においては、
間違っている。私はそう思います。