mercoledì, agosto 31, 2005

ぼやき

安部自民党幹事長代理さん、あいかわらず冷たい。
メール使えない人は、意思の疎通をするなってか?
で、その人の指摘の通り
テレビ朝日のサンデープロジェクトで
民主党代表岡田さんは、
「過疎地に住んでいる人が、1000万円も貯蓄は持っていない」
と言い切った。これまた冷たい。
山村に住むような、農業で半自給自足をしてきたような人は
災害にあう可能性、天候不順の可能性、高齢になり仕事ができなくなる
という中で、貯蓄も持ってなかったら
どうやって光熱費だけだって払うのだ?
1000万円で、暮らせる以上は長生きするなというのだろうか。
まぁ、勝手にうかがうに、思うに、ですけどね。
そういえば、最高裁判所裁判官審査もあるのだが
いつもの通りまったく取り上げられる気配も無い。

バグダッドで、1000人近く 死亡。

BaghdadBurningは、更新されない。
郵政、は、後にしてくれ。

メモ

martedì, agosto 30, 2005

つまらない

JRの脱線事故の時、
あれだけ悲しそうな顔していて
JRの徹底した利益優先のやり方に
あれだけ、憤っていたのに
報道ステーションの古館さん
なんで、ここまで郵政民営化推すんだろう。
不謹慎と抗議されない為に、謹慎な顔をしてただけなのかな。
松原教授という人、どんな風に言ったんだろ。
やっぱり、都市部に住んでいる経済的に裕福な人には
犠牲になる人の犠牲なんて、どうでもいいんだな。
また、普通の人も
JRの利益追求の経営姿勢についてとか、
あれだけ、いろいろ言ったり書いたりしてたのに
それでも、郵政民営化賛成って
どういう事なんだろな。
どっちにしても、
何かあった時に、同情したりするのって
私が思うのと
違うものなのかな。
その瞬間の、その場のものなのかな、やっぱり。
つまんないな。

必要不可欠なものを
利益優先で運営したら
事業に利益を多くもたらせない人が、必要不可欠なものを失う事になるんだよ。
普通の人には、切手の数十円の値上げは
たかが、かもしれないけれど
この国には、小銭で命を繋いでいる人も居るんだよ。
住居が集中していない場所に
生れてからずっと暮らしを営んできた、高齢者の家に
一軒一軒訪れる、郵便配達員の苦労を
必要不可欠としている人が居るんだよ。
一人でも居たら、その人をないがしろにするべきじゃないんだよ。
政治家と何かの繋がりだかなんだかを断ち切って
浮いた分が、確実に、その過疎地の高齢者の所に
届くのか?
郵便局が今までにもたらしてきたものと
ひきかえにして、同程度になるまで還元されるのか?
民営化して、
利益を上げる為に、郵便局員ひとりひとりの労働負担が、
個人に可能な最大限にまで課せられたら
誰が利益を考えずに、
無料で、ひとりひとりの安否を気遣いに
細かい用を引き受けに訪問するのか。
無駄を省いているつもりが、
大事なものも省いてしまったら取り返しのつかない種類の
事業の一つだと思うよ。郵便局は。
もっと、大切な事があると言うのは
小泉総理大臣さんの郵政民営化に集中しちゃった、
もしくは、有権者に集中させたいと狙っているのかもしれない
その視点からだけではなくて
郵政の経営のやり方だけで
国民の生活が成り立っているわけではないという所に
あるんだよ。
郵政事業が民営化されただけで
国中の人間の抱えている問題が解消され
イラクの戦争が終わり
自衛官が帰国でき
将来にわたって、戦争で犠牲になる人が出ないというなら
やったらいいけど。そうじゃないじゃん。

戦争のもの観て、泣けた!とか言ってても
その郵政民営化の為に
戦争ができる国にしようと主張する
そういう新憲法草稿を提出している政党を
支持しようとしている。
「とっても、ひどい」と思って
「心に刻んで」「勉強した」のに
そういう事より
郵政民営化の為に、
郵便制度を利益追求型の経営にする為には、
その事とひきかえに
戦争で人がひどいめにあっていいと思ってる。
つまんない。

つまんない。

広島 再び

TBSテレビ50周年”涙そうそうプロジェクト”
「広島」

録画しておいたのを観た。

作り手が、
真剣だと思った。
真剣に、伝えたい事を伝えようとしていると思った。

繰り返さないために
繰り返そうという動きには、砂粒一つ分の重みも
加えたくない。つくづくそう思う。
それが単純なのだとしたら
この単純さは、とても大切なものだと思う。

こういうドラマを、冷め切ったまま観る事のできる人は
やっぱり、どんなに難しい計算や理論展開や分析ができたとしても
頭が”悪い”と思う。
脳みその仕組みが”悪い”と思う。
何か足りない、知っている事か、
自分の生きてきた中での感情の起伏か、出会ったことか
何かが、足りないのだろうと思う。

lunedì, agosto 29, 2005

メモ

【ワシントン=共同】第二次大戦中に中国で細菌による
人体実験を行った旧関東軍防疫給水部(七三一部隊)の関係者に対し、
連合国軍総司令部(GHQ)が終戦二年後の一九四七年、
実験データをはじめとする情報提供の見返りに現金を渡すなどの
秘密資金工作を展開していたことが十四日、米公文書から明らかになった。
総額は、国家公務員(大卒)の初任給ベースで比較すると、
現在の価値で二千万円以上に達する。
http://www.chunichi.co.jp/00/kok/20050815/mng_____kok_____000.shtml

domenica, agosto 28, 2005

罪の帰属

(この時点で8月31日)

稚拙な、私の解釈 

各個人が、自分の罪について主体的に考える。
=自分が実際に直接行った事の罪を、自分から見て自分の物として
それをそのもの自体のみで、他と比較せずに考える。
(必要な事であるが、個人によっては、
成り行きなども含め、それが全くできない人も存在する。)

各個人が、他人の罪について主体的に考える。
=他人が行った事の罪を、自分から見て他人のものとして
自分との、関連性を無いもの、もしくは実際にある関連性のみがあると考える。
罪をおかした他人に、償わせさえすれば、
あるいは、免罪させれば、責任は終わると思ってしまう、かもしれない。
その個人の資質によって、その個人が行った罪は、
同じ状況下においても、その個人さえ居なければ起きなかったと考える事に
繋がりかねない。つまり、なんとかさんや、アドルフ・ヒトラーさんさえ居なければ、
独裁政治も侵略戦争も起きない、という所に至りかねない。と思う。

各個人が、自分の罪について、相対的に考える。
=自分の罪を、他人の罪(自分の罪よりひどいものであることが多いと思う)
に比較してそれに準じて評価し、考える。

各個人が、他人の罪について、相対的に考える。
=他人の罪を、別の他人の罪と比較して考える。

各個人が、他人の罪について客観的に考える。
=Aが行った事の罪は、Aの罪であると考える。
BがAの状況下にあった場合にはBのものであった可能性もある。
(B=客観的に見た自分を含めた第三者)

集合体がまとまって罪を負っているように考える事により
各個人がそれぞれ異なった仕方で、異なった重さで負っているはずの罪の
具体的な中身を曖昧なものに考える。
=Aの罪もBの罪も、AとBとその他を含めた集合体の背負った罪である。いわゆる割り勘。

=集合体に、その時点と、それ以降に加わる個人は全てその罪を背負っている
かもしれないしそうじゃないかもしれないし、責任の所在も、特定しようとすれば
もにゃもにゃしているが、確実に重たい。

=だから、せめて、この重たいものをそれ以上増やすのはやめないか、と。
罪が集合体というひとつの存在によって
繰り返されているものと考えて、
痛い思いをしながらなお繰り返しているという
その愚かさを認識する

ことに繋がるといいな、みたいなー。わー。
(言葉の罠に、”主体的に=自分から”かかった気がする)


個人の意志がある程度尊重される中で行われる犯罪については
個人に帰属する罪と考えた方が妥当なように思うが
お互いがお互いに、個人である事を無視してひとつの価値観を強制しあっている状況下では、
個人の意思も無視されたまま、物事が進んでしまうので
罪は、集合体にのしかかる塊としてしか、捉えられなくなるような気がする。
本当は、”国”を越え、”人類”のものとしてもいいのではないかと思う(※)。
自分は、そんな事をしないと思っても
自分以外の人、全ての人間の中には
同じ状況下にあって、ひどい事をしてしまう人間もある。
その状況が特殊な、個人の意思を圧殺し、
かつ、お互いに対して残酷になる事を鼓舞する、許す、強いるというものであれば
自分がいかに強くて、それに逆らえると思うのであっても、
誰かがとても残酷な事をしてしまうかもしれないのだから
その状況になる事を許した、もしくは、この先許しかねない自分の上にも、
やはり罪がかぶさってくるのだと思う。
(※日本人特有の傾向が、結果に関わっていない、と言い切っていいかどうか
わからないけれど、
他の国と同じように、日本人にも日本人らし、くない人も居る。
日本に居る時は、この社会の中で、日本人らしくなっていても、
海外に行くと、また、変わる人も居る。
日本で暮らしている事の特性としての、日本人の個性と
遺伝子的な傾向と、両方から考えなくてはいけなくて
正直、(日本人の罪なのか、人間の罪なのかは)どっちでもいいよ、という気もする。)

もし、どうしても、現在に生きる一個人として背負わないとするなら
自分で、その状況になる事を、実際に、許さない、
状況に進みつつある流れを
実際に、自分で止める、という事でしか、
自分が罪を背負わない人間であると
証明できないのではないか。
一個人に、一個人だけで、それができるだろうか?
イラク戦争は始まった。
日本という集合体は、そこに加担した。
結果が出た。
http://peaceonyatch.way-nifty.com/peace_on_iraq/2005/08/post_4a58.html
http://teanotwar.blogtribe.org/
私(達)が、できなかった以上、
できなかった”日本人”の罪を
同じようにできなかった、過去から全て
やはり背負っていると
証明したと思う。
具体的な罪の内容は、あいまいになる。
具体的に、どうすれば、止められたのか
何が悪くて止められなかったのか、あいまいだから。
個人一人一人の、その人に可能で、するべきで、しなかった事が
わからないから。あいまいだから。
こういう事をする、”人間”。
こういう事を許す、”日本人”として
こういう事を許してきた”日本人”として罪を負っているんだと思う。
一人を糾弾して、その個人を葬っても
状況は葬れない。し、考え方、も、葬れないし、
葬らない過去から未来の
個人個々の一人一人が共有し内包する、そのそれぞれ一人が持っている分は、
具体的に表せないほどに小さい罪と罪の可能性、それが元凶であって、
それに責を負わせることでしか、
厳密な、断罪はできないのだと思う。
それを、断罪する為には、
集めて、合わせて、目に見えるものとした上で
断罪するしかない。
罪が、”これ以上!!!”繰り返されない為の断罪として
自分を含む、集合体を、個々の持つ罪の集合体として糾弾し償うしかないのだと思う。

戦後責任に言及するならば
戦争という起きてはいけない事の被害にあい、
現在もその為に苦しんでいる(記憶に苦しめられる事も含め)人間が居るから
直接の加害者個人に、その慰謝をする能力が無くても
苦しんでいる人間は、その軽減の為の努力が、
誰からであれ、なされなければいけないと思う。
集合体の、多数個人各々が、
みんながやっていることを、自分もやって何が悪い、という
集団心理、責任を擦り付け合えると思うことによって、
個人一人であればできなかったようなひどい事をやってしまった場合には、
その責任は、集合体が背負う事によって
集団心理の責任の擦り付け合いをしても、
やはり、結局は代償は払わなければならないものになるという
罪をなす事のリスクが、確定するのだと思う。
自分が、腹を切って自決してお詫びして、居なくなって(逃げて)しまっても
自分達の子孫に罪が受け継がれると思ったら
そういうひどい事は、あらかじめ、しないようにしようと思う理由のひとつになると思う。

個人はどうしても、どんなに長くても150年(念のため長めにしておいた)
もすれば確実に居なくなってしまうが
属する人間が入れ替わっていく集合体は、属する人間が全滅しない限り消滅しない。
世界的に”国”と認められなくなっても
そこに属すると思う人は、そこに属すると思い続ける。
属する集合体は、国じゃなくても、だから、人類、でもいいんだって。
なくならないこの集合体が、罪を背負う存在であるという形にする事で
罪の責任の所在を、消えてなくなるものから、
一度してしまった事の責任、罪は、消滅しないものとする事ができるようになるのだと思う。
消滅しないものにする事で
繰り返せば、増えて、その重みが増すものになり
繰り返さない事の必要性が、より明確になると思う。

必要性は明確になっているのに
繰り返されているが。

「自分は直接手を下してないから悪くない」
と思っている人間がたくさん居る為に
「自分は直接手を下している」人間と
「自分は手を下している人に、命令をしている」人間と
「自分は、それによって、生じる利益を、少人数で山分けする」人間が
存在し続けるんだろうと
私は、思う。

少なくとも、完全に無罪じゃない かも。
それを、それぞれ本人に、裁くままにさせるのが
「各個人が、自分の罪について主体的に考える。」という事だと思う。
誰も罪を自覚せず、責任も取らないという事になる。

という、私の考えに対する私の反発。
http://amo-ya.blogspot.com/2005/06/blog-post_08.html
そして、この時のひとまずの結論が
それで、個人がひとりだけ免れたとして
免れる事に
何の意味があるのか、という事。
直接手を下した個人
もしくは、具体的に決断した人間のみに、罪があるとした時
その個人が背負いきれなかった場合に、
それでも、被害者は、存在する。
個人が個人の特性として、
背負わない、背負えないからといって
この被害者に、対峙する存在が、
空白になってしまっていいのだろうか、
空白にして、被害者を独り放置した時点で
放置した存在は、その点において有罪になるのではないか。

結局
それぞれが、それぞれの罪があるかないか、
それをどうするかどう考えるかは
それぞれが、それぞれに考えるしかないと思う。
罪があるにしても無いにしても
個人にできる事は、限界があるし。
罪の意識などというものは
他者から押し付けられれば、まず拒否されるものであろうし
拒否させてしまう形の糾弾は、無意味だと思う。
国は、政府として、他国、自国の個人を、尊重しようとすれば
しなければいけないことは、おのずと見えてくると思う。
自分の籍する国に、そうであってほしいやり方をしてくれるように
求める事は、自由だと思う。
私は、自分の属する国が、過去にその集合体として行った戦争で被害にあった人たちの犠牲を
「しかたないこと」と、みなして放置して欲しくない。
そう求めるのは、自由だと思う。
集合体の上にかぶさる形で
属する個人それぞれの自由意志に託して課せられた責任だと思う。

0.5+0.5+1+1+67+12+18が100になるのは、
67のせいだけじゃないし
0.5だけのせいでもない。
それら全てが、お互いに背負っている分を直視せず
そのひとつだけが罪を背負うべきだ押し付けてしまったら
結果の100には、いつまでも及ばない。
67が欠けても、0.5が欠けても100にはならない。
個人一人ではできなかった残酷な事だし
一般人にとっては、一人では止められなかった残酷な事だ。
としたら、罪は、一人個人に背負えるものじゃない。
一人個人に背負いきれるものじゃない。
一人が決断すれば、止める事のできたその一人は、背負っている罪がかなり、重い。
が、その個人が、個人の能力で背負いきれない時
残酷な結果が出た犠牲者に対して、それで良いと思える残酷さをもつのに、
自分のやった事の罪を背負いきれない人間に
決断すれば止められるだけの権力が集中することを託した人間は
結局、その責任を背負わなければならないだろうと、私は思う。
戦争で起きた事の被害は
どんな人間であれ、一人で背負いきる事のできるものじゃない。
とすれば、そんな事をした、させた、許して見過ごした人間と
同じ事をしかねない人間全てが
償いきれない所を、それでもなんとか償おうとするべきだと思う。
一人では償いきれないからといって
被害からの視点で考えれば、償わなくて良いというものじゃないから。

こうやってべきべきと言っていると
それぞれの人間が、自らの罪を対峙することを
逆に阻んでしまうので
書くべきではないが、ここまできちゃったのでしかたない。
自分だけは関係ないと思ってください、

と書いたら
自分だけは関係が無いと思えるのかどうかは
読む人間の資質の問題だ。
関係ないと思う事が可能な資質の個人によって
集合体が享受している事、支えられている部分も、また、あると思う。多分。別な形で。

罪の意識からでも、責任感からでも
正義感からでも、義侠心からでも
友情でも、同情でも、偽善でも、自己満足でも
起きてはいけない事を、阻止するなら、
その理由が何であっても、私は構わないと思う。
起きてはいけない事は、誰の手によってであろうと、起きてはいけない。
沖縄であったような事は、広島で長崎で東京で長慶で南京でフィリピンで
イラクでアフガニスタンでチェチェンでスーダンでドイツで(あと、思う所、足してください)
起きたような事は、もう、起きてはいけない。
その後のどんな文明の為であっても、どんな豊かさの為であっても
やってはいけない事はやってはいけない。
こんなひどい目にあわされる、理由になるような事は、何も無い。
こんな事をするに匹敵する大義名分正当性が、存在できるわけがない。
もう、たくさんです。

補足 がまた伸びる  (9)

大江健三郎 著 「沖縄ノート」より

「学者の傍らに言葉もなく座っていて、僕は自分が見ている深淵、しかも、沖縄について
いくらか知識を確かにするにしたがって、ますます奥底の償いがたく遠ざかる恐ろしい
深淵について思わないではいられなかった。その深淵が、なぜ恐ろしいかといえば、
それは、日本人とはこのような人間なのだと、自分自身の疾患からふきあげてくる毒気を
もろにかぶってしまうような具合に、眼のくらむ嫌悪感ともども認めざるをえない、
凶まがしいものの実質を、内蔵しているところの深淵にほかならないからである。
 まえもっていえば、それはすでに払拭してしまうことのできぬ汚点である。
したがって、それについて無知であることが、精神の健康あるいは単なる無邪気さの維持のためには
望ましい。しかし無知の酷たらしさということもある。再び、きみたちはこれをくりかえすぞ、
現にいまそれをくりかえしているのだぞ、という声も、いったんその深淵を
覗いた者が注意深くあるならば、かれの耳に響いてくるであろう。しかもそれは、
悔いあらためればそれですむという種類のきれいごとでなく、政治的な態度決定によっては、
一転して、その悪を糾弾する側に立つことができるという種類の機械的なものでもない。
(沖縄ノート 90頁91頁)」

「アイヒマンの処刑とドイツの青年たちの罪障感の相関についてハンナ・アーレントが
いっているように、実際はなにも悪いことをしていないときにあえて罪責を感じるということは、
その人間に満足をあたえる、きれいごとだ。しかし本当に罪責を認めて、そのうえで悔いることは、
苦しく気のめいる行為である。沖縄とそこに住む人々への罪障感にも、その二種がある。
いったん自分の日本人としての本質にかかわった実際の罪責を見出すまで、沖縄とそこに住む人々
にむかってつき進んだあと、われわれが自分のなかに認める、暗い底なしの渦巻きは、
気のめいる苦しいものだ。(沖縄ノート 91頁)」

「さて、それらの声はいう、まともな人間としてだと?いったい「日本自身のこと」、
日本人自身のこと、ほかならぬきみ自身のことを考えて、熱い恥かしさなしにきみは、
われわれにむかってまともな人間として、などといえるのかね?それでは沖縄で
まともな人間としてでなくてもなんとか生き延びるために、われわれよりほかの選択
をした人間を、きみがまともに咎めだてできるとでもいうようじゃないか?
(163頁 沖縄ノート)」

「《 およそ一年半ばかり前〔すなわち一九五九年の春〕、ちょうどドイツを
旅行して帰って来た一人の知人から私は或る罪責感がドイツの青年層の一部を
捉えているということを聞きました・・・
(中略)
・・・私を公衆の前で絞首するように提案した理由です。私はドイツ青年の心から
罪責の重荷を取除くのに応分の義務を果たしたかった。なぜならこの若い人々は何といっても
この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がないのですから》(212頁)」

「それでもわれわれは、架空の沖縄法廷に、一日本人として立たしめ、
右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、
かれの口から発せられる光景を思い描く、想像力の自由をもつ。かれが日本青年の心から
罪責の重荷を取り除くのに応分の義務を果たしたい、と「ある昂揚感」とともに語る
法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。
 この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりグロテスクだ。
なぜなら「日本青年」一般は、じつはその心に罪責の重荷を背負っていないからである。
アーレントのいうとおり、実際にはなにも悪いことをしていないときに、
あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。この旧守備隊長が、応分の義務を
果たす時、実際にはなにも悪いことをしていない(と信じている)人間のにせの罪責の感覚が、
取除かれる。「日本青年」は、あたかも沖縄にむけて慈悲でもおこなったかのような、
さっぱりした気分になり、かつて真実に罪障を感じる苦渋をあじわったことのないまま、
いまは償いまですませた無垢の自由のエネルギーを充満させて、沖縄の上に
無邪気な顔をむける。その時かれらは、現にいま、自分が沖縄とそこに住む人々にたいして
犯している犯罪について夢想だにしない心の安定をえるであろう。それはそのまま、
将来にかけて、かれら新世代の内部における沖縄への差別の復興の勢いに、
いかなる歯どめをも見出せない、ということではないか?
(沖縄ノート 213頁214頁)」

引用終わり

太字は原文では傍点。改行は引用者

文脈があるから、と思うと
引用のキリがなくなってくるのが困った。
どこ省いたらいいのかわからない。

で、結局この本の場合は、
私個人は、該当者個人を責めているのではないのではないか、
と読んだわけだけれども、
この本でない場合
今後、後から覆される証言を
証言として書いたら訴えられるという事になれば、
聞いた証言を書くことなどできなくなってしまうではないかと
振り出しに戻ってしまった。

本田勝一さんの「百人斬り競争」記載の裁判は
東京地裁において

(3) そこで, 本件摘示事実が, その重要な部分について一見して明白に
虚偽であるといえるか否かについて検討するに,
(中略)
以上の諸点に照らすと, 本件摘示事実が, 一見して明白であるとまでは認めるに足りない.
(4) したがって, 被告本多, 被告柏及び被告朝日に対する各請求は認められない.

http://d.hatena.ne.jp/dempax/searchdiary?word=%2a%5bmemo%5d

と決着したようなのだが、
こういう事になると、
職業として、取材して報道することを主としている報道関係者は
それぞれのつてや技術をもって、事実確認を徹底すれば
事件が起きて100年位後になれば、
物理的に真偽が定かにできない件についても
書くことができるかもしれないが、
(自分のその時の感覚と照らし合わせたい場合は、
よっぽど長生きしないとなんないね)
現場に赴く事さえ、自分がしてよいことなのかどうか逡巡する文学者のような人は
もう、0から全て創作したもの以外、なにも書くな
という事になってしまうと思うのは、極端か。かも。
実名を伏せて、「このような人物に聞いた話」「このような文献を参考にした話」
「住民から、このように記憶されている男」という書き方をしてもなお
訴えられてしまうというのでは、不自由だと思う。

うー・・・でも、本当に心無い出版物やその他のメディア媒体によって
個人の名誉が棄損される場合もある。
(事件の時の近所の人のコメントとかって、えげつない時あるし)
だからこそ、法律じゃなくて
訴える、というその事が、内容を見て裁判制度の乱用に思えた時は
そう思った人が、それぞれの方法で抗議をするという、法的なものとは違った形の
”たが”を作っておくのが大事なんじゃないだろか。
そだ、まず、そこにつまづいたんだった。
こういう事になった途端、それまでとは手のひら返したような
新聞やなんかの「うち関係ないです」みたいな、奥歯に物挟まっている感じに。
でも、なんとなく、『太平洋戦争』の参考文献の中の、
いくつかの記事のタイトルhttp://amo-ya.blogspot.com/2005/08/blog-post_26.html
を見ていたら、こういうことか、と思った。
「政治的な態度決定によっては、一転して、その悪を糾弾する側に立」っているように思えて。
私個人は、戦争の時代と同じように
その時代も生きていたわけではなく知らないので
えらそうなことは書けませんけど、書いちゃってますけど。
自分だってどうなるかわかんないくせに。

さて。(部分を書き直したら文章が接続できなくなった)

私はそう思わないけど
人によって解釈は違うから
もし、それでも、これらの「沖縄ノート」における表現が
どうしても個人に対する糾弾だと読むのだとしても
その責められている「罪」は、”集団自決の命令を出したかどうか”の部分だけに
限られているものなのでは、ないと思う。
だとしたら、事実だった場合は許されるという事なのらしい
「社会的評価」を「低下」させた事になるのだろうか。
糾弾されている理由には、「命令」以外の事も含まれていて
それらは、事実なのだとしたら、
「いかに戦争中に行われた行為であるとはいえ, 戦闘行為を超えた残虐な行為
を行った人物であるとの印象を与えるものであり, 社会的評価を低下させる」のが
名誉棄損にあたるのだとしたら
その、戦闘行為を超えた残虐な行為と、戦闘行為の境界は、どこだろう、と思う。
「集団自決の命令」を出す事だけが残虐?
言葉だけの問題なら、言葉に対してだけなのだったら
住民は意に沿わなければ逆らえたのではないか?
逆らえなかったのは、なぜか?
それまでの経過と素地があるでしょうと思う。
と思って、も一度、確認してみたら
「集団自決の命令を下した」から、「ひどい」、とは書いていない、ように思う。
「集団自決においやった」から、「罪」だとすれば、
集団自決を決断させるに至るまでの、
訴状において否定されていない
心理的窮迫を与えたのが、罪、なんじゃなかろうか。
島民が、島の言葉を使ったら(スパイとみなして)殺す、など。

”座間味島における集団自決命令が座間味島の守備隊長によって
出されたことがうかがえるところ”(注1)

うかがっちゃだめだと思う。

「生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の
《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。
したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、
また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》
という命令に発するとされている。 (沖縄ノート)」

「守備隊長が」「出した命令により」とは書いてない。
軍隊からの命令、は、島民にとっては
守備隊長から出されようと
軍隊の雑用を任されていた人が
「玉砕命令が下った」と言ったものだろうと
言って回っているのを聞いた人にとっては
「軍隊からの命令」と思われたとして、
それをきっかけにしたのだとしたら、
軍隊の命令に事を発する、としても、
その、島民にとっては間違えではないと思う。
公的機関のようなものから、なにか報じられる時
これは、責任者の誰それから、とは言わない気がする。
避難勧告等でも、「市長がこう言いました」とか言わない気がする。
気がするじゃ「思うに」と一緒だからダメか。

”思うに、「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」
「『命令された』集団自殺を引き起こす結果を
まねいたことのはっきりしている守備隊長」
「戦友(!)ともども、渡嘉敷島での
慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたと報じた」との記述が、
渡嘉敷島の守備隊長であった赤松大尉に関するものことであることは、
日本の現代史を研究するもの及び赤松大尉を知るものにとっては明らかであり、
したがって上記記述が、赤松大尉が渡嘉敷島村民に対して
集団自決命令を下したという事実の摘示、或いは、
これに基づく意見論評であることは論を待たない。(注1)”

”慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、
どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で
住民を陣地内に収容することを拒否し、
投降勧告にきた住民初め数人をスパイとして処刑したことが確実であり、
そのような状況下に、『命令された』集団自殺を引き起こす結果をまねいたこと
のはっきりしている守備隊長

は、
”赤松大尉が渡嘉敷島村民に対して集団自決命令を下したという事実の摘示”
ではないと思う。
「命令された集団自殺」と、「『命令された』集団自殺」
は、違うと思う。

”「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと
同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべきであったろう」
といった最大限の侮蔑を含む人格非難”(注1)

まず、「人格非難」ではないと、私は思うが
その非難は、「集団自決を命令した」事のみに向けられているのではなくて
「集団自決に追いやった」つまり、
集団自決命令が出た、と、聞かされたときに
そこに疑問も持たず、拒否もせず、
複数の人間が自決をするに至るという心理状態にもっていった事、
それまでに、島民を殺害したり暴行を加えたりした事
をも含めての、非難と思われる。
思われるじゃダメか。

島民がその時点で出したと証言していた集団自決命令を
「出さなかった」から、それを、
このような扱いを受けるような
「悪い事は、なにもしなかった」
ということにすりかえたのではないか、と書き手には思えたという点
「それにもかかわらず、
島民の気持ちを思いやり慰霊(※)までした」と、考えているのではないか
と想像した上で、
そうなのであった場合の、そういう思考展開を、
それを沖縄以外に住む、書き手を含めた日本人の心理を象徴していると考え
その思考展開のやり方を、非難している、のだろうと、私には思える。
あくまで、思える、だけだけど。
(※http://amo-ya.blogspot.com/2005/09/blog-post_112563743777682921.html9月2日訂正)

どうしても余計な事を書いてしまうが
個人的には、沖縄の人が沖縄の人だから特別、ではない以上
沖縄の人の中にも、他の全ての地域と同じく、そのような思考展開をする人も
いるだろう、いただろうとは、思う。
この”日本”として国籍づけられた全ての場所で、
それぞれの組織の中で、自治体の中で、家族の中で
力関係により、大なり小なり加害と被害は発生し得たとは思う。
が、それによってそれぞれの個々が免れる事のできるものは、一切無いと思う。



注1 http://blog.zaq.ne.jp/osjes/ より訴状から抜粋引用

更に続くhttp://amo-ya.blogspot.com/2005/09/blog-post_112563743777682921.html
・・・・・凹。
この訴訟で一番へこまされてるのは、わたしかもしんない。

venerdì, agosto 26, 2005

棄損   (8)

あの戦争の犠牲者の方々のお陰で
今の私達の平和で豊かな生活がある
という考え方を、否定はしない。
それはそれで、追悼であろうし、真摯なものだろうと思う。
他人の頭の中に入る気は無い。

ただ、私は
後の世代の為だろうと何だろうと
どんな事のためであっても
人間が、このような目にあわされる事は
許されないと思う。

歴史の流れの中で、
一つの事がおき、それが次に繋がり、その連続で、その順序で今があるのだとしても
その中で起きるべきではなかった事は
起きなければ、やはりそれに越した事はなかったと思う。
このようなひどい目にあわないで
人々がそれぞれに、生きることができていたなら
その方が良かったと思う。

アメリカや日本や、イラクに対する侵略戦争に参加している国々の
戦争の被害を直接受けずに暮らしている一般人が
今、イラクの人達に
「あなた方がそのような悲惨な目にあっているお陰で
私達は平和に暮らしています。ありがたいことです」
と、述べる事が、許されるだろうか。

BaghdadBurningは更新されない。
どこかに疎開している可能性もあるだろう。
避難している可能性もあるだろう。
電気が来ない、パソコンの具合の可能性もあるだろう。
ブログを発信する事が危険なのかもしれない。
気力が、持続できなくて当然の状態だろう。
でも、その他の可能性もあると思うから
それが、とても当たり前になっているだろうと思うから
そうではないという事を確かめて
安心したい、と、ちりちりするように思う。
自己満足なら、自己満足でも何でも構わない。
偽善なら、偽善でも構わない。
何の為にならなくても
何の為になるから考えたり心配するわけじゃない。

更新されたら、
やはりその厳しい現状を知らされることになるのだろう。
だけど、
世界中の一人一人が
それぞれに、遠く離れた全く見知らない誰かを
じりじりするほど心配できれば、
その国に、起きているひどい事を
「おかげさまでこっちが安全」と、思えるだろうか。
理屈としては、インターネットやその他メディアの存在によって
被害を受けている場所の様々な角度からの情報を得る事が可能になったのに、
それでも、見猿を決め込むなら
この時代に、パソコンの前に座れる、テレビを観ることのできる立場であるのに
考えてみる事もしないなら、
それは、ヒトラー並みの残酷さだと、思う。
残酷な決断をした、歴史上の数々の指導者達の中には
直接手を汚さなかった人も、居ただろう。多分。

考えて何にもならない、
そうなのだとしても、だからって
考えなくていいものなの?

ユーセーミンエイカーだの、コーゾーカイカクーだのって
そこまでして、優先的にやらなければいけない事?

過去の人が、今の時代の人の為に
それだけの犠牲を払ったのだと思って、感謝するなら
今の人は、未来の人に、どれだけの事をできると思うんだろう。
私達を含めた彼等が
その次の世代の為に、またひどい目にあう状態を提供する?
戦争を生き残って、働きずくめで、とりあえずここまでの国際的地位まで確保した
現在、高齢となったその人達の中から、今、多くの人が
そのうえ、まだ、震える思いを堪えて
証言を残している。
直視した自分の加害、自分のトラウマ、
全て、戦争の記憶だから。
二度とやるべき事ではないから。
何故、やってはいけないのか、証明する為に血を吐く思いで語るのだろうと思う。
ここで、私が書くと安っぽい描写になるけど
それぞれの方々には、きっと実感だろうと想像する。

憲法九条まで、せっかく、60年間、守ってきたのに、
それさえ、壊そうとするから。

私ねぇ、少なくとも、1人の原告の実兄の方が
口をつぐんだまま亡くなった想いは
”敗残の身だから”だけでは無いと思う。
考えた事があったのだと思う。
25歳で、はじめての島に配属されて、責任をまかされて
上からは、島民がいつスパイになるかわからないと
命令が来て、上陸決戦も予想されていて。
それまで、教えられていた事もあっただろう。
沖縄の人についての誤った認識。
”敵”の人々に対する、強烈な印象。
国の為に死ぬ人間こそ尊いという価値観。
食料も物資も不足して、ひっ迫した人間関係によっても、いろいろな事が
起きたと思う。人間なんてそんな簡単に集団で全員がお互いを信用しあい
まなじり決して団結なんてしないと思う。なかなか。
(それができたなら、まず、その島は軍隊を受け入れなかっただろう。
そういう島もあるそうですね。その為に、米軍からの攻撃を免れたそうですね。)
その時、その時の状況と常識と感覚で、残酷な事に麻痺して
本来の自然からの素朴な倫理観や良心に対しても、無痛になって
できてしまった事があっただろうと思う。
その時はできたのに
状況が変わって、時がたつと、徐々に感覚への束縛が外れ
おこなった事が、本来の意味を持って
記憶として人に襲いかかることはあるのではないだろうか。

あまりにも、扱いが混乱した自分の過去について、死ぬまで口をつぐむ事、
教育や社会に様々な考え方を植えつけられる以前の
自分の人格、自分の人間性に、戻って考えての行動こそが
この人の名誉を守る、この人なりの方法だったのではないか。
それを、60年後にほじくりだして、特に個人の事として
新聞にまで実名と共に晒すのが
彼の名誉の為になるだろうか。
歴史の再検討の機会としても
少なくとも、裁判で「名誉」というもので争うのはどうなのか。
実際にやってしまったのだろう事の罪で、実名が史料に残っている人々は
他にもたくさん存在する。
曽野綾子さんが、別の視点からの検証をした本を出したり
宮城晴美さんが、お母さんの証言を綴った本を出したなら
それで、いいじゃないか。
様々な角度から見た、歴史上の一つの事を、読んだ人間が比較してそれぞれに判断すれば。
何故、別の方向からの視点を抹消しようとするのか。
一つの見解に統一しようとするのか。
教科書なら、その両方を掲載すればいいんじゃないのと思うが
この裁判は、選択権が使う生徒に与えられない教科書の事ですらなく
出版される数多くの本の一つの事だから、
余計、変な不安をそそるのですよ。

その人個人の問題とするのか
「日本人の、想像力の問題として把握し、その奥底に横たわっているものを
えぐりだすべくつとめるべき課題(沖縄ノート)」として取り組むのか
それは読む人間の読み方かもしれない。

個人の問題として一点に集中するなら
黙る事で、少しだけ、直接、島民の為に何かできると思ったからかもしれないし
戦争を、ひどいものと、認識させる史料の一部となり
戦争を繰り返さないことの為に一石を投じられると思ったのかもしれないし、
勿論、想像だから、全くちがう理由かもしれないけれど、
細かい弁解をせず、亡くなる時を迎えたことが
この人の、個人の資質としての、時間をかけ直視した
してしまった事についての罪の雪ぎ方だったのではないか。
そうだったとしたら、その場合の、その気持ちへの名誉はどうなるのか。
あくまで、私の想像だけれども。「思うに」だけども。
本当は、戦争さえなければ
残酷な事をしたり、その記憶に苛まれたり
するはずの一生ではなかったかもしれない。
今、残る兵士として様々な事をさせられた、してしまった人々も
(兵士だけではないだろう)
本来は、戦争さえなければ、特に、とんでもない人徳があって聖人な人間ではなくても
そこまでの事をするはずの人ではなかったかもしれないのに。
(これだけの裁判を起こす人達が
集団自決の命令についての部分ただ一点だけを挙げているという事に、
逆に、沖縄の島々で、何が疑いようのない事実として起きたのかを
突きつけられている。と思う。)

戦時の価値観を、今もくつがえせない人、個人についても
その教え込まれた価値観によって
取り返しのつかない事を自らの手でしてしまったのだとしたら、
その価値観をくつがえしてしまったら、
直視できない人がいるという、その事実も、
戦争の歴史としても、また、その人の一生にとっても悲劇だ。
それだけ重い罪を、人間の人間であるからこそもっていたのだろう
なんらかの弱点につけこむ形で、背負わされたのだろうから。
戦争が、人をどうするか、という、現実だと思う。
たくさんの人を苛み続けている、目に見える傷や、病症としての後遺症と同じように。
そのような人が居ても、なお、
そのような人の価値観が再び主流となってしまわないよう
その悲劇を、その時代に生きなかった第三者として直視する事が、
判断する事が、必要だろうと思う。

自分を失わないようでありたいとは、思う。
だけど、私にとっては、それは、今ここに居るから書ける事だと思う。
(現在進行形でも、かなりの試練を受けても、自分を失わない事を示している人も、
たくさん居るけれど。尊敬するけれど。)
戦争の中で、人々が直面したような、
そこまでの厳しい局面に立たされて、個人の人格を試されないでも、
ほんの少しのできる事をすれば、
なんとか、自分を損なわないで生涯を終える事のできそうな、今のうちに
なんとかしておいた方が良いのではないか。

彼等の名誉は、そこで
戦争、
徐々に仕組みが形作られ、
集団心理が誘導され
権力の集中が起こり
抗うものが排除され
教育という洗脳が施され
莫大な犠牲者が出る事となる
そのような戦争というものによって棄損されたのだと思う。
先導した人と、ついて行った人と
それぞれにそれぞれの罪があるだろうけど。

戦争は、誰にとっても、ろくなもんじゃないよ。
その事に地球上で真っ先に”国”として気が付いた国の国民という名誉を
棄損しますか?


(書き直し多数回。)

まだ、続く

太平洋戦争  (7)

文庫の版ではないのだけど、内容はだいたい同じようなので。参考に。

家永三郎 著 「太平洋戦争」第二版 1986年

228頁から229頁

 沖縄の慶良間列島渡嘉敷島に陣地を置いた海上挺身隊の隊長(原告の実兄の実名)は、
米軍に収容された女性や少年らの沖縄県民が投降勧告に来ると、これを処刑し、
また島民の戦争協力者等を命令違反と称して殺した。島民三二九名が恩納河原でカミソリ・
斧・鎌などを使い凄惨な集団自殺をとげたのも、軍隊が至近地に駐屯していたことと無関係とは
考えられない。座間味島の(原告の実名苗字)隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよ
と命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺ということに
なり、このため三〇名が生命を失った。久米島では、海軍通信隊の指揮官曹長+++のために、
米軍の宣撫員となって島民が無用の犠牲となるのを防止するよう努力した仲村渠明勇や
朝鮮人谷川昇一家など、婦人・幼児をふくむ二〇人の島民が、スパイ等の名目で虐殺された。
 沖縄本島でも、多くの住民がスパイ嫌疑で殺されたばかりでなく、住民が壕に避難していると、
「作戦のためだ。壕を立ち退くように」と強制して彼らを壕から敵弾雨飛の中に追い出し、
最期に島の南岸の洞穴に軍民ともに逃げこんでかくれる段階に入ってから、幼児が泣き出すと、
その声によって米軍に所在を発見されるのを恐れた兵士が、
母親の手から幼児をひったくり大勢の目の前で絞め殺したり、
壕内の婦人や子どもらまでをも軍刀で斬り殺したりするような惨劇が
いたるところで生じている(18)

367ページ(著者注部分)

(18)
沖縄タイムス社・上地一史・浦崎純・古川成美各前引(第八章注(37))書
(補足→上地一史『沖縄戦史』、浦崎純『消えた沖縄県』、古川成美『沖縄の最期』)
松本克美「日本兵が沖縄人を殺した」(『現代の目』一九六四年十一月号)、
『沖縄県史9 沖縄戦記録1』『同10、同2』、
+++「私の信念はお国のためであった」(『サンデー毎日』一九七一年四月二十三日号)、
石川竜一「沖縄・++兵曹長事件の真相」(『新評』一九七一年八月号)、
「わたしは悪くない 平然と語る++元隊長」(『琉球新報』一九七二年三月二五日号)、
「凶暴性を発揮した++」(同同年同月三一日号)、
大田昌秀「沖縄戦と戦後二五年」(「朝日新聞」昭和四五年八月三一日号・九月一日号)、
安仁屋政昭「沖縄における日本軍の残虐行為」(『潮流詩派』七三号)、
「沖縄は日本兵に何をされたかー生き残った沖縄県民100人の証言」
(『潮』昭和四六年一一月号)、
嶋津与志「沖縄戦」(『ドキュメント太平洋戦争 1』)、
大島幸夫『沖縄の日本軍 久米島虐殺の記録』、
嶋津与志「慶良間諸島の惨劇」(『沖縄の郷土月刊青い海』一九七七年五月号)、
石原昌家『虐殺の島』、
那覇市民の戦時・戦後体験記録委員会『忘れられぬ体験 
市民の戦時・戦後記録』第一集・第二集・第三集、
渡嘉敷唯正『戦火の中の沖縄刑務所』、
神谷すみ子「戦火に追はれて<沖縄の一三〇日>」
(別冊中央公論2 親が子に残す戦争の記録』)、
真尾悦子『いくさ世(ゆう)を生きて 沖縄戦の女たち』、
「史料保存者吉浜厳さんが明かす『皇軍による沖縄久米島住民20人虐殺』の知られざる暗部」
(『週刊朝日』一九八二年一〇月八日号)など、数えきれぬほど多くの文献がある。
曽野綾子『ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』は、
沖縄タイムス社前引書の史料批判としてのみ採る。

引用終わり

各元兵士の人々の実名は引用者によりぼかしました。
改行も引用者による。

メモ
http://agata.ciao.jp/blog/archives/000116.html

「中野好夫、新崎盛輝 著 『沖縄問題20年』」は、確認が無理そう。


まだ続く

mercoledì, agosto 24, 2005

軍命  (6)

中央公論社新書 
名嘉正八郎 谷川健一 編
沖縄の証言(上)庶民が語る戦争体験
昭和46年初版

引用 154頁
第五章 離島の悲劇 
集団自決 座間味村座間味 宮里美恵子 農業組合保健部 二十九歳
(凡例(2頁) 体験者の住所は、現住所を示してあるが、
体験時の住所と同じである。職業・年齢は体験時のものである)

(中略)

そして夜十時ごろ、玉砕命令が下っているから・・・という言い伝えがありました。
農業組合に勤めていた宮平という青年が言い伝えていました。それはアメリカ軍が上陸する
前日なんですよ。みんな玉砕するから、忠魂碑の前に集合してください、と宮平ケイタツという
十九歳の青年がどなるようにいったんですよ。そして彼はあっちこっちの壕にも、同じことを
ふれまわって歩いていたそうです。だれからの命令ともいいませんでした。その伝令を聞いたとき、
予想していたことが現実になったという気持ちでした。彼は肋膜をわずらって
兵隊には行けませんでしたけれど、
青年団員として軍にも協力していろんな雑用を引き受けていました。
あとで、彼は集団自決に加わって亡くなっています。

(引用終わり 後略 改行amo)

この後、少なくとも農業組合の壕の中で
亡くなった人達は、軍命、と思ったんじゃないでしょうか?

(引用)
同書 165頁
日本軍の民間人銃殺
伊江村東江上 与那城彦興 十六歳

(略)
 それから、アメリカ軍から、山の中の日本軍に投降を勧告しに行く勇気の
あるものがいたら、許可するという話があったとき、伊江島の青年男女四名(一説には六名)は、
すすんで申し出たんです。若い女性が三名加わっていました。彼らは、伊江島でこんなふうにして
捕虜になった……と、自分たちの経験を生かすつもりだったんですね。
 ぼくは安里おばさんの娘さんのことをよく覚えています。ところが、彼らは投降勧告に
出かけたまま、もどって来ませんでした。山に閉じこもっている渡嘉敷の部落の人たちの中には、
夜になってから、一人か二人、ときには数人、山からおりて来て、収容所の中にはいってくる人たち
がおりました。最初のころ山からおりて来た人々は、
山でやっかい者扱いされた子持ちや老人でした。
その中の一人が、伊江島の青年男女が日本軍の赤松隊長に殺されたという話をしていましたね。
(後略)

同書 編者 谷川健一さんのあとがき「証言の意味するもの」から引用
200頁 
(略)
赤松の命令で処刑される寸前、日本刀を抜きはなった下士官が、「いい残すことはないか」と聞いた。
そのうちの女三人が歌をうたわせてくれ、といった。「よし、うたえ」といいおわらぬうちに、
女たちは荘重な「海ゆかば」をうたったといわれる。赤松の指揮する日本軍の手で殺されたのは
渡嘉敷島だけで十名にのぼる。
(後略)
(引用終わり)

引用の意図として
「殺害の命令をした事実の摘示」ではなくて、
「殺害の命令をしたとされる証言があるという事実の摘示」
である事を付け加えておきます。

まだ続く

でいごの花が散る  (5)

BOOMの「島唄」という歌。

以前、沖縄出身の同級生だった人に、
でいごの花って、どんなの?って、訊いたら
「真っ赤な花」だと答えた。
ふーん、つうて。
それから、ずっと後に、
とにかく、なにかっていうと歌ってるほど好きな歌なので
また、でいごの花ってどんなんだろと思って
検索したら、
赤く細長い花が、まとまってついている
ちょっとサルビアのような花。
ふーん、つうて。

何か戦争の事だろうとは、思っていた。
沖縄から、まるで見世物のような扱いで参勤交代をさせられた
そういう頃からの、ずっとを唄っていると思ってた。
でも、ぼんやりと。

昨晩、集団自決を検索していたらば
「島唄」は、沖縄の集団自決を想って描いた唄だと、
宮沢和史さん自ら、そう語っているそうだ

パズルの最後の1ピースが、
かちっとはまったようだった。
脂汗が出て、鳥肌が立った。

もうずっと前、BOOMという沖縄出身でない人達が、受け止めた沖縄が
島唄として、沖縄の人たちに受け入れられた
(サンシンの教室でも今これを習うという内容になっていたと思う)という番組を見て
そうなのかぁ、よかったなぁとただ思ってた。
知らないというのは、こういう事だ。

軍命令が、長期間かけてのほのめかされ
誘導されるものであったか
直接言葉として述べられたものだったか
その違いが、責任者の名誉を左右する事かどうか
私には疑問だ。
集団自決についての記述がある本が
ひとつひとつ出版停止にされる事の意味の方を考える。

教科書に、数文字の記載をするかどうか、
記載する事を阻止する動きの方が強い今の状況を考える。
実は、今までの教科書だって掲載されていない事が多すぎるし
教科書なんてそんなもんと思っているが
それまで掲載されていた事を、能動的に意識的に
削除する試みが力を得ている事を考える。

真っ赤なでいごの花びらが、視界をおおうくらい
風に吹かれて散り舞う所を思い浮かべながら。
八千代の別れ。
今、映像となっているイラクの
どうしても直視できない写真を重ねながら。
花に喩える事のできる現実も、ないではない。
つぶれて、黒ずんだ花の残骸も、
伝える事があるかもしれない。
それは、とても薄められたものだけれど
だから、感覚の麻痺をさせないかもしれない。

唄はすごい。
でも
添付される、最低限の知識は隠されてはいけないと思う。

沖縄ノートの集団自決に関する記述をめぐっての提訴は
原告側に、とてもたくさんの弁護士が、参加しているそうだ。
日本の弁護士の人全てが、そのような人ばかりだとは思わない。
語り継がれた記憶を継承する人や
実際にその場に居た人の気持ちの側に立って考える事のできる弁護士が
存在しないとは考えたくない。
沖縄ノートだけを考えると
何故、これが訴えられる対象になるのか、そこからわからなくなるけれど
(察しはするけど、ワカリマセン)
改めて、一に戻って実名表記も含まれるその他の2冊を含めて考えると
証言された証言が記載された事に対する抗議であると思える。
訴えられているのは、記憶だと思う。
原告側を支持しない弁護士も居ると思う。
何もしていないとは考えたくない。
やり方があるのだろうと信じている。

語り継がれた記憶を継承する人や
実際にその場に居た人は、この件についてどうするだろう。
このところ、納得できない裁判の判決を多く聞くので
司法の良心を、過信ができない。

まだ続く

martedì, agosto 23, 2005

そこに居ない者の共有

ってなわけで、

アメリカ在住の沖縄出身者、または沖縄の二世、三世で結成された
オキナワ ピースファイターズ という団体による、
辺野古ヘリ基地建設反対の署名運動
http://okinawa.peacefighters.org/index.php

ファイターズ、という名前に多少つまずくのだけれども、
武器ではなく、気持ちでたたかうのは、あり。。。かなぁ。
よくわからん。(他の面からもこの辺については現在考え中)
名前でなく、大事なのは内容である。

鈍麻  (4)

亡くなった人の、亡くなる時の苦しみそのものを
記憶する事はできない。
ひどい方法で人を殺した人の
悪夢として蘇らせて、夜中に叫びながら目を覚ます、その苦しみを
別個人の私の脳みそが記憶する事はできない。
生き延びた人々の触覚や視覚や聴覚や嗅覚に
隙あらば蘇るだろう感覚を、全く完全に自分のものとはできない。

ただ、苦しみを与えられた人が
存在した事は、記憶できるだろうと思う。
それが、一体、どのような過程を経て至ったのかを
読んだり聞いたりして、
その文章を、言葉を、受け取りながら伴われた自分の気持ちを
記憶する事はできるだろうと思う。
誰かに伝える事もできるだろうと思う。

後の世代の人間は
「人間として決して受忍できない苦しみ」
を記憶することが不可能でも
「人間として決して受忍できない苦しみを、人間がこうむったこと。」
は、記憶し伝える事ができると思う。

さまたげられなければ。


訴状(http://blog.zaq.ne.jp/osjes/)を読んでいる。

「・・との記述が、渡嘉敷島の守備隊長であった赤松大尉に関するものことであることは、
日本の現代史を研究するもの及び赤松大尉を知るものにとっては明らかであり、」

という文章、もしくは同じ意味の文章が頻繁に出てくるが
地名を読んだだけで、そこに派遣されていた軍隊の統率者がわかるような
「日本の現代史を研究するもの及び赤松大尉を知るもの」であれば
沖縄ノートが出版された後に
出版された反証する内容の本や、新聞報道も
読むのではないだろうか。
「日本の現代史を研究するもの」なのであれば
それこそ情報を多角的に捉え、研究してそれぞれの判断を下すべきなのではないだろうか。
研究者として、戦争の中で起きた事によって、そこに関与した個人を差別していいのだろうか。

「・・・しかもそれが高名なノーベル賞作家である被告大江が著述したものであることから、
今日でも広く社会に影響を及ぼしており、・・・」

ノーベル賞というのは
数十年前から、誰が受賞するのかわかっているものなのだろうか。
自分が、そのような影響力を持つようになるから
このような記述をして、この人の名誉を棄損しようと考えて
数年後に偽証であると証言される、ひとつの事柄について
記述するというのは、可能なものなのだろうか。

沖縄ノートは集団自決の事だけを書いた本ではなくて
「戦争があってひどい目にあったのに
戦後もまた、ひどい目にあっている沖縄の人々が
ひどい目にあわされ続けている事について
自らが沖縄の人ではない、その他の日本人
ひどい目にあう事を、押し付けている人々が、
加害者としてあまりに鈍感でありはしないか?
その鈍感さは、どこに繋がるだろうか?」
という内容の本であると思う。
(こうやってかいつまむのは、好きじゃないけど)
その、多くの部分は
書かれた当時の現在についてである。

原告の方々の「筆舌に尽くしがたい精神的苦痛」は
日本の軍人の人々が、非戦闘員である
いろいろな人(沖縄の件に止まらない)に与えた苦痛と同じく
戦争が無ければ、与えられなかったものであると思う。
たくさんの人々が
戦争によってこうむった苦痛に対するなんらかの
慰謝を受ける為(それだけが理由じゃないかもしれない)
国に対し裁判を起こし
それがゆえに、更に、苦痛をこうむって、しかも報われないで亡くなった人も多い。
もし、どうしても、自分が直接命令をしなかった集団自決を
命令したとされた、その一点からのみ、自分の名誉が損なわれたとするなら
”この原告側の当事者個人が、”直接命令を下した”と証言されるに至った
おおもとの原因である、
「軍からの直接の命令があって自決した場合のみ、補償の対象となる」
とした国に責任があるだろう”という意見(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050820)にも、
賛成したい。私の理解が正しければ。(他から命令される”自決”って一体何・・)

「原告赤松が実兄・赤松大尉に対して抱いていた人間らしい敬愛追慕の情を内容とする
人格的利益を回復不能なまでに侵害」させられたのではなくて
原告の方が、実兄の個人の人間性や人格と、
戦前、戦時中の教育の成果や、軍隊に属する人間に強いられる役割を混同したのが、
因なのではないかと思う。

原告側には、訴状に書かれていない大前提として
「苦痛の原因は”戦争”ではあり得ない」
という固定観念があるように思う。
だから、それとは正反対の考え方の本を読んで
意味の取り方がねじれるのだろうと思う。
戦争中に、残酷な事をするのは
残酷な事をする個人の生まれながらの資質が、残酷だから、が理由では
ないのではないか?
このように従わされる個人に、残酷になる事を強いる状況を作って
自分は、中央の都市の安全で清潔なところに居た人は、
多少、個人の資質としても残酷さを持つ気もするけれど。
でも、その地位に、その人が就くことがなければ
この現場から遠く離れた所から残酷な事を命令できる資質を持った個人本人だけでは、
やはり残酷な事は起きなかったのではないか?

「沖縄ノート」から、私の着地するのは
この、安全で清潔な所に居て
残酷な決定を下す資質を持っているように思える人々が、
そのような権限を、再び手にしつつある現在を
放置して大丈夫だろうか?
沖縄に、基地という問題、苦しみが押し付けられている事に
沖縄以外に居る人は、無関心でいて、
困っているのは自分じゃないから、あの人達だから、と思っていて大丈夫だろうか?
沖縄の事だけでなく、いろいろな事柄について
苦痛を被っているのは、自分ではないから、
あの人(達)だから、と、関与する事を避けている残酷さを
自覚しなくて大丈夫だろうか?

”あの人達”は、いつでも、他者にとっての、自分となり得る。
それを、そうならないと錯覚させるのが、差別だと思う。

私だったら、誰か個人を差別しようというのではなく、そう結論する。

訴訟に言及する大江健三郎さんの「伝える言葉」の感想を
いくつか見かけた。
犠牲となった、特に子供に対する想いが多かった、ように思う。
受け取ろうとする人に伝わる言葉は
本質だけが純化されている。のか?な?

相手の本当の意図が何であるかではなく
相手の主張が何であるかという方向から話を進めた方が
相手の視点側に立つ第三者の納得も、得られる可能性があるかもしれない
という事は思いつつ
それも、やっぱり、この訴訟の直接の具体的な当事者ではない人間(私)だから書ける
鈍感な感想だろう。
そうしなかった事により、危機感が伝わった人も、いるようだし。
この訴訟で原告側の代理人をつとめている人物が
選挙に出馬するそうだ。
http://gontango.exblog.jp/2187604

lunedì, agosto 22, 2005

秋風

Baghdad Burningは、更新されない。

ヨルダンに滞在しているイラクからの難民の人々の数は
50万人を超える
、らしい。


イラク”命の水”支援プロジェクトのページで
Baghdadで掘られていた井戸の一つから
水が出た、という、ニュースを読んだ。
写真に写る水飛沫がとてもきれいだ。
撮影した人が嬉しいのではないかと思う。
嬉しいのだと良いと思う。
植わっている木は、オリーブだろうか。
トベラだろうか。

http://www.iraq-hope.net/water/contents.htm

朝晩涼しくなってきた。



The Chicken Reportsも更新されない。
一体、心配ってのは
どのくらいの滞りから始めたらいいもんなんだろう。

絶好の機会

前回の選挙で
ひとつだけあった良い事を思い出した。

吉田メビサさんの滞在延長許可が下りたこと。

七夕、今戻ってくればいいのに。
十五夜は9月18日だし、なんか代わりの日は無いかな。
に、二百十日とか、ってのは、弱いですわね。

協力してくれる人の動機が
売名行為でも、イメージ戦略でも結構だーる。
考える自由を侵害されて、生れた国から迫害されている人が
難民認定を受けられれば。
日本に居場所を見つけられる人が、1人でも出れば。
入管収容施設の待遇が
少しでも人間に対する扱いを取り戻してくれれば。

それにしてもびっくりなのが
あまりにも、イラクについて
話題に上らない事。
選挙の判断材料として、
候補者も、有権者も、日本の国が
加害者側として参加している現在進行形の戦争について
あまりにも、しゃべらなさすぎだと思う。
一応、自衛隊のイラク撤退を公約に掲げている所はあるが。
戦地となった国の人々や
出征させられる兵隊は、
この国の多数派の人々にとっては、こういう存在である。
覚えておきましょう。

domenica, agosto 21, 2005

争点は、「存在」

しくみとか、よくわからないのだが
goo特設2005衆議院選挙緊急ブログアンケート
いうのがあって、
http://blog.goo.ne.jp/election2005/

投票に行く人が、19日現在89%だった。
blogなんつうものをする人の傾向として
選挙に行く人が多いっていう事だろうか。
そうじゃなくて、投票行く気の人、全体に今回多いのかな。

広島や長崎に原爆が落された事すら
よく知らない世代が出てきていて
沖縄に行って、タクシーで”パールハーバーってこの辺ですか?”
って尋ねる人が出てきていて
(どこで聞いた話か、忘れた、多分テレビ。眉唾しといてください)
広島原爆投下を、正しい選択だったと
あくまで言い張るアメリカの博士に同意する日本人の感想が
テレビの特集番組に多く寄せられるような今日この頃
本当にそんなんなっているのか
あまり信じたくないし
本当のところ、ちょっと信じられないけれど
本当だとするなら、検索かなんかで
そういう人の1人くらいは、間違えて読んでくれるかもしれないから、一応書いといてみる。

1945年12月衆議院議員選挙法が改正されるまで、
日本の大人の約半分、つまり女性は、選挙権も被選挙権も認められていなかった。
社民党は、結成されると即解散させられる状態だった。
共産党は非合法だった。
日本国籍を持つ人は
政府と同じ考えの人以外は
自分を主として考えた事が政府の考えと違った時は
その自分の考え方、それに似たような考え方、でさえも、
投票なんていう、
数文字書いて箱に入れるだけの簡単な方法で意思表示することはできなかった。

今度、”繰り返し”たら
もう、正当化するための逃げ場、無いから。
しかたなかった、とは、言えないから。

「誰だって戦争は嫌だ」と言いながら
「でも、やむをえない場合がある」
と主張する人ってのは
言っている本人は、誰だって、に、どうも含まれてないみたいなんだな、と
最近、ようやく、実感的に気が付いた。

嫌ならなんとしても防ごうとする筈じゃないか。
我慢して良い事なんか何も無いのに
それを名誉だのなんだのと、その時代においてはその価値観だったのだと
言って正当化する糸口を作れば、糸口から始まった事は
戦争に向かっている。
戦争が、嫌なら、悲劇だったと思うなら
望まないと言いながら、戦争の悲愴感に陶酔したりするのは
自分の若い時代と重ねて、懐かしむような世代でもないなら
矛盾する。
「誰だって戦争は嫌だ」、と言っておかないと、
”ぐだぐだ言われるから”とりあえず言っているに過ぎない、
んじゃないの?
時代じゃない。
この”時代”の戦争だから、ひどい事が行われたのではない。
戦争があれば、いつでもそのような”時代”になる。

人間じゃなくたって
多少の思考力のある動物は
猿でも犬でも、自分の好きな存在、自分の大切な存在が
居なくなれば悲しむ。
叩かれたら、痛がる。
怒鳴られたら、嫌がる。
自然な本能だと思う。
どんな時代に生れた人間でも、
戦争に従わされる身になるのは嫌だろうと思う。
その嫌悪感に耐える価値の無い事の為に、
耐える事を相互に強制しつつ猛進するのが、戦争だと思う。
嫌なのに、”立派だから”もしくは、”立派だといわれるから”
それを、甘んじて受け入れるのが、戦争における人間の
上からの命令に積極的に従う心理だと思う。
本当は嫌だけど、がまんする。
なんの、価値も無い事を。
「時代」が理由じゃなくて、強制する力の強さの問題だと思う。
過去のその時代だけじゃなく、未来にも充分あり得る。
現在も、地球上の各地で起きている。

どこで、何を間違えたのか知らないが
多分、何かどっか、間違えているんだ。
誰か、別の人には、価値が生れる事を
それが、自らに帰ってくる価値だと、
どっかで、勘違いしていないだろか?
帰ってこないよ。
なんの得も無く、ひたすらやせ我慢だよ。
しかも、後になったら良心の呵責に苦しまされる。
(もしくは、何の損も無く
自分の得る価値だけある事を確信できる立場にある人は
「やむをえない場合もある」と主張して理は通っている。
ただ、それは、とても少数な筈だから
(少数じゃないと、一人当たりの利が、減るから)
主流になる状態はおかしい)

その強制が、一度、ともかくは、ゆるいものになったのだから
ゆるいうちに、「その時代」にしない為に
できる事は、した方が良いと思う。
現在の選挙は、できるだけ、いろいろな事情があっても
なんとか事情に合わせた形で投票が可能になるように
そういう仕組みは、それなりに工夫されている。
投票日当日じゃなくても
投票所に行く事が困難な人でも
投票する方法はある。

89%は、最近の選挙の時の投票率と比べたら
信じられないくらい高い数値だけど
残り11%の人、その一部でいいから予定変更してくれないかなと思う。

投票したい政党が無いのは、わかるような気もするが
少なくとも、二つの傾向の選択肢は、あるような気がするし
これだけは、許せない、という事を進めそうな政党以外を選ぶ事も
ひとつの、堂々とした選択だと思う。
どうせ行かないで票捨てるなら
行って票捨てるのは、どだ?
(戦争の準備に反対する政党に投票すると
かなり高い確率で票が死ぬ傾向にあります。)

だって、嫌なんだもの。
戦争は嫌だもの。
殺されたり、拷問されたり、だけじゃなくて
その辺に住んでいる人たちが
お互い疑心暗鬼になって
相手から、何の根拠も理由も無い事で密告される事を
常に怯えて暮らすようになるのも
戦争の、嫌な所だと思う。
それは、戦争中だけじゃなくて
戦争の準備段階で、もう、始まる事だと思う。

そういう時代にならないようにする方法が
まだ、日本の国では、法律上は、権利として保証されているはずで
その一番簡単な方法が
選挙に行く事だと思う。

優等生として、みたいんじゃなくて
義務感としてじゃなくて
抗議とか、反発とか、自分も居るよ、という存在を示す為に
投票、行ってくれないかなぁ。
本来は、そゆもんだと思う。

mercoledì, agosto 17, 2005

適切な判断

イタリアも撤退を始めたのに
自衛隊はイラクに駐留したままだし
アメリカ政府に対する、戦争支持も撤回されないままだし
郵政民営化をして良い事があるとは思えないし
自民党の憲法改変案は、絶対に、許容できない内容だし
どうしても、支持や支援はできないが

どんな裏事情があったとしても
選挙前だし、どんな思惑があるのだとしても
8月15日、小泉首相が靖国参拝をしなかったのは
正しい判断だったと思う。
それを「適切な判断」と称した事も、評価されて良い事だと思う。
世論調査結果を見て、デジタルに判断を下したのだとしても
本来、総理大臣の仕事は、そういうものだと思うし
そうだとすれば、
世論調査結果が、違った結果を出せば、
靖国参拝が行われたかもしれないという可能性があり
にもかかわらず、
結果、日本の総理大臣による靖国参拝は行われなかった、
印象としてじゅっぱひとからげた日本国民の、だいたいの総意として
靖国参拝は選ばれなかった、というメッセージが
国内にも、世界にも示された事になるから
良かったと思う。

でも、小泉政権を支持も選択(投票)もできないけど。


Livedoorの社長さんはさ、
政治には興味はないし勝手にやってくださいって
言ってたじゃん。あれぇ?

近畿地方に住んでいたら
辻元さんに投票するんだけどなぁ。
だって、国会の質疑に、活気が出るもの。
今回の選挙報道、あまりにも、自民党ばっかりな感じなので
あんまし面白くないけど
そこだけ、ちょっと興味ある。

世論調査結果によって
総理による靖国参拝が行われなかったのなら
世論調査結果によっては、
難民の受け入れと、待遇の改善や
イラクからの自衛隊の撤退、
日本の立場からの、多国籍軍イラク撤退の進言をする事も
できる筈なんだろうか。
世論調査結果しだいで・・?
世論調査結果、さえ、動いたなら
そういう事だとすれば、
罪は一段と・・・重っ。
ああもう、ほんとやだやだやだ、


続き
そんな15日の靖国神社では
2人の人が10人の木刀を持った人に追い掛け回された挙句
追い掛け回された人の方が逮捕?されちゃったらしい。
・・・なんだそれ。
なんだそれじゃないよ、うわわわわ。

http://kanoh74.mo-blog.jp/kafkas/
http://antifa815.podzone.org/

焚書っぽい  (3)

村の女子青年団長をしていた方の手記に書かれてあるという証言、

以下引用

当時、彼は助役として行政全般を取り仕切ると同時に、
兵事主任、防衛隊長も兼ねていましたから、
米軍の上陸が間近に迫っている段階では、
住民のとるべき手段をいち早く決定する立場にあった。
それで上陸の始まった二十五日の夜、
宮里助役は村民に非常米の配給を行い、
その後、収入役、若い吏員(役場の職員の事)、
小学校校長、女子青年団長だった宮城初枝さんを集め、
五人そろって梅沢隊長のところへ行ったんです。
そして梅沢隊長の前に出た宮里助役はこう願い出た。
「もはや最期の時がきました。若者たちは軍に協力させ、
老人と子供達は軍の足手纏いにならないよう、
忠魂碑前で玉砕させようと思います。爆弾をください」と。

(教科書は間違っている
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/kyokasho.htm)引用終わり

玉砕させようと思います
玉砕させよう

ってどういう事?

他人を、玉砕させる権限、が、誰かにあっていいものなの?
そういう”自信”を人に持たせてしまうのが、戦争だと思う。

それを、個人の1人の人の罪にして責任にしてしまうと
その人さえ居なければ、それは起きなかったか?
という問題になると思う。
戦争があると、この人の役割は
戦争が起きた場所の、その場所のその立場に居る人間が
高い確率で担ってしまうだろうと思う。
だから、戦争を起こさない事が、重要なのだし
起きない為に、その準備をしないことが重要なのだし
常に、何故戦争をしてはいけないかを
後の世代は知っていなければいけないと思う。

だから罪は罪として、何が罪としてあったかは
明らかにされなければいけないと思う。
それは、戦争になると何が起きるのか、という
歴史を学ぶ為に。
甘く和らげられてはいけないと思う。

その、厳しい証言が、残される事はとても必要な事であり
その証言を、本人が苦しくてなかなか出せないほどひどいものであるからこそ
周りの知らない世代の人間は、厳粛に、証言者が証言を出す助けをしなければ
いけないと思う。
外からも火をあてて、突破口を焼き固め塞いでしまうのではなく
中からの火だけで、外に押し出されてくるような、罪を後継する態度が必要だと思う。
証言する苦しみを察し、敬意を表したいと思う。
後の世代の人間の為を思っての、苦しみであるだろうから。
でも、その罪それ自体を、必要な事だったから仕方無かったと和らげたり、
崇高な国に対する忠誠心による名誉の行い、であるというようにしてしまうのって、どうなのか。
そうすれば、証言が出てくるからといって
そうしてしまったら、本来の、その証言を空気に触れさせる
日の下に出す意味が無いじゃないか。
人間が、戦争の中で、集団心理の影に隠れられると思った時に
何をするかという事を
戦争の最中に、その状況に、その場に居ない人間は
それだけを、固有の事、その個人の資質、罪悪として高みに立って評価するのではなく
ひとつの共有される記憶として、どうしても受け取らないといけないと思う。

だからね、
「玉砕させようと思います」、ってどういう事か?


「沖縄ノート」は、
あまりにも、自分で直視したくない自分の一面までが
直視させられるので辛い本だ。
その箇所は人それぞれだろうが

「《およそ一年半ばかり前(すなわち一九五九年の春)、ちょうどドイツを旅行して
帰って来た1人の知人から私はある罪責感がドイツの青年層の一部を捉えているという
ことを聞きました。
(中略)
私を公衆の前で絞首するように提案した理由です。私はドイツ青年の心から罪責の重荷
を取除くのに応分の義務を果たしたかった。なぜならこの若い人々は何といっても
この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がないのですから。》
(沖縄ノート 212頁213頁)」

「それでもわれわれは、架空の沖縄法廷に、一日本人として立たしめ、
右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、
かれの口から発せられる光景を思い描く、想像力の自由をもつ。かれが日本青年の心から
罪責の重荷を取り除くのに応分の義務を果たしたい、と「ある昂揚感」とともに語る
法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。
 この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりグロテスクだ。
なぜなら「日本青年」一般は、じつはその心に罪責の重荷を背負っていないからである。
アーレントのいうとおり、
(amo注 ハンナ・アーレント アイヒマン裁判に関わる書物を著作した人だそうだ)
実際にはなにも悪いことをしていないときに、
あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。
(沖縄ノート 213頁)」

・・・読んだら、無傷じゃない。

この本は35年前に書かれた本だから、
その時代に定着していた考え方や差別を当然のようにあるものとして、
その中で、周囲との協調を考えれば
無言の、協調を促す圧力があるのだけれども
それを、自分の協調性がないという欠点なのかもしれないとさえ思いつつ
それでも、受け入れられないと、「なぜなら!」と、抗っている感情が
書き示されてあるように思う。
このような、この頃の人達の抗いによって
それでも、今も大いに残ってはいるという事を
痛感はするけれども
少なくとも表面上はその時よりは、
この、加害する側の”共通感覚”が”常識”として存在する事が
わずかばかりでも減少したのだろうと、思う。
表面上ちょっと減少した位じゃだめなんだよ、と本から責められる気がするが
何も変わらないよりはほんの少しましだと思うし
差別やある種の考え方の、卑屈さや卑怯さ、醜さを、
とても率直にリアルに描いているこのような本によって
それぞれの内面のその醜さを、自覚した人も今までに多く居たと思う、
それが、今の”多少はましになりました”、
という所に繋がっているかもしれないと思う。

人間は、きっといつまでもそういう醜い部分があってしまう以上
それを、直視させる、辛い本は
出版停止にはなってはいけないのではないかと
私は思う。


おりがきたら、とひたすら考えて、沖縄を軸とする
このような逆転の機会をねらいつづけてきたのは、
あの渡嘉敷島の旧守備隊長のみにとどまらない。
日本人の、実際に厖大な数の人間がまさにそうなのであり、
何といってもこの前の戦争中の
いろいろな出来事や父親の行動に責任がない、

新世代の大群がそれにつきしたがおうとしているのである。」

中略

この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動と、
まったくおなじことを、新世代の日本人が、真の罪悪感はなしに、
そのままくりかえしてしまいかねない様子に見える時、
かれらからにせの罪悪感を取除く手続きのみをおこない、
逆にかれら倫理的想像力における真の罪悪感の種子の自生をうながす努力をしないこと、
それは大規模な国家犯罪へむかうあやまちの構造を、
あらためてひとつずつ積みかさねていることではないのか。(沖縄ノート 214頁)」
(太字は、原文では傍点。改行は引用者による)

引用終わり 

(個人的には、”父”親だけじゃなかろ、と思う部分もある。
アイヒマンさんの言葉にかけているのでしかたないが。)


Baghdad Burningは更新されない。

まだ続く

lunedì, agosto 15, 2005

one month

BaghdadBurningの前回の更新から一ヶ月経った。
暑さのためだろうか
水がないためだろうか
電気が届かないのだろうか

毎日の緊張と不安に疲れて
気持ちが沸かない状態を想像してみようとする。

言葉が空虚になって嫌だ。

60年前の今日の日付の日は
日本人が、少なくとももう
日本軍の憲兵や、周囲の隣人から疑われないよう繕う日々から
解放された日であり
夜中の空襲を想定する浅い眠りから解放された日であり
短く終わるはずだった未来が
突然、期限を定めず延長された日であっただろう事を、想像する。

せめて、その日が
イラクに訪れないものか。

祈る事の無力を感じる虚しさに
つぶれてしまっては、いけないと、思いつつ



・・・大丈夫かな、身体を壊しているのではないかな
何も起きてないよね(起きているだろうが、つまり、起きていないよね)
大丈夫かな・・・

sabato, agosto 13, 2005

沖縄ノート   (2)

沖縄戦・「集団自決記述で大江氏らを提訴 元軍人と遺族」について。続き 

沖縄ノート(1970)より引用抜粋

「慶良間列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』
の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の
《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動を
さまたげないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という
命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる
本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の
酷たらしい現場においてはっきりと形をとり、
それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。
生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、
沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が
総合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、
かれが本土の日本人にむかって、
なぜおれひとりが自分を咎めなければならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、
かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。
 (「沖縄ノート」69、70頁)」

「創造」を支えているもうひとりの中心人物たる高校教師は、なおも直戴に、
それを聞く本土の人間の胸のうちに血と泥にまみれた手をつっこんでくるような事実を
すなわち一九三五年生れのかれが身をよせていた慶良間列島の渡嘉敷島で
おこなわれた集団自殺を語った。本土からの軍人によって強制された、この集団自殺の現場で、
祖父と共にひそんでいたひとりの幼児が、隣あった防空壕で、子供の胸を踏みつけ、
凶器を、すぐにもかれ自身の自殺のためのそれとなる兇器をふるうひとりの父親を
見てしまい、祖父とともに山に逃げこむ。そのようにして集団自決の強制と、
抗命による日本軍からの射殺と、そして米軍からの砲撃という、三重の死の罠を辛くも
生き延びたところの、まさに慶良間におこった事件の、その核心のところに居あわせた
人間の経験についてかれは篤実に語るのであった。
 しかもなお僕が、かれら自身とその身近なものらの経験を語る口調に、
ある不思議な客観性、無関心(デイタッチメント)の印象をもまた受けとったことについて、
いま僕は、それをいくらかなりと筋みちだてて理解できるようになっているのを感じる。
実際しばしば、僕はこの日に眼と耳にしたものを反芻しつづけてきた。かれらは、その
沖縄戦での体験を、他人の目の前に、まだ血をしたたらせている酷たらしい死体を
ゴロリと放りだしてみせるように、直接的に語ることで、もっとも端的に激しく、本土からの
やわな旅行者をうちのめしえた筈である。しかしかれらは、かれら自身の誇りにおいて
そのような赤裸な自己表白をおこなおうとはしないところの、すなわち通俗的な
沖縄残酷物語めいたものに加担することを、決してかれら自身に許容しないところの、
自恃をそなえた者たちであった。(「沖縄ノート」168 169頁)」

「このような報道とかさねあわせるようにして新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で
沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいっても
すくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、
投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑した事が確実であり
そのような状況下に、「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことの
はっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく
沖縄におもむいたことを報じた。



僕は自分が、直接かれにインタビューする機会をもたない以上、この異様な経験をした
人間の個人的な資質についてなにごとかを推測しようと思わない。
むしろかれ個人は必要ではない。それはひとりの一般的な壮年の日本人の、
想像力の問題として把握し、その奥底に横たわっているものを
えぐりだすべくつとめるべき課題であろう。その想像力のキッカケは言葉だ。
すなわち、おりがきたらという言葉である。一九七〇年春、
ひとりの男が、二十五年にわたるおりがきたら、という企画のつみかさねのうえにたって、
いまこそ時は来た、と考えた。(「沖縄ノート」208頁 )」

「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえず
くりかえしてきたことだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の
巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、
歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。
つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、
過去の事実の改変に力をつくす。いや、それは、そのようなものでなかったと、
一九四五年の事実に立って反論する声は、
実際誰もが沖縄でのそのような罪を忘れたがっている本土での
市民的日常生活においてかれに届かない。一〇四五年の感情、倫理観に立とうとする声は、
沈黙にむかってしだいに傾斜するのみである。誰もかれもが、一九四五年を自己の内部に
明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいに
ひとり歩きをはじめただろう。(「沖縄ノート」210頁 )」

白色強調と改行は私 引用終わり

こんな読み方でこの本と出会ってしまっている後ろめたさを感じつつ
探しているけど、訴訟を起こした人達の名前、書いてない。
この文章だけで、個人を特定し探し当てて、差別するような人は
この文章を読む前から、差別する意図があったような気がする。
もし、このような文章を根拠に、この訴訟を起こした人達だけが
ひどいやつだと職場にいられなくなるような差別をされたなら
差別した人間を訴えたらいいと思う。
この本のプロローグのタイトルは
「死者の怒りを共有することによって悼む」。
共有しようとしたことが、提訴されるような事なのか・・
結果がいかに出ようと
裁判は、訴えられる側は、その分疲れると思うんだよ。
しかも、それをこぼすことさえ、
許さないんだろう。

個人的には、
その時そこに居たわけじゃないから
間の連絡についてがどうだったのか知らないが
提訴側の記憶が確かだったとしても
自決した人たちの中には、集合がかけられ、自決を促され
家族に殺されたり、自分の子供を手にかけさせられた人々の中には
軍人さんに命令されたのだと、最期まで思っていた人は居ただろうと思う。
とすれば、その人達にとっては、それは事実だったろうと思う。
特攻隊で亡くなった若い兵士達は、「お国の為に死ぬのだ」と教え込まれていたことは
現に、今生き残っている人々も知っているし
そのことをいまだに讃えて祀ってまでいるのだから
お国の為に命を捨てるべき、という考えが、あたりまえとなっていた事は
事実だろう。
軍人さんは、”お国”から派遣された人々であり
疑問を持ったり逆らう事は、お国に逆らう事許されない事だっただろう。
で、軍人さん達の為に自決せねばならない、と
校長先生だの女子青年団長さんだの巡査さんだのに言われたら
それって、軍の命令だと、思ったんじゃないか?
自決した人は。

「そして梅沢隊長の前に出た宮里助役はこう願い出た。
「もはや最期の時がきました。若者たちは軍に協力させ、
老人と子供達は軍の足手纏いにならないよう、忠魂碑前で玉砕させようと思います。
爆弾をください」と。」

http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/kyokasho.htm

この内容が、事実だったとして
これを、この助役とかそういう人達から、
死ぬ為の道具を渡された子供が、生き残った場合証言すると
証言というのは、「軍の命令だった」っていう事にはならないだろうか。
渡して告げる側の人達が、”忠魂碑前”でどのように説明するか、
自分達だけの命令で、自分達の考えで、死んでもらうとは
言いそうに無いような気がするが。

この場合、集め”られた”方の人が”自分の経験”を証言したら、その証言は
”偽証”なんだろうか。
”偽証””嘘”と呼称された提訴がなされ、報道記事にまでされた事を
証言した側は、放置するのだろうか。
?????。

本の内容の意図するところは
もっと違う事なのはわかっている。
戦争が人間をどうするのか、
人間は戦争とどう向き合うのか、という事が大事な主題なのだと思う。
ひとつひとつの言葉がどうであったとか
ひとりひとりの個人がどうであったかではなくて
戦争の証言は、戦争の空気、戦争とは何か、が、語り継がれる為に必要なのだと思う。
でも、日本国内全ての人が
日本国内全ての出版物を読むわけには行かないだろうし
そうだとしても、ひとつひとつの事柄に出会えば判断は迫られる。
その、語り継がれた戦争の姿を、嘘だと判断されていいのだろうか。

それにしても、
なんだかね、って思っちゃう。
人って複数になると別のものになるな。
目を逸らすなと繰り返している人間達が
目を逸らさなかった人が、それゆえに置かれた状況から
何故か、目を逸らす。
新聞も中立性を自任するなら
この記事を書くために、
この内容を持って
沖縄の人のところまで、コメントを取りにいくべきなんじゃないか?
行けるのだろうか?
なんだか、同じ性質のものが
この件に関する時系列全ての中に、見えるように思う。

続く

venerdì, agosto 12, 2005

・・・   (1)

大阪府在住の元軍人と遺族が5日、「沖縄ノート」の著者で作家の大江健三郎氏と
出版元の岩波書店(東京)を相手取り、総額2000万円の慰謝料と
出版差し止めなどを求める訴訟を大阪地裁に起こした。

梅沢さんらは、集団自決は住民の意思によるもので、
生存者らが戦後、遺族年金を得るために「軍の命令だった」と証言したのが真相と主張。
同書店発行の「太平洋戦争」(家永三郎著)など2冊についても同様の理由で差し止めを求めた。

大江氏は家族を通じ、「訴状が届いていないので詳しいことが分からない」、
岩波書店は「見解は裁判で明らかにする」などと談話を出した。

(概要引用)

http://64.233.179.104/search?q=cache:EmkyCSPHQt4J:www.asahi.com/national/update/0805/OSK200508050099.html+%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E3%83%BB%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA%E8%A8%98%E8%BF%B0%E3%81%A7%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E6%B0%8F%E3%82%89%E3%82%92%E6%8F%90%E8%A8%B4+%E5%85%83%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E3%81%A8%E9%81%BA%E6%97%8F&hl=ja


南京大虐殺に続いて
今度は、こういう事を”全くなかった事”にしようとするわけですか。

南京大虐殺については
無かった、という事を示そうとして
当時の兵士の方々に投稿を呼びかけたところ
それが、あった、事実であるという証言の方が多く集まり
結局、偕行社側も認めざるを得なくなったという話があったけれど。

にしても、取材した結果、
住民に・・と記憶されている人物だと知ったから
その事を「住民に・・と記憶されている人物」と表現したらだめなんだろうか。

「昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』から、
沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/shakai/20050724/m20050724001.html」事柄を
「そのように、記憶されている事柄である」として書いたらだめなんだろうか。
しかも、1970年(昭和45年)出版の本の中で。
この時って、沖縄ってまだ本土復帰してなかったんじゃなかったでしたっけか?
(本土復帰1972年5月15日だそうな)
この提訴の根拠になっているらしい
島民は、保証金をもらう為に偽証をしたという告白、が掲載されている
曽野綾子さんの本、2002年出版だよ?
未来においてそれまであった証言が
同じようにその場所に居た証言する側の者から
どこかの本の中で撤回や否定されるかもしれないなんて、
わかるかそんなもん。
ほいじゃ、歴史なんか語り伝わらないじゃないか。
(『ある神話の背景』(昭和四十八年(1973年)、文芸春秋)
座間味島の集団自決について、生存者の女性が
「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、
偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが証言した『母の遺したもの』
(平成十三年(2000年)、高文研)

こういう裁判が起こされる事を、当然のように認めるなら
報道関係の人達、この先実名報道なんかできなくなるよ。
逆転判決の可能性は常にある、事件逮捕の報道はどうするの?
長い年月、結論の出ない裁判の報道はどうするの?
それに、経験者の証言の言葉を信じて、
より多くの読者に伝えようと代弁した人がこのような提訴を受ける事を、
証言した側が自分達が提訴されたわけではないと黙ってそのままにするなら
証言を、代弁する人も、継承しようとする人も、
この先出てこなくなってしまうかもしれない。
証言というものが、証言する側本人達が
後で、偽証した、とされた時に、されたままにしておいたりするようなものなら
どうして、知る側は真剣に受け止めて信じようとできるだろう。
本当の事、苦しみの中から語られている、信じる価値のあることだと思うから
辛くても知るし、リスクを覚悟して、代弁する役割を引き受けようとするんじゃないか?
本人がもうおられないのでも、
その人を直接知っていた子供等の家族は
”お金の為に偽証した”、と言われている事を、そのままにしていていいのだろうか。
そちらは、名誉を傷つけられた、とは考えないのだろうか。
”偽証”を認めるなら、信じた人間が、それを理由に訴えられても
歴史の後継者として誠実であろうとして、戦争の傷を受けた人々の言葉を
まともに信じようとした方が悪いと嘯くんだろうか。沈黙するのだろうか。

メモ
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/study411.htm
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/334.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1b.html
http://www.okinawainfo.net/oba.htm
http://www.geocities.jp/gakuchan_nif/page179.html
http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/
okinawasennositsumontokaitou/sensouhigai.htm

なるほど、全て証言だ。
その時代にその場所で、食べるものも無い人々が
写真機や録音機器を持って歩くわけがないから。
名誉棄損を理由に今回の提訴をおこした人達は、
この証言の全てを、否定するのだろうか。
何もしなかったのだろうか。
例えば軍からの「「軍人軍属ヲ問ハス標準語以外ノ使用ヲ禁ス
沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜(スパイ)トシテ処分ス」。という命令にも、
逆らったわけなのだろうか。
思い出して、罪の意識を覚える事は、何も無いのだろうか。
本来人が持っていた名誉は、その時代の、その場所で、
人を殺す事を強制する戦争によって、自ら棄損させられる事はなかったのだろうか。
しなかった事を探すのではなく、した事を認め雪ぐことで、
回復される名誉なのではないだろうか。
「他の兵士の人たちと違って
自分だけは、何もしなかった、」とすることが
この人達の棄損されたとする名誉なのだろうか。
その時代にも関わらず、一人聖人だったそんなすごい人が、何故、島民に、
自決しろと命令した人間と思われてしまったのだろう。
金銭の為としても、そのような人に
島民達が、罪を着せるものなのだろうか。
この守備隊長だった人達は、何もしなかったのだろうか。
それであれば、居なくなった人は、何故居なくなったのだろう。
提訴側の根拠の証言も
第三者にとっては、他に残っているものと同等の証言の一つなのだけれども。
別の証言が、”偽”なのだとすれば、
提訴した側の証言も、”偽”である可能性は同等になるのだけれども。

信じて、自分を賭けて、本に記した人間だけが独り、
信じた証言内容を、このような証言があると記した責任を問われるなら、
証言を聞く、という意味は、損なわれるだろう。
非戦闘員の住民達の証言も、元軍人の人々の証言も。

背負わされる方は、背負うかもしれない。
だけど、そのまま矢面に立たされたその人だけを
その場に残していいものなの?

検索して、この件について産経新聞や共同通信や毎日新聞の記事も読んだけど
中心に置かれるべき存在が、不在だ。
どちらも、渡嘉敷島や座間味島の人の証言を根拠にしているのに
証言した側の人間や、せめてその方と共に生活して話を聞いただろう家族からの
この件に対する直接のコメントが無い。
後で裁判がどう進展しようとも
この今の報道記事だけ読んだ人の記憶に残るだろう印象を、どうするんだ。
(7日間遅れで記事を見つけたから、今、じゃなくなったかもしれないけど
7日前に、に、なっちゃったけど)

わりきれない。


付 検索で出てきたページ。該当の両方の本の引用が出てる
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050803#p3

もし、書かれている事柄を、自分の判断で信じるかどうか決めて
信じたというその事が、後から提訴されるようになるなら
伝えられている事を、信じる事が、提訴される理由になるなら
人は、伝えられる事を信じなくなる。
何故、大江健三郎さんの名前を、
自分の意見の説得力としてきたいろいろな方面の人達は
今、黙っているんだろう。
何故、沖縄の心を広めたいとしてきた人達は
負う物を共有しようとした人が、このような立場に立たされたとき、黙るのだろう。
黙ってたら、事実はどうあれ、その黙っている間に、黙っていない側からもたらされる
情報が及ぼす影響というのが、あると思うのに。
つまり、あなた達の問題でもあると思うんだよ。

(次項に続いてしまってます)

martedì, agosto 09, 2005

Serbia→Nagasaki

冥福を、
ただ祈っていられるような状況じゃない事を悲しく思う。
安らかな眠りを妨げているだろう現状を悲しく思う。
過ちを繰り返さない、
という誓いが、本当にどんなものなのか
どれだけのものなのか
示さなければいけない所に私達は居る。

責任 重

不寛容

大久保昭男さんという方が書いた
イタリアに関するコラムを読んだ。

ちょっとあたまきた。

ファシズムが台頭したようなイタリアの一つの側面が
言語に現れていると述べている。
だから、英語のyouにあたる、
市民的感覚の二人称の呼びかけが存在しないと、書いてあるように読める。

呼びかけの二人称Lei(Lは大文字です)は、敬称だし
英語の市民的なyouにあたる二人称は、tuだと思う。
英語は現在、敬称も、くだけた呼び方も区別なくyouが使われているけれど
古典の時代には、この他に敬称thouがあったと聞いている。
現在は無くなっただけの話だと思う。

言語っていうのは、そんな一次元的な要因で、形を決めるもんじゃないと思う。
使う人全てが、使いながら少しづつ変化させて育てていくものだと思う。
ひとりひとりそれぞれの気持ちが、表現の仕方が、表現した事が
それぞれに反映してきらきら乱反射をするんだ。

こういう他国の言語を、
知らない人が読んだら誤解するような表現の仕方で
言語そのものを、蔑視するような文章は
石原慎太郎さんのフランス語批判の感覚と変わらない。
自分の側だけが、自分達の感覚だけが絶対で
他者に対する寛容さが欠けているようにみなされかねない。
”誰かがわんわん泣くような悲しませることでない限り”
(聞いた言い回し。気に入ってる)
公職についていない方が、何を言っても自由ではあるけれど
だから、私がこう書くのも自由だと思うわけだけれど
こんな風に他の国の言語を、偏見的に決め付けたら感覚が疑われると思う。

ところで
憲法の九条、この国の掲げてきた平和主義が
危機に瀕している局面で、
国民の意志が政治に反映される最大の機会が与えられたこの時に
共産党と社民党は、また、票の食い合いをするつもりなのだろうか?
現在の自民党と公明党の連立与党も、民主党も、憲法九条の改変を示唆している。
このまま、対抗する立場で選挙に臨むなら
それぞれの本心は知らないが、結果だけを見れば
憲法改変を目指す政治、勢力に対する反対の意志を持って
投じられる良心からの、平和を望む票を吸引し裂いて捨てる為の機械、
そういう形で、戦争をできるようになる為の勢力に加担していると
思われてもしかたないと思う。

こんな時に、枝葉の細かい所の違いを
お互いに許容できず、協力できないのであれば、
全体主義といわれて仕方ないと思う。
これだけ、掲げている党の方針が似ているのに
お互いの細かい違いを認められないという事は
党の内部でも、党と違う考えの意見は認められることがなく、
やっぱり”怖さ”や”強さ”でつぶされているんじゃないかと
思えてしまうし、そういう階級権力の圧力で物事を進めるなら、
そんな政党が権力を強めたら
その後、普通の人たちに対しても、そういうやり方がされるのではないかと
怖いと思われて仕方ないと思う。
これだけ、重要法案が多数決の強行採決で決議される事が続いてきたのを
目の当たりにすれば、
政党として、政治家として、それで寄付金やカンパを集め
政治を職業として、それで生活している以上
政党の面子やら、意地は、ともかく置いておいて
戦争にできるような国にしないために、
弱者が”痛み”を押し付けられる国にならない為に
そういう投票する人達の気持ちを代弁して、影響を決議に与えるだけの
国会における、議席の数って言うのを
ちょっと考えて欲しいと思う。
有権者が、こういういわゆる”革新野党”たらに
せめてもの希を賭けて投票するのは
落選したが、前回より得票数は一票伸びた、
などというごたくを聞く為ではないと思う。
いや、そういう人もかなり居るのかもしれないが、まるで生き神様の信者みたいな、
でも、それが全部じゃないと思う。

謳っている事、普段国会で質疑している発言が本気で本当なら
一人一人個人の権利を尊重する、自由を尊重する方針を持つのであれば
大まとめであるところの政党という境界を越えて
個人各々の候補者が当選するように協力するべきなんじゃないか?
つまり、さぁ、定数が1のところに
社民党と共産党と出馬して
結局、どっちも入らなかった、っていうのは、もうやめたらいいと思うんだよ。
いつも選挙速報を見てると、ものすごく頭にくるので。
この人達が、落選して、負け惜しみみたいな事を言おうと、泣こうと、知ったこっちゃないが
国会における、平和主義的な意見を持つ議席が少なくなって
物騒な法案が次々決議されて
憲法が変えられたり、戦争にへろへろ加担して
そのせいで、イラクの人達が悲しむ事になったり
個人の権利がないがしろにされて、何も悪い事をしていない人が逮捕されるようになったら
嫌なんだよ。
難民の人達の待遇がいつまでも改善されなかったり
高齢者や、
健常者と呼ばれる人の平均値で作られた画一的な生活システムの中では障害がある人が
生存権を剥奪されて孤独死したり
米軍が、自国ではできないほど周囲に危険を及ぼすような訓練を好き放題に続けたり
そんな米軍の基地の人に対する思いやりだけはやたら充実していたり
沖縄の海に新しい基地を作って、居座りを延長したり
核兵器の製作に、日本の技術者や技術が利用されるようになったり・・・・・

悪口だの妨害だの中傷だのと言われないように
まだ、選挙対策方針が明確に出されていないうちに
ちょっと書いておこうと思った。

他の部分で、絶対支持できない所がたくさんあったりするけれど、
郵政民営化法案に対しての姿勢という点では
自由意志を持ち、独立独歩の気概を示した人々は
少なくとも、その点では、かなりかっこよかったと
私は思うんだよ。
本来、良心的に誠実な投票をしようという人が候補者を選ぶ基準は、
力に屈することなく信念に従って正論を言える人かどうか、という所にもあると思う。
(造反しだした人達って、そりゃ、基本は利権とかどろどろしたしがらみかもしれないけれど
それで抵抗しているうちに、
「どうせ、圧力をかけるか、甘いもので釣るかすれば、どうとでも動かせる」
という扱いをされた事に、本気でむかつきだしたように、見える。
なんとなく。
だって、いくら地元の票田とかが理由だとしても、
リスクの釣り合いが取れないと思うんだよ。今回の造反。
で、小泉総理大臣さんって、時々ちょっと思うのが
わざとそうなるようにやってるのかな、もしかして、もう、辞めたいんじゃないかな
しょうがなく辞めさせられましたと見える形で、総理大臣を辞めたいんじゃないかな
と思える時がある。
もしくは、こういう判官贔屓票が集められる一派を作って、地区によっては
選挙区と比例区で、議席数を倍にしようという事なのかなぁ
まぁ、所詮単なる無知な私の、妄想だが。(改めて注釈するまでもない)
どうあれ他にどういう意図があるにしたって(アメリカ政府に頼まれただけ、とか)
なってみれば、結果、造反側の建前なら建前の理由どおり、困る人達は困るんだから
民営化法案が否決されて、良かったと思う。
どういう腹があろうと、本当は、全く考えてもらえていないのだとしても
過疎地にも人は住んでいるし、
その頃までイラクが標的とは思いたくないが
更に大きくなる投資を受けてアメリカ政府が攻撃をする場所の人は、困ると思う。
半端な公社として民間運送業を圧迫するというなら、国営にまで戻って欲しい。
国営だったのが悪いのではなく、団体と政治家が癒着するのが悪いんで、
悪く利用するから、そのものを民営にしますっていうのは
本末転倒で、癒着しなきゃいいだけじゃないかと私は思うけど 10日am3:00追加)

どっちにしても
だから、あんまりたかをくくってると
少数野党は、最低限の固定票だって危ないと思う。
というより、既にずっと前から
たかをくくれる根拠は、ほとんど無い気もする。

WHO is bad?

今、テレビ朝日のテレメンタリーで
劣化ウラン弾についての番組を放送していた。
短いけど、わかりやすかった。
データが得られにくい事を理由に
WHOがちんたら明確な結論と警告を出さないでいる10年間に
被爆する人々に対する責任は
誰が取るんだろう。

チェルノブイリの原発事故においての
人体に対する核被害についても
10年位、認めないで居たのだそうだ。

みりゃわかるだろうと思っちゃうのだが。
あほか、と思っちゃうのだが。
頭が数字でいっぱいの人は
きっと、目の前にあるものも
資料にならないと、あると、認識しないんだろうと思う。

データが揃っていなくたって
可能性があるなら
可能性があるので結論が出るまで使用は避けるべきっていう警告を出しても
いいじゃないか。
兵器なんて、使わない事で困る事なんか
本質的には、一つも無いと思う。

lunedì, agosto 08, 2005

否決解散総選挙 

参議院は、かろうじて存在意義を示したと思う。
これだけ様々な角度から、問題点があって疑問が呈される事が
また、数の暴力でなし崩しに決まるのだったら
もう、完全に議会制民主主義じゃないと思ってた。

サマータイム法案は提出も流れたらしい。
共謀罪もちゃらなのかな。
こういう時って審議中の法案とかどうなるものなの?
今、他にどういう事がどこでどのくらい審議されてたの?
で、どうなるの?
次の国会に持ち越されるものなの?

(全てチャラ、みたいだ。よかったなぁ)

選挙は、民意を直接反映させる機会だから
これが、いろんな事の分かれ目になるかも。
空気の流れが、変わるか加速するか
何年か、何十年後かに
振り返られる分岐点かも。
で、現在の有権者が、未来における結果の罪を背負うかどうかの分岐点かも。

一応、議会で物事を決める国な事になっているんだから。

domenica, agosto 07, 2005

an open letter

sabato, agosto 06, 2005

Hirosima→Iraq

これだけの核の被害を経験した、被爆をした国の人々が
現在、今この時に、
被爆を受けさせられている人々の居る事を
容認し支持し支援している理由が
イラクの人達には絶対わからないと思う。
イラクの人達、じゃなくて
私が、全く理解できない。

”CGで忠実に再現された映像”より
MXテレビで放送されていた1976年制作の映画の方が
より本当の目に映る事に近かったんじゃないか
という気が、なんとなく、する。
でも、人によって、どういう所から説得力を受けるかわからないから
いろんな方法が試されるのがいいだろうね。

自分達もひどい目にあったから
後の世代や他の人もひどい目にあうべき、と思う人と
自分達があったようなひどい目には
もう誰も苛まれてほしくない、と思う人がいるような気がする。
自分達だって我慢させられたのだから
誰も助けてくれなかったから
ひどい目にあっていない人が
妬ましくてしょうがない
なんだったら、ひどい目にあうようにしたい
というその感情が
いつまでもこんな事が続いていっている
かなり根本的なところにある要因なんじゃないだろうか。
幼児虐待でも、いじめでも、後輩いびりでも、徴兵制でも、国民総動員法でも
空爆でも、飢餓でも、核兵器でも、

想定内

朝まで生テレビー、本来はこうしたかったのか?
前の回のは、想定外のまぐれ当たりか?
前回のような潔く勇気ある人は
資料を読み上げるのではない
自分の体験した事の証言を残そうという気概のある元兵士の人は、
やっぱり少数派か
日本人こんなんか、いつまでも教え込まれたままか
60年経っても、自由になれないのか

この人達がいそろくさんに会ったのか?
御前会議の場に居て聞いていたのか?
作戦会議の場に居たのか?
もう既にある資料の棒読みなら、
もうあるのだから今貴重な時間を使って
この人が話す必要はないじゃないか。

結局、空気か。
現役時に命令する側だった怖い人が、にらみつけてちゃえば
空気の流れは、どうにでもなっちゃうんだ。
で、流したい空気の流れは、こっちなんだ。

その中でも、あまり機会を与えられないにもかかわらず
周囲と違ってしまう意見を言い続けていた方も
居なかったわけじゃない所に
せめてもの、救いがあったかもしれない、
こういう人達がしゃべりにくいまま
いつまでも脅かされたまま
罪悪感を自分の中に押し込めたままにさせて
この人たちに背負わせたままにしておく事が
後の世代の、ひどいところだと思うんだけど。
いつまでも強い側の言葉ばかりが残ってしまって
その轍をたぐって繰り返す堂々巡り。

こういう場の雰囲気が
逆に、自分の国に対する卑屈な感情を育てるんじゃないかと思う。
いつまでも、死ぬまで怖いものの強い国だよなぁ、
抗える個性を持った人が孤立化させられる国だよなぁ、って思って。
そういう国民性も確かにあるし、よーく知ってることだったわ。
運とかコネとか特に備わったものがない限り、
どうせ、安く使われて捨てられる人間だし
それに不満を持つことも不敬なんだし
普通の人なんて、居ても居なくてもたいしたこともないんだなっていう
諦めも出てくるんだと思う。

あーあ、これも現実

それで、いいっていうなら。

venerdì, agosto 05, 2005

媒体

今夜のテレビは、大事な番組が多い。
簡単な人間、かもしれないけれど、こういう事があると
やっぱり、テレビもがんばってくれるかも、って思ってしまう。
まだ、少しは信頼してもいいかもしれないと思ってしまう。
夏のこの時期だけとってつけたように、という批判を
何年か前までは聞いたような気がするが
夏のこの時期さえ、戦争が忘れ去られがちになっていたここ数年を越えてみたら
夏だけであっても、戦争をきっちり振り返って見つめなおす機会を持つことが
やっぱり大事だったんだと思う。
「今まで戦争について、よく知らなかった」というコメントをやたら目にすると
夏になると戦争ばっかりって言われていた頃さえも
ぜんぜん、足らなかったんだなって思う。

これから、証言する人がどんどん少なくなっていく現実がある以上
報道は、報道にできる限りの方法を酷使して
1人でも多くの人の体験した戦争を、記録として残してほしい。
知っている人にとっては、思い出すことも言葉につむぐ事も
聞く方よりも何倍も辛いと思うけれど
それでも、その記憶を分けてください、とお願いしたい。


自民党は朝日新聞からの取材を拒否するんだそうだ。
報道メディアから、取材されたくないと拒絶するという事は
政党として、投票権を持った国民に知られると困る事があると、
宣言しているみたいなものだね。
取材されている最中に、無断で言葉を録音されたら困るという事は
録音されると、投票権を持った国民が知ると票が減ってしまうような酷い事を、
取材中であってもうっかり口に出してしまいかねないから
それを後から取りざたされるまで、本人達は気が付くことができないから
その時になって証拠として残る録音テープは困るという事かな。正直だな。

せっかく正直に態度に示しているんだから
今のうちに気が付こう有権者。
どうせ、力ずくで蓋をしておけば
ぼんやりしているから気が付きゃしないだろうと、馬鹿にされているらしいって事に。



付 テレビ、今夜集中した分、来週の長崎原爆忌は、なんにも番組もないみたいだ。
やっぱ、そんなんかぁ・・・。

mercoledì, agosto 03, 2005

ありがとう

Khalidさんの、拘束された時の様子が書かれたblogが翻訳されていた。

心して読みたい。

お疲れ様でした。
感謝しています。

http://blog.goo.ne.jp/raed_2005/
http://iraqhope.exblog.jp/

届かなくてもお礼は言いたい。

敵対だぁ?

イラクに住む人の、ヨルダンにある口座に
三井住友銀行から送金しようとしたら
「イラク、北朝鮮、リビア、イランへは規制があって送れないことになっています」
「敵対国だからです」

という会話があって送金できなかった話を読んだ。

なんっじゃそりゃ。
なんっじゃそりゃなんっじゃそりゃ。
少なくとも、建前は、「テロとの戦い」なんじゃなかったでしたっけか?
イラクに、絶対アルカイーダの本拠地があるって事になっているのか?
100万歩譲って、もし、アルカイーダの主要関係者が、
イラクという国のある地球上の一地域を拠点にしていたとして
だからっつうて、イラクの人がみんなアルカイダなわけあるかいな。
(・・・ふざけでもしなければこんなふざけな事まともに話できない)
”オウム真理教”つうたらもんがあったからっていって
日本に送金できなかったりしたものか?
日本人は全員、地下鉄にサリンを撒く事に賛成した信者ばっかしだったか?
イラクが敵対国なの?
つまり、一般人に明確にされていないだけで政治的にはそうなの?

国権の発動たる戦争は、 武力による威嚇又は武力の行使と分けてあっても
国際紛争を解決する手段としてはこれを
永久に放棄するものなの。
現実として敵対国を作って戦争しちゃいけないの。

憲法違反じゃん!

だから、変えたいんだよなぁ・・憲法。違反してるから。
違反する法律を犯罪者が、好き勝手に変えられるなら、
犯罪者にとっては、本当に都合いいだろうよ。

つうか、まじですか?
それで、バグダッドの
私達と同じような普通の人が、水を得る為に使われるはずだったお金が
届かなかった(もしくは遅れることとなった)ようなのですが、

商人としての、仕事に対するプライドっつうものはないのかと思う。
日本はね、商人による自治というもんを
堺の商人の人たちが、世界でもいっちゃん早く自治での相場取引を始めた
商人魂も、毅然とした国だったのよ。
自分たちのお客さんの判断をアメリカのモルガン銀行に任せるなんて
なさけなくないんだろか。自分たちのお客さんなのに。
なんとかしたれよ。

自民党憲法草案の要旨 起草委員会1次案 抜粋

第2章 安全保障

 【安全保障と平和主義】第9条 日本国民は、諸国民の公正と信義に対する信頼に基づき恒久の国際平和を実現するという平和主義の理念を崇高なものと認め、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する平和国家としての実績に係る国際的な信頼にこたえるため、この理念を将来にわたり堅持する。(2)前項の理念を踏まえ、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使または武力による威嚇を永久に行わないこととする。(3)日本国民は、第1項の理念に基づき、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動に主体的かつ積極的に寄与するよう努めるものとする。

 【自衛軍】第9条の2 侵略からわが国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する。(2)自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びにわが国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。(3)自衛軍による活動は、わが国の法令並びに国際法規及び国際慣例を順守して行わなければならない。(4)自衛軍の組織及び運営に関する事項は、法律で定める。

 【自衛軍の統制】第9条の3 自衛軍は、内閣総理大臣の指揮監督に服する。(2)前条第2項に定める自衛軍の活動については、事前に、時宜によっては事後に、法律の定めるところにより、国会の承認を受けなければならない。(3)前2項に定めるもののほか、自衛軍の統制に関し必要な事項は、法律で定める。


・・・信頼してないやん
・・・武力で解決しようとしてるやん
・・・怖。

それにな、
これな、
現行憲法9条より、わかりやすいか?

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

lunedì, agosto 01, 2005

もいっこ

東京の有明コロシアムで行われた九条の会の講演会には
9500人の人が集まったそうだ。
なんか、入場券の入手方法、少々面倒だったようなんですが。
それでこれだけ集まれば、ちょっとした事だと思うのに
また、ニュースは無視したっ。

そっちも大事なのはわかるが
拉致事件に関する集会と
あまりにも扱いに差つけすぎじゃないかと。
(たまたま同じ日だったからね)